カサンドラの風車 8
カサンドラ地方
周辺領邦から駆けつけた増援の領邦軍がカサンドラを見下ろす丘の上に立った。背後には叛乱の元凶である風力発電プラントの風車が地上の騒乱などそ知らぬ様子で回っている。
領邦軍の将兵たちの馬に跨り、槍やマスケットを構えて突撃の準備を整えていた。対峙する叛乱軍の装備も似通ったようなもので、これが現代の戦場であることを示すのは上空から戦場を見守る日本軍の無人偵察機の姿だけである。
戦端を開いたのは領邦軍の砲撃だった。前線に配置された古い青銅砲―後方から曲射支援射撃をするほどの射程はないし、領邦軍にはそれを可能にする組織もない―が叛乱軍の陣地に弾を撃ち込み、それを合図に領邦軍の騎馬隊が突撃した。
銃で牽制射撃しつつ騎馬隊は敵陣地に突入する。叛乱軍側も銃を撃って突撃を粉砕しようとするが、連射などできない前装銃では弾幕を形成するには至らず、槍を振り回す騎馬兵達と陣地の歩兵達が正面から衝突した。
槍と槍、剣と剣がぶつかる白兵戦がいたるところで繰り広げられる。叛乱軍の中には武器の代わりに鋤や鎌のような農耕具を持って戦うものの姿もあった。子どもや女の姿もあった。あちらこちらで血飛沫が飛び、流血が大地を覆い、その度に人が倒れた。
双方に多くの犠牲者が出たが戦況は次第に領邦軍側に傾いているようであった。
大練兵場
殿村と穂村が連れてこられたのは彼らがホーレン公国を訪れるのに使った飛行場のある大練兵場である。どうやら戒厳令の敷かれたエフタル国軍北部管区内に駐在する邦人全員に召集がかかったらしく、飛行場のロビーは日本人でごった返していた。
こんな僻地にこれだけの日本人が居たのか、と驚いていると殿村と穂村は練兵場の司令部まで案内された。平時においては演習場に過ぎないが、戦時には前線で戦う部隊の兵站基地となる予定の大練兵場には様々な施設が整えられていて、無人機の運用機能もその一つだ。
無人機のカメラの映像を映すモニターには悲惨な戦場の様子が映し出されていた。さすがに軍人達は黙々とそれぞれの任務に勤しんでいるが、文官に過ぎない殿村と穂村には刺激が強すぎた。穂村は口元を手で覆って、床にうずくまっていた。
「我が軍は動かないのですか?」
殿村が尋ねると2人を案内した軍人が首を横に振った。
「マケドニア軍が活発に動いています。そちらへの警戒の為に、我が軍は動けません。そちらは大丈夫ですか?」
軍人は穂村の様子を覗きこんで心配そうに言った。無言の穂村の代わりに殿村が返事をした。
「どこか休める場所はないかな?」
「それなら応接室があります。案内しますよ」
会戦から領邦軍による一方的な虐殺に移行しつつある戦場を映すモニターを背後にして、殿村と穂村は司令部を出た。
2人を案内した軍人が司令部に戻り、応接室には殿村と穂村、2人っきりになった。
応接間にはテーブルを挟んで置かれている二組のソファがあり、それに2人は分かれて向かい合って座った。家具の他には壁に件の発電プラントのポスターが貼られている以外に飾り気のない質素な部屋であった。
穂村はカバンから文庫サイズの本を取り出し、それを手にしてなにやら唱え始めた。本はよく見ると新約聖書だった。
「あんた、キリスト教徒だったのか?」
「なにか問題でも?」
ようやく落ち着いたらしい穂村が少し棘のある口調で応じた。これまで彼の非友好的な宗教に対する態度を見てきたので、身構えている。それに対して殿村は不敵な笑みを浮かべた。
「いやな。なんでそんなもん信じているのかと思ってな。神に救いを求めた挙句が、あの伯爵様と家来達はあの様なんじゃないか?それを見ていたのに、あんたも神に救いを求めるのか?」
「なんであなたはそう宗教をやたら敵視するんですか?」
さらにきつくなった口調で尋ねる穂村に、殿村は笑みから一転して険しい表情になった。
「あれは十・・・何年前だっけな?そうだ。平成13年9月11日、俺の親父はな、その日にな、世界貿易センタービル南棟の79階に居たんだ」
殿村の告白に穂村は言葉を失った。
「親父は銀行員で、ニューヨークの支店に勤めていた。そして旅客機に直撃された。なぁ、あんただって憶えているだろう?あの日を」
忘れるわけがない。穂村もまだ小学生だったあの日のことを克明に覚えている。20世紀の最後の年に短くも苛烈な大戦争を経て、世界平和を脅かす最後の脅威が取り除かれたと信じていたあの時代。21世紀という平和な時代の訪れを祝っていたあの日々。そしてその幻想を一瞬にして打ち砕いたあの日。
「なぁ。あの日以来、あのターバンを巻いて宗教戦争を仕掛けてきた連中の為に何人の日本人が命を落としたと思う?宗教に狂った連中のためにどれだけ犠牲になったと思う?」
日本はアメリカとともに対テロ戦争に立ち上がり、アフガニスタン、そしてイラクへと軍隊を進めた。“大転移”までの間に1000人を超える戦死者を出している筈である。
「ようやくあの連中の居ないところまで来たと思ったら、今度はエトナ教会だ。だいたい歴史を思い返しても、あの手の連中は碌なことをやらないじゃないか?虐殺、侵略、民族浄化、テロ。神の名の下にやりたい放題してきたんだ。嫌って当然じゃないか。あんな連中、皆殺しにしちまえばいいんだ」
不穏な殿村の言葉に穂村はため息をついた。
「皆殺しって、あなたが嫌いな原理主義者みたいじゃないですか」
穂村の指摘に殿村はたじろいだ。どうやら自覚はなかったらしい。穂村は続けた。
「結局、人間なんてそういう生き物なんですよ。本質的にそういう性質を持つ生き物なんです。普段は理性という仮面で隠しているけど、何かしらの大義名分があれば、理由があれば簡単に馬脚を現す。その大義名分の1つに宗教があるだけです」
スターリンは大勢の人間を殺したが、それは彼がイスラム教徒であったからではないじゃないか。それに彼が宗教の起こす悲劇の1つとして挙げたテロの語源となった騒動を起こしたのは民主主義の信奉者達だ。
「だから人間の根本の問題なんですよ。それを宗教に押し付けるのは問題の本質を見誤っていると私は思います」
それから穂村は聖書を掲げて見せた。
「私は神を信じます。確かに居るかも分からないものに縋って生きるのは不健全かもしれません。だけど何かに常に見守られていると思った方が、思わないときより健全に生きられる気がするので」
「神は逸脱の原因になることもなれば、止めることもある。と言いたいのか?」
殿村の言葉に穂村は頷いた。
「それに今回の件は宗教だけが原因じゃないでしょ」
そう言って壁のポスターを指した。そこには青空をバックにした巨大な風車の写真が印刷されていた。
「まだ疑っているのか?」
「もし原因があの風車なら、我々はもっと真摯に対応すべきだったんですよ」
それを聞いた殿村は鼻を鳴らした。
「だからな。あれは安全なんだよ。原発みたいに放射能を撒き散らすわけじゃない。有害物質をばら撒くわけでもない。内地の環境NPO団体からも認められたエコ発電なんだ。あの震災以来、内地でだってあのような風力発電プランがどんどん増設されているんだ」
風力発電施設の周辺では頭痛、不眠症、精神の異常といった様々な健康被害が報告されている。それらの被害は“風車病”と呼ばれ、プロペラが高速回転する時に発生する騒音や低周波が原因ではないかと見られている。しかし、風力発電施設とそれらの健康被害の関連性が公式に認められたことは無く、また“風車病”自体があまり世間では知られていない。
近年、環境問題や原発問題の為に風力発電のような再生可能エネルギーに注目が集まっているが、“風車病”のような危険性や問題点について真剣に論じられることはあまりない。
原発の安全神話が批判に晒されて久しいが、その傍らで新たな“神話”が創造され、新たな信仰が生まれようとしているのかもしれない。
カサンドラの風車 終
というわけで1つ終わりです。次回の更新をお楽しみに。