カサンドラの風車 4
ホーレン公国 首都ぺトナ
大練兵場に降り立った殿村と穂村は早速、公国政府が遣した車に乗り込んでホーレン公の待つ宮殿へと向かった。殿村はそこが今日の寝床になると教えられた。
その日はホーレン公との折衝で終わった。明日、カサンドラ伯爵がここへ陳情にやってくるという。そこで殿村は彼を説得しなくてはならない。ホーレン公の彼に関する説明はこれまで聞いてきてことをほぼ同じだったので、ほとんど聞き流してしまった。ただ“神を冒涜する発言をしないでほしい”というホーレン公の言葉が妙に心に残った。
そして翌日、カサンドラ伯マルティン・ハルトリーゲルの一行がぺトナの宮殿を訪れた。何台もの馬車が連なり、直属の使用人たちや武官、大量の荷物を持ち込んでいた。
「まるで大名行列だな」
窓から馬車の車列を覗いて殿村が言った。
「あれを見てください!」
殿村の横から覗いていた穂村が馬車からマルティンとともに現れた男を指し示した。
「あの格好はエトナ教会の司祭ですよ」
それを聞いて殿村は毒づいた。
「ややこしくなってきたな」
全ての事柄がこれからの会談がどう足掻いても宗教が絡んでくることは明らかであることを示している。無神論者の殿村には耐え難い会談になりそうである。
それから2人の部屋の戸をホーレン公の使用人が叩いた。
「会談の準備が整いました」
殿村と穂村は豪華な装飾が施された会議室に案内された。日本の役所の無機質な部屋に慣れた2人には息苦しく感じた。部屋の真ん中には大きなUの字型のテーブルが置かれていて、既にカサンドラ伯マルティンとエトナ司祭は席についていた。2人はその反対側の席に案内され、真ん中にホーレン公が座った。
会談が始まると、マルティンは早速、核心を突いてきた。
「私がホーレン公と日本政府に求めるのは発電施設の迅速なる撤去である。我が所領になんの益ももたらさないばかりが、領民を苦しめるものが存在することを容認はできない」
外交儀礼もなにも挟まずのいきなり直球に殿村も穂村も目を丸くした。2人は目配せした後、殿村が代表して意見を口にした。
「カサンドラ伯爵。我々、日本政府としてはまず状況を把握しなくてはなりません。本当に疫病の原因が発電プラントなのかも分かりませんし。政府が私を派遣したのはあくまで被害調査が目的なのです」
殿村の説明をマルティンは鼻で笑った。
「状況を把握?貴国の自慢の最新技術とやらは、この程度のことも把握することができないのですかな?」
それから彼は机に拳を叩きつけて、強い口調で言った。
「状況は明白だ。議論する余地はない。時間稼ぎやら止めていただこう」
「そうおっしゃられても…」
殿村は続けて調査が必要なことを説明しようとしたが、今度は司祭が割り込んできた。
「わしは聖職者として各地を巡り、神の言葉を聞き、人々の様子を見てきたが、このような事態は初めてじゃ。お前達が造った発電プラントとやらが神の怒りを買ったとしか思えん」
それを聞いた殿村はため息をついた。彼は司祭に対する嫌悪感と懐疑心を隠そうともしなかった。
「冗談は止してください。今回の疫病は神とは何の関係もありません。そして、おそらく発電プラントもです。それとも今回の疫病を宗教と結びつける必要があるのですかな?」
司祭への疑念を含ませた殿村の言葉にマルティンは激高した。
「貴様!司祭様を侮辱するつもりか!」
その光景を見て穂村は顔をしかめ、頭を抱えた。
「皆さん、落ち着いてください。お互いの誤解を避ける為にも、まず原因の調査でしょう」
穂村が間に入ってマルティンはようやく怒りを収めた。しかし両者の間には埋めがたい溝ができてしまった。
「いいでしょう。ぜひともご覧になっていただきたい。あなた方が持ち込んだものがいかなる災厄をもたらしたか」
マルティンの案内で問題の村を視察することになった。殿村と穂村は公国政府の車に乗り込むと早速出発したのであるが、到着はまだまだ先になりそうだ。なにしろマルティンの一行は馬車である。その行列に続く車はなかなか速度を出せない。
「まったく。車くらい買ったらどうなんだ?」
なかなか進まない車列を車窓から覗きながら殿村は苛ついていた。
「そりゃ向こうは近代化反対派なんですから」
穂村はその横で殿村を宥めようと彼の背中に語りかけていた。
「それに、この国のほとんどの人にとっては車ってのは手の届かないものですからね。馬車なんて珍しくないですし、こうやって馬車がいるせいでスピードが出せないなんてよくわることですよ」
宥める為にエフタルの状況を伝えた穂村であったが、それがかえって殿村の怒りに油を注ぐことになった。
「日本政府はそういう状況を改善する為に発電プラントをはじめとする政府開発援助をしてきたんじゃないか。なんであんな風に言われなくてはいけないんだ?」
殿村の言葉を聞いて穂村は黙り込んでしまった。突然静かになったことに驚いた殿村が慌てて振り向くと、彼は静かに考え込んでいた。
「確かに難しい問題ですね。エフタルもいずれ新しい文明や技術を受け入れなくてはならなくなるでしょう。そうしなければ行き詰ってしまいますから。しかし、当人達の意思を無視しても良い結果が得られるものではないでしょう」
真剣な表情で語る穂村を前に殿村は怒りを忘れてしまっていた。
「当人達の意思はどうであれ、発電プラントが病気の原因ってのは間違いだ。俺はそれをはっきりさせるだけだよ」
しばらく車の中に奇妙な沈黙が流れた。沈黙を破ったのは穂村だった。
「その…発電プラントと病疫が関係ないってのは確実なんですか?」
「何度も言うが、あの発電プラントは政府は勿論、国内の環境NGOからもお墨付きを貰っているんだ。有毒ガスとか出さない。勿論、放射能もだ。原発とかと違ってクリーンなエネルギーだからな」
「クリーンですか」
穂村にはその言葉が妙に気になった。
「どうも、あの震災以来、風力とかソーラー発電がやたらにもてはやされて、問題の洗い出しとかそういう段階を経ずに推し進めすぎな気もするんですけどね。熱狂しすぎというか」
話が妙な方向に進んでいるのを感じたのか、殿村は路線修正を試みた。
「こっちも聞きたいんだが、病疫は奴らの仕業だと思うか?」
「奴らって?」
「エトナ教だよ。俺達日本人を追い出すために病気やら災厄やらを自作自演する事例もあるんだろ?」
「どうでしょうかねぇ?」
穂村はまた黙って考え込んでしまった。しばらくして再び口を開いた。
「なんとも言えません。あの司祭に関しては詳しいことはまだよく分かっていないんです。カサンドラ伯の方はそういうことをする柄ではないんですけど」
「結局、なにも分からないってことか」
それから会話はまた途切れてしまった。
車列が問題の村に到着する頃には日付が変わっていた。
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