カサンドラの風車 3
ノイエ・ゼンターレン国際空港
殿村は入国手続きを終えてロビーに下りた。広い割には人が少ないロビーで彼を1人の男が待っていた。殿村の名前が書かれた画用紙を掲げる背広姿は同じく日本政府に雇用された官吏のようであった。相手の方も殿村に気づいたらしく手を振っている。
「資源電源局の殿村義雄だ」
相手の前に立ち、スーツケースを床に立てて姿勢を正すと殿村は右手を差し出した。相手は彼の右手を握り、握手を交わした。
「日本大使館の穂村諭吉、二等書記官です。今回はわざわざお出でいただきありがとうございます」
そう言って穂村は殿村のスーツケースを持って、出口に向かって歩き出した。
「どうぞ」
穂村について空港施設を出ると、その先には黒塗りの高級車が止まっていた。大使館の車のようだ。穂村が後部座席のドアを開けて、手で示して殿村に乗り込むように促した。殿村が乗り込むと、穂村はトランクにスーツケースを載せ、それから運転席に座り発進した。
走り出すとともに殿村は早速切り出した。
「それで、そんなに深刻な事態なのか?」
今回、殿村に宛がわれた任務は“説得”である。日本政府の援助で完成した発電プラントの周辺で奇病が流行り、地元の有力者がプラントの撤去を求めているのだという。表向きは被害調査に来た殿村であるが、本当の目的はその有力者を説得して撤去の要求を撤回させることになる。
「交渉に赴いた地元に駐在する領事の話ですと、相当殺気立ってたようです。その有力者、カサンドラ伯爵は保守派の1人で元々、日本主導の近代化に批判的なようでして」
穂村の説明を聞いて殿村は苦笑した。
「なるほど。それで難癖をつけてきたというわけか。これは厄介なことになりそうだな。そもそも病気というのは本当なのか?」
「領事も実際に現地を視察しまして。確かに異常な状態であったと。こちらで呼んだ医師の診察は拒絶されましたが」
「それは怪しいな」
実のところ、このような事例はこれが初めてではない。保守派の貴族や宗教家たちは日本の勢力を追い出そうと事件を起こす例はいくらかあった。その中には毒物を使い病気を広め、日本人がやってきたために神の怒りに触れたなどと言い張ることもあった。だから日本政府や大使館員の大多数は今回のことも冷ややかに見ていた。ただ穂村は違ったようだ。
「ところで、発電プラントのために本当に病気が発生したということはありえないのでしょうか?」
恐る恐る尋ねる穂村に対して殿村は断言した。
「ありえない。あれは日本の安全基準にもクリアしているし、この手の開発には煩い環境NGOからもお墨付きを貰ってるんだ」
「そうですか。現地には明日、飛んでもらいます。今夜は大使館で。大使に説明していただくこともあるので」
そうこうしているうちに駐エフタル日本大使館の前に到着した。車は海軍陸戦隊が守るゲートを抜けて、建物の正面入り口前に停車した。穂村はトランクから荷物を降ろし、後部座席のドアをあけた。
「ようこそ。日本大使館へ」
ノイエ・ゼンターレン 駐エフタル日本大使館
大使の執務室で殿村は大使に握手を求められた。
「わざわざ内地からすまんね」
大使は外務省の官吏出身ではなく前政権により抜擢された公爵家当主であった。封建体制の影響が色濃く残るこの国で公爵は地元の有力者と良好な関係を築けているようだ。
「仕事ですから。カサンドラ伯爵というのはどのような人物なのですか?」
握手を交えながら尋ねると、大使の顔は暗くなった。
「はっきり言って保守派の中でも特に頑固な男だよ。教会との繋がりも強い」
「宗教が絡むと碌なことがありませんからな」
殿村がなにげなく言うと、傍らで2人の会話を聞いていた穂村が顔色を変えた。
「殿村さん。外でそういうことを口外しないでくださいね。この国の人たちは信仰心は強いですから」
「あぁすまん」
殿村は口ではそう言ったが、内心では穂村の忠告を鬱陶しく思っていた。無神論者を自任する殿村としては、やたらと信仰を振りかざす人間がどうも気に入らなかった。
ホーレン公国 合同大練兵場
翌日、殿村は再び機上の人となっていた。穂村とともに乗る日本航空輸送便のビジネスジェットはエフタル連邦北部、ホーレン公国にある日本陸軍練兵場内の飛行場を目指していた。
エフタルは“エウロペの穀物倉”と称えられているのは前にも述べたが、それは主にエフタル南部の話である。北部地帯は気温が低く農耕にあまり適しておらず、一部の作物を除いて農業はあまり盛んではない。広大な平原があちこちに広がっていて、牧畜が主要な産業であった。
そうした平原に目をつけたのが内地の狭い練兵場に悩む日本陸軍である。“大転移”前はアメリカのヤキマ演習場などに遠征して国内の練兵場不足を補っていたが、今はそういうわけにはいかない。そこでホーレン公爵から沖縄本島にほぼ匹敵する面積という広大な土地を借用して、巨大な練兵場を開設したのである。
この練兵場では長距離砲をほぼ最大射程で撃つことができるので、内地ではほとんどできなくなった実弾射撃演習が可能である。さらに内地から経験豊かな教官を集めて編制した仮想敵部隊、教導第一旅団が常駐しており実戦に近い演習を行うことができるのだ。
内地の日本陸軍部隊の他、同盟諸国軍にも開放されている。それ故に“合同”大練兵場だ。地元のエフタル軍、それにエウロペ大陸東部の東側3割を領有する資源国家ラップランドが主に利用している。
しかしながら、見返りとして様々な開発支援が行われているとはいえ広大な土地を他国に占有されることはエフタル人の自尊心を大いに傷つけることになり、保守派が日本主導の近代化に反対する理由の1つになっている。
さて、広大な練兵場には様々な施設が併設されている。飛行場もその1つで、開設の目的は練兵場へと演習にやってくる陸軍将兵による利用である。内地からここを訪れる陸軍将兵は空軍の航空輸送便に乗って、事変を想定した緊急展開訓練も兼ねてここまでやってくるのだ。しかしエフタル北部はインフラ建設が南部ほど進んでおらず交通の便も悪いので、民間企業や関係省庁の要請もあり飛行場は民間航空便にも開放されている。
殿村と穂村は機内では特に会話を交わすことなく時間が過ぎた。やがて機内から合同大練兵場の飛行場が見える空域に差し掛かり、穂村がそれを殿村に説明した。機内での最初の会話だった。練兵場の中の飛行場だというので本国の離島にあるようなこじんまりした飛行場を想像していた殿村は、その大きさと充実した設備に驚いた。長大な複数の滑走路に、大掛かりなターミナルビル。まるで内地の国際空港を見ているようだ。
「マケドニアと開戦した場合には、ここが前線部隊と内地とをつなぐ兵站拠点の1つになりますからね。事変発生時の緊急脱出拠点にも指定されていた筈です」
つまり非常時には一帯に居る邦人がここに集まって内地に逃げ帰るのである。
「凄いなぁ。まるで砦のようだ」
そうこうしているうち、2人を乗せたビジネスジェットは着陸アプローチに入った。
本文中に沖縄本島とほぼ同じ大きさの演習場とありますが、沖縄の面積は約1207平方キロメートルです。広すぎだろうと思う人もおられるかもしれませんが、陸上自衛隊がよく遠征するアメリカのヤキマ演習場が1311平方キロメートル、同じくアメリカ陸軍のナショナル・トレーニングセンターは2590平方キロメートルの広さを誇るらしいです。
ちなみに陸自最大の演習場である矢臼別演習場は168平方キロメートル。まさに桁が違います。