ラスト・カウボーイ
6年目に入った第二次世界大戦は最終局面に達しようとしていた。
ドイツは全欧州を制覇し、宿敵スターリンを討ち取って東方生存圏を完成させた。日本は東南アジア諸国を欧米列強から解放し大東亜共栄圏の建設にむけて万進している。欧州で最後まで枢軸国に抵抗していたイギリスまでも降伏の道を選び、三国同盟は遂に矛先をアメリカに向けたのである。
昨年6月に実行された日本陸海軍によるアメリカ西海岸への上陸作戦は成功を収めアメリカ大陸への足掛かりができた。一方、ドイツ軍も東海岸への上陸を開始し、アメリカは東西から枢軸国に侵攻されることになったのである。
富嶽による戦略爆撃で工業基盤を着々と破壊されたアメリカは急速にその軍事力を低下させ、次第に後退しつつあった。そして日本軍は遂にロッキー山脈を突破して、ひたすら西を目指していた。軍の首脳部では既にアメリカとの戦争よりも東海岸を順調に制圧する独伊軍との競争をより重視していた。誰もがアメリカとの戦争はもう終わったものとして見ていた。
その日、笹川大尉率いる自動車斥候隊はダラスを出発して一路、メキシコ湾岸最大の都市であるヒューストンを目指していた。彼の斥候隊を親部隊である第32軍はメキシコ湾沿岸の油田地帯制圧が命じられており、運がよければ笹川隊は日本軍で初めてメキシコ湾に到達した部隊となる栄誉を授かれることになる。
今、車列は道路脇に停まっていた。偵察隊を派遣して前方の障害を確認するためである。笹川大尉は車列の中心を進む専用の九五式小型車の助手席に座り、地図を睨んで部下が偵察をしている一帯になにがあるが見定めようとした。彼らの行く先にあるのは森の中を通る道と、それを見下ろす丘と、その頂上にある小さな小屋である。
偵察隊を率いる少尉はここ最近の連戦連勝にすっかり酔っていて、ここが戦場であるという事実を忘れかけていた。彼は首から双眼鏡をぶらさげて軍刀を振りかざし、いかにも指揮をとる将校という出で立ちであった。
森が開けて、丘の頂上が見えた。少尉は双眼鏡を手にして、立ったまま小屋を覗いた。
「少尉殿。危険です!」
少尉付の下士官が警告したが遅かった。小さな破裂音のような音ともに少尉の頭から血が噴出し、そのまま倒れてしまった。さらに近くに通信兵も撃たれて倒れる。
「敵襲!敵襲!」
少尉付が倒れた通信兵から無線機を奪い取ると、すぐに送信ボタンを押した。
「敵の狙撃兵の攻撃を受けています!」
笹川大尉も車中で銃声を聞いた。そこへ中隊本部付の無線手が駆けつけた。
「偵察隊が狙撃を受けています」
笹川は無線の受話器を通信手から強引に取ると、相手に状況を尋ねた。
「狙撃位置は分かるか?援軍が必要か?」
<小屋に狙撃手がいるようです。完全に圧倒されています>
「分かった。牽制射撃で圧倒しろ。増援を送って包囲する」
笹川は受話器を返すと、機関短銃を手に九五式小型車の助手席から駆け下りた。その後ろでは無線を傍受していたのか、小型車に続く自動貨車から兵士たちが次々と飛び降りて並んでいた。
「第1小隊は円陣防御を敷き敵襲に備えろ。第2小隊は続け」
兵士たちはきびきびとした動作で動き出し、第1小隊は車列を取り囲むように配置につき、第2小隊は篠山に続いて森の中へ飛び込んで行った。
小屋の前で釘付けにされていた偵察隊の兵士は半自動小銃を小屋に向けて乱射したが、なんの手応えも無く、逆に狙撃が続き、その場を動こうとした兵士は次々と倒されていった。
森の中を増援部隊が笹川大尉を筆頭に全力で進んでいた。すると笹川に続いていた通信手が突然、身体の力が抜けて倒れた。笹川が立ち止まって様子を見ると、首に銃創が出来ていてそこから血がドクドクと流れていた。
「敵襲!伏せろ!」
笹川の叫び声が合図であったかのように四方八方から銃弾が撃ちこまれ、増援部隊はその場で釘付けにされた。兵士たちは半自動小銃をあちらこちらに乱射するが、狙撃手には届いていないようで狙撃は一向に止む気配がない。
これは偶発的な遭遇ではない。敵は計画的に待ち伏せていたのだ。そう確信した笹川は倒れた通信手から無線機を奪い取ると、街道に残る小隊と連絡をとった。そして彼らを通じて、自動車斥候隊の後ろから追走しているはずの砲兵隊に連絡を取った。
「至急、砲撃を要請する」
姿の見えぬ狙撃手を制圧する最善の手段は、その狙撃手がいると思われる一帯を丸ごと吹き飛ばすことだ。
すぐさま砲兵隊が援護射撃を開始した。数門の九一式10センチ榴弾砲の射撃は正確無比で、笹川の指示に基づいて孤立した小隊を取り囲むように砲弾を撃ちこんだ。そして狙撃もそれに従って止んだ。
砲撃が収まると、伏せていた兵士たちが立ちあがり一斉に狙撃手の居たあたりに突撃を仕掛けた。彼らは次々と米軍の狙撃兵の死体を発見した。しかし、発見した兵士はなぜか皆、困惑してその場に立ち尽くした。
「どうした?」
笹川がそんな敵狙撃兵の周りに集まった兵士の群れの1つに駆け寄った。
「隊長、こいつ子供ですよ」
「なんだって?」
笹川が敵兵の死体を覗いてみると、確かにそれは14~5歳の子供に見えた。手には古いレバーアクションライフルが握られている。
「こんな銃で…他のもそうか?」
その問いに答えが返ってくる前に、再び銃声が響いた。
「遠藤!」
笹川は他の兵士とともにその場に伏せると隊で一番の狙撃兵の名を呼んだ。呼ばれた遠藤一等兵は敵の銃撃に怯むことなく戦場を駆けて来た。
「狙撃手を倒せるか」
自分の横に伏せて狙撃の姿勢をとる遠藤に笹川が尋ねた。
「少し静かに」
遠藤は敵がいると思われる方向に九九式狙撃銃の銃口を向け、用心金に指を添えた。するとまた向こうから銃声が聞こえてきた。
「こいつはあまり上手くない」
遠藤はそう呟いてから、引き金に指をかけた。敵を捕捉したのだ。照準眼鏡越しに敵を睨みつけ意識を集中する。そして彼は引き金を引いた。
銃声が響くとともに、狙撃手の方向からドサという音が聞こえてきた。すると茂みの中で何者かが立ち上がった。その姿は笹川もはっきり捉えることができた。
「止めを刺すんだ」
遠藤の放った弾は狙撃手の肩に当ったらしく、左肩を手で押さえて笹川らに背を向けて逃げようとしている。しかし隣で銃を構える遠藤は第二弾を撃とうとはしなかった。
「どうした遠藤。なぜ撃たん!」
「あれも子供ですよ」
指揮官の詰問に遠藤は呟くように答えた。
撃たれた狙撃手は森の向こうに消えた。それを確認すると遠藤が立ちあがり、それに笹川も続く。それで緊張感が途切れたらしく遠藤はハァハァと荒く息をし始めた。笹川はその様子を黙って見ていた。これ以上問い詰めるつもりはなかった。
「敵も相当追い詰められているな」
ただ一言、それだけ呟いた。それから振り返って彼と同じように立ち上がり始めた部下達に視線を向けた。
「よし前進だ」
暫く進むと問題の小屋が見えた。第2小隊の面々は森の縁に身を隠して待機した。笹川は無線機に手を伸ばした。
「サクラ3、こちらサクラ2。小屋を確認した。狙撃手を確認したか?」
<サクラ2、こちらサクラ3。屋根裏部屋にいるのは間違いない。窓から閃光が見えた。だが姿は見えない>
笹川は双眼鏡を構えて小屋の屋根を眺めた。屋根には四角の形の切り込みらしきものがある。あれを内側から持ち上げてつっかえ棒で支えるタイプの窓なのだろう。こちら側のそれは閉まっているが、反対側は開いていて火点になっている。
「よし。こっちから一斉射撃を行なった狙撃手の気を逸らす。その隙に窓に擲弾を撃ちこめ」
<了解。交信終わり>
茂みに隠れて狙撃に耐えていた斥候小隊の面々にもようやく希望の光が見えてきた。斥候小隊を指揮する下士官は投擲手に擲弾を準備するように命じた。
命令された兵士は擲弾発射用に配備された三八式歩兵銃を構えて、その銃口の先端に一〇〇式擲弾器を被せた。擲弾器は小銃弾の発射ガスを使って手榴弾を射出する装置で、一〇〇式は九九式手榴弾を200メートルほど先まで飛ばす能力があった。兵士はそれを小屋の屋根の窓に向けた。
第2小隊の兵士が一斉に飛び出して半自動小銃を小屋に向けて乱射した。すると第2小隊側の窓の板が動いた。
「今だ!」
笹川が無線機に向かって叫んだ。
擲弾器を装着した三八式を構える兵士が立ち上がった。銃口は開け放たれた窓に向けられている。引き金を引くと、擲弾器の筒から手榴弾が放たれ、放物線を描き飛んでいった。そして窓の中に吸い込まれるように入った。
笹川は開きかけた窓―おそらく狙撃手が様子を伺っているのだろう―が爆風によって限界まで上がり、またバタンと音を立てて閉じるのが見えた。その向こうの閃光とともに。
「吶喊!」
兵士たちが一斉に小屋めがけて走りだした。笹川が先頭を行き、小屋の扉を蹴飛ばした。
その先には男が1人居た。その足元には大量の小銃らしきものが転がっていて、男はその1つを手にして笹川に向けようとした。しかし笹川は素早く自動短銃を構えて連射した。8ミリ弾は見事に敵兵を捉えて倒した。
笹川は倒れた敵を蹴飛ばして死んでいることを確かめた。このときに初めて敵兵が外の狙撃手たちと同じように小さな少年であったことに気づいた。彼のまわりに転がる銃は全て旧式の前装銃のようであった。
「装填をしていたのか?」
小屋に続々と兵士たちが入ってくる。すぐに天井裏に繋がる梯子を見つけて上っていく。
「隊長!敵の狙撃手を発見しました」
その声に促されて笹川は梯子を上った。そこには1人の少女と1人の老人が倒れていた。老人の方はマスケット銃を構え、銃口は窓に向けられていた。少女の方は両手に1丁ずつ前装銃を握っていた。1つはライフル銃で、もう1つはマスケット銃のようであった。
「この老人が狙撃手で、下の少年とこの少女が装填作業をしていたようです」
笹川は部下の説明に頷くと、老人の握るマスケット銃に手を伸ばした。
「こんな銃で我が帝國陸軍部隊に立ち向かったというのか」
森の中を走る者が居た。幼さの残る顔立ちの少年で、レバーアクションライフルを持ち赤く染まった肩を手で押さえている。遠藤一等兵が逃がしたあの狙撃手である。
森を抜け、小さな川に出ると橋の上に立ち止まりライフルを川の中に投げ捨てた。そして向こう岸に渡り、そこに建つ空家に飛び込んだ。
その一番奥の部屋に駆け込むと扉を閉めて、少年は部屋の隅に座り込んだ。そこで緊張感が途切れたのか、身体の力が抜けて泣き出した。少年はただ泣き続けた。
大東亜戦争末期。アメリカにおける本土決戦によりアメリカ陸軍の組織的抵抗はほぼ粉砕された。しかし進撃をする日本軍の前に立ちはだかった者たちが居た。祖国を守るべく立ち上がった市民兵たちである。
彼らは最低限の訓練を受けただけの少年兵と老兵が大半を占めたが、地形を巧みに利用した奇襲戦法により日本軍を最後まで苦しませたのである。
2014/8/8
内容を一部変更