穴蔵の覇権
グィタードラゴンを倒したことで、この洞窟内にゲイルを超える者はいないのではないかと。
そんなことは思わない。
どこか遠くない場所に同じ種族のもっと大きい個体がいるかもしれないし、奴が死んだことで縄張りを広げてここまで来るかもしれない。
他にも恐ろしい魔物がいる可能性もある。アヴィが少しずつ強くなっているとはいえ、メラニアントの大群などに襲われたら対処しきれないだろう。
油断はしない。
だがもう少し積極的に活動をすることが可能になった。
アヴィの氷魔法は便利だ。
最初に魔法を食らった時にはなんてずるい能力かと怒り狂ったこともあるが、こちらの手札になるのなら便利な技として活用できる。
敵にだけ重火器があったら一方的な虐殺だと言ってみるけれど、こっちが使えるのなら躊躇わない。
基本的にこちらは底辺を這いずって生き延びてきたのだ。汚い手段だろうが変節漢と罵られようが痛くもかゆくもない。ゲルの体に痒みはない。
そうしているうちに、アヴィの力も増していき、ゲイル抜きでもメラニアントの小規模な群れなら十分に対処できるようになっていた。
※ ※ ※
「母さん、食べないの?」
最近食欲がなくてね、というわけではない。
この体になってから三大欲求的なものを強く感じたことがない。三大欲求の中で言えば食欲がわずかにというところか。
生存の欲求の他には、自分で決めたアヴィを守るという意思くらいしかなかった。
それも今に不要になるのかもしれない。アヴィが強くなれば一人でも生きていける。
地上に出て、清廊族の戦士か何かとして生きていくことも出来るのではないか。虐げられる清廊族の解放者として。
その先に、アヴィと添い遂げる伴侶も出来るかもしれない。
きっとそれが彼女の本来進むべき道だ。暗い穴蔵でゲル状生物と暮らすことよりも正しい。
「変な母さん」
(だよな、母さんじゃねえし)
相変わらずアヴィはゲイルの粘液の中で眠る。
安全ということもあるだろうし、温かさということもあるのだろう。
狩ったモンスターの皮でマントのようなものを作ってみたが、やはり眠るときにはそれを脱ぎ捨ててゲイルの中で眠るのだ。
甘えん坊なのだろう。
それを許すゲイルも、アヴィの温かさに甘えている。
共依存という。健全ではない関係だ。
いつまで、このままで。
いつまでも、このままで。
(そういうわけにはいかないだろ)
だとしても、まだ今じゃなくていいかと先送りする。
ダレた体と同じく精神も弛んでいる。宿題を先延ばしにする子供のように、問題を後回しにするのだった。
最初は、はぐれたメラニアントなのかと思った。
足音は間違いなくそれだ。特徴ある歩き方でこの洞窟では一番多く聞く。
(はぐれた?)
思い返してみれば、それは初めてだ。
奴らははぐれない。いつも集団行動をしている。
なぜ今日に限ってと疑念を抱いたのは正解だった。
「なんか違う」
ゲイルより少し先行するアヴィがそれを見て声を上げる。
そのメラニアントは他の個体よりも大きく、手の先が長く伸びていた。
剣のように。
「っ!」
声を発したアヴィに向かって、その左右の手剣が振り降ろされる。
一瞬で間合いを詰めて。
――ギンッ!
高い音を立てて、押しやられるアヴィ。咄嗟に手にした剣で防いだものの、体格的に小さなアヴィでは勢いを殺しきれなかった。
続けざまに攻撃を仕掛けようとする剣付メラニアントだが、アヴィが後ろに押し込まれたことが幸いだ。
間にはゲイルが挟まる形になっている。鈍い体でも立ちはだかることは出来る。
態勢を崩したアヴィに攻撃をさせないように、六本の足で同時に地面を蹴って飛びかかる剣付メラニアントの体をゲル状の体で受け止めた。
「ギギィッ!」
取り込もうとしたが、強引に引きはがされた。少し下がるメラニアントもどき。
普通のメラニアントよりも明らかに力が強い。
(働きアリじゃなくて兵士ってことか)
メラニアントウォーリアということなのかもしれない。ソルジャーか。
「ごめん、母さん」
初めて見るタイプの敵で防ぐのが精一杯だった。それはゲイルも同じことなので謝る必要はない。
それよりもこいつを何とかしなければ。
「ギァ!」
仮称ソルジャーアントがゲイルの体を切り裂く。
切り裂かれること自体は問題はない。が、力が強すぎて捕まえられない。腕そのものが剣になっているせいで、裂かれながら振りぬかれてしまう。
切り裂かれた部分はすぐに戻るにしても、これではゲイルに有効な攻撃手段がない。
「たぁっ!」
ゲイルの影から飛び出して急所と思われる胸部と胴体の継ぎ目を貫こうとしたアヴィの剣を、ソルジャーアントの左手が払う。
続いて右手でアヴィを切りつけるが、そこは今度はアヴィが切り返して防いだ。
だが相手は二刀。ソルジャーアントの右手とアヴィの剣が鍔迫り合いになれば、左手が自由になる。
「くぅ!」
単純な腕力でもアヴィよりも強い。やや押されて顔を顰めるアヴィに左手の攻撃を躱すだけの余裕はなかった。
「ギェッ!?」
かくんと、ソルジャーアントの体勢が斜めに崩れる。
地面を踏みしめていた六本の足のうち、右側の前から二本に粘液が絡みついていた。
ゲイルの体の一部だ。
足元に這わせたゲル状の体が、それを踏んだ足を這い上がり、その節を折っていく。
この手の生き物の特徴で、痛覚らしいものがないせいで、その状況を理解していなかった。
「はああぁっ!」
二本の足首の節を折られたら立っていられない。崩れるソルジャーアントの腕の節を、アヴィの剣が断ち切った。
剣の付いた左手が切り離され、またバランスを崩す。
バランスを取ろうと右手の剣を地面に突き立て、体を起こそうとする。その目の前には落ち着いて構えを取るアヴィの姿があった。
首を刎ねても、アリ系統のモンスターはしばらく動くことがある。
動くとは言ってもそこに意識はなく、壁に向かって歩くだけとかそういう感じだが。
失われた手や折れた足でバランスがおかしいまま、洞窟の壁にゼンマイ仕掛けの玩具のようにぶつかり続けて、そのうち止まった。
刎ねられた首を消化しながらその様子を見守るゲイルと、切り落としたソルジャーアントの手剣と自分の武器とを見比べるアヴィ。
かんかん、と叩いてみて、やはり自分の剣の方が強いと納得したらしい。
「硬くて切れなかった」
この世に切れないものがあるのが許せないわけでもないだろうに。
相手もそれを武器にしているのだから、簡単に切り落とされては困るはず。節の部分を狙えば切れるのだからそれでいい。
それにしても、このソルジャーアントは強かった。
個体とすればグィタードラゴンには遥かに及ばないが、通常のメラニアントと比べたら格段に強い。
一匹、二匹程度なら問題はないと思う。そのくらいの数なら。
(アリだからな)
楽観視は出来ない。大群で襲ってくる可能性も考えなければ。
その場合はアヴィの氷雪魔法で凍らせて時間を稼ぐとかも必要になるか。しかし規模が大きければどうなることか。
「母さん、どうしたの?」
考え込んでしまったゲイルを気遣うようにアヴィが覗き込んでくる。
アヴィは強くなった。ゲイルも強くなった。だがそれだけで生存が約束されたわけではない。
さらに強い者が現れるかもしれないし、数の暴力ということもある。
(うん? 数……か)
母さんと呼ぶアヴィの声を反芻させて、ようやく思い至る。
いや、考えてはいたが、考えていなかったというか。
アリだってどこからか湧いてくるわけではないはず。それを生み出す者がいる。
――クイーンアント
それに相当する者がいるのだとすれば、さぞかし面倒な相手なのだろうと。
しかし問題を解決するには避けられそうにない。このまま放っておいてもっと強い個体を大量に産まれても困る。
無為に時間を過ごして後手に回るのはもうごめんだ。
だとしても、何からどうすればいいものか。
(とりあえず居場所を探すところからだな)
やはり宿題は計画的に迅速にやるべきだ。
夏休みの宿題を最終日にやっていたなんて記憶は、このゲル状の体になった時に忘れてしまっていた。
※ ※ ※
やることはどちらにしろ地道なこと。
何しろ底辺を這いずることにはその道のプロとも言えるゲイルだ。地道な手段には慣れている。
今まではあまり気にしていなかったメラニアントの行動の規則性を追ってみるというだけなのだが。
どの辺りから出てきて、どちらの方向に向かうのか。
獲物を取ったらどこへ向かうのか、と。
想像する女王アリの姿から考えれば、巣の奥で食っちゃ寝状態なのだろうと思われる。
食っちゃ寝についてはゲイルもあまり人のことは言えない。最近はアヴィが狩った獲物を食べさせてもらったりもしているので。
だが、女王アリともなれば食っちゃ寝に関しては本当にプロフェッショナルと言える。
働きアリが運んでくる餌を食い、卵を産む。そういう存在のはず。
場所を突き止めてそこまでいけば、それを殺すこと自体は難しくないのではないだろうかと考えた。
最大の問題は、そこまでいけばという点。
無数にいるメラニアントの文字通り巣窟なのだ。その数の暴力は想像する十倍くらいを想定しておいた方がいい。
囲まれてもゲイルだけならどこからか逃げ延びることもできるだろうが、アヴィをどうするか。連れて行くべきではないのではないか。
(……残しておくなんて無理だ)
いくらアヴィが強くなってきているとはいえ、洞窟はやはりモンスターの世界。
一人で置いていったら生き残る確率がどの程度なのか。半々かもしれないが、半分も死ぬかもしれないという話なのだとしたら論外だ。
既にゲイルにとってアヴィの存在はとても大きい。
彼女があって、自分が自分でいられる。それを失ったらゲイルはただの魔物に成り下がってしまうだろう。
いなかった時には思いもしなかったことだが、今は素直にそう思う。
慣れてしまった。
この温かさに慣れてしまった。あって当たり前だと、アヴィがいない生活など考えられない。
それが彼女の為になるのかと問う自分もいるが、なら洞窟から出たら幸せになれるわけでもないのだと反論する。
(救えねえな)
自分のことばかりだ。アヴィが依存してくるのをいいことに、それを理由に捕えているだけ。
やっていることの本質は彼女を奴隷にしていた連中と変わらない。都合よく利用している。
アヴィが泣いていないからそれでいい。ゲイルの人格が腐っていたとしても、それでアヴィが泣かないのならそれでいいのではないか。
あまり考えすぎると深みに嵌まってしまう。もともとそれほど頭は良くないのだから、今は目の前のことだけに集中する。
アリたちが主に出入りしている穴はわかってきた。
複数あるが、空気の抜ける音からすると奥で繋がっているようだ。
近付くに連れて、普通のメラニアントだけではなくソルジャーアントがちらほらといるのがわかる。
足音が少し重い。
また、剣のような手で壁を叩く音も特徴があり、識別できるようになっていた。
次にやることは、アリの数を減らすこと。
今まで以上に積極的に、メラニアントの群れを襲う。
アリが生まれるスピードとゲイルたちが処分するスピードのどちらが早いのか。
(オオアリクイって一日に何万匹もアリを食うんだったっけ。そのペースで産まれてたらとても間に合わないけどな)
実際にはオオアリクイも一つの巣で大量に食べるわけではないのだが、ゲイルにそんな知識はなかった。
それに、地球を徘徊するアリとは大きさが違う。
前からアリの数を減らしていたのだから考えなくても気付きそうなものだったが。集中してメラニアントを狩ることで、明らかにその生息数は減っていった。
※ ※ ※
「てぁっ!」
アヴィの剣技もより鋭くなっている。
数百以上のアリを狩り続けたことでさらに力が増しているようで、剣技と相まって危なげなく戦えていた。
ソルジャーアントの両手が、アヴィの剣閃で切り飛ばされて、計算通りなのかわからないがゲイルの頭に突き刺さる。
母さん食事よ、というわけか。
「あっ、母さん大丈夫?」
計算ではなかったらしい。
母さんは大丈夫だから目の前の敵に集中しなさいと。
(いや、だから母さんじゃねぇって)
もうすっかり気分が母さんになっていたが。
別に何かが頭に突き刺さったところで、よほど加熱されたりしていない限り問題ない。
頭というのも別にただ単にゲル状の塊の上の方というだけで、そこに脳があったりするわけでもない。脳などないのだし。
ソルジャーアント二体を片付けたアヴィがゲイルに駆け寄ってくる。
頭に刺さった二本の角のようなソルジャーアントの手を、揺らしながら体内に取り込んで見せた。
「二本まとめて切ろうと思ったらそっちに飛んじゃって……けどちょっとおかしかった」
気にしなくていいんだよと言いたい気持ちが伝わったのか、安心したように笑い声を上げる。
アリたちの死骸の中で、体を震わせるゲル状生物と女の子。
周囲の状況は殺伐としているが、雰囲気は穏やかだ。
邪魔者を片付けて、お互いに怪我もない。
ゲイルは、アヴィの口元に手を差し出す。
「うん。ありがとう」
ゲイルから差し出された水を口にするアヴィ。気持ち悪くないかと最初は心配だったが、今ではすっかり慣れている。
洞窟内に流れる生水には不純物や寄生虫もいる。ゲイルの体内でそれを濾過して与えるようにしていた。
アヴィの体は水分を必要とするが、非衛生的な水では逆に体調を壊してしまうだろうと。
水場から離れてもゲイルが体内に貯蔵しておけばいいので、そういう点でも都合が良かった。
洞窟内をうろつくメラニアントの仲間は、その大半を片付けた。
それだけではない。
既に三か月近く、出てくるアリを潰し続けている。
巣の中のアリの数も相当減らしたはずだ。
(それに、女王も消耗しているはず)
食料の供給を断ったのだ。中にどれほど備蓄があるのか知らないが、大きさが人間並みのアリを生み育てるための食料となれば必要な量はかなりになる。
不十分な食料で新しい幼虫が育てられなかったり、女王も出産のエネルギーに対して食事が不十分となれば弱るだろう。
機は熟した、のか。
巣の中はどうも複雑な構造になっているようで、ゲイルの感覚でも外からでは全容が掴めない。
少なくとも数十の生き物が活動している音はするが、狭い空間で響くせいで聞こえにくい。
「じゃあ、行こうか」
万全ということはない。
予想外のことや危険と判断したら即撤退。再び長期戦の構えで。
ゲイルとアヴィは、アリとの最終決戦に臨むのだった。
※ ※ ※




