母の面影
母さんは優しい。
とても恐ろしいモンスターだということはわかっている。
私を奴隷として飼っていた連中は、人間の中ではかなり上位の実力者だった。
横暴なことをしてもそれを咎める人がいないような、世間の常識をはみ出した上位の冒険者で荒くれもの。
清廊族――彼ら人間が影陋族と呼ぶこの大陸の原住民に対してはもちろん、彼らと同じ人間の種族に対しても暴力的な行いをためらわない。それが許されてしまうだけの実力者。
そんな連中を殺して食べてしまえるような恐ろしいモンスター。
そいつらが食われている時、私は何を思っていたのだろうか。
嬉しいとか怖いとかそういう気持ちではない。
ただ、自分がなぜここにいるのかがわからなかった。
どうしてこんな世界に?
どこでも同じかと。どこに行っても清々しいほどに汚泥に塗れた私の世界と、怖気が立つほど幸せに生きている連中がいる。
私ではない誰かが幸せなのだ。いつでも。
ここでこの黒いモンスターに食われて死ぬのなら、それでいい。それがいい。
そう思って眺めていた。
暗がりでも物を見やすいのは清廊族の体質だった。だから見てしまった。
黒くぬめるそのモンスターの表面に、記憶にはないはずの母の姿を。
物心ついた時には既に奴隷だった。だから知らないはずなのに。
――母さん。
そう呼ぶと、そのモンスターの黒さが増したような気がした。
暗さが濃くなったような。
なんとも言わずに、黒いモンスターは私をずっと家畜のように扱っていた男どもを処分している。
この世から消そうと、溶かしている。
もしかして本当に――?
荷物の中から何かを取り出そうとしていた。食料だと臭いでわかる。
碌な物を食べていないし、お腹も空いている。臭いでわかる。
けれど今更それを食べてどうしようというのか。こんな腐った世界で生きろとでも。
(……そうなの?)
このモンスターはもしかして本当に、母が私を助けるために遣わした何かなのではないか。
だとすれば、私の望みを叶えてくれるのか。
この世界は生きづらい。どこの世界でも生きているのがつらい。
私も、もうどこにも存在しないように消し去ってくれるのでは。
「母さん!」
黒いゲル状の表面に映る、知らないはずの母の面影に向かって飛び込んだ。
母は、優しく、優しく、抱き留めてくれた。
私の辛い想いを全て飲み込むように、受け止めてくれたのだ。
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