他者に映る己
じゅるじゅると啜るように食事をするゲイルを、彼女は黙って見ていた。
少女のようにも思える一方で、長い時間くたびれた人生を送ってきたようにも感じられる。
小柄であることはわかっているし、ゲイルに向けてお母さんと呼んだことを思えばやはり老女ではあるまい。
まあ老女なら、今ほどの男どもが彼女に強いていた行為もおかしいので、やはり年若な女の子なのだろう。
「……」
見ていて楽しいのだろうか。人間が溶かされて食われる姿は。
(ただの人間ってわけじゃないか)
彼女を苦しめていた人間だ。見ていて楽しいのかもしれない。復讐心とか。
暗い洞窟でゲル状生物に食われる憎い男の末路を、恨み言を口にするでもなく見ているだけ。
そういえば、人間は殺しても体内に小さな石が出来ない。その代わりなのか、摂取できるエネルギーが多いように感じる。
「……」
食事をじっと見られるというのは落ち着かない。ゲルだって落ち着かない。
何か悪いことをしている気分だ。人間の目から見たら相当なものだろうが、まあこれは自然の摂理。
もぞもぞ、と触腕を伸ばして男どもが残した荷物を漁る。
食料があった。当然準備しているはずだった。。
それを少女の前に置いてみる。
(自分だけ食べてるのは落ち着かないんだよ)
目の前に少女を置いて、自分だけ食事をしているだとか。
人の心は忘れたはずだが、こうして他人を前にしてみるとそんな感情が沸き起こるから不思議だ。
他人とは自分の心を映す鑑だとか、そんな名言があったかもしれない。
他者と相対することで己という生き物が見えてくるのだとか、そんな感じだった。
「……」
食料があるのが見えていないのだろうか。
そう思うくらい、彼女は反応を示さない。
見えていないのだとすれば物音に反応しそうなものだ。見えていて反応しないのか。
少しだけ身じろぎしたかと思うと、首に巻かれた白い首輪を気にする動作をした。
(首輪、ね)
奴隷なのだろうと思う。
少なくとも男どもの扱いは対等な人間へのそれではなかった。
着ているものは襤褸切れだけ。それにしてはその首輪だけは少し上等な造りをしているように感じられる。
何か意味がある。
(魔法とかもあるなら、何か強制的な命令を出来る道具なのかもしれない)
手を伸ばす。ゲル状の触腕を。
少女は反応を示さない。逃げようとしない。
男どもが食われているのを見て、次は自分だと思っているのか。
むしろその様子は、ゲイルがそうすることを望み、受け入れようとしているようだった。
(食べるのはいつでも出来るけど)
首に手を回す。
白い首輪に、ゲル状の自分の手を這わせる。
首輪の内側は細かい棘のように彼女の肌に噛みついていて、中で炎症を起こしていた。痛いだろう。
(かなり頑丈だな。継ぎ目もないし)
どうやって取り付けたのかわからないが、首輪にはどこにも繋いだ箇所がない。
やはり不思議な力を持った道具なのか。無理に外そうとすれば少女の首を傷つけ、場合によっては重要な血管を切ってしまうのかもしれない。
奴隷の首輪。
(こんなもの、とりあえずもういらないだろ。食べるにしても邪魔だし)
時間をかけて首輪を溶かす。
急にやろうとすると少女の方も溶かしてしまいそうだったので、ゆっくりと。
少女はゲイルが自分を食べようとしているのだと思ったのか、やはり何も言わずにゲイルをただ見つめている。
「……あ」
小さな声が漏れたのは、首輪が外れたから。
今まで自分を締め付け、痛めつけ、縛ってきた枷が外れる。
ゲイルが触腕を引くと、自らの手で首周りに触れてみていた。
まだ傷跡は残っている。ずっと残ってしまうかもしれないが、少なくとも彼女の首に食らいついていた枷は外れた。
暗い洞窟の中。枷から解放された少女と、捕えた獲物を消化するゲイルが無言で向き合う。
ぴと、と。水滴が落ちる音が響いた。
「母さん」
(いや、だから母さんじゃねえって)
たまたま覚えている中の言葉だったので理解できるが、間違いを指摘することは出来ない。
ゲイルには発声器官がない。それに父の場合になんて言うのかを知らない。
(いや、父親でもねえし)
自分の思考に思わず苦笑する。顔もないゲル状の体なので、心中で苦笑する。
つい父親だと主張するところだった。
「母さん!」
強かった。
声は静かだったが強い語気でそう呼ぶと、少女はゲイルに飛び込んでくる。
そのゲル状の体内に。
(うぉっとぉ!?)
まだ体内に残っていた男どもの肉を後ろに追いやりながら少女を受け止める。
どぶん、と。
小さな体をゲル状の体内に飲み込みながら、どこも痛みがないように適度な弾力で包む。
消化もしない。
(って、出来るか?)
今まで体内に取り込んできた生物的な物は全て消化してきた。
意識的に消化を遅らせることは出来たが、完全に消化しないということが出来るのかどうか。
(ええい、とにかくとにかく。食べちゃダメだ。食べちゃダメ、これは食べない)
念じる。念じれば叶うというものでもないかもしれないが、とりあえず意識を集中する。
後ろの方の男どもの死骸は消化してもいい。前の方はダメ。
胃の中ではなくて、口の中で転がすように。そういえば魚には口内で子供を危険から守って育てるタイプがいたはず。
そのイメージで。
(……)
そっと口を開けて、少女の顔がゲイルの体内から出るようにした。
にゅるっと少女が顔を出して、やや粘りのある液体で濡れた髪が重力に沿って垂れる。
「……母さん」
もうどうでもいいや、という気分になってきていた。
たぶんゲル状生物には雄雌の区別はないだろうし、呼び名にこだわる必要もない。
なぜこの子を溶かさないように気を遣ったんだかわからないが、何とかなったようだった。
とりあえず、ゲル内に捕えた彼女の口元まで食事を突き付けてみる。
クッキーというか小麦粉的な物を練り固めて焼いた保存食のようだった。
「……んむ」
食べる。
他にしようがなかったのか、観念したように口を開けてクッキーもどきを齧る。
口に入れてしまえば、体が空腹だと訴えるのに逆らえなかったのだろう。
あっという間に頬張って口いっぱいにもごもごしている。
ゲイルの食事風景と少し似ていることをおかしく思う。
(おかしい、ねえ)
そうだ。おかしい、面白いと感じていた。
こんな粘液状の地べたを這いずるモンスターになってみて初めての感情。
生存に関わる危機感や安堵とか、敵に対する怒りや憎しみとは違う。楽しいという感情が芽生える。
(これが、感情……これが、涙……?)
なんて思うわけではないが。とりあえず自分の中にこのように感じる部分があったのかと。
救えないこんな生き物の体で、薄暗い洞窟の中で。
少女の体には傷跡が確認できる。ひどい扱いを受けていた小さな身に刻まれた傷が、その体を包み込むゲイルにはわかってしまう。
救えない。
ゲル状生物のゲイルに、本当の意味で彼女の人生を救うことなど出来ない。
出来ることがあるとするなら、なるべく苦しまずに本当の母の下に送ってやることくらいか。
「ん、ぐ……」
乾燥した粉っぽい食料を頬張り過ぎた彼女に、荷物の中から水を取ってやる。
「ん、んっく……ふはぁ」
息を吐く少女に、なぜかゲイルの肩――肩に相当する部分も安堵するように下がった。
少女は、ゲイルが彼女の為にそうしたことを疑問に思ったように、また無言でじっと見つめてくる。
赤い瞳の中に、黒っぽいゲイルの姿が映っているのを、ゲイルは見ることができない。視覚がない。
ただ少女の動作は文字通り手に取るようにわかる。
「……母さん」
人間の言葉を覚える教材にもなる。差し当たり食べ物に飢えているわけでもないから、このままでもいいかと。
(母さんじゃねえけど)
少女の瞳にゲイルが映るように、ゲイルの体にも少女の姿が映っていた。
ゲイルにはわからなかったが、不定形のゲルに映り込む少女の姿は、場合により大きく見えていたのかもしれない。
※ ※ ※
少女はアヴィと言った。
聞き出せるわけではない。少女が自身をアビーと呼称することを理解するまで数日を要した。
アヴィ。
首輪がなくなってからは、少し人間らしさを取り戻したようで、ゲイルに向かって話をするようになった。
ゲイルが答えることはないので、ほとんど独り言のようだったが。
それでも、アヴィの言葉に理解を示す動作をすると、それが嬉しい様子で話を続ける。
彼女の知識はそれほど多くないらしく、同じ話を何度も繰り返す。それがゲイルには都合がよかった。
「アヴィたち清廊族は、ずっと昔からここに住んでいた」
ここ、というのはこの洞窟のことではないだろう。
「女神と魔神が戦ったこの土地に住んでいた」
途中の単語については怪しかったが、時折身振りを交えて話してくれるおかげで理解が進む。
「ずっとここは清廊族の場所だった。海の向こうから人間が来るまでは」
呼び名が少し違う。男どもがアヴィを呼んでいた言葉と若干響きが違った。
蔑称だったのだと解釈する。
「人間は数が多く成長が早い。中には異常に強い者もいる。だから清廊族は人間に支配された」
そうして奴隷になっていたのだという話だった。
アヴィも、他の奴隷の清廊族から聞かされた話らしい。人間への恨みを積もらせて語り継がれる歴史。
ゲイルにとってはどちらも別種族の話なので、異種族間の争いの結果だとしか思わない。
仮にそのどちらが同族――ゲル状生物の種族だったとしても、あまり感情移入はしなかっただろうが。
とりあえず地上の歴史背景については多少理解できた。知ったからどうするわけでもないが、知っておいて損はない。
やはりアヴィを拾ったのは正解だった。
自分の行動を正当化する為にそう結論付けたいだけなのかもしれないが。
誰に対して正当化したいのか。やましい気持ちがあるとでも。
ゲイルの体内から這い出して、少しだけ離れた場所で落ち着かない様子でしゃがみ込むアヴィの気配を感じながら自嘲する。
アヴィは普通の動物的な生き物なので、食事をすれば排泄もする。
無意識に排泄――つまりおねしょなどをゲイルの体内でしてしまっていることもあったが、意識があれば羞恥心のある行動をするのだ。
一度、あまり離れた場所にいって蝙蝠に襲われたことがあった。
慌てて逃げながら漏らしてしまってから、ゲイルの姿が見える範囲までしか離れないことにしたらしい。
もっともゲイルには視覚がない代わりに鋭敏な触覚があり、音も臭いも全て感知できてしまうのだが。
(……その辺は見ない振りをしてあげるのも大人の役割だな)
別にゲイルの体内でしてしまってもいいのだが。他の人間や動物を食べる時にも一緒に消化吸収しているのだし、それらへの嫌悪感を比較するのであれば問題はない。
母猫は、赤子の存在を隠す為にその糞尿まで食べてしまうのだとか。
それと一緒だと思えば生物的に至極自然な営み。
(って母猫じゃねえけど)
用が済むと、アヴィはゲイルの粘液状の体内に戻ってくる。
服は、最初に来ていた襤褸切れだけ。
他の人間の服を保存しておけばよかったのだが、すっかりゲイルが消化してしまった。植物性の繊維だったので。
洞窟内の気温は低いので襤褸切れ一枚では寒いのだろう。そう思ってゲイルも自身の体温を少し高めに意識する。
ゲルに包まれて眠る少女。ウォーターベッドというところだろうか。
安心したように眠るアヴィを包むゲイルの心中も穏やかだ。
どちらもこの世界では生きづらい存在が、暗い洞窟で寄り添って生きる。
その先に救いはない。救われる道がない。彼女が幸せになる可能性はなく、時間だけが過ぎていく。
ゲイルにとってはアヴィの存在は温もりと言ってもいいのかもしれないが、かといって彼女をこのままこんな場所に繋いでいるのがいいのかと言われれば、違う。
こんな穴蔵生活を続けさせることが幸福だとは思えない。快適な生活は出来ないし、決して安全な場所でもない。
いずれ離別か、そうでなければ死別か。
(あるいは一緒に死ぬか、だな)
それも悪くないと思ってしまう。それが何より救えない。
※ ※ ※
「たぁっ!」
アヴィの持つ剣がメラニアントの胸部と胴の継ぎ目辺りを貫くと、ばたついていた足がころりと力を失った。
狩り。
メラニアントの可食部は少ない。アヴィにとってはという意味で、ゲイルはそのアリの全体を食べてしまうから関係ないが。
倒すと体内に小さな石――魔石と呼ばれるエネルギー結晶が出来ることはわかっている。
やはり一定以上のエネルギーのあるモンスターでなければ出来ないし、あまりに死体がひどく損壊すると出来ないらしい。
また寿命などで命が尽きた場合も同様。
エネルギーを食するゲイルには、その流れが感知できるようになっていた。
ほんのわずかに、結晶化せずに漏れたエネルギーがアヴィに流れ込むのもわかる。魂のエネルギーを奪っているような。
非常に微量だ。コンマ1%未満。
千匹以上倒せば一匹と同等のエネルギーを吸収したことになるのかもしれないが、気が遠くなる話だった。
群れをあらかた片付けて、最後の一匹だけをアヴィに任せているこの現状では。
それでも、拾った当初に比べれば強くなりつつあるのは間違いなかった。
「母さん、どうだった?」
自慢げな様子のアヴィに、ゲイルは少しだけ体を膨らませて見せる。
見ていたよ、とか、上手だったとか、そんな肯定的な意思表示として。
危なくないようにメラニアントの手足はゲイルが捕まえていたのだが、それでもアヴィの剣で仕留めたことに満足の意思を示した。
アヴィの剣というか、アヴィを奴隷として使役していた男の剣だが。もうアヴィの剣ということでいいだろう。
道具に罪はない。アヴィの首輪もそうだったが、この剣も何か不思議な力を宿しているようで、切っても切れ味が落ちないし妙に頑丈だ。
良い拾い物だっただろう。
魔法も使えないかと魔法使いの道具も使わせたが、小さな火を出すのが精一杯だった。
焚火を作るくらいの役には立っている。
ゲイルはともかく、アヴィは生肉や腐肉を食うわけにはいかない。
洞窟内はあちこち隙間があるようで、多少火を使っても酸素が欠乏するようなことはなかった。
ゲイルが最初にいた水中のような下層では、有毒なガス溜りなどあるかもしれないと思い、やや上の階層で活動するようにしている。
「魔石、あったよ」
アヴィが仕留めたメラニアントから魔石を引き摺り出してゲイルに差し出す。
そんなことをしなくても丸呑みしてしまうのだが、アヴィなりのお手伝いなのだとして有難く受け取った。
娘がいたらこういう感じなのだろうな、と。
母さんと呼ばれるせいで、本当にそんな気持ちになりつつあるのだった。
アヴィがいることでの精神面での変化と共に、ゲイルの活動にも変化がもたらされる。
どこにでも自由にはいけない。
ゲイルと違ってアヴィの体は形があるので、下手なことをすれば傷ついてしまう。
小柄なアヴィが通れる通路を選び、もし下に流れる必要があれば落差が少ない場所を選んでゲイルがクッションとして衝撃を受け止めた。
少しの間であればアヴィに息を止めさせて、彼女が身動きしづらい狭い穴の中をゲイルに包んで滑るように流れることも出来る。
そうした移動制限の問題と、食料問題。
アヴィが食べられるような生き物を定期的に狩らなければならない。
数が減ったとはいえメラニアントはまだ多いのだが、アヴィが食べられるのは筋っぽい部位だけ。
殻は食えない。
(不便なものだな)
メラニアントの筋を、小さな魔法の火で炙って食べている彼女を見ながら思う。
脆弱な生き物だ。
アヴィが悪いわけではない。こんな環境で不満も言わずにたくましくやっている。
だがやはり、彼女はこの洞窟で暮らすような生物ではない。
こうしてモンスターを狩ることで彼女がさらに強くなるのであれば、いずれは独力でも生きていけるようになるのではないか。
ゲイルの隣で硬いアリの筋肉を噛み千切ろうとしているアヴィを見ながら、そんな日が来ることを願えないのだった。
※ ※ ※




