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母さんじゃないけれど



 神話にはこう伝わる。



 女神が言った。

「人間に我が恩寵を与えましょう」


 魔神が言った。

「全ての者に恩寵を与えよう」


 そして二柱の神は争った。




 女神の恩寵を受けた人間は、魔物と呼ばれる生き物を殺すことで力を得るようになった。

 殺した魔物の力の一部を得る恩寵を授かった。



 一部の人間は、魔神に付き従うことを選んだ。

 女神の恩寵の薄れた彼らに、魔神はその魂の一部を砕いてより長寿な命と極寒の地でも生きられる体を与えた。


 真白き清廊。魔神とそれに従う人々とが約束を交わした場所。



 魔神は魔物たちにも恩寵を授けた。食らったものの一部を自らの力と出来る恩寵を。

 人間に殺され続ける魔物たちが、少しでも強く生きられるようにと。


 やがて魔神が滅びると、その血溜まりの特に濃い場所から生まれるものがあった。


 昏き血溜まりより這い上がり、あらゆるものを食らう魔物。

 それを濁塑滔(だくそとう)と呼ぶ。


 

   ※   ※   ※ 



 勇者の一振り。


 そこから何を想像したのか、雷撃だという確信があった。

 全てを薙ぎ払う雷光を纏う一撃。


 そんなものを受けて生きていられるはずがない。

 まともな生き物であれば。



「かあ、さん……?」


 声が聞こえた。


 良かった、無事だ。

 その声に涙が溢れそうになる。

 もう涙を流せるような体ではないけれど。


 体から、流れ出るものが止まらない。




 たとえ気化していても、ゲイルの体の一部なのではないか。

 そうではないかもしれないが、もし一つだけでも奇跡が起こせるのであれば、と。


 今まで何度も切り離したりくっつけたりしていたゲルの体だ。やって出来ないことではないと思って、願った。


 そこに降り注ぐ雷光を、アヴィの小さな体を撃とうとする稲妻を、この身で受け止められたらと。


 広間に爆散した全てのゲル状の物質と繋がりなおして、勇者による必殺の一撃を受け流した。

 避雷針のように。



 それは、このゲル状生物の根幹を貫く、まさに必殺の一撃だったけれど。



(だけど、良かった)


 崩れる。

 クイーンアントの為に作られた広間の足場が崩れた。


 天井と壁は塗り固められているが、地面はそうではない。



 つい先ほどの地割れを起こした一撃。

 数日前の雨による湿気。

 そして、地面に突き刺さった必殺の稲妻により、小さな亀裂の中に溜まっていた水滴が気化した。


 水蒸気爆発。


 隙間に溜まった水が落雷により瞬間的に気化することで、爆発的な力を生み出す自然現象。


 洞窟内の地盤は、雨の影響と勇者らの行動によって既にかなり脆い状態になっていた。

 そこに向けてこの一撃が最後の楔となって、崩落を起こす。



(アヴィ)


 崩れていく洞窟の中で、愛しい少女を抱きしめた。

 力が、入らない。

 けれど決して離さない。


 アヴィだけは、たとえ何を犠牲にしても守るのだと。



(……愛している)


 抱きしめる。

 崩れ、流れ落ちていく中で、囁く。

 言葉にはならないが、囁く。


(愛しているんだ、アヴィ)


 たった一つだけの自分の光。

 この世界の……全ての世界の中で、ただ一つ何よりも大切な少女に。


(母さんじゃ、ないんだけどさ)


 そんな自嘲と共に、愛しい少女と共に、闇の中に飲まれていって――



   ※   ※   ※ 



 最悪な記憶は、産まれる前のこと。

 そう、生まれる前の。



「うっわぁ、まじ最悪ぅ」


 その声は、とても楽しそうだった。

 言葉とは裏腹に、それはもう最高の娯楽でも見ているかのように。


「……う、ぐ」


 口の中に広がる苦い味。

 汚物の中に這いつくばり、涙で滲む視界には歪んだ人間どもの卑しい笑みが。


「これちょーウケるぅ」


 最悪な記憶。



「ってこれヤバくない?」


 朦朧とした頭の中に響く声に、小さな焦りの色があった。

 何を言っているのかほとんど理解できないけれど。


 それを言うのならもっと前から、彼女らの言葉など知らない言語以上に理解できなかったけれど。



「あー、こいつマジ死んじゃってね?」


 まだ、生きている。

 だから聞こえているのだろうが。

 なぜ生きているのだろうか。



「やばいじゃん。誰か呼ぶ?」


「バカ、それじゃ問題になんだろ」


 それならこれは、別に問題にもならないようなことなのだろうか。

 私の生存や尊厳は、何も問題ではないのか。 



「あー、事故っしょ」


 ……


「事故事故、一緒に遊んでいる最中の事故だって」


「そ、それだよね」



 違う。


「事故ってことなら仕方ないじゃん」


 違う。


「まあそういうことで、全員オッケーだよな」


 違う違う違う。


 これが事故であってたまるものか。


 誰がどう見たって、お前らの人生は終わりだ。

 殺人だ。私は死ぬことでお前らの人生に復讐する。


 ざまぁみろ、クズども。

 ただで死ぬなんて――



「俺ら未成年だからさぁ」


 だから、なんだと。


「人殺しちゃっても名前も出ねえし、なんか保護とか言って学校もサボれんだぜ」


「そうそ。先輩の兄貴がそれだって言ってた。ヤバいことしても記録に残んねーんだって」


 そんな、ばかなことが。



「ええ、でもネットとかでバレんじゃん」


 そうだ、インターネットがある。

 法がどうであれ、こんな事件ならきっと大騒ぎになって、表沙汰になるはず。


「そしたらさ、名前変えれるんだって」


 意味がわからない。


「責任を負う必要もないし、ふとーな不利益とかで理由があれば名前の変更できるんだって」


「マジで? そしたらあたし、こんな古臭い名前変えちゃいたいかも」



 笑い声。

 笑い声。




 この世界は腐っている。

 救えない。


 誰も私を救えない。

 こんな世界に救いなんてない。


 滅びてしまえばいいのに。

 全て滅びてしまえばいいのに。



 けれど、どんなに私が願っても、きっと何も変わらない。

 私が死んでも、何も変わらない。

 この世界は、救われない世界が、ずっと続いていく。


 絶望。

 その絶望が私を殺した。




 最低の記憶。

 あの最悪の記憶を上回る――下回るような行為がこの世に存在するとは思わなかった。


 なぜ私は生きているのだろうか。


 死んだはずだった。

 世界に絶望して、全てに絶望して、そうして死んだはずだった。


 気が付けば、わずかな幼児期の記憶を残して、また底辺を這いずるような日々を送っている。


 以前とは違う場所で。違う世界で。

 なぜ生きているのか。何のために生きているのか。




 奴隷に自由はない。

 死ぬ自由もない。ただ主の命令に従うだけ。


 初めの頃は、幼すぎたこともあり、ただの過酷な労役を課せられるだけだった。


 本当につらかったのは、荒くれものの冒険者三人組に買われて、飼われるようになってからだ。

 女の体を好き勝手にする三人の男どもに嬲られ、酷使される日々が続いた。


 だがそれさえ、その最低の記憶を思えばまだ安い。


 ただの肉体的な虐待だ。そう言ってしまえるほど、本当に想像を絶する醜悪な行為というものが存在するなど、思いもしなかった。




 呪枷と呼ばれる奴隷の印を刻まれると、主の命令には逆らえない。

 呪術師と呼ばれる人間の力が必要で、アヴィの首にはその首輪と呪紋が刻まれていた。


 だからこその、およそ知性のある生き物が考えられるとは思えないほどの悪徳に汚れた命令。



 ――お前も、もっと悦べよ。


 命令に、逆らえなかった。




 死ぬ。

 なぜ生きているのか。


 男にとっては他愛もない戯れのような命令だったのかもしれない。

 だが、これを上回る陰惨な気持ちは他にない。誰かを辱めるという行為の中で、これを超えることができるはずがない。



 言葉にならない。

 私は、あの時に死んだ。


 そう思って、あとは体が死ぬまでを待つだけの日々だった。



 そんな記憶でさえもうどうでもいいと思うような、そんな悲しみがあるだなんて、思わなかったのに。



  ※   ※   ※ 



「母さん! 母さん、しっかりして!」


 愛しい声が聞こえる。


 ああ、聞こえているよ、と。

 応じてあげたいのに、なぜだか声が出なかった。



(それは元々だったな)


 いつも、必要なことが足りないんだ。俺には。

 不十分で、不便で、不器用で。


 それでも充足した気持ちになれたのは、お前がいたからなんだと。

 満ち足りた命だったと。こんな穴蔵の底でも言える。



 泣きながら必死で呼びかけてくれるアヴィ。

 俺の体から零れていくゲル状の液体を必死で集めて、戻そうとして。


 けれどその液体は少女の指をすり抜けていく。


「だめだよ、母さん! お願い……これじゃあ掬えない……」


 零れ落ちる。

 掬えない。

 流れる体液を掬えないと嘆く。



(そんなことはない)


 救ってくれた。

 もうお前は、俺の心を救ってくれたんだ。


 俺は、救われた。


(アヴィに会えて、救われたんだ)


「母さん! 私を、私を一人に……死なないで、母さん!」


 泣きながら必死で搔き集めようとするアヴィに、俺の体からも涙が溢れる。


(ああ、泣けるんじゃないか)


 我ながら、不器用だけれど。




 光る泉があった。

 零れていくゲイルから溢れた一部が、その泉に沈んでいく。


(ここ、か)


 始まりの場所だ。

 落ちてきて、こんな場所に来ていたのか。



(……)


 アヴィは、怒るだろうか。

 けれどこれだけは、譲るわけにはいかない。


「かあ、さ……?」


(勇者が相手じゃあ仕方ないよな)


 滅びるモンスター。

 勇者の一撃を受けて死ぬのは、モンスターとしては当然のことなのかもしれないけれど。



(でもな)


 それでは、意味がない。


(俺は、勇者には……)


 ゲイルが生きてきた意味がない。


 アヴィの手を、震える触腕で掴む。

 小さな手だ。

 白くて柔らかくて、小さな手だった。


「何を……?」


 その手を、泉に向けさせた。

 求めるように。


「あ……」


 そこで初めてアヴィは、不思議な光を放つ泉の存在に気が付いたようだった。

 泉とゲイルとに視線を行き来させて、希望を見つけたように答えた。


「この水で……母さんの体が治るのね?」


 ゲイルの希望を理解してくれた。



(俺は、勇者には殺されない)



 光る水を掬い取るアヴィの背中に、謝罪の言葉をかける。


(ごめんな、アヴィ)


 こんなことしか、してやれなくて。

 言葉に出来ないけれど、受け取ってほしかったのだと。

 いつかわかってくれるだろうか。



「母さん」


 光る粒の浮いた水をゲイルの元に届けるアヴィに、笑いかけた。

 表情はないはずだが、アヴィはそれが分かったように泣き顔のまま笑った。


 視覚はないゲイルだけれど、その笑顔はわかった。

 良かった。


(お前の笑顔が見られて、良かったよ)


 受け入れるように体を皿にするゲイル。

 そこに、愛を注ぐように、光る水を灌ぐアヴィ。



(愛している、アヴィ)


 生きていて良かった。

 お前に会えてよかった。

 こうして、少しばかりでも自分の生きてきた力を、愛する人に遺せるのであれば。



(お前が幸せに生きる力になれるなら、それより幸せなことはない)


 ゲイルのゲル状の体を、光が貫いていった。



(母さんじゃないけど、な)



   ※   ※   ※ 


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