勇者パーティ VS ゲル状生物
大きい。
事前の情報があったから、それが噂に聞く巨大ブラックウーズだとわかったが、何も知らなかったら認識できなかっただろう。
普通のブラックウーズの十倍以上の体積を持つ異常個体。
奴隷の声がなければ落ちてくるまで気付かなかった。先手を取られれば手痛い攻撃を食らっていたことは間違いない。
シフィークの判断が正しかったことを認める。イリアの好き嫌いで置いてきていたら死んでいたのは自分だったかもしれない。
(マルセナだったか)
攻撃を受ける前に察知したシフィークの次の行動は早かった。
流れるような動作でマルセナとモンスターの間に入って、猛烈な衝撃を伴って拳を振るった。
魔法のような力を、単純な身体能力で発現させる。
シフィークの拳の衝撃波で少し吹っ飛んだそのモンスターが、間髪入れずに石礫を打ち出してきた。
(まさか!)
そんな攻撃手段を使うブラックウーズなど聞いたことがない。大きさだけでなく行動も異常だ。
「つぅっ!」
咄嗟に身を躱したが、石礫の一つが腕を掠めた。
(この……汚らしい魔物が!)
痛みに怯むどころか頭に血が上ったイリアだったが、彼女より先に動き出したラザムが蹴りを放つ。
ブラックウーズは体の中心あたりに核となる部位を有している。核を失った他の部分はまともに動かないはずだと。
「核がない」
そんなはずはないのだが、少なくとも蹴りぬいた中にはなかったようだ。
通常なら、ブラックウーズの体の粘度で蹴りぬくようなことは出来ないのだが、ラザムも一流の冒険者。
咄嗟の判断に迷いも間違いもなかったと思うが、相手が異常だった。
「ラザム!」
マルセナの声が煩わしい。ちょっと服を溶かされたくらいで喚くな。
そう思ったが、ラザムが少し足を庇うように態勢を崩したので、服だけでなく体にも多少の影響があったのかもしれない。
(こいつ異常だ!)
躊躇っている暇はなかった。
イリアの手持ちの武器は短剣で、それではあまりこの生き物に有効打とは思えない。
すぐに手に出来る道具の中に、この山で拾った神洙草があった。
万病に効果があるというのと同時に、魔神から生み出された魔物にも高い効果を発揮すると言われている。
(あのバカ娘には頼れないし)
本来なら魔法使いであるマルセナの攻撃が最も有効なのだが、緊急時の対応に信頼性がないのと、心情的に頼りたくないこととがあった。
少し勿体ないが、この神洙草を使った方がマシだ。むしろここで使うべきだと。
「これでも食べれば!」
考えている時間はほとんどなかった。
少し体勢を低く後ずさりするラザムを飛び越えて、神洙草を投げつけてやる。
「うそっ!」
信じられなかった。
投げつけたと同時に、ブラックウーズから唾のようなものが吐き出され、しゅうっと音を立てながら神洙草を弾き飛ばす。
(なんで知って――)
危険なものだと知っていて、投げる動作の直後に迎撃された。
まるで事前に読んでいたようだ。イリアの行動を。
(どれだけ異常なの!?)
息を飲んだ。
熟練した戦士のような攻防を見せる知性がないはずのブラックウーズの行動に、着地するまでの間に頭が真っ白になっていた。
何も考えられていない。
次の行動をどうするのか、イリアほどの冒険者なら攻撃を防がれたところで即座に次の行動に移っているはずなのに。
信じられないという思いが思考を停止させ、目の前に広がる暗いゲル状の壁が迫ってくる光景に息を飲んだ。
(しまった!)
飲み込まれる。
先ほどラザムは蹴りぬいただけで服が消化され、足に痛みを感じていた。
そんなものに飲み込まれたら無事では済まない。
既に遅いとはわかっていたが、振り向いて逃げようとする。
(たすけ――)
助けを求めた。長年の仲間であり、信頼する勇者でもあるシフィークに。
彼の為に裏でどれだけイリアが尽くしてきたか。シフィークの影を支えてきたのは自分なのだ。
(――っ‼)
手は、伸ばさなかった。
伸ばさずに、一流の冒険者として長く自分と共にある二本の短剣を抜く。すらりと、自分でも驚くほどの素早い動きで。
顔の前に構えながら、ぬめる粘液に飲み込まれて倒れつつも、強くその柄を握り締めた。
――ギゲァンッ!
凄まじい衝撃が両腕に、肩に響く。
粘液の塊に飲み込まれ、体が固定されていなかったのが幸いだった。勢いのまま後ろに飛ばされ、地面に転がった。
(っ! ……地面?)
ゲルの中ではない。洞窟のごつごつとした地面だ。
状況に混乱しながら、慌てて這ってその場を離れる。
無様な動きだと自分でも思うが、衝撃で体がまともに言うことを聞かない。
「だ、大丈夫ですか? イリア!」
ショックを受けたのは今の攻撃のことではない。
駆け寄って声をかけてくるマルセナに応じることが出来ない。
切り捨てられた。
イリアが飲み込まれる瞬間、シフィークの剣を構える姿が見えた。
いつも通り、魔物に止めを刺す時のように、軽く剣を斜めに構えてからの踏み込み、そして振り抜く姿。
長く彼の戦いを見てきたから、その動作が先に見えたのだ。
「無事かい、イリア?」
何でもないように声をかけられるのはなぜなのか。
あなたがいま切り捨てようと、斬り捨てようとしたのは……
「あ……」
シフィークの目を見る。
そこには、本当に何一つ悪気がないような澄んだ色が浮かんでいて。
(……なんて、異常な)
他者のことなど食事や何かとしか思っていないモンスターと、まるで変わらない顔が見えた。
※ ※ ※
正直、防がれるとは思わなかったが、結果的に助かったのならそれでもいい。
あの不定形な異常個体のブラックウーズなら、普通に切っても倒せたとは思えない。
とりあえず切れるタイミングだからそうするかと思ったのだが、それが結果としてイリアの命を救った。
感謝の言葉がなかったのは、一瞬でもあれに飲み込まれたことでショックが大きかったのだろう。
「下がっていろ」
短剣も、這いつくばって逃げてきた間に落としている。
戦力に数えられない以上は邪魔にならないように下がらせた。
やはり、腰が抜けた様子でおたおたと、まるでブラックウーズが這うようにシフィークの後方に逃げていくイリア。
その動作も、服にへばりついた粘液も、実に無様で滑稽だ。
(モンスター退治のついでに始末してもいいかと思ったが、生きて役に立つなら別にいい)
汚らしい恰好の女を下がらせ、再び敵と相対する。
「これが濁塑滔なのか」
ブラックウーズではない。見た目は大きさ以外は似ているが、明らかに違う。
神話に謡われる魔物。
魔神の血から生まれし、暗い深淵を這う悍ましいモンスター。
斬撃、打撃などの攻撃は一切効かず、核となる部位がない。
神話では、劫火に焼かれて何も残さず消えるまで、あらゆる物を飲み込んだと言われていた。
「マルセナ」
「は、はいっ!」
「洞窟内で火炎系統の魔法は使わないでくれ」
止める。
彼女の魔法は厄介だ。
ついうっかり殺してしまわれたら困る。
(僕が困る)
素直に頷く少女をちらりと見て微笑みかけた。
理由を聞かないのは、僕の言うことだからだろう。やはり女は素直な方がいい。
あまりわかったような態度を取られるのは、確かにこちらの意図を色々と酌んでくれる部分もあるにせよ、度が過ぎれば鼻につく。
汚らしい魔物に飲み込まれたような女なら、死ぬことで僕の役に立ってもらってもいいかと思ったのだが。
「ラザム、足は?」
「問題ない」
この男は弁えている。
自分の実力と、僕が求める役割とを自覚して実行するだけ。
勇者である僕に必要な情報をもたらすように動き、それ以上のことはしない。
魔物を倒すのは勇者の役割だ。それを理解している。
もちろん彼が止めを刺すこともあるが、こうした未知の敵であれば僕が最後を持っていけるように。
(勇者である僕の役に立つのが、仲間の正しい在り方だからな)
シフィークは自分のパーティに名前をつけていない。名前なら勇者シフィークだけで十分だと思っている。
他の者は代替えが利く道具で、見た目がいい女ならそれが価値だと。
腕が立つのも悪くはないけれど、本当に求めている資質ではなかった。
「さて、どうするか」
うぞうぞと配置を変えながらこちらの出方を窺うように観察している魔物をどうするか。
見ていた限り、確かに異常で厄介な魔物だが、動きが遅くシフィークが対応できないような攻撃手段はなさそうだ。
少し想定外の動きをするので慎重になってみたが、そこまで恐れる必要はないように思う。
普通の冒険者であれば手が付けられないかもしれないが。
「僕が倒す。他にもいるかもしれないから周囲を警戒してくれ」
「わかりました」
イリアの背中を擦りながらマルセナが答え、無言でラザムが頷いた。
剣ではあまり効果がない。打撃も同様。
なら、勇者と呼ばれるシフィークの力を使うしか――
「真白き清廊より、来たれ絶禍の凍嵐」
静かな声が響いたのはその瞬間だった。
※ ※ ※
消化できなかったのには理由がある。
若い女だったから、ゲルの体がアヴィと誤認するような反応をしてしまい、即座に攻撃出来なかった。
その一瞬後に凄まじい力で振るわれた剣。見かけによらずかなりの筋力だと感心する。
他の連中はともかく、この若い男だけは危険だ。
別格。
今しがたゲイル諸共に斬り捨てようとした女に、何事もなかったかのように労わりの言葉をかけていた。
冒険者というのはドライなものなのだなぁと、そんなことも思う。
どちらかといえば湿り気の多いゲイルとは相容れないのも仕方がない。
「マルセナ」
ゲイルへの警戒は解かないまま、魔法使いの少女に向けて、
「洞窟内で火炎系統の魔法は使わないでくれ」
ガス溜りや酸欠を気にしてか、そんな注意をする。
どういう意図であれゲイルには有難い。
(一番苦手だからな。火の魔法は)
このゲルの体にとって大きな弱点である火の魔法を使わない。
(ってことは)
他の攻撃手段がある、ということだ。
直接的な物理攻撃があまり効果がないことはわかった上で、魔法使いの手数を減らすとは。
神洙草のようなアイテムを他にも持っているのかもしれない。
「僕が倒す」
この男が。
「他にもいるかもしれないから周囲を警戒してくれ」
そう言われた彼らが見回したのは、天井だ。
最初にゲイルが張り付いていたのが天井だったから、他にいる可能性を聞いて最初に上を見上げたのは自然なことだろう。
(他、か)
ゲイルはこの洞窟内で自分の同族を見たことがない。
言われてみて初めて、そういえばとゲイルも思わず上を気にしてしまったほどだ。
そんなゲイルの気持ちを知ってか知らずか、若い男が剣を構えた。
(……剣を?)
有効ではないと思ったのではないかと訝しんだ時だった。
「真白き清廊より、来たれ絶禍の凍嵐」
上を見上げた彼らの仲間や、奴隷の清廊族。
ゲイルに相対する若い男。
その隙をついた形で、洞窟の深部から極寒の吹雪が集中して彼らに襲い掛かる。
「あっ」
声を上げたのは清廊族の少女だ。聞こえた声の方を見たのか、その言葉の内容に反応したのかはわからない。
ゲイルから気が逸れた若い男に、体内にあったナイフを打ち出す。
「ちっ」
構えた剣でナイフを弾かれたが、彼自身もそのせいでまともに吹雪を横面に受けていた。
「きゃあぁっ!」
「むぅっ」
他のメンバーも、暴風と共に打ち付けられる氷雪に咄嗟に顔を覆っていた、
這っていた女は体を丸めて耐えようとしているが、先ほどゲイルに飲み込まれたせいでその表面に残った粘液が急速に凍り付く。
(アヴィ!)
だが、ゲイルは決してアヴィを褒める気持ちにならない。
なぜ残っていたのか、もっと下の安全な場所に隠れてくれていたら。
自分だけなら、その辺りの崖から落下して離脱することもできるのに。
「堅牢なる断崖の守護を!」
大男が叫ぶと、彼らの正面に見えない壁が現れて吹雪を遮った。
(やっぱり防御の魔法もあるのか)
氷のついた左頬から目を拭う若い男。
大男と魔法使いの少女も、吹雪が遮られたことで顔周りについた氷雪を拭い去る。
(ええい!)
先ほどの女が落として体内に残っていた短剣を、まとめて大男に向けて打ち出した。
体内に残っているのはあとは水くらいのものだ。
「ぐぅっ!」
一方だけでも打ち払ったことを賞賛すべきか。
挟み撃ちになった結果、注意の逸れた大男の腿に短剣が突き刺さる。
魔法を使ったことで何か注意力が落ちていたのかもしれない。
「ラザム!」
魔法使いの少女が叫ぶが、本来なら今彼女がしなければいけないのは新しく現れた敵であるアヴィへの対処が優先。なぜそうしないのか。
そんな彼女のことをわかっていたように、若い男が動いた。
一飛びで、氷雪魔法を仕掛けたアヴィの頭上に襲い掛かった。
「――影陋…?」
剣を振り下ろす瞬間に、わずかに戸惑うような声を上げて。
――ギィン!
アヴィの魔法の武器が、その剣を弾く。あれも金属で出来ていたし、アヴィは剣士としても非凡な才がある。
見えている攻撃であれば当然対応できるが。
(いや、その男は異常だ!)
叫びたいが声は出ない。
「誰だか知らないが!」
弾かれながら着地した男は、その動きを止めずに横に回転して剣を振るった。
アヴィの首を切り落とそうと。
(だめだアヴィ!)
躱せない。
あまりに滑らかな動きで、弾いた後の体勢のアヴィがついていけていなかった。
その首に、首に巻かれた黒いマフラーに、男の剣が食い込んだ。
「くぁっ!?」
「なにっ!?」
横薙ぎに首を切った一閃。着地した位置と、そこから回転して斬り払ったことが幸いだった。
アヴィの首に叩きつけられた剣は、そのマフラーを切り裂くことなく、ただ勢いでアヴィをボールのように弾き飛ばした。
ゲイルの方に。
(アヴィ!)
受け止める。
ゲルの体をいっぱいに伸ばして、飛ばされてきた小さな体を受け止めた。
(ぬぅぅっ!)
選択している余裕はなかった。
掴まえたアヴィの勢いに任せて、地面から足を――体を離す。
(頼む、俺の体!)
断崖の上に自分の体を投げ出す。アヴィを抱えたまま。
身を堅くして、中は柔らかいままで、アヴィと共に落下した。
(アヴィ!)
ゲルに包まれたアヴィは意識がなかった。
※ ※ ※
「逃げ、られた?」
シフィークは色々と信じられないものを見て、自分の声が驚愕に震えるのを抑えきれなかった。
逃げられたことが驚きなのではない。
(なんで……何がどうなって……)
影陋族の女を、あの魔物が庇った。
そもそも影陋族の女があの魔物を援護した。
シフィークが、確かに戸惑いながらだったけれど、切ろうとして切れなかった。ただの布が。
そしてあの影陋族の女は、微かに見覚えがあるような気がする。
一瞬だが、美しく見えてしまった。薄暗い松明の灯りに照らされた影陋族の顔を、どこかで見た美しい顔だと思い、それを入手しようかという気持ちで首を刎ねようと思ったのだが、切れなかった。
見覚えがあるというのなら、この落としていった魔術杖も。
誰が使っていたものだったろうか。
おかしいことが多すぎて混乱しながら、心を鎮めようとゆっくり歩いて魔物と影陋族が落ちていった崖を覗いてみた。
「おい」
「は、い……」
残っている奴隷の影陋族を呼びつけ、崖の下の様子を確認させる。
「何か見えるか?」
崖が怖いのだろう、手をついて崖の下を覗き込んだが、弱々しく首を振った。
「深すぎて……見えません」
「そうか」
責めても仕方がない。シフィークは近くに落ちていた小石を拾って下へ放ってみたが、中々音が帰ってこない。
嘘をついているわけではなく、本当にかなり深いのだろう。
「嘘をつけるはずはないか」
奴隷として呪枷を施している。主人の命令には絶対服従だし、他の人間にも逆らうことはない。
今ほども、これが言いつけを守った結果、マルセナの命が助かった。場合によってはシフィークさえ危うかったかもしれない。
洞窟内は暗い。何か見つけたら教えろ、と。命じておいてよかった。
「……さっきは、よく見つけたな」
ふと、礼のようにも取れる言葉を発してしまう。
「え……あ、はい」
戸惑う奴隷の姿にどうにも落ち着かない気分になって背を向ける。
「この後も周りを見て、何かあれば教えろ」
そう言いつけて、治療をしているラザムたちの所に行った。
「わたし、が……」
影陋族が何か言っていたが、シフィークには関係なさそうなことなのでそれ以上は気にしなかった。
労われたことを感謝するでもなく、命が助かったことを喜ぶでもない奴隷のことなど知ったことではない。
※ ※ ※




