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少女と魔物



 結局、人間の持ち物を奪うのが最適で最短の手段なのではないか。

 そういう結論に達したゲイルは、アヴィと共に洞窟の入り口近くまで来ていた。



「……いない、ね」


 こんな時にはいないものだ。

 それほど頻繁に人間が訪れるわけでもない。都合よくいるわけもないのだが。


 周囲を見回すアヴィの首には、黒い布が巻かれている。

 ゲイルの失敗作をマフラーとして使うことにしたのだ。


 首周りの多少の防寒と共に、首に残る傷跡を隠すことも出来ていてちょうどいい。

 色合いも、非常に濃密な黒で綺麗なのだとアヴィは気に入っているようだった。


 それが本心なのかゲイルを気遣ってのことなのか。今回は本音のようだったので少し気が楽になった。



「……進むの?」


 アヴィの声に戸惑いが混じる。

 このまま進めば洞窟の出口だ。人間からすれば入り口ということになるか。


 洞窟の外は広いので、ゲイルの感覚でもあまり遠くの状況まではわからない。

 少なくとも入り口付近に人間や大型の生き物の気配はなかった。


(……)


 ゲイルに包まれたままアヴィは運ばれる。

 ゆっくり、ゆっくりと。


 素早く進めるような体ではない。這いずりながら、ゆっくりと時間をかけて、坂になっている通路を登っていく。




 夜だった。


 月明かりが、山の岩肌を照らしていた。


 ゲイルが洞窟の外に出たのは二度目だ。初期の頃に探索して以来になる。

 なぜ出てきたのだろうか。



「綺麗だね」


 アヴィが空を見上げて呟いた。

 ゲイルも天を仰ぐが、視覚がないのでその思いは共有できない。

 月明かりが差すその光量は感じられるが、どんな空なのか見ることは適わない。



「どうして外に?」


 静かに、独り言のような問いかけ。

 もともとゲイルは喋らない。いつも独り言のような形になってしまっている。


 答えを期待していないのか、答えを聞きたくないのか。


(お前はきっと、外で生きていくべきなんだよ)


 そう言われるのを恐れている。

 ゲイルがそう思っていることを察して、そんな結論を聞きたくないと。



「……母さんは、私が邪魔?」


(違う)


 返事が出来ない。


「私のこと、嫌い?」


(そんなわけがない)


 言葉はない。



「……違うんだよね」


 けれども伝わる。ゲイルの気持ちは、アヴィにもわかっている。

 大事に思っているから、彼女の未来を願うのだと。


 空からそっと吹きかけるような風が、アヴィのマフラーを揺らした。


「清廊族は、町ではまともに生きていけないの」


 それなら穴蔵ならまともに生きていけるのかと。

 今の生活が、まともな暮らしと言えるのかと。

 幸せな暮らしだと、お前を幸せにしてやれていると自信を持って言えない。


 不便で窮屈で惨めな暮らしを強いている。

 そんなゲイルに何一つ文句を言わないアヴィのことを、嬉しく思う反面でひどく苛まれる。


(もっと楽しく明るい生活をさせてやりたいのに)


 こんな身では何もできない。十分なことをしてやれない。


 もし人間だったなら、他に何かしてあげられることがあったのではないか。

 虐げられる清廊族だとしても、庇護して、暖かな食事とまともな服を着せて、もっとわかりやすく愛情を示せたのではないか。


 そう考えてしまえば、ひどく惨めだ。


(ダメな親だ)


 無様なゲイル。

 聞き分けの良い子だからこそ余計につらい。もっと我侭を言ってもいいはずなのに。



「清廊族はね」


 アヴィがゲイルから出て、数歩歩いて振り向いた。


「ずっと北の方から来たんだって」


 指さす方向が北なのかどうかゲイルにはわからないが。


「神様と約束をして、この土地で暮らすことにしたんだっていうお話」


 アヴィの幼い頃の曖昧な記憶にある清廊族のおとぎ話。


「北に行ったら、清廊族の故郷とかもあるのかな?」


 そういう場所があれば、きっと今より幸せな生活が送れるのだろう。

 人間に脅かされない清廊族たちの故郷。


 だがそこには、たぶんゲイルの居場所はない。

 ゲイルの住処は、暗い穴蔵の底。

 本来、住む場所が違う。



「幸せって、どこにあるのかな」


 ゲイルに背を向けて、空を見上げるアヴィ。ゲイルはただ黙ってそれを見守ることしか出来ない。


(……)


 出来ることはある。


 後ろから音もなく這いより、その小さな体を飲み込む。

 食らいついた。捕えた。有無を言わせずに拘束した。


「っ……」


 アヴィは抵抗しない。

 そんな少女の体を全身で掻き抱き、その肌の隅々まで貪るように。


(いなくなるくらいなら、このまま――)



「ばめめぼびいお」


 ゲイルのゲルの中でアヴィは言った。

 もがもがと、泡を吐きながら。


(っ!)


 我に返って、アヴィの顔を体から出す。

 このままでは窒息させてしまう。


 アヴィがいなくなってしまうという未来を恐れて、そんな未来が訪れないようにと暴力的な衝動に何をしていたのか。


「はふ、ぁ……」


 顔を出したアヴィは、大きく息を吸い込んで、吐いた。

 それからじっとゲイルを見つめて、そっと頷く。



「食べても、いいよ」


 先ほどと同じ言葉を、今度ははっきりと。


「いいんだよ、母さん。母さんに食べられるなら、私はその方がいい」


 出ていけと言われるよりも、離別を選ぶよりも、食べられる方がいいと。



(バカな、ことを)


 違う、バカなのは自分の方だ。

 自分の無力さを種族のせいにして、それをアヴィに八つ当たりして不安にさせただけ。


「あ……」


 もう一度、強く抱きしめる。

 言葉も涙もないが、泣きながら、哭きながら、その小さな体を抱きしめた。


「……うん」


 アヴィの手も、不定形で頼りないゲイルの体を抱き返すように回される。


「ごめんね、母さん」


 ごめんな、アヴィ。

 情けない自分を、自分では許せないけれど。


 小さな少女は、そんなゲイルを許して受け入れてくれた。



  ※   ※   ※ 



 母さんは優しい。


 記憶が曖昧だからかもしれないが、私はこれほど愛されたと実感したことがない。


 愛を知った。

 暗い穴蔵の底で、言葉も話さないモンスターを相手に、本当の愛を知った。


 真実の愛というものの定義が世界にあるのだとして、それが何なのか知らないけれど、私は私にとっての本当の愛を知ることができて幸せだ。



 モンスターと戦うのは、少し怖かった。

 けれど母さんが見ていて、守ってくれる。私が危なくないように、やや過保護なほどに注意をして。


 上手に出来ると母さんが喜んでくれる。

 母さんは体を大きく膨らませたりして伝えようとしてくるが、そんなことをしなくても見ればわかるのだ。


 機嫌が良い時、母さんの色が少し濃くなる。

 黒い色が増して、普段はくすんだ黒色なのが、本当の闇の色のような暗さになっていた。

 逆に何か心配事や良くない気持ちの時は少しだけ薄い色になる。


 どうやら自分では気づいていないらしい。その色の濃さで私が母さんの気持ちを量っていることを。



(ちゃんとお話が出来たらいいんだけど)


 気持ちを推し量れるだけで、きちんとコミュニケーションが取れているわけではない。

 不足だと言ったら母さんが悲しむだろう。だから言わないし、実際に十分だとも思っている。


 言葉などなくても確かな絆があって、今まで知らなかった愛情をこの身に染みるほどに感じられた。

 だから不満などない。ここが私の世界の全てだ。




 唐突に、母さんが私に嫌な要求をしてきた。

 今までそんなことはなかったのに、急にどうしたというのか。


 草を食べろと。

 洞窟内ではもう母さんと私で対応できないものなどいない。悠々自適と言ってもいいくらいなのに。


(まるで母親みたいに)


 母さんと呼んでいるのは自分なのだから、母親らしい行動をされても仕方がないか。

 肉ばかりじゃなくて野菜も食べなさい、と。

 野菜というにはいささか、いやどう考えても無理があるのだが。


 先日から鼠を掴まえたり何か妙なことをしていると思ったら、こういう理由だったのか。

 その気持ちは、やはりアヴィへの愛情に端を発することだと思うので、有難いことなのかもしれないけれど。



(う、うぅー)


 目の前に出された草をどうしろと。

 食べろと言われているのはわかっている。だが生来あまり植物は好きではないのだ。


「……私、お肉の方が好き」


 母さんのことはもっと好きだよ、と言ってしまったら許してくれるだろうか。

 それは卑怯かもしれないと思って言わなかったけれど。



「……」


 目の前にある、ただの雑草。生。

 母さんは元々料理などしない。あるがまま、素材のまま食べてしまうので料理などという概念そのものがないだろう。


 苦手な炎の魔法で焼いたら、たぶんこの草はあっさり燃え尽きてしまうだろうな、と。


 母さんが悲しむ姿を見たいわけではない。

 覚悟を決めて、その草を飲み込むのだった。


 

  ※   ※   ※ 



 母さんが妙なことをしている。

 あの草を、今度は熱い湯の中でぐるぐると浸しているのだが。


(……まさか、料理を?)


 驚いた。

 茹でているというか、煮ているというのか。

 浮いてきた灰汁を捨てて、食べやすくなるように柔らかく煮ようというのか。


 恐ろしいモンスターなのに、どうしてそんな発想が出てきたのだろう。今までアヴィだってそんな料理をする姿を見せたことはない。


(冒険者の誰かの食事風景とか、そういうのを見ていたのかも)


 そう考えれば納得できた。



 人間は、こんな風にして湯で食べ物をふやかして食べていたという知識があって、それを真似しているのか。

 アヴィの為に。


(私の為に、そんな……)


 嬉しいという気持ちと共に、困ってしまう。

 これでは断れない。逃げられない。


 さすが母さんだ。目的を果たす為には相手の逃げ道を潰す手段をよく知っている。

 ゲル状の自分では絶対に必要のないだろうことを私の為に、と見せられて拒絶など出来るだろうか。


(……なんて恐ろしい)


 モンスターだった。



 目の前に、湯気を立てる雑草がある。

 出来上がったそれは、茹でたせいでほんのりと匂いが立っていた。むせ返るような青臭さというか。


 これならまだ生の方がよかったかもしれない。


「……」


 目の前のゲルが、ぷるぷると震えて待つ。

 どうかなどうかな、と期待するように。


「……」


 逃げ道はない。今試されているのはたぶんアヴィの愛だ。母さんに対する愛の深さを試されている。

 その試練なら逃げるつもりはない。世界で私ほど母さんを愛しているものはいない。



「……」


 口に入れた。

 香っていた青臭さが鼻にまで突き抜ける。


 強烈だ。ほとんど日の差さない洞窟に生育する植物なのだから、暗室で育てられたもやし程度の慎ましさはあってもいいのではないだろうか。


(もやし……)


 そんなものを食べたのはいつのことだろう。

 頭がくらくらする雑草の強い主張に意識が少し別の方向に飛んでいた。

 期待して待つ母さんの前で、それを飲み下す。


(……だめだ、しっかりして私)


 意識が遠のきそうになる眩暈を抑えて、母さんを見つめ返した。

 微笑み――頑張って微笑み、出来るだけ優しく囁く。



「うん……美味しいよ。ありがとう、母さん」


 堪え切れずに、左の目尻から涙が零れた。


「わきゃっ!」


 飲み込まれた。

 母さんの体の色が薄くなったり濃くなったり、激しく感情が揺れ動いていると思ったら、急に飲み込まれた。


 残っている雑草を放り出して。



 ぎゅうっと抱きしめられて、強く背中や頭を撫でられる。ごめんね、ごめんねと言ってる気持ちが伝わってきた。

 わかってくれた。アヴィが無理していることを、このゲル状のモンスターはちゃんと理解してくれている。


(私の為に頑張ってくれて、私のことをちゃんと見ていてくれる)


 本当の母親でもここまでしてくれるものだろうか。

 わからないけれど、今の私にとってはこの黒いモンスターが本当の母さんだ。


「……本当に、嬉しかったのは、本当だよ」


 涙が溢れた。

 深い愛情に、とめどなく涙が溢れた。



   ※   ※   ※ 



 母さんがまた妙なことを始めた。

 いつもと違うことを始めるのは、たいていは私に何かを与えようとする時の行動だ。

 前回のこともあり、あまり張り切りすぎると心配なのだが。


 アリの巣穴だった所まで来て、壁にへばりついて何かしている。

 その体から、ぴゅうっと何かが吐き出されてきた。

 細い何か。


「糸?」


 非常に細い糸だった。黒いのは壁の材質から作っているからだろう。

 しばらく続けると、今度はそれらの糸をまとめて作りながら織り合わせていった。


(すごい……リリアンみたいな)


 微かな記憶から、その様子を例える言葉を見つける。

 黒い糸を編み込むように紡ぎながら、布を作っていく。

 その進行は非常にゆっくりで、本当に手作業で編んでいるようだった。



(どこでこんなことを……?)


 洞窟に来た冒険者が……いや、有り得ないだろう。


 どこの誰が、こんな魔境に来て機織りや編み物などするというのか。

 こんな知識をモンスターが持っているとは、理解を超えている。



(それは……まあ、最初からそうなんだけど)


 私の常識にない世界でのこと。

 ただ単に、捕食した冒険者の服などからこういう形で出来ているのだと理解して、それを模倣しているだけなのか。

 そう考えれば納得できないこともなかった。



 見かけによらずと言ったら悪いが、母さんはとても理知的で聡明だ。人間の使う技術程度は簡単にわかってしまうのかもしれない。

 黒いモンスターが布を織る姿を、不思議な気持ちで見続けるのだった。



 下着を作れと言われた時、羞恥心というものを思い出した。

 着ている襤褸切れはひどく粗末なものだったし、この数年でアヴィも少し大きくなってしまっている。


 奴隷だったときより食生活については良かったこともある。


 洞窟内で他に見ている者がいないとはいえ、文明のかけらもない姿で暮らしていた。

 母さんがそういうことに気持ちを割いてくれたことを喜びつつ、その気遣いに甘えようと思ったのだが。



「……」


 黒いゲルが、地べたにのべぇっと広がっていた。

 ダレている。落ち込んでいるのだとわかっている。


 頑張ったのに、役に立たなかったと。


 私としても、服を作るという行為に喜びを感じていて、ちょっとうきうきと作業に取り掛かろうとしていた。

 肩透かしというか、失敗というか。私が残念な顔をしたことが余計に母さんの気持ちを沈ませてしまったのだろう。



「だ、大丈夫だよ。母さん。今までもなかったんだから」


 服がなくても生きていける。少なくともこの洞窟なら大した問題ではない。

 それより母さんの落ち込み具合の方が心配だ。このままだと溶けて地面に染み込んでしまいそうなほど。


 たぶんだが、料理のことで失敗したことを取り戻そうと頑張ってくれたのだ。

 私を喜ばせようと。その気持ちだけで充分嬉しいからと言っても、中々わかってくれないだろう。


 元アリの巣穴で落ち込む母さんは、少しだけ可愛かった。



 代わりにと作った魔物の皮の下着は失敗だった。

 柔らかくなるように母さんが丹念になめしたりほぐしたりしてくれて、素材としての柔軟性については十分なものだったが。


(……痒い)


 どうもその素材は、あまり私の肌と相性が良くなかったらしい。

 触れている端が特に痒い。かぶれている。

 かといって脱ぐわけにもいかない。しばらくしたら慣れてくれるのではないかと。


 母さんには言ったらまた落ち込むかもしれないと、とにかく忘れてしまおうと眠ろうとしていたのだが。



「え、あっ! 母さんっ!?」


 無理やり剥ぎ取られた。

 こういう行為は、私を奴隷にしていたあの男どもにもされたことがあるが、母さんのすることが奴らと同じわけがない。


 それに、我慢していた私は、そのストレスが取り払われたことを喜んでしまう。

 記憶があるわけではないが、汚れたおむつを着けっぱなしにしている時の不快感というのはこういうものだったのだろう。


 肌に残る傷痕というか赤く腫れたところを、母さんが癒していく。


「あ、う……」


 バレていた。

 私が我慢して黙っていることを母さんは知っていて、黙って癒す。黙っているのはいつものことだけど。


(……怒ってる?)


 その色が不機嫌な時の色だと知っている。

 手強い敵に追い詰められた時だとか、私が何か危険な目に遭いそうな時などの色だ。

 怒らせたかったわけではない。心配をかけたくなかっただけなのに。



(……また失敗した)


 違うのに。

 そうじゃないのに、どうしても噛み合わない。


 こんな体じゃなければ、私がこんな体でなくて母さんと同じゲルの体だったら、こんな風にならないのに。


「……ごめんなさい」


 その答えは、母さんにはあまり気に入られなかったようだった。



   ※   ※   ※ 



 上に向かう。

 母さんの様子から、侵入者を探しているようだと察した。


 人間。

 この洞窟に入ってくるとすれば人間の冒険者しか考えられない。

 私をそこに連れて行ってどうするつもりなのか。


 もう付き合いきれないから人間に引き渡すとか、そういうことなのだろうか。


(捨てられる)


 そうではないと思う一方で、捨てられても仕方がないかと思う気持ちもある。

 あまりに違う。生き物としての造りが違いすぎる。

 私は母さんの負担だろうか。



 外は夜だった。


「綺麗だね」


 夜空に浮かぶ月が寒々しいほどに美しい。

 母さんが作ってくれたマフラーを、少し強めに締めて、母さんと一緒に空を見上げる。


 母さんの黒い体にも月や星が反射して、とても綺麗だった。

 無限の宇宙が、母さんの中にもあるようで。


「どうして外に?」


 母さんが外に出たがるなんて初めてだ。

 理由があるのだとすれば私なのだろうけれど、母さんはいつも何も言わない。言えない。

 黙って空を見上げているだけだった。



「……母さんは、私が邪魔?」


 言葉に出したら、母さんの色が薄くなった。


「私のこと、嫌い?」


 色がさらに薄くなって、濃くなって、目まぐるしいほどに変化をする。


 わかりやすい。

 どうすればいいのかと混乱している。

 その姿を見て安心した。



(良かった)


 何も言われなくてもわかる。


「違うんだよね」


 噛み締めるように。確認するように言うと、母さんの色が落ち着いた。深い黒い色に。


 間違いない。

 それを確認したら安心して、それだけがわかれば十分で、夜空の下で母さんとお話をした。




「幸せって、どこにあるんだろうね」


 そんな風に言ってしまったのは、意地悪だったかもしれない。

 母さんが私の為に心を割いて、どうすればいいのかと葛藤しているのはわかっていたのに。


 でも不安な気持ちになったのは私も同じだ。

 一緒にいられないかもしれないと、不安になった。


 幸せの在り処なんて、もうわかっている。私の幸せは母さんの中だ。

 他にない。


 わかっているのに、母さんにも少し意地悪をしたくて、私のことを掴まえておいてほしくて、わざとそんなことを言ってしまった。



 後ろから飲み込まれた時に、思ったのだ。


(……幸せだなぁ)


 このままずっと、このままでいい。

 だから言った。


 ――食べてもいいよ。


 何か辛い想いをするくらいなら、このまま一緒がいいと。

 心の底からそう思って、そう言った。

 だけどそれは間違いだった。


 母さんは泣いていた。哭きながら私を抱きしめて、強く抱きしめた。


(ああ)


 実感する。


(私、いま、幸せだなぁ)


 泣いている母さんの体は、私の手では掴まえられないけれど。

 それでも、指をすり抜けていく母さんの体を抱きしめて応えた。


「ごめんね、母さん」


 バカな娘でごめんなさいと。

 そんな私を母さんは、優しく包んでくれるのだった。



   ※   ※   ※ 



 もっと早く帰るべきだった。

 地上になど出るのではなかった。


 判断ミス。後悔。取り返しのつかない失敗。

 世界は甘くないのだと、ゲイルは知っていたはずだった。

 世界は優しくないのだと、アヴィは知っていたはずだった。



   ※   ※   ※ 


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