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蟻の王



 有利な状況を活かさない理由はない。

 安全に物事を進める為の労力を惜しむのは愚か者未満だ。



 アリの巣穴内部は、所々に広い空間があるにしても、通路は狭い。

 入り口からアヴィの最大出力氷雪魔法を使い、凍気で内部を攻撃するという安全策。


 疲れたアヴィを休ませて、再度、再度。

 繰り返してみて、魔力というような力ではなく体力を消耗するようだとわかった。


 三度目の遠隔攻撃の後に、アヴィを休息させてから中に踏み込む。




 内部が寒いので、アヴィはゲイルの中に。靴がないので素足で歩く彼女にとって、冷たい床は苦痛になる。

 いざ戦闘となれば飛び出すが、無用に体力を消耗することもない。アヴィ自身もゲイルの粘液に包まれている方が嬉しいらしいので問題ない。



 いくつかある部屋の中に、ハチの巣のような構造物が並ぶ部屋があった。

 凍りかけて既に機能していないようだったが。


(……)


 ゲイルはその中の一つにまだ動く反応を見つけて、這い寄って狭い入り口に触腕を突き刺す。

 小さな箱のような部屋に収められているのは、アリの幼虫なのだろう。

 いずれ敵になるもの。


 ゲイルの触腕に飲み込まれたその巨大な灰色の芋虫のような生き物が、呼吸が出来ない為か身を捩る。


 ぶちゅっと潰した。

 そのまま吸収する。アリの甲殻は硬いのに、幼虫はひどく柔らかかった。


 周囲には、世話係だったのだろうメラニアントの死骸もある。

 ほとんどが凍死していたが、まだ息があって音を鳴らしているものはゲイルが這い寄るついでに体節を切って殺して進む。


 ローラー作戦というのはこういうものだろうか。違う気もするが。



 奥の、まだ何かの息遣いがする方へと移動していった。

 通路自体が広くなってきて雰囲気が変わっていく。ただ穴を掘っただけではなく、周辺の壁を塗り固めたような質感に。


 ここまで奥に来ると冷気が届いていない。

 活動しているメラニアントもいたので、それらはアヴィと協力して処理する。


 もっと多くの数を想定していたので、少し拍子抜けしてしまうのだが。




 そのまま進み、おそらく最深部と思われる空間にそれはいた。


「……」


 アヴィが息を飲む。


 声を発さないのは相手に気配を悟られないようにというつもりかもしれないが、無駄だろう。

 モンスターの感覚は人間やそれらよりかなり鋭敏に出来ている。自分の領域に踏み込んだ異物のことなど、容易に察知しているはず。


 天井はそれほど高くはない。とはいえ、ゲイルの三倍以上だが。

 横が広い。奥行きも。


 所々に柱のように残っている岩壁もあるが、それも何か塗り固められたような質感になっていた。



 ゲイルに視覚があれば、表面にニスを塗ったような光沢を感じていただろう。

 だだっ広い空間の所々に柱のように残るそれらは、まるでここが巨大な神殿であるかのような体裁を整えていた。


(いや、実際に神殿的なものかもしれない)


 アリの女王が奥に鎮座し、新しい世代を産む場所として。



 だだっ広い部屋の奥から息遣いが聞こえる。

 暗がりでもある程度見えるアヴィの目でも見えないくらいの奥に、呼吸音の根源があった。

 呼吸音なのか、産卵管から漏れる空気の音なのか。


(……でかいな)


 ぼとぬ、とやや粘着質な音が響いた。


 その巨体の端――おそらく尻の方から、何かが地面に落ちた音だ。

 排泄物でなければ卵ということになる。


(うん、ウンコだったら嫌だな)


 この状況でそれだったら、ゲルでもげんなりする。

 何にしろ、それが女王アリということで間違いない。


 ゲイルは触腕でアヴィの肩を抱き、少し落ち着くように促した。

 緊張するのは仕方がないが、硬くなりすぎてもいけない。とりあえずあの女王は巨体すぎて満足な動きはでき――


「っ!」


 抱いていて良かった。

 鈍いゲイルの動きでも、アヴィを飲み込むことが出来た。



 突如発生した異臭のする空気から、アヴィを体内に取り込んで守る。


「ぶばっ!?」


 何かを喋ろうとするアヴィの口から空気が漏れるが、それをゲイルの粘液で包みつつ押し返す。

 アヴィの口に注ぐ。



 周囲に発生した異臭の原因がわからない以上、アヴィに吸わせるわけにはいかない。


「ん、むぅ…」


 人口呼吸(?)しながらも、ゲイルの足元はうぞうぞと動いて部屋から出ようと這いずる。

 そのゲイルの背中を、強烈な衝撃が襲った。



(くっそ!)


 ゲイルの体は柔らかい。その衝撃は貫通して中のアヴィに届いてしまうのだ。


「っくぅ!?」


 だがアヴィも今では立派な戦士だった。ゲイルの中から外の様子を見て、咄嗟に剣を構えてその衝撃を受け止めていた。


 衝撃で押される体内のアヴィごと、ゲイルは部屋の入口から外へ吹き飛ばされる。

 広めの通路。



「母さん、大丈夫!?」


 吹き飛ばされたおかげで異臭の範囲からは脱出していた。


 ゲイルから転がり出たアヴィが、すぐさま立ち上がりゲイルに駆け寄る。ゲイルのゲルがクッションになった為、彼女に目立った傷はない。


 吹き飛ばされたせいでいくらかゲイルの体組織が飛び散ってしまったが、それはいつものこと。


 ゲイルの意識的には背中からの攻撃だったが、別に背中もお腹もない体なので、攻撃してきた存在はわかった。


 天井からぶら下がっていた大きな何者か。



「あれは……」


 女王の部屋から弾き出したゲイルたちを追って姿を現す。


 ゲイルよりも少し大きい。普通のアリの二倍以上の巨体。六本の足、そして二対四本の腕がある。


 ソルジャーアントでも手は二本だった。この巨大な敵は四本だ。

 そして何より背中にも幅広で少し長いものがあるようだ。


(女王がいるなら、そういうことか)


「赤い……」


 色はゲイルにはわからないが、アヴィがそういうのならそうなのだろう。


 赤い巨体に、四本の腕と羽を備えたアリたちの王。

 カイザーアント。



(母さんならぬ父さんってわけか)


 女王を守る最強のアリとして満を持した登場だった。



  ※   ※   ※ 



「ギラルァ」


 鳴いた。

 アリでも、王にもなれば鳴くらしい。モンスターのアリなので普通ではないだろうが。


 ぎちぎちと顎を左右に開いたり閉じたりしながら、ゲイルとアヴィを見下ろして空気が掠れるような声を上げた。

 その顎から、だらりと涎が垂れる。


(蟻酸、だったか?)


 アリや蜂のような生き物はそういう酸っぽい液を吐くことがある。

 皮膚がかぶれたり、一定の温度以上で発火したりする危険物だと。



 ゲイルの記憶にあるアリとモンスターのこれとは違うかもしれないが、先ほどの異臭はこれだったのだろう。

 垂れた涎から同じ臭いがした。


「母さん」


 カイザーアントの四本の腕の内二本は剣のように、あとの二本は三本指で何かを掴むような形状をしている。


 働きアリとは違ってヤスリのような手はしていない。王の手は、女王と交尾か何かする時に使うのかもしれない。



 どうだろうか、大きさだけならゲイルと大差ないが。



(なんっ!)


 目にも止まらぬ動きで斬られた。

 左右の手で、×印に二回。


 速さと鋭さで斬られてから気が付いた。


(……こっちで良かった)


 ゲイルの体は斬られても問題がないのだ。アヴィの体と違って。

 いつも通り、ぬらっと体液が流れて斬られた箇所が元通りに戻る。


 速すぎて、鋭すぎて、おかげで体組織が飛び散らなかった。


(でもこれじゃ手が付けられない)


 うぞうぞとゲイルが這い寄ると、カイザーアントはそれを気味悪がって距離を取った。

 速い。というか普通に歩いているだけでゲイルより倍以上速いのだからどうしようもない。



「母さんどいて!」


 後ろからアヴィの声だが、それに従っていいものかどうか。

 それにゲル状のこの体は言われても機敏に動けるわけではない。


(でもまあ、試してみるしかないか)


「真白き清廊より、来たれ絶禍の凍嵐!」


 ゲイルの後ろからアヴィの氷雪魔法が放たれる。


 間にゲイルを挟んだまま。ゲイルの回避動作は間に合わないが。



(どろっとな)


 潰れる。

 体から一気に力を抜いて、重力のままにとろけるように地面に流れた。


「ギッ!?」


 毒霧でも切り裂いても効果が見られなかった敵に警戒していたカイザーアントは、その唐突な潰れ方に戸惑うように動きを止めた。

 そこに襲い掛かる氷の息吹。


「ギギィッ!」


 三本指の手で顔を覆って防御姿勢になるカイザーアント。やはり冷却には強くない。



(ナイスだ、アヴィ)


「はああぁっ!」


 気合を込めて、氷雪魔法を放ち続けるアヴィ。


 顔を覆って防御姿勢だったカイザーアントがだったが、その吹雪を嫌うように剣の手を振る。

 振り払われた両手だが、吹雪を切り裂けるわけではない。



(よし、このまま……)


 ゲイルは地面に寝ているだけだが、このまま凍り付かせてしまえば――


「リィリリイイィィ」


 先ほどまでの声とはまるで違った音が響いた。高く透き通るような。



(何か別の敵が……)


 違う。

 聞こえるのは間違いなくカイザーアントからだった。


 その背中から。


「うっ、うそっ!?」


 カイザーアントの背中の羽が激しく振動していた。

 その羽ばたきで風圧を巻き起こして、アヴィから吹き付ける吹雪を押し返そうと。



(やばい、今の俺は()()()!)


 地面に広がったゲイルは薄く伸びている。

 そこに向かって吹き返される氷雪は、ゲル状のゲイルの体を凍り付かせていった。


(や、やばい……うごけ、な……)


 この体になってから、今まで意識が途絶えたことはない。

 グィタードラゴンとの戦いの最中に、痛みのあまりに意識が飛びそうになったことはあったが。


 アヴィのいじらしい姿に意識が飛びそうになったこともあったが、それはまた別の話だ。


 凍えて、意識が薄れていく感覚は初めてのこと。

 アヴィが魔法を止めた時には、既にゲイルの意識は夢うつつという状態になっていた。



  ※   ※   ※ 



 自分の倍以上の体躯から振り下ろされる鋭い剣のような腕を、手にした剣で打ち払う。

 右へ、左へ。


 小さな体で、必死になって打ち払いながら叫ぶ。


「母さん! 母さん!」


 母を呼ぶ声。

 こんな穴蔵にお前の母はいないだろうに、懸命に呼びかける。



 その小柄な敵を叩き潰そうと振るわれる王の剣。

 受けられているのは、その王の剣閃も万全ではないからだ。


 動きが鈍い。寒さで体節の動きが十分ではない。だから振るう剣速が当初より遅い。


 最初の剣閃は見ていたからだろう。それより遅い剣であれば対応が出来ている。


(さすが、自慢の娘だよ……)


 薄れる意識の中でそう思う。


 ひび割れる体。

 さっきから上から踏んでいる六本の足が、凍り付いた体を踏み砕いていく。


 どこまでが自分の体なのかわからない。今の状況をどういう手段で把握しているのかもわからない。

 それでもわかる。聞こえている。


「母さん、しっかりして!」


 アヴィが、自分を呼んでいることはわかっていた。


(母さんじゃねえけど、な)



 埒が明かないと思ったのか、カイザーアントが剣を振るうのをやめた。

 一呼吸の溜め。

 その瞬間をアヴィは見逃さない。


「だああぁっ!」


 彼女の剣がカイザーアントの肘あたりの体節を貫いた。


 だが体格が違いすぎる。アヴィの倍以上の大きさのカイザーアントには、穿たれた一撃は致命傷にはならない。

 痛みで逡巡することもない。痛覚というものがない生き物。


「ギィィィィィッ!」


 カイザーアントの口が細かく動いた。


「シィアァァァァァッ!」


 霧吹きのように、その口から異臭を伴うガスのようなものが放たれた。



「くっ!」


 突き刺した剣を離して、顔を庇うアヴィ。


 吸い込んだら命に関わるかもしれない。特に目や口はアヴィにとって重要な部位だ。

 ゲイルのように体のどこでも犠牲にしていいわけではない


「ギィ!」


 それで終わりではなかった。

 カイザーアントの両手の剣が、激しく擦り合わされる。


 ノコギリを激しく擦るように、強く、素早く。


(摩擦……熱!)


 蟻酸はおよそ七十度ほどで発火するという。可燃性の物質だ。

 カイザーアントは、種族をここまで追い詰めた敵に対して我が身を構わずに倒すための手段を取ろうとしている。


(アヴィ!)



 発火した。


「かふぁっ!」


 ボムッという音と共に炎が広がり、周囲に熱が拡散する。

 ほんの一秒に満たないことだが、熱風が通り過ぎた。アヴィの小さな体を軽く吹き飛ばして。



「う、ぐぁ……」


 倒れて呻くアヴィと、爆熱で少し焦げつつも立ち尽くすカイザーアント。


 肘の辺りに剣がささったままだが、それを気にせずふるふると腕を上げる。

 勝利を示すかのように。


 その腕に、粘り気のある液体を巻き付けたまま。



(殺す!)


 溶けたのだ。熱で、溶けた。


 凍ったゲイルを踏み砕きながらアヴィと戦っていたカイザーアントは、ゲイルの真上にいた。

 爆熱で解けながら、砕かれていた体組織と繋がりながら、ゲイルはそのゲル状の体をカイザーアントに巻き付けていた。


(よくもアヴィを!)


 体の半分くらいは残っていない。だが関係ない。

 クソったれなアリの体に取り付いたゲルを全力で締め上げながら、隙間から体内に入り込む。


 アリの重要な臓器を、呼吸器を、脳を掻き回した。

 ゲルの体を体内に侵入させれば堅い外殻など関係がない。



(こいつ……なんてどうでもいい!)


 息絶えたかどうか確認するよりも先に、吹き飛ばされたアヴィの下に駆け寄ろうとそれから離れる。



 這いずる。

 アヴィの呻く場所まで、全力で這いずる。


 遅い。遅い遅い遅い!


 今までさんざん自分の動きが鈍く遅いと思ってきたが、今日は中でも最悪に遅い。


 凍ったり熱されたりで遅いのか。そうではない、いつもと同じだ。

 だけどその速度は、アヴィの下に辿り着くまでの時間は、ゲイルを激しく苛立たせる。



「ぁ、ひぅっはっ……」


 アヴィの体が痙攣している。

 口を大きく開けて、爪で胸の辺りを掻きむしるようにして痙攣を繰り返していた。


(呼吸できてない!)


 辿り着いたゲイルは、何も考えられなかった。

 何も考えずに、アヴィの口の中に体を押し込む。

 気道を確保しなければ。


 突っ込んだ体を筒状にして空気を送り込む。

 熱風を吸い込んで気管支が火傷のようになっていた。

 とにかくそれを治す、癒す。


(しっかりしろ、アヴィ! ゆっくり呼吸を)


 声をかけたいのに、ゲイルの体に発声器官はない。



 どうしてだ。

 アヴィはあんなにゲイルを呼んでくれていたのに、ゲイルはアヴィに声もかけてやれない。


 苦しんでいるのに。こんなに苦しんでいるのに。

 こんなゲル状生物でなければ、もっとアヴィに何かしてあげられたのに。


 魔法が使えたら、治す魔法が使えたら。

 ゲイルは、涙も出ない体で嘆きながら、己の身を呪いながら、愛する娘の体を癒すことだけをやめなかった。




「……かあ、さ……」


 どれくらい経っていたのだろうか。

 掠れた声が、しゃがれた声が、暗い穴蔵に響いた。


(アヴィ!)


 身を震わせて応える。


「……喉、乾いた」


 よかった。

 よかった、本当に良かった。


 アヴィの要求に従って水を出す。

 ただ体が砕けたりしていたので、残っていた水は少なかったが。


 それでも、我が身を絞ってでも水を与えると、アヴィはゆっくりとそれを飲み下した。


 体を起こして、二度、三度と呼吸をする。浅く、浅く、それから深く。


 そうして小さく頷いて、ゲイルに向かって笑いかけた。

 煤けた顔で、最高の笑顔で。



「聞こえてたよ。母さんの声」


 そんなはずはないのに。

 優しい子だった。



  ※   ※   ※ 


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