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物心ついたらゲル状の生き物だった。

泥臭く生きるお話ですが、最後までお付き合いいただければ嬉しく思います。御感想などいただけたら嬉しいです。




 目覚めた時、あまりに体が重くて、身を起こすことも出来ない状態だと思った。


 ひどい風邪やインフルエンザなのかと。これではとても仕事など行ける状態ではない。


 仕事……


 濁った思考が考えかけたことを遠ざけ、記憶に靄がかかったように見えなくなっていく。

 何をしていたのだろうか。



 体が思うように動かない。

 這いずるように、進む。


 ずず、ずずず。


 ように――ではなかった。這いずって進む。

 泥の中を、泥の底を這いずる。



 いつからこの状態だったのか、今までもずっとこうだったような、そんな気さえする。

 ここはどこなのだろうか。自分の体が自分の物ではないように感じる一方で、全く逆のことも思う。


 ――自由。


 何かをしなければという焦燥感がない。

 何をしてもいいという開放感がある。


 何物にも縛られない。

 ただ泥の底を這いずる。


 それは、まだ自分が幼い頃に根拠もなく感じていた無限の可能性のような。

 時間を忘れ遊んでいた時のような、恐れや不安のない時間。


 ただ泥の底を這いずる。

 ずっとそうしていたような気がするのだ。もうずっと、長いこと。


 かつてはそれを苦痛に感じていたような気持ちもあった。微かな感情の残滓として、どこかにこびりついている。

 今は、この状態に安堵を感じている。それも違うのか。安堵すらなく、ただ平穏な心境だけあった。



 ここはどこだろう。


 そんな思考を不思議に思う。今までそんなことを考えたことがあっただろうか、と。


 周囲の温度は自分の体温と同じだ。

 暑くもなく、寒くもない。普通、36度前後であれば暑いだろうに。



 手を伸ばす。

 手を――うねるように、伸ばす。


(…………)


 驚きはなかった。ただ心は穏やかな水面のように、ほんの少しの揺らぎだけを示す。



 液体。

 粘液のようなゲル状の手が伸びる。


 見ることはできないが、感じることは出来る。

 視覚はない。全身の触覚が今の自分の形を教えてくれた。


 周囲にあるのは、やはり液体だ。水……泥水。

 濁った泥の底で、俺の意識は改めて覚醒した。


(……アメーバ状)


 自覚した。自分の現状を確認した。




 かつて日ノ本で暮らしていた時に愛読していた書籍がある。

 つまらない生活をしていた自分が、底辺を這いずって生きていた自分が、その輝く冒険活劇を楽しませてもらった物語。


 あれの始まりは、どうだったのだろうか。

 こんな泥沼の底から始まっていたのだろうか。思い出せない。


(……ゲル状生物、か)


 どうやら自分、丹下英朗は、ゲル状生物として生まれ変わったらしい。



  ※   ※   ※ 



 生まれ変わったと考えてから、少し違和感を覚える。


 ずっとこんなことを続けていたような気がする――のではない。続けていた。

 やや意識が明瞭になってきて、これまでのことを認識する。


 どれくらいの時間なのかわからないが、決して短くない時間をこの泥の底を這いずり続けていたのだと。


 はずみで。何かのきっかけというか、その時を超えた瞬間に自分を認識出来るようになった。

 自我の芽生えというか、物心がつく瞬間というか。


 それまでは生物としての本能として生きてきたものが、自己を認識する知恵を得た。



(大きさ、かな)


 自分の体積が、這いずっている間に増えているのを自覚する。

 比較するものがないのでどの程度かわからないが、成長したと実感できるものは体の大きさだった。


 劇的に、急激に増えたという感じはないので、ある一定以上の大きさになって知性が芽生えたという所。知性に目覚めたというところ。


()()と呼べるほどの大層なもんじゃないが)


 皮肉気に自嘲する。取り立てて知恵者というわけではないどころか、愚鈍と呼ばれても仕方がないと。


 感情の起伏は、こういう生物なのであまり大きく揺れないようではあったが、思考力があるのでゼロではないらしい。


 それもまた、日ノ本で暮らしていた頃に愛読していた別の著書でも目にしたことがある。異形の生物(?)になったが為に人間らしい感情が制限される、と。



 今なら理解できる。自覚できる。

 生物としての本能以上に優先されるものがない。


 食って、生きる。


 そういう意思がある以上はこのゲル状の塊は生命体なのだろう。無機物や不死者ではなく、生命体。


 考えている間も、泥の底を進む。

 進むのはただ進行するということではなく、そこにある栄養素を摂取しながら、体内に吸収していくためだ。



 泥の底には色々なものが沈んでいるようだった。


 コケや水草などといった植物。

 消化しやすいものもあれば、違うものも。中には熱のような痛みを感じる草もあり、それは避けていく。


 薄っすらと発光するような草は、触れると激しい苦痛をもたらす。おそらく毒性が高いのだろう。それはいらない。


 魚なのか、水生生物の死骸。

 腐っていてもあまり関係がない。腹を下す心配はなかったし、目も見えないが味覚もないようだ。ただ栄養素として取り込めるものを取り込んでいった。



 吸収すると、わずかに体積が増していく。

 吸収したものの体積とイコールではない。人間だって、摂取したものの体積や重量と同じだけ増えるわけでもない。


 排泄している感覚はないが、どういう体の仕組みなのかは理解できなかった。

 取り込んだ魚の死骸の骨が、ゆっくりと時間をかけて溶けて消えていくのが感じられた。


 染み込む。

 そういう食事方法らしい。


 あまりコミカルな感じではないので絵面とすれば最悪だろう。悪魔的というか。

 もし映像化するのなら、スプラッターとかそういう方向でしか考えられない。汚濁に塗れた食事風景。




 救えない。


 救われない生き物。それはそうだ、元々は忌み嫌われる怪物の類。

 英雄譚の中で言えば、主人公側などではもちろんなく、その道すがら片手間に退治されるような存在なのだから。


(モンスターか)


 なんでこんなことに、もっと愛される姿になれなかったのか。


 そういう気持ちがゼロではないと思うのだが、あまり強く思わないのはやはり感情がこの生き物的になっているからかもしれない。


 或いは、生前――日ノ本で暮らしていた頃も、他者との関りを煩わしく思っていたからだろうか。


(これはこれで悪くない)


 受け入れることが出来た。今の自分を。



 しかし同時に思うこともある。


(モンスターってことだと、危険もあるかな)


 ここがどこなのかわからないが、自分がモンスターだとすれば、それを殺すことを生業とするものがいても不思議はない。

 見つからないようひっそりと生きていくべきだ。


 生態としてそういうものなのだろうから、変な勘違いをして大冒険の旅路になどと夢を見ないこと。

 ゲル状生物の英雄などを目指すことなく、身の程を弁えた生き方を。



 泥の底。


 静かだというわけではなかった。水の中は意外と色々な音があり、よく響く。

 視覚はないのだが、表面の触覚で受けた振動が音として伝わってきた。


 水の流れる音、何かが跳ねる音、水生生物の唸り声。

 ミチミチと小さな音を立てるのは、水草が成長する時の音のようだ。薄っすらと差し込む光で生育しているのか。


 雑多な音の中で、ただ食って生きる。

 案外と悪くないと思えた。


(底辺を這いずるのは得意だからな)


 生まれ変わりというのは、やはり生前の生き様に影響するのだろうか。

 だとしても、他者に気を遣わないで済むこの生き方を悪くは思わない。


 丹下英朗はそう感じるのだった。



  ※   ※   ※ 



 ゲイル。


 いつまでも日ノ本のことを考えるのも前向きではない。かといって生まれ育った名前を捨てるのも少し寂しい。

 そう考えた自分が、新たな自分につけた名前だ。


 ゲイル。誰が呼ぶわけでもないが、自分は自分をゲイルと認識する。


 元の名前からの連想もあるし洋風な雰囲気もある。ゲル状のモンスターの発祥は洋ゲームのはず。それに、ゲル状生物としても適合していてよい名前だと自認してみた。



 泥の底では時間は関係がない。

 水面から漏れてくる灯りで何となくの昼と夜の違いはわかるのだが、それにどれほどの意味があるのか。


 そういえば視覚はないのに光の強弱はわかる。

 植物だって視覚がなくても日光の方角はわかるのだから、視覚以外の感覚で捉えているのだろう。



 時間に意味がない。


 何日を、何年を、そうして過ごしたのだろうか。

 外敵というほどのものはなかった。同族もいなかった。



 たまに生きた魚を捕食してみると、摂取できるエネルギーが多いことがわかった。


 だがゲイルの動きは鈍い。

 よほどうまい配置で回ってこなければ、そういう良質な餌にはありつくことができなかった。


 底に沈んだ死骸や水草が主食。

 時折、蝙蝠のような生き物の死骸も沈んでいる。摂取したからといって蝙蝠の特技を習得するようなことはなかった。残念だ。




 少し困ったことがあった。


 特定の植物が増えすぎている。薄っすら発光する草。

 それはゲイルが触れると痛みを覚えるタイプの水草で、胞子のようなものを飛ばして分布を伸ばしている。


 その胞子にも触れるとひどい痛みを感じた。

 他の植物を食べ続けたせいで、環境を変化させてしまったらしい。

 このままでは程なくこの水中にいられなくなる。


 光が差し込むということは深海のような深さではない。


(……地上か)


 あまり気が進まないのだった。





 時間は関係ない。そう思っていた時期がゲイルにもあった。


 しかし時間は問題をより大きく、抜き差しならぬ状況へと進める。

 淡く光るその植物が一斉に胞子を飛ばし出すまで、ゲイルはそこを離れる決心をできずにいた。


(しまった)


 植物が胞子を放つ。そういう時期であるとか考えていれば対策をしたかもしれないが、時間に無頓着な生活に慣れすぎていた。感情の起伏が少なかったことで焦燥感がなかったのかもしれない。

 危機を実感していなかった。



 必死で、鈍重な体で泥の底を這いずる。


 遅い。知ってはいるが、遅い。

 足元がひどく痛い。広く分布したその痛い草を踏んでしまっている。


 背中も痛い。胞子が触れて、焼けるように痛む。

 痛んだところを切り捨てていく。



 ダメージがあるたびに、ゲイルの体が小さくなっていく。

 せっかく長い年月をかけて成長してきた体が、かけた年月に見合わない速度で消耗させられていった。


(このまま小さくなったら、俺の自我とか消えるのか)


 わからない。


(死ぬ、のか? また……)


 わからないが、自分が消えてしまうかもしれないという恐怖はゲイルを必死にさせた。


(死にたくない。とにかく、死にたくない)



 もう痛みに構っていられる状況ではない。死ぬか我慢するかということなら選択肢はないのと同じ。


 ようやく水中から上がったゲイルは、呼吸器官もないのに、大きく体を上下させて逃げ切ったことを実感した。


 生き延びた。命を長らえることが出来た。



  ※   ※   ※ 





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