第五話 色が見えだした日
朝が来るのが待ち遠しい。こんなことを思うようになるなんて、想像していなかった。それもお兄ちゃんと歩かなくなってからというのがまた何とも言えない。
「野々花、おはよう! 最近テンション高いけどどうした? 好きな男子でも出来た? それならそれで俺は応援するぞ。野々花もようやっと、芽生えたのか」
「そんなことないし。でも、応援してくれるのは嬉しいかも。あのさ、お兄ちゃんから見て、高校生の彼女とか出来たら嬉しいって思う?」
「へっ? うーん……野々花は俺のことが、いや、年上が好きなのか?」
「お兄ちゃんのことはもちろん好きだけど、それは恋とかじゃないよ? そうじゃなくて、年上の……大学生くらいの人から見たら、どんな気持ちになるのかなって気になったから」
「そ、それは何かごめん」
「うん? 何で謝るの? でも、うん、許してあげる。行ってくるね」
「お、おー」
お兄ちゃんが謝った理由はきっと、長いこと傍にいてくれたことでそれが当たり前になって、その影響で同い年の男子にはドキドキしなくなったことを言っているんだと思う。それは否定できないけれど、そのおかげで朝のあの人のことが気になって来たのだから、それはかえって良かったのかもしれない。
今日はお水にかからないように気を付けて歩かないと、なんて思いながら垣根から離れて歩いていたら、またしてもその油断が生まれてしまった。垣根とか花が植えられているのは、当たり前だけど歩道の内側にあるわけで、そこから離れるということは必然的に道路に近いところを歩くことになる。
「わわっ」
通学路はガードレールが無く、道路との境目はおまけ程度に置かれているコンクリートブロックくらい。花の垣根から離れて歩く必要なんて本当は無いのだけれど、水にかかってしまったら、またタオルとか持って来させてしまいそう。それが何だか悪いと思っていたからこそ、道路に少しだけはみ出ながら歩いていたわけで。
「――っと!」
スピードを上げて走る車の風圧で、一瞬体が揺れてしまったのがいけなかったみたいで、道路側に体がでかけてしまった時、咄嗟ではあるけれど、誰かに肩を掴まれて歩道側に戻されていた。
「あっぶねー。って、キミは昨日の子だよね? ブロックの上を歩くとかさすがに危ないと思うけど……」
「えっ、あ! や、えと……水にかかったら悪いなって思って、離れて歩いてただけなんです」
「いや、道路の側を歩く方が心配するって! ほら、引っ張るからブロックから下りて」
「は、はい」
怒られた。けれど、彼の手が自然に差し出されていて、彼のその手に自分の手を置いたらすぐに歩道側に引っ張られてしまった。照れるよりも先に手が触れていた。
「どこ高?」
「この先です。あの、ごめんなさい」
「いや、怒ってないよ。手に触れちゃってこっちこそ、ごめん。あぁ、そっか、後輩だったんだ。キミ、名前は? 俺は水越至。先輩ってか、先に卒業しただけなんだけどさ」
「水越先輩、ですね。わたしは、風岡野々花です」
「風岡? 風岡さん、兄がいたりする?」
「あっはい。大学に兄がいます……けど」
何だろう? 何だか知ってる感じに話しているけれど、お兄ちゃんが思い浮かんでいた人がこの人なのかな?
「じゃあ小学校はあの角の?」
「そ、そうです。小学校も同じですか?」
「多分そうかな。風岡……あぁ、そうか。あいつが言っていた妹って、キミのことか」
何かに気づいてしまったのか、さっきまで触れていた手で、彼は自分の顔を半分覆いながら少しだけ顔を赤くして、ため息をついていた。よく分からないけれど、何かを聞かされていたのだろうか。
「あ、ごめん。置き去りにしてた。春行は俺の友達なんだけど、それこそ小学校の頃からの付き合いでね。妹が心配過ぎて過保護ってたって聞いてた。それこそ俺みたいなのが近づかないようにね。今は大丈夫になった? 一人で歩いているみたいだけど、ようやくあいつも離れられたのかな?」
「小学校? あの、ごみ箱の――」
「あーごめんっ! ホース出しっぱなしだった! また話が出来たらその時にでもしようか。じゃあ、行ってらっしゃい、野々花ちゃん」
「い、行ってきます」
野々花ちゃん……名前で呼ばれた。だけど、また肝心なことが聞けなかった。もしかしたら、小学校の時に名前を聞きそびれたあの時の男の子だったのかもしれない。どうしよう、気になって仕方が無いよ。
教室には余裕で着いたけれど、もう何にも手が付けられなくてしかも、思いきり声をかけられていたのに裕翔をシカトしていたみたいだった。もちろん、悪気なんて無かった。
「おいっ! 風岡野々花。俺をシカトとはいい度胸だな?」
「は? 野々花にそういう態度とるとか馬鹿じゃないの? 何考えてるか知らないけど、ちょっかい出すのやめたら? ダサいし」
「星空には関係ねえし。いちいち気にすんなっての!」
「自意識過剰すぎて引く。ウチが気にしてんのは、野々花の眼中にも入ってないのに必死こいて苦しいアピールしまくりな奴のことだから」
「あームカつく。何でお前みたいなうるさい奴と付き合ってたのか意味不明だ」
「そっくり返すし」
そんな朝の騒ぎがあったことすら気づかなかったくらいに、彼のあの笑顔と優しさと声が気になってて仕方がなかった。至さんがもしかしたら、小学校の時の彼だったのかな。そうだとしたら、なんて声をかければいいんだろう。お兄ちゃんとは違う緊張が、あの人にはあった。こんなにもいつまでも続くなんて、これはどういう意味でどんな症状なのかな。
「おーい、野々花~? 起きた? というか、現実に帰って来れた?」
「あれ? 今って何限?」
「お昼だよ。てか、すごいね。そんなに野々花を虜にするとか、一体どれだけのイケメンだったのやら」
星空に声をかけられるまで、授業の内容とかが何にも頭に入ってこなかった。それでもノートは取っていたけれど、何を聞いていたのかさえも分からなくて、こんなことは初めてかもしれない。
「違う。イケメンとかそんなんじゃなくて、気になって、気になりすぎて何も入って来なくなったの」
「それって、昨日言ってた年上の人?」
「うん。その人」
「あーもうその人で決まりだね。良かった、野々花も恋する女子になれたね。帰りとかも会えたりするの?」
「ううん、外にいないから分かんない。朝はいつも同じ時間帯にいるから会えるけれど、帰りは多分大学に行ってるんだと思う」
「大学生か~やっぱ、お兄さんの影響受けてたね」
「そうかも」
まさかお兄ちゃんの友達だったなんてそんなの意外過ぎたし、近すぎて分からないことだった。それも小学校の頃の人かもしれないだなんて、あの頃には分からなかった感覚かもしれない。それはともかくとして、放課後まではさすがにきちんと授業を受けて、帰りは星空と彼がいる垣根辺りの道を通ることにしてみた。
「会えたらいいね。野々花の恋の始まりを見届けたいし」
「恋……なのかなあ。まだよく分かってなくて、でも、いつもの道なのにさっきからずっと動悸がおさまらないの。これって何かの病気なのかな」
「病気かもね。その人に会えたら治るかもだし、いるか分かんなくても行こ?」
「ん、そうだね。会えたら分かる。うん、会いたい」




