少女達の解放
サーガムが戻った時、マリア達は彼が言った通り歌を歌っていた。
「間に合ったようだな」
有言実行できたようだ。実際は二曲目だったかもしれないが、それには触れないでおく。
狼男に命じて檻の鍵を開けさせ、少女達を開放する。長く狭い所に押し込められていたせいだろう。立ち上がるにも苦労をしているのが痛々しい。
「さあ、村まで送ってやろう」
大した距離ではないし、朝を待たずとも大丈夫だろう。万が一なにか襲ってくるものがあったとしても、守りきれる自信はある。
「あ、あの……」
マリアが、なにか言いたそうに声を出した。この少女は3人の中では年長らしく、率先して意見を述べようと努力しているように見える。
「どうした?」
「あの私達、吸血鬼に血を吸われていて……」
尋ねると、マリアは首筋を示して見せた。ふたつの小さな傷跡――吸血鬼の噛み跡が、はっきりと付いている。
「私達も、その……吸血鬼になっちゃうんですか……? だったら、村に戻らない方が……」
サーガムは、泣き出しそうな少女の傷跡にそっと触れた。
「大丈夫だ。まだ定着していない。噛まれてから日が浅いのと、貴様達が心まで屈しなかったお陰だ。よく頑張ったな」
吸収スキルを使い、マリアから吸血鬼の因子を吸収する。これで普通の人間のまま平穏に暮らせるはずだ。
「これで元通りだ。傷跡も直に消えるだろう」
「本当ですか? ありがとうございます!」
ハンナとシーリスの傷跡にも手を当てて、吸血鬼となる因子吸い出した。次に、身元不明の少女にも処置をしようとして、
「……」
サーガムは呆れた。眠れる少女は、檻から引きずり出しても尚眠りこけていた。
「おい、起きぬか。助かったのだぞ」
ペチペチと頬を叩いてみるが、唸り声のような寝言を発するだけで、まるで効果はない。
「大丈夫だと思います。その子は来たばかりで、まだ血を吸われていないはずなので」
マリアが言う。
「そうなのか?」
「へえ、まだご主人様は、この娘の血はお吸いにはなられてませんでした」
念の為、狼男にも確認したが答えは同様だった。
「そもそも、この娘はどこから来たのだ?」
棚上げしていた質問を、狼男にぶつける。
「へえ、近くの森で迷ってるようでして、妙な格好をしていると思ったんですが、腹を空かせてたみたいで飯があるといったら、ほいほい付いてきまして」
「まあよい、本人に聞けばわかるだろう」
その後、謎の少女の脇をくすぐったり、鼻を押さえたり――一向に口呼吸を初めないので恐ろしくなりやめた――してみたが目覚めることはなかった。
「仕方あるまい、余が背負って行こう」
「なっ、なにを仰るのですか! でしたら、わたくしがお運びします」
サーガムの発言にエルタは、あり得ないと言うように強く反対して来た。
「しかし、な」
娘達は問題外であるし、本来の力はともかく子供や片腕の男に運搬をさせて、悠々としていられるほどサーガムも常識を解していないわけではない。
そのことを説明してエルタを納得させ、サーガムはアンノウン少女を背中に乗せ村へと向かった。
娘達を村に送り届けたのは、まだ夜も開け切らぬ早朝だった。
「こんなにも早く、三人を無事にお救い頂きまして、ほんにありがとうごぜえます。儂は昨日お会いしました時から、貴方様ならきっと娘らを見つけてくださると信じておりました。お礼にと言っては、あまりにささやかですが宴を催させて頂きますので、それまで儂の家でどうぞおくつろぎくだせえ」
村の村長で、杖を突き長い白髭をたくわえた老人の申し出を、サーガムは丁重に断った。
「いや、そのような気を使う必要はない。娘達が戻った祝いは、村の者達で楽しむがいい。余は報酬だけで充分だ。それに――」
礼はもう貰っている気分だと、胸中で付け加える。
マリア。ハンナ。シーリス。3人の少女達は、それぞれの家族との再会を涙を流し、抱擁をして喜んでいた。帰りたいと願う者と、帰りを待ち侘びる者。どちらも、もう駄目かと諦観に傾きかけた瞬間があったかもしれない。それ故に願いの叶った今、その歓喜は大きく深いものとなっているのだろう。
「よいものですね」
人目をはばからず滂沱の涙を流す――しかし笑顔で――少女達を見やりながら、エルタがつぶやいた。人間ほど密ではないが、魔族にも家族の情愛はある。サーガムの場合はさらに特殊なケースになるが。
「いやぁ、本当にいいですよねえ。それじゃあ、俺はこれで……」
「待て」
しれっとこの場から去ろうとした、少女達の受難の一因を呼び止める。
「え、いや、もう俺に用はないですよね? 命は助けてくれるって仰っしゃりましたし……」
「命は免じるとは言ったが、自由にするとは一言も言っておらぬが」
片腕とはいえ、狼男は野放しにしてよい存在でもない。
「そ、そんなぁ、全部言う通りにしたじゃありませんか」
縋り付いて来そうなトーマスを手で制して、付け足す。
「ギルド経由で治安機構に引き渡し、裁きを受けさせるのが妥当であろうな」
「まあ極刑でしょうけどね」
エルタが、言い辛いことをこの上なくはっきりと言う。
「ひでえ、それじゃあ詐欺じゃないですか! 14でご主人様の所に奉公に出され、罵倒され殴られ蹴られ、牛や馬のように働かされ、ご主人様の眠っている時意外に心の休まる時なんかなくて、嫁もなく子もなく、あげく狼男にされて右腕もなくなって、それで死刑って……俺の人生いったいなんなんですかぁ!」
この男にも情状酌量の余地が全くないわけでもなかった。だからと言って、罪が許されるわけでもないが。
サーガムは、トーマスの額に人差し指を当てた。文字のような文様が浮かび、そして消える。
「貴様に呪いをかけた」
「えっ?」
「これより先、暴力を振るった瞬間に貴様は文字通りの駄犬となり果てる。
酒に酔ってや、カッとなってつい手が出た程度でもだ。けっして楽ではあるまいが、不自由さを感じた時には己の罪を思い出し悔いることだ」
トーマスは喜んでいいのか、それとも嘆くべきなのか判断がつかない様だったが、しばらくすると、
「へえ……」
短く呻いて、肩を落として去っていった。
「さて、余達もギルドへ報告に戻るか」
「はい――あーっ!」
気持ち良い返事をした直後に、エルタが急に大声を上げる。
「どうした?」
従者の驚きぶりに、サーガムは危険がないか周囲を警戒したが、
「この娘、サーガム様の肩に涎を垂らしてますよ! なんと無礼な!」
なんとも些末ことだった。
「仕方あるまい。涎ぐらい出よう」
そう言って、首を回して少女を見てみた。幸せそうに眠っている。
「願わくば、そろそろ起きて欲しいのものだがな」
サーガムのこぼした何気ない一言に、少女が初めて反応を見せた。瞳が薄く開かれ、ゆっくりと口が動く。
「むにゃ、あれ、ここどこ?」
少女が目覚めたのは、今まさに朝日の登る瞬間だった。