地獄の炎
『なぜ報告に来ない。贄は手に入れられたのか?』
闇の中から続けて伝わってくる地を這うような音吐に、少女達――それに狼男も、一様に怯えた表情を見せた。
「この耳障りな音を出しているのが、貴様の主か?」
「へ、へえ……」
問うと、狼男は声の方向を気にしながら頷いた。
「ここで待っておれ。すぐに済ましてくるゆえ」
サーガムは少女達に告げて、通路の先へ進み出そうとした。と、
「待って!」
マリアに呼び止められて、振り返る。
「気を付けて。絶対、死なないでね」
少女は格子に顔を押し付けんばかりにして、サーガムのことを心配そうに見ていた。身を案じてくれていることも本心であるだろうし、ようやく訪れた希望が消えてしまうことを恐れてもいるのだろう。
(希望――この者らの希望に、余はなれておるのか?)
それはまさに、勇者の行いではないか。それを意識すると、胸に込み上げてくるものがあった。
こんな時、物語の勇者はなんと言って不安を取り去っていただろうか? 思い起こし言葉を借りようとして、
「余は、勇者となる身である。このような所で死するはずもない」
しかし結局、いつもの自分の調子で言う。
「歌でも歌っておるとよい。歌い終わるまでに戻って来よう」
そう付け加えて、サーガムは笑みを作った。
「うん」
少女も破顔してくれたので満足する。
「あのー、すみません」
高揚した気持ちに水を差して来たのは、狼男だった。
「なんだ?」
冷たい眼差しを向けてやる。
「いえね、ご主人様はこのまま通路を真っ直ぐ進んだ先にいますんで、もう案内は必要ないかと思いまして」
前方を指さしながら、狼男は答えた。
「駄目だな。貴様にも来て貰う。目を離した隙きに逃げられても面倒であるしな」
サーガムは即答した。命じられてしたこととはいえ、この男も野放しにはできない。
「そ、そんなぁ。そんなことしませんよ。おとなしく俺も、ここでまってますから」
それも考慮の外だった。叛意して、娘達を人質に取らないとも限らない。
「面倒ですし、もう処分してしまった方がよろしいのではないですか、サーガム様?」
エルタが、物騒なことを言い出す。実際、それが一番確実ではあるが。
「しょ、処分って……わかりましたよ。けど、先頭は勘弁してくだせえ。後ろから付いて行きますから」
不承不承、狼男が承諾したので、サーガムが先頭に立ちエルタを最後尾にして通路を歩き出した。
ほどなく大きな扉に行き当たった。狼男を振り返ると、無言で首を縦に動かす。
(さて、吸血鬼と対面といくか)
サーガムは、両開きの扉を引き開けた。中は広間のようになっており、天井も高い。装飾から元は礼拝堂であったと思われるが、席などは取り払われ、代わりに円形の舞台が設えられていた。
「なにをしていた、トーマス。ノロマめが」
舞台に立つ頭の薄い小太りな男が、苛立ちを隠しもせず狼男――トーマスを叱責した。どちらかと言えば甲高い声で、先程聞こえた低い不気味な声は魔法で変声したもののようだ。
(どちらにせよ、不快なことに変わりはないがな)
「なんだこいつは? 誰が男など連れてこいと言った。馬鹿が。贄は若い女限定だと言っただろう。ん? 後ろの娘はよいな。少し若過ぎるが、まあよい」
きゃんきゃんと喚く薄らハゲの言葉は一切無視する。が、背後でエルタの怒気が膨らんだのを感じた。
「貴様が吸血鬼だな?」
おおよそ吸血鬼という言葉から連想する容姿とはかけ離れていたが、それ以外にないだろう。
「いかにも儂は、偉大なる夜の帝王、吸血鬼ハーケルス・テブリギオンである。貴様、儂の下僕になりたくて来たのか? ふむ、整った顔をしておるな。トーマスよりは使えそうだ。よいぞ。ほれ、頭を垂れ儂に忠誠を誓うがいい」
一瞬で終わらせてしまいたい衝動に駆られるが、どうにか踏みとどまる。それは勇者の流儀ではないだろう。
「余は、貴様を成敗しに来たのだ。覚悟はよかろうな」
「成敗だと?」
ここに来てようやく、ハーケルスはトーマスの有様に気付いたようだった。
「ふん、トーマスを倒したか。それで、儂も倒せるなどと思い上がるとはな。勘違いも甚だしい。驚くがいい。そして後悔せよ。儂はただの吸血鬼てばない、真祖吸血鬼なのだぞ。狼男などとは、強さの次元が違うわ」
吸血鬼に血を吸われた者は、自らも吸血鬼となる。真祖とはそれによらず、自らの力によって一代で吸血鬼となった者であり、通常の吸血鬼よりも強大な力を有する場合が多い。別に驚きはしないが。
「私財を全てなげうち、長年研究を続けて来た。成果がまるで得られずに、何度も挫けそうになった。しかし儂は諦めなかった。そして遂に、真祖吸血鬼になることに成功したのだ! 苦労の甲斐はあった。儂はとてつもない力を得た。もはや人間など家畜としか思えん」
ハーケルスの言葉は誰に向けられたものでもなく、ただ自己陶酔を促進させる質の悪い酒でしかなかった。
「しかし油断はせんぞ。じっくりと下僕を増やし、さらに力を蓄えるのだ。村々をひとつずつ支配下に置き、まずはココハンザを、ゆくゆくはバーゼスト王国全てを儂のものとするのだ」
最高潮のテンションで青写真を語るハーケルスに、サーガムは割り込んだ。
「それは無理だな」
「は?」
呆けた顔の吸血鬼に、宣告をする。
「貴様はここで、余に討たれるのだからな」
「下郎が、地獄の業火に焼かれるがいいわ!」
激高した吸血鬼が、巨大な火球を出現させ放った。正常な判断もできないのか、このままでは地下施設もただでは済むまい。
「悪くはないな」
言うだけのことはある。大雑把ではあるが大した魔力量だ。
「余には通じぬが」
火球はサーガムの結界スキルによって生じた障壁に阻まれて、爆散した。こちら側には、微風すら起こらない。
「くっ、うぅぅ、馬鹿なあれが防がれただと……。ならば――」
ひとり爆風を浴びて倒れ伏していたハーケルスが、次なる手を撃つよりも早く、
「地獄の炎とは、こういうものだ」
サーガムの発動させた魔法は、吸血鬼を中心にして青白い火柱立ち上らせた。
「ぎゃあぁぁぁっ! 熱い、アヅいぃ!」
全身炎に包まれ、必死に床を転がりまわるハーケルスを見下ろして教えてやる。
「地獄の炎は、対象を焼き尽くすまでけして消えることはない」
「そ、そんな……たすけ……」
先程まで絶大な力を誇っていた吸血鬼が、炎の中で呆然とした表情をみせる。衣服はとうに燃え尽きていたが、吸血鬼の皮膚は燃えながらも修復を行っていた。
「ほう、さすが真祖だ。大した再生能力だな」
もっとも、今はそれが永劫に続く苦しみを生み出しているのだから皮肉である。
「…………」
酸欠となったのか、吸血鬼はただ口を魚のように開け閉めするだけになった。それでも、このままでは死ぬことはないだろう。
この男に与えられた罰として妥当なのかはわからなかったが、サーガムに悶え苦しむ罪人をこれ以上眺める趣味はなかった。
「虚仮の一念とはいえ、困難な願いを初志貫徹させたことには敬服する。次は力の使い道を間違えぬことだ」
サーガムが魔剣で吸血鬼を頭から両断すると、その体は淡い光となって掻き消えた。