ふようかぞく
「ラウトー!」
「何だぁ?」
強い日差しの中、縁側の傾きを直していたラウトは立ち上がって室内のナルに返事を返す。
「あたし今日出掛けるから留守番お願い」
寝室にしている隣の和室から出てきたナルはシフォン素材のブラウスに、デニムのハーフパンツ姿。
「冷蔵庫に冷やし中華が入ってるから昼に食べて」
パッケージの汁をかけてから食べるのだと説明してから鍵を渡す。
「出掛ける時は自転車使って良いから、鍵だけは掛けて出て」
取られるものがこのうちにあったかと考えながら了承する。
「ナルは何で行くんだ?」
「下まで行ったら友達が車で迎えに来てくれるから」
高速で走る乗り物を頭に思い浮かべ、自分も乗ってみたいと思うラウト。
サンダルを穿いているナルを見送るために玄関口まで出てきたラウトは、希望を口にしようとして今日は無理かと諦める。
遅れそうなのか、少し急いでいる様子のナルに、挨拶は要らないかと黙って見守る。
引き戸を勢いよく開いた先には、少し前から佇んでいた人物がナルとラウトを交互に見て、
「……誰?」
指先はラウト、目線はナルに向けたまま問う。
少しだけ機嫌が悪いのか、ナルに向けて同じ質問を繰り返す。
「誰、この外人? ナル」
「下まで行くって言ったのに…」
「迎えに来たら何か不都合があんの? ねぇ」
好き過ぎて強気に出られない男と、好きが故に不満を押さえられない女の構図に見えたラウトは無意識に呟く。
「浮気が見つかった恋人みてぇだな」
言葉を拾った女にギロリと睨まれる。
笑顔が引きつったラウトは取り敢えずとナルに声をかける。
「上がってもらったらどうだ?」
眉間に寄ったシワが明確に物語っている。
何でお前がそれを言うんだと――。
初対面にも関わらず遠慮がないのはナルによく似ている。
「喉渇いてるんだけど」
棒立ちのナルを差し置いて戸惑いなく室内に上がり込むと、座ったまま催促する。テーブルに腕を置いて、あくまでも強気を崩さない様子に、仕方ないなぁとナルは苦笑して冷蔵庫へ向かう。
その後を追うラウトは案の定、棚の引き戸に苦戦しているナルを認め、左手でお茶の入ったボトルを代わりに受け持ち、同時に右手で引き戸を開ける。
そのまま来客用のコップを手渡すと、注ぎやすいようにとボトルを台の上に移動させる。
お盆に乗せて三人分のお茶をテーブルに置くと、やや身を乗り出す形で観察されているのを感じる。
「ねえ…、それって外国人クオリティ? それとも特別な何かが二人の間にあるの?」
何がと二人同時に見詰められ、何でもないと手を振って、麦茶を口に含む。
近しい距離を自然に受け入れているナルを意外に思いながらも、取り敢えずは様子見でも良いか、と。
「私、長治弘子。よろしく」
「ラウトだ」
外国人なら握手かと差し出した手をしっかりと握り返され、弘子は早速質問する。
「んで、どういう関係?」
改まって聞かれると、どう答えたものかと視線を向けると、受けたラウトは口を開く。
「俺が世話になってんだよ」
「どこで? ここで?」
自己完結して直ぐにナルを見る。
「ここに住まわせてるの? 何で!?」
悲鳴に近い声をあげる弘子に、最初の出会いから説明する。
嘘偽りなく、ただ、言わなくて良い事だけは声にのせないまま。
「結局何もわからないじゃない。何処の国の人なのかも、船が本当に迎えに来るのかも、何で縛られて海にいたのかも…」
「言われてみれば…」
何で簀巻きにされたのかは聞いてなかったなあと今更ながらに思う。
特に嘘を言われても自分に害がないなら然して気にならないし、約束事だけは今のところ守っているし、家の修繕手伝ってくれてるし、何気に働き者だし…。
「嘘は言ってねえぞ」
「何か事件に巻き込まれたらどうするの!?」
まるでラウトの言葉が聞こえていないかのように、悲鳴は続く。
「何で縛られてたの?」
流れ的に聞いておくべきかとラウトに問う。
「まあ、簡単に言えば追われてた奴に捕まったんだな」
当たっちゃってるじゃんと思いつつ、内心溜め息を吐く。
「大丈夫。あたしは何も知らなかったで通すから。全力で保身に走るから」
笑いながら伝えれば、弘子は額を手で押さえる。
「私が言える立場じゃないって事は分かってる…。でもラウトさんはあの事知ってるの?」
俯いたまま話す声が微かに震える。
「何の話?」
顔をあげると、首を傾けるナルの顔。真っ直ぐに自分を見つめ返す目は、それが本心であるかのように錯覚させる。
「ナルが私の事を察する事が出来るように、私もナルに対して同じなんだよ…。前から知ってたのに、知らないふりして自分だけ楽になって、私……。」
「弘子疲れてるんじゃない? 有給とって旅行でもしてくればいいと思う」
「ナルが会社辞めたのに? こんなところに引っ越したのに? 本当は全部私がしなくちゃいけない事じゃない…」
責めてくれとその目が語る。
「弘子が心配する事なんて何もないよ」
動かずにその場でただ、にっこりと笑うナルを見て、弘子の涙腺は決壊する。
顔を覆ったままゴメンねと何度も繰り返す。
多大なる罪悪感に苛まれながら、ナルなら何とかしてくれるんじゃないかという小さな希望が生まれた事に、自分はなんて浅ましい人間なのだろうと。
***
「あいつ大丈夫なのか?」
「車だと心配だから駅まで送ってきたよ」
盛大に大泣きした後、弘子はナルの手を掴んで必死に相手はともかく応援するだの、夜道に気を付けろだの言い続け、全く要領を得ない言葉を聞きながらナルは都度、うんうんと笑顔で頷いていた。
「少し前にいろいろあって、あのこ少し不安定なの」
「あれで少しか?」
「本当はすごく落ち着いてて、冷静に毒を吐いたりしてね。強気な性格だった分崩れ方も大きかったみたい」
それでもましになったんだと説明しながら、煙草に火をつける。
「それだけショックだったって事だよね…」
煙を吐き出しながらうわ言のように呟くナル。
「聞いても良いか?」
静かに首を振るのを見て、ラウトは次の言葉を飲み込む。
原因さえも教えてくれないのかと。
弘子を憂いから解放したのはナルだ。
自分を無条件で受け入れてくれたのも。
何も言わずに、何も知らせずに自分だけで全てを背負って、そして終わらせる。
隠して、誤魔化して、そういう自分を知っているから、相手がそうしても当然だと受け入れる。
弘子やラウトが何も話さなくても感じ、察して、最良の結果を出そうとする。何故それを自分にしてやれないのかと。
ただ一言、『助けて』と言ってくれれば、この身を差し出しても良いと思っているのに――。
「弘子が言ってたよ。何かあたし達の事誤解してるみたい」
煙が消えるまで灰皿に押し付けた煙草から手を離す。
「一緒の家に住んでるだけでそういう事があるって思わないでほしいよねー」
誤解の意味を把握したラウトは当然だと言わんばかりの顔をする。
「男と女が一緒に夜を過ごせばそうなるのは自然だろ」
「何もなかったよね…?」
左に首を傾げながら言うナル。
「……無かったな」
つられたように首を傾げるラウト。
同じ部屋で隣に眠った割に、意識もする事なく当たり前のようにただ眠った事を不思議に思う。
「女と一晩過ごして何もなかったのは初めてかもな…」
「男と一晩一緒に眠ったのは初めてかも…」
明るいうちからする話題じゃなかったと、少し早い昼食を提案する。
「お昼にしよっか…」
立ち上がったナルに、頭を掻きながらラウトは言う。
「ナルが望むなら俺はやぶさかでもねぇぞ」
満更でもないという表情を隠そうともしないラウトに苛つく。
「望んでねーよ」
「俺は何でもいけるからナルに合わせるし」
「行くってどこだ、あの世か」
変えた話題を引きずりやがってと内心舌打ちする。
「あたしにとってラウトはあれだよ」
「どれだ?」
何と答えるのか、大分興味をもって待つ。
「扶養家族」
その意味を理解するのに少し間をとった後に、ラウトは盛大に笑いだす。
「そいつは言い得て妙だな!」
自分の状況を的確に表現したナルに称賛する。
「だったら俺が守らねぇとな。家族だし」
笑いながらも目だけは真剣で、その表情に首を傾げるナル。
「じゃあ取り敢えずはお手伝いでもすっかな」
腰をあげたラウトはニヤリと笑ってナルを見る。
「母ちゃん」
「誰が母ちゃんだ!!」
飛んできた皿がラウトの顔にヒットする。