とうかこうかん
「おいおい、大丈夫なのかこのうち」
「余計なお世話。雨風しのげるだけありがたいと思ってよ」
漁港で固い握手を交わした二人はそのままナルの家へと直行した。
ラウトとの出会いは帰宅途中の寄り道での、突発的なものだったが、ナルにとっては幸運な拾い物だったといえる。
外にある水道で膝から下を洗ってもらった後に、大きめのサンダルを履かせてから、玄関の小上がりを跨ぐと、同じ様に上がったラウトに驚く。
「意外。ちゃんと靴脱ぐんだ…」
「失礼な奴だなぁ。草の床は土足で上がっちゃならねえって事ぐらい知ってるぞ」
尤も、俺の知ってるのはもっと綺麗な緑色だったがな、と余計な一言を加えられたせいで、ナルの機嫌は下降する。
「それにしてもここに一人で住んでんのか? 来る途中みたが、もっと住みやすい場所があっただろ」
港の周りから少し距離を開けて、たっぷりと空間をとった一軒家が並ぶ住宅街がある。小さくても拘っているのが伺える、居心地の良さそうなカフェや、芳ばしい匂いを漂わせるベーカリー。
その間を抜け、海へと繋がる川に渡した橋を渡り、両側が鬱蒼と茂った緑に挟まれた、舗装もされていない勾配。そこを登りきったところに木造の家が建っている。
何年も放置されていたのが見てとれる様相のそこをできる範囲で直しながら、ナルは住んでいた。
大分跨がないと上がれない昔ながらの高すぎる小上がりの土間の玄関、日に焼けて色も香りも抜けてしまった畳、安定感がなくなって抜けてしまいそうな縁側。台所も土間になっていて、竈を置く穴を板で塞いでそこにガスコンロをおき、外のプロパンと繋いでいる。辛うじてあった流し台は後付けの給湯器を設置し、お湯はバスルームのシャワーと共有。
必要最低限の物だけで生活しているのが伺える。
「年頃の女が一人でいるには不便だし危ねえだろ」
夏の湿気を含んで開きが悪くなったタンスをガタガタいわせながら開けようとしているナル。
後ろから体を覆うようにして代わりに開けてやったラウトは、そのまま縁側に足を向ける。
「まあ、眺めは悪くねえけどな」
窓越しに見えるのは眼下に広がる海。
左側に先程までいた港があり、それ以外の人工物は見当たらない。
「こっからは見えないけど、港の向こうに灯台があるから夜になると光って綺麗だよ」
バスタオルを渡して着いてくるように言うと素直に後ろを歩くラウト。
「港で花火もやるからうちからだと綺麗に見えるんじゃないかなぁ」
「見た事ないのか」
疑問ではなく断定で返す。
「3か月前に引っ越したばかりなの。小さいタオルはここにあるから好きに使って」
バスタブとシャワーヘッドだけが新しくなったタイル張りの空間に案内されて、合点がいく。普段身形に気を付ける方でないとはいえ、今の自分の有り様はあまりに酷い。
「上がったらこれ着て良いから。下着は後で買いにいくから我慢して」
脱衣所の引き戸を閉めて出ていったナルを認めて、シャツを脱ぐ。
もとは真っ白だったそれを暫く眺めた後に、紙屑の入った籠に丸めて投げ入れる。
***
冷たいお茶を一気に流し込んで一息つくと、ナルは縁側の窓を開け放す。
涼しさをはらんだ風がもうすぐ夕方だと告げている。
灰皿と一緒に置いていた四角いパッケージから一本取り出すと、口に加えて火をつける。畳に座ったままに吸い込んで、ゆっくりと煙を吐き出すと、蘇る苦々しい感情。
もう一度吸ってからフィルターを噛んでそのまま灰皿に手を伸ばす。
「おっと、」
手を握るようにして奪った煙を自分の口に運んだラウトにナルは一瞬目を奪われる。
「ちょうど吸いたかったとこだ」
しゃがんだままタバコを咥えたラウトは白いTシャツと黒いスウェット姿。
大きめを渡したとはいえ、やはり筋肉質の体には足りなかったらしく、上も下もぴったりと体に張り付き、特に下は長さが足りずにふくらはぎの途中で留まっている。
「あー、…ちょっと小さかったね」
下を向いて肩を震わせるナルを見て、ラウトは一度目線を下げる。
「いや、大分小せえな」
Tシャツを摘まもうとして、挟みきれずに滑った指に堪えきれず、ナルは吹き出す。
しゃがんだ姿勢で煙草を吸う姿が素行の悪い学生と被り、更に笑いを煽る。
「あーっと…、」
笑顔のまま気を悪くした様子もない事から、ごめんの言葉を飲み込んでナルは立ち上がる。
「服と下着買いに行こうか」
外に出て傾きかけた物置を開けようとして手間取るナルに代わり、面倒だとばかりに引き戸を外したラウトは出てきたものに興味を示す。
「車だと道幅が狭いから買ったんだ」
まだ新品の光沢を持つそれはナルの自慢。
「何だこれ、荷車か?」
前についてる籠を認めてラウトは言う。
「いや、自転車だから。いくらも積めないでしょこの籠じゃ」
見た事ないなら乗れないだろうと跨いで後ろの荷台をポンポンと叩く。
「乗って」
「乗り物なのか!?」
地面との接地面の少なさに安定感は保てるのかとか、左右のバランスはどうするのかとか考えながら荷台を跨ぐ。
「最初バランスとれるまでは足で支えててくれる? 安定したら足離して良いから」
行くよと声をかけて力一杯ペダルを踏む。
あまりの重さにいくらも進まないでいると、ラウトが片足ずつ地面を蹴ってアシストする。
下りに差し掛かる手前で勢いに乗った自転車に、ナルはもういいよと声をかける。
足を上げてサドルの下を逆手で持ったラウト。
漕ぐのをやめて両足を浮かしたナル。
下りの勢いに任せて、どんどん加速していく。
「勢いつきすぎたー!!」
速度を落とすためブレーキに手を掛けたところでぎゅっとハンドルを握り直す。
「おもしれーな、これ!!」
体を傾けたラウトに合わせて自転車も右へと重心をずらす。傾いた体を支えようとハンドルから指をはずせないナル。
「ちょ、ちょっと、っ!」
一度持ちなおった体が今度は左に倒れる。
右に左にと交互に傾く度に言葉にならない声が漏れる。
狭い悪路に道を踏み外さない様にハンドルを操作するのに必死になっていると、橋が見えてくる。
「もうやめてっ! 橋がっ…!」
「何だもう終わりか…」
スピードが緩んだところでペダルで加速を加えると、やってみたいというラウトに代わる。後ろからでも余裕で届く足の邪魔にならないようにフレームに両足を乗せてハンドル操作に従事する。
「そろそろだからスピード落とすよ」
逞しい足から伝わる力に、平坦な道でも風を切るように進んでいた二人は、すれ違い様に何度も振り返って2度見をされる。
全国展開のファストファッションショップに着いてスタンドを立てると、アイデアが斬新だとしゃがんで観察をしはじめる。
「それは後で良いでしょ。中に入るよ」
今度は自動ドアに興味を示したのか、振り返って名残惜しそうにしているのを無視して、上に表示されている大きいサイズの文字に向かう。
「適当に上下三枚ずつ選んで」
言われて数秒で選ばれたシャツ。
「いや、チンピラか…」
派手な柄でチカチカする様な原色のシャツをハンガーごと戻すと、落ち着いたアロハと、ティーシャツを二枚選ぶ。
パンツもハーフサイズとロングタイプを選んでさっさと下着売り場に移動。大体のサイズを目測で確認すると、記号を覚えさせて、その表示のものを選ぶように指示。こちらは形と柄は本人に選んでもらう。
「これは着て帰ります」
差し出されたものに含まれていた下着を見て、驚いていたレジのお姉さんにバーコードタグを切って貰い、ラウトを試着室に押し込む。
その間に会計を済ませてカーテンを開けたラウトを上から下までチェックして、良しと頷いて店を出る。
ファストファッションの店では靴のサイズの幅がないため、はす向かいの流通センターに向かう。
いたくお気に召した様子に説得を諦めて雪駄を履かせると、その足で近くのファミレスに向かう。
日が長い季節とは言っても時間的にはもう夕方で、帰ってから食事を作る気力のなかったナルはホッとしながらサラダうどんをすする。
日本人特有の食べ方に気にした様子もなく、ラウトは和食の定食を時間をかけながらつついている。
箸の文化は流石に馴染みがないのか、後半はおかずに突き刺して豪快に口に運んでいた。
先に外で待っていたラウトを追いかけて外に出ると、ゆっくりと近付いてくる。
「何か気になるものでもあった?」
店の照明から外れたところに居たらしいラウトに、スタンドを外しながらナルは言う。
「…いいや」
すっかり薄暗くなった様子に、帰りも全力で漕がないとと考えていると、籠に荷物をいれたラウトがハンドルを掴んで自転車を支える。
「帰りは俺が漕ぐよ」
「…え、いやぁ…、」
初心者の後ろに乗る程勇者じゃないとは思ったが、要はスピードとバランスだろと軽く言ってサドルに座ったラウトに、仕方なしに荷台に腰を下ろす。
いつでも飛び降りれるように気を張ったまま――
。
「行くぞ」
力強い漕ぎ出しにバランスが追い付かなかったらしく、多少ふらついたものの速度が上がればそれもなくなり、ファミレスの駐車場をぐるぐる回りながら大丈夫そうだとナルは思う。
「憧れの青春乗りー!」
ラウトの肩に手を乗せて立ち上がったナルを見て、このまま帰るぞと声をかける。
「今日は世話になったな」
風の音で聞き取りづらかったナルは荷台に腰を下ろす。
「等価交換だから気にしないで」
機嫌良さそうに返すナル。
「喧嘩に強くなりてえなんて、誰か嫌な奴でもいるのか?」
なんなら自分が赴いても良いとの考えで聞いてみる。
「喧嘩? …違うよ」
少しだけ声のトーンが下がったのを感じとる。
「自分より強い奴に勝てる方法を教えてって言ったんだよ」
「護身の為か?」
「そんな感じ。取り敢えず卑怯な方法程良いかな…。相手がどうしようもなく悔しがる位」
物騒な事言ってんなあと苦笑しつつ、チラリと視線をファミレスの方に流す。
「まあ、確かに必要かもな」
「えー? なにー!?」
聞き返すナルにペダルを踏む足に力を込める。
「飛ばして帰るぞ!!」
ぐんと上がったスピードに、ファミレスがあっという間に遠ざかる。
ラウトの腰の辺りをしっかりと掴んだナルは笑いながら叫ぶ。
「安全運転でお願いしまーす!」