まいご
「あー、これ無理だ。あたしの力じゃ無理。刃物とか使わないと外せないよ。てか、どーなってんの?結んでるわけでもないし、ゴムみたいに伸びるわけでもないのに、どーやってはめたのこれ?」
結局どうやっても自分から離れようとしない彼を、人目につくところまでついてこさせるわけにもいかず、逃走を諦めて今は両手の拘束具と格闘中。
背中を向けていてくれる安心感と、外れた後の危険度合いから両手を先にと考えたのだが、這ってでもついてきたあの速度を考えると、どちらも似たようなものかもしれない。
「ここは一旦帰ってハサミかなんかを…」
「却下だ。あれでいい」
どうしても逃がしてくれない彼にうんざりしつつ、両足で指し示された、ガラス瓶の欠片を拾う。
昨今では砂浜を裸足で歩く事もできなくなったなぁと軽い現実逃避をしながら、こしこしと少しずつ分厚い皮を削っていく。
「鋭利なとこでやってるか?」
「うん、ここでやってる」
一度手を止めて皮に当てている部分を確認させる。
「それにしては遅ぇな」
やってもらって文句ばっかり言いやがってと腹をたてつつ、手を傷付けないように慎重に削っていく。
「はい、出来たよ」
プツリと細くなった一筋を切り落として声をかける。
「あ゛ー、やっと首が掻ける」
右手で首裏を掻きながら左肩をぐるぐると回転させる彼に、器用なものだとため息を吐きつつ、持っていた物を砂地に落とす。
「じゃあ、あとは自分でね」
「おっ、そうだな」
ボリボリと無遠慮に掻きむしっていた右手で瓶のなれの果てを拾うと、これもまた大雑把に足首に宛がい、一気に引き抜く。
ガリュっと音を立てて三分の一削ぎ落とすと、更にもう一度同じことを繰り返し、用は済んだとばかりに瓶を投げ捨て、両手で左右に引き千切る。
二度目で言葉通り皮一枚しか繋がっていなかったそれは簡単に地面に落ち、腰をあげる彼に踏みつけられて砂の中に埋もれる。
何故かゆっくりと見える彼の動作に危険を覚える。
人は人生の最後の瞬間がスロー映像に見えるという逸話を思いだし、無意識に一歩足を引く。
「やっと自由だー!!」
両の拳を天に掲げて伸びをする姿に二歩目の後退。
ずっと見下していた彼は今は見上げるほどの高さに顔があり、両腕は幹のように太く、張り出した胸もシャツからはち切れんばかりの厚みを持っている。足はアスリート並の筋肉が守っており、それがしなやかさをもって砂を踏みしめてこちらに近付いてくる。
逃避してる場合じゃないと、慌てて顔をあげて相手を確認し、数歩後退る。
「な、何で…」
近付いて来るのと言いきる前に、右手をとられる。
「助かったよ! あんたは命の恩人だ!」
分厚い手のひらの感触を味わいながらも、力加減をする気遣いはあるのだなと少しだけ安心する。
恩を感じているなら悪いようにはならないだろうと、足元を指差す。
「消毒した方がいいよ。雑菌やらバクテリアやらが心配だしね」
血が滲んでいる足首を認めて、彼は目をキラキラと輝かせる。
「あんた、良いやつだなぁ!」
取られたままの右手が盛大に振られて、リーチの長さから体が上下に揺すられる。
「いや、良いからそういうのっ、放してくれるっ!?」
軽く足が浮き上がった事に、ふらつきながら態勢を整えると、待っていた彼は視線で辺りを確認しながら問う。
「ところで何処だここは?」
「何処って…、あんたこそ何処から来たの?」
「あ? 俺か? 俺は…」
そこで一度考える素振りを見せた後に、曖昧な返答が返る。
「港近くで簀巻きにされたところで海に逃げたと思うんだけどなぁ…」
「じゃあここから近いんじゃない? 少し行ったとこに漁港があるし」
逃げたの部分はまるっと無視して返す。
「漁港ってーか…、んー?」
顎の辺りの髭を撫でながら記憶の意図を辿っているのを、乗り掛かった船と仕方なしにその手をとる。
「こっち。行ってみればわかるでしょう」
重みのある腕が繋がれたまま前に進む。
素直に一緒に歩いてくれたことに安心していると、ぎゅっと掴んだ手に力が入る。
「そうだな! じゃあ案内してくれ」
歯を見せて笑う顔は子供のようで、彼の威圧感を霧散させる。
「ところでまだ名乗ってなかったな。俺はラウト。あんたは?」
「ナル。何処のお国の人ですかー?」
「国には所属してねぇな。ナルはここの人か?」
「ここの人です。漁師さんですかー?」
「漁師じゃねーが船には乗ってるぞ。いつかナルも乗せてやるよ」
「あたし船酔い酷いんで。落ちた場所に行き当たれば船が停まってるんですかー?」
「落ちたのは俺の船じゃねぇからなぁ…。まぁ近くに行き当たれば見付けられるだろ」
「全く要領を得ないんですけど。大丈夫ですかー?」
主に頭がとは口に出さずに見えてきた建物を指差す。
「あれの裏に船が停まってるから見てくれば?」
「あー…、多分あそこには…」
港の様子、動いている船の様子を見てボリボリと頭を掻きながら言いにくそうに苦笑する。
「ここじゃないわけね。港は近くにここしかないから、あとは自分で探すしかないんじゃない?」
「まあ、海の近くにいりゃ見つけてくれるだろ」
気楽に言ったラウトの手に力がこもる。
気付けばじっとりと汗も滲んでいるのが伝わってきて、思わず手を離す。
しかししっかりと握られた手は繋がったまま。
「…なに?」
じとっと睨み付ければ視線を合わせようとはしない。
「離してくれます?」
重い腕を持ち上げて上下に振るも気にした様子もなく素知らぬふり。
「あんたあたしに恩を感じてるって言わなかった?」
「勿論感謝してるさ!」
勢い任せに振り向いて、眼光も鋭くナルの目を見つめる。
「感謝ついでにもう一つ…」
「断る!!」
皆まで言わせてたまるものかと被せた言葉に、信じられないとばかりにラウトは目を見開く。
「まだ何も言ってねえだろ」
へにょんと崩した様相を見せてもナルの表情は厳しいまま。
「あたしができるのはここまで。人の生き死にに対しての責任は持つけど、そこから先は所詮他人事だし」
「拾った生き物は最後まで責任もてって言うだろ」
「犬かあんたは。最後っていつだ、死ぬまでか?」
「じゃあこうしよう!」
名案だと笑った顔に、ナルは嫌な予感を覚える。
「結婚しよう!!」
ナルは無言でラウトの顔面を殴り付ける。生まれて初めてグーで殴った衝撃に、耐える事なく蹲る。
人を殴れば殴った方も痛いんだと、青春もののドラマで言っていたのを思いだしたが、それがまさかメンタル面じゃなく物理的に作用するとは予想外だ。
けろりとして頬を指先で撫でているラウトを睨み付ける。
差し出された手をとり引っ張りあげられたナルは、そのまま何かを握らされる。
「いいか、ナル。自分より強い相手を殴る時は何か棒状の物を握り込め。固いものじゃなくて良いから、しっかり拳の隙間が埋まるものがいいな。それで威力は格段に上がる」
通常人は無意識に働く自己防衛本能により、全力で殴る事を躊躇する。それを戸惑いなくリミッターを外したナルに、ラウトからの心からの賞賛が贈られる。
「こうやって握り込んで、あとは全体重をかけて相手をぶん殴れば良い。力がうまく伝われば痛さも軽くなる」
分かったかと促され、返事の代わりにラウトの襟首を引き寄せる。
下がったそこを起点にして右腕を振りかぶり、全体重の乗った拳を一気に撃ち抜く。
「ガフゥッッッ!!」
倒れはしなかったものの、強烈な一発をもらったラウトは、その場で小さく鑪を踏む。
「うん、確かにさっきより良い」
拳の状態を確認しながら、一度目より確かな手応えを感じたナルは、少しだけ頬を赤くしたラウトに言う。
「あんた喧嘩強い?」
「お…? おう、まぁそうだな」
「じゃあさぁ…、」
出された条件にラウトはニヤリと笑い、それを了承ととったナルは右手に握っていた木片を後ろに放り投げる。
二人同時に差し出された右手をしっかりと結んでナルは言う。
「よろしく、先生」