苦悩の道化
ひどい頭痛だ。
雪菜は悩んでいた。
周りに合わせて動きまわっている道化でしかない筈の自分が、野崎との一件以来、彼と交わす会話が楽しみなのだ。
しかし、雪菜はそれを認められなかった。
嫌なのだ。
彼を否定するようで、道化の自分を否定するようで…。
今までは感じることもなかった。
故につらすぎるのだ。
何もないと思っていた箱の中にはあまりにもたくさんのものがありすぎた。
それは彼の秘密、それはアイツとの出会い、それは感情との接触、それはそれはそれはそれは…。
あまりにも彼女を変え過ぎた。
雪菜は苦しんでいた。
いつものように周りの誰かに決定権を委ねたかった。
今すぐ誰かに尋ねたかった。
当てようの無い感情は彼女の心を蝕んだ。
「私はどうしたら…。」ふと呟くが、そこに和正はもう居ない。
「少し疲れているのかも…。私が周りを気にするなんてありえないもの。」そう自分に言い聞かせるように言い、雪菜は寝床についた。
幼い頃から持っているお気に入りのうさぎの人形を抱きながら雪菜は窓の外を見た。
すると何かを見つけてため息をついてから自嘲気味に言った。
「まるで私ね…」そう呟いた先には、星ひとつ無い虚無の夜空が広がっていた。
…「昨日は獅子座流星群が流れ…」毎朝、朝食の時に聞くアナウンサーの声で目が覚める。
翌朝、雪菜が眠気まなこで起きあがりリビングへ向かうと母がニュースを見ていたが、部屋に入って来る足音で雪菜に気づいた。
「まだ学校に行ってなかったの?」
「え?」言われて思い返す。
なんでアナウンサーの声が今聞こえるのだろう。
「まっず、遅刻しちゃう!」急いで家を出て学校へ向かう。
道中で中学生らしい体躯の女の子が何かに焦っているのを見つけ、歩調を緩めてそちらに目をやる。
よく見れば、自分と同じ高校の制服を着ている。
雪菜は念のために聞く。
「どうしたの?大丈夫?」すると女の子は
「ちょっと筆箱を忘れてしまって…。」と言って頭を掻いた。
「はいこれ、使っていいよ。昼休みに屋上にいると思うからその時に返して。」そう言って筆記用具を渡し、急いでいることを伝えて雪菜は学校へ急いだ。
昼休み、屋上は晴れ晴れとしていたが、雪菜は対象的だった。
「今朝はありがとうございました。」今朝の女の子だ。
ここまではわかる。
「やぁ、友達はいなくても後輩はいるんだね(満面のにやけ顔)。」なんでこいつがいるんだろう。
野崎を見ながらそう思う。
「そんなあからさまに嫌な顔をされると照れるなぁ。」野崎はあっけらかんとしていて、例の如く雲の掴みどころがない。
「それにしても驚いた。君も僕と同じで友達も後輩も先輩すらいないタイプだと思っていたのに、まさか昼休みにまで会いに来る後輩がいるなんて…!」
「イラッ」雪菜はわざとらしくぼそりと言った。
「そういうことは感情を乗せて言おうよ。というか口で言うことではないよ?」野崎は軽快にコメントをしていく。
やっぱりこいつとの会話は少し楽しい。
雪菜がそんなことを思ったとき。
「お、お、お二人は、ご、ご交際なされてい、いるのですか?」女の子が突然そんなことを言いだす。
「「…チガウ。」」こればかりは気が合ったようで、息ぴったりに言う。
微妙な空気を立て治そうと野崎が切り出す。
「君の後輩だろう? 彼女、なんていうんだい? 」
「私も知らないは。今朝初めて会ったし。」そうして今朝のことを話した。
もちろん寝坊についてはふせて。
「…雪菜ちゃんが後輩思いの良い子に育ってくれてお母さん嬉しい。」野崎が薄っぺらい一人芝居をしているが、雪菜はそれをさも当然のようにスルーする。
「私の名前は冴木雪菜二年生よ。」
「私は飯田小町です。一年です。今朝は本当にありがとうございました。」すると野崎が
「え?君があの飯田さん? 柔道部インターハイの立役者の飯田小町さん? 」
「あ、はい。多分その飯田です。ええと…」
「野崎涙、二年生。ルイは涙と書いて涙です。有名人に会えて嬉しいよ。彼女を宜しく。」お前は私のお母さんか! などと思いながら、雪菜は再度飯田を観察した。
「『本当にこんな子が』みたいな顔をしてるけど平気かい? 」図星だった。
どうしてこいつは私よりも私を良く見ているのだろう。
チャイムがなり、飯田と別れて二人は教室へと戻った。
教室へ戻るとクラスメイトの視線が集まる。
「野崎と冴木さんって付き合ってるの?」誰かが言う。
「違うよ。」内心、面倒なことになったと思った。
おそらく野崎もそうだろう。
とりあえずその場は授業の用意を理由にはぐらかした。
放課後まで時間は流れた。
こいつは誰だったか、クラスの不良児で名前は…。
わからない。
それもそのはずだ。
雪菜は今までに一度たりとも彼と話したことがない。
雪菜が話すのは最低限の人間であり、必要以上の関係は築かない。
これもまた、雪菜の感情が不完全な証明のひとつともいえるのだが…。
彼が言うには、野崎との間に関係がないのならば自分と付き合って欲しいとのことだった。
しかし、名前も覚えていない彼に愛情を向けることは出来ないうえ、雪菜はまず、向けるべき愛情を持ち合わせてもいない。
「ごめんなさい。」ただ一言、それだけを告げてその場を去った。
名も知らない彼はその言葉をフラれてしまったのだと捉えたが、偶然通りかかってしまい、遠目から見ていた野崎はそれを酷く辛く感じた。