野良猫ボーイ
「数百円の買い物で一万円札出す時さ、あんたなら謝る?」
「謝りますね。お釣りが多くなって店員さんに申し訳なくなりますから」
「そんなもんかねぇ。別に悪いことじゃねぇのに謝るやつ多すぎんだよな」
カーペットに座り込んで、なんとも他愛もない話を君は口にした。NOと言えない日本人の特徴じゃないかな、なんて思うけど。優しさだよ、優しさ。それに君のように突然人の家に上がり込んで感謝の言葉も出ないとっても失礼な人もいますから。
「明日は行くの?」
「起きれれば。あんたは?」
「わたしは君みたいに日数足りてれば〜、なんて不真面目な考えじゃないの」
「だろうね。あんた、見た目も中身もクソ真面目なの滲み出てるし」
「はいはい、面白みがなくてごめんなさい。寝ていくのか出てくのか知らないけど、最後電気は消してね」
君がわたしの家に来るようになってもう二ヶ月が過ぎる。気分次第で転がり込んできて、目的もなくゴロゴロして。まるで野良猫だ。
「よく家に男招いといて寝れるよなぁ」
「招いてない。勝手に入って来るんでしょ」
「ははっ、確かに」
「…… 朝ごはんは?」
「作ってくれるなら」
「…… 一人分も二人分も、たいして変わらないから」
「さんきゅ。おやすみ」
「…… おやすみ」
そう言って、わたしは隣の部屋に移動した。明日の朝食を考えながら。
♦︎
初めて君が家に来た日。近くのコンビニで座り込む君を見かけて、声をかけたのが全ての始まりだ。君はわたしを知らないようで、警戒するように睨まれたっけ。 怖がりなわたしは失敗したと思ったけれど、具合が悪そうだったから。見て見ぬ振りは出来なかったんだ。
「…… 家、来ますか? 狭いですけど」
「…… 行く」
その答えを聞き、君のそばに近づいて気づいた。お酒の匂い、具合が悪そうなのはアルコールのせいだったのか。
君は家に着くとすぐにトイレへと駆け込んだ。…… はぁ、掃除が大変だ。聞こえる悲鳴にも似た音に気分は落ちた。しかし、声をかけたのはわたしだったから。自業自得と思うしかない。
「うー、頭痛い」
「水飲んで。少しはマシになると思うから」
「…… ありがと」
まだ調子は悪そうだ。お願いだからこの場では吐かないでね、そう願いながら君のことを見ていた。
「…… なに?」
「いや、その。飲み会とか?」
「…… ヤケ酒」
「あ、そう……」
「………… あんたさ。俺のこと知ってるの? 知らないなら、相当軽い女だな」
…… なんて失礼な。優しさで助けてあげたのにそんな言い方はないんじゃないかな。確かに、大学では学科が違うから顔合わせるなんてほとんどないけどさ。君が悪目立ちしてるから一方的に知っていただけ。わたしのことを知らないのも当然。でもね、感謝される理由はあっても…… か、軽い女って。
「同じ大学ですから」
「へぇ。知らないな」
「そうでしょうね。 …… 大丈夫そうなのでわたしは寝ます。最後、電気だけ消してくださいね」
「…… よく寝れるな」
「眠いですから」
「いや、そういう意味じゃ。 …… まぁ、いいか」
それが君とわたしの、最初のきっかけ。
♦︎
「………… 」
寝顔は子供のようだ。人の家だと言うのに安心しきったところは嬉しいような失礼なような。複雑な気持ちになる。
「朝ですよぉ」
「…… ああ、おはよう」
「おはようございます。朝ごはん、できてます」
「ん〜」
ゆっくりと体を起こし、目の前のテーブルに並んだ朝ごはんに目を向ける。
「…… 朝はパン派だって、前言った」
「そうですか。いつ来るかも分からない人のために用意する気はありませんので」
「…… 冷たいね」
「失礼な、出来たてですが?」
不満そうな表情をしながらも、箸を手に持ってなぜか正座に座り直す。育ちなのか、変なところで礼儀正しい部分があるようで。
「「いただきます」」
……感想も愚痴も求めていない。ただ、君の食べる姿を気にはする。
「…… なに?」
「いえ、慣れたかなと」
「あー、まぁ。居心地はいいぞ、この部屋。ちょい狭いけど」
そうではなくて。声に出そうとしたけれど、何気なくそれを食べたから言わなかった。
甘い。砂糖でも入ってんの?
初めて君に朝ごはんを作った時。卵焼きを食べてそう言われた。わたしには甘い卵焼きは普通なので、なにを言っているんだと思ったけど。こんなん卵焼きじゃない、なんて言って醤油をドバドバかけてたっけ。そんなことしたらしょっぱすぎると言った気がする。でも、卵焼きはしょっぱいものだと平気で食べてたっけ。
それが今は、醤油なんて必要ないと言うように普通に食べている。甘い卵焼きも、好きになってくれたかな?
「「ごちそうさま」」
「わたしはこのまま出ますけど」
「あー、俺も出ようかなぁ」
「…… 学校に?」
「え、なんで?」
なんでって…… 君はなぜ進学したのですか。勤勉家になれとは言わないけれど、最低限はしましょうよ。
「…… 別の人のお家ですか」
「だろうな。ほら、暇人はどこにでもいるもんで」
「………… 女の人ですか」
「お、なになに、ついにヤキモチ?」
「まさか。あの時みたいにフられてヤケ酒した後に来られたら困るので。大変なんですよ? 掃除って」
「あー、それはごめん」
絶対に悪いと思ってないですね。
♦︎
当たり前のように君は大学には来なかった。一緒に家を出て、フラフラとどこかへ行ってしまった。本当に自由な人だ。そんな人を家に入れてるわたしもどうかと思うけど。
…… 依存するのが怖いと言っていた。特定の誰かを作るのはもうこりごりだと。初めて会った日、お酒に溺れてた理由。あの日彼は、付き合っていた人に裏切られたらしい。フラフラしてる自分を支えてくれる、いい人だったらしい。信じてた人に裏切られるって、どんな気持ちなんだろう。わたしには分からないけど、だけど。
君でも、怖くなるくらいに。辛くて、痛いものなんだと思う。 わたしには分からない、分かってあげられない気持ちを彼は一人で抱えてるんだ。
♦︎
「お、帰ってきた」
家の扉の前に座り込んでいて、よく通報されませんね。というか、来るなら事前に連絡をするのが常識だと思うのだけど。…… 連絡先、知らないから無理か。
「今日も寝ていくんですか?」
「いや、出てくよ」
「そうですか。なら朝ごはんはいりませんね」
「うん。てか、もう用意しなくていいよ。部屋探すことにしたから」
…… 本当に自由な人だ。当たり前になりつつあったことを平気で壊して。なんて言えばいいか、分からないじゃないですか。
「流石に迷惑かけすぎかなって思ってさ。バイト代もあるし、そろそろな」
「…… 別に、迷惑なんて思ってません」
「気を使わなくていいって。俺みたいなの苦手でしょ? ほんと、ありがとな。もう来ないから安心して」
なんですかそれ。決めつけないでください。確かに、失礼で常識知らずだとは思うけど。…… 苦手だったら、そもそも家に入れたりしないです。
「…… 卵焼き!」
「卵焼き?」
「作ってくれる人、いなくなりますよ?」
なんだそれ。別に卵焼きにつられて来てたわけじゃないのに。何が言いたいんだ、わたしは。
「あー、まぁ。…… 美味い朝飯を失うのは悲しいかな」
「………… 」
そんなこと、今言いますか。
「まぁ、そんだけ。それじゃあ、今までありがとな」
そう言って、君は出て行こうとする。でもわたしは、それが嫌だ。だからーー
君の背中に、抱きついた。
「…… えっと、離してもらえます?」
「離しません」
「いや、離そうぜ?」
「嫌です、離しません」
離したら出ていくんですよね。だったら、離す理由がないです。
「あのね。俺、前言ったじゃん? もう誰かに依存するの嫌なんだって。だから、ね?」
「…… 分かってます。君が、女の人とそういう関係になるのを避けてるのは」
「分かってるならさ」
「…… 卵焼きを、作ります。君が美味しいって言った、甘いのを」
「…… はい?」
いつ来てくれてもいいように、部屋の掃除は欠かさずしてました。冷蔵庫にも、二人分の材料を常に用意してました。まだ暑いから、床に寝っ転がるだけでいいかもしれないけど。これから寒くなるから、タオルケットも買っちゃいました。 冬になったら、コタツなんてあったらいいかなって、考えたり。
「なので! …… もう来ないなんて言わないで。いつでも、来ていいですから」
ああ、もう。ぐちゃぐちゃだ。情けない、こんなのわたしらしくない。きっと君は、わたしがこんなことするなんて思ってない。でもね、二ヶ月くらいでこんなになるくらい。
君は、わたしにとって必要なんだ。
「…… 俺はわがままです」
「…… はい、知ってます」
「こんな風にあんたに言われても、フラフラと他の女のところに上がりこんだりします」
「…… 最低です」
「ね? だから」
「それでも好きです。…… 大好きです」
君が他の人の家に行っちゃうのは、我慢できる。君は、野良猫だから。でもね、わたしのところに来なくなるのは、嫌だよ。
「…… 困るね。俺、もっかい裏切られるのは耐えれる自信ないけど」
「大丈夫です。わたしは男の人と付き合ったことないので」
「…… クソ真面目」
「真面目だから、裏切るなんてしません。…… ここに入れるのは、君だけです」
君の他に、こんな気持ちになることはありません。
ぐぅぅぅぅ。お腹の音、おっきな音。
「…… ご飯、食べますか?」
「あー、うん。 お願いします」
君は諦めたように身体の力を抜いて。わたしも、抱きついていたおっきな背中から離れた。
♦︎
「「いただきます」」
無くさずにすんだ、この時間。単純なわたしには、これだけで嬉しくて。
「…… なーんでこうなるかな?」
「予想外ですか?」
「だってあんた、そんな雰囲気なかったじゃん?」
「すみません。好きな人がいたことはあっても、すぐに無理だと諦めてきたので」
「…… あんたさ、そういうの無自覚?」
「なにがですか?」
「だってそれって俺のこと…… まぁいいや」
なにを赤くなっているんですか? 恥ずかしいのはこっちなんですよ。今まであんな風になったことないんですから。
「あ、ちなみになんですが」
「ん? なに?」
「君は今まで通りにしてください。友人関係は大切ですから。女の人でも、大事な付き合いはあると思うので」
「…… それって、嫌じゃないの? 俺が他の女といるってさ」
「それは君の自由ですから。そのかわり…… ちゃんと、わたしの所にも来てくださいね?」
君がどこに行こうとも、ちゃんと帰って来てくれるなら問題ないです。君は野良猫、のらりくらりと好きなところへ。そんな部分も含めて、君のことが好きなので。
「…… そう言われると、なーんか面白くないなぁ。俺が軽いやつみたいじゃんか」
「君が言ったんですよ? 依存するのは怖いって」
「言ったけどさぁ」
「なので依存しなくていいから頼ってください。わたしはここにいますから」
そう言っても、どこか不満な顔のまま。軽いやつと思われたのが嫌だったかな? …… 君も、初めて会った時わたしに言ったのだけど。覚えてないか。
「ちょい」
食べ終わった食器を片付けようとしたら、手招きをされた。
「なんで…… っ!」
「…… はい。ごちそうさま」
…… ハンバーグの味がする。食べたから、当然か。でもですね、そんなことは今は置いときます。
「ノーカンです。不意打ちなんて。わ、わたしからします」
「拒否します。ぜってー時間かかるから」
う。こ、心の準備はどれだけ時間をかけても別にいいじゃないですか。
「さて! 寝よっかなぁ」
「お友達と約束してるなら行ってもいいですよ?」
「はぁ?」
「だって、今日は泊まる気なかったじゃないですか」
「…… 約束なんてしてない。それに、俺は好きにしていいんでしょ? だから、好きにさせてもらう」
そう言って寝っ転がり、テレビを見始めた。ほんと、野良猫みたい。
泊まるなら、明日の朝ごはんは何にしようかな。 一つはもう、決まってるけど。
君が好きな、甘い卵焼き。
終




