4話 ものぐさな賢者
久々にやってきた魔の森は相変わらず変わりがなかった。
よく考えると、この場所へ来るのは本当に久々かもしれない。ヘキサが伯爵をついでからは特に俺が手を出さなくても、領地の管理は問題なくなったからだ。
時折、現状報告は受けたりもしたが、実際にここまで足を運んではいない。
訪れた賢者の屋敷は、店と住む場所が一体化しているにも関わらず、それほど大きなものではなかった。
本当に魔の森と堺とも言えるような場所に建てられた家には、さりげなく薬屋という看板が貼られていた。さらにドアノブには、閉店のカードがかかっている。
事前の情報によれば、この薬屋は基本閉店で、気まぐれ開店という、店としてどうなのだという運営をしているそうだ。このあたりのやる気のなさも、【ものぐさな賢者】という名前を付けられた原因かもしれない。
ただ閉店と書かれていても賢者とその子供は住んでいるそうなので、俺は扉につけられた鈴を鳴らした。時折本当に外出していたりもするそうだが、早朝ならまず居るだろう。
思った通りしばらくすると足音が聞こえ、扉が開いた。
「あの、今日はお休み――」
「やあ、賢者様」
俺の姿を彼女は目に写した瞬間、大きく見開いた。
そして顔を青ざめさせ、無表情ながらも若干引きつった表情を取る。……前回会った時といい、そんなに俺に会いたくないのか? 少し腹立たしくもあるが、いっそここまで嫌われているなら、それはそれでありだと思うことにする。既に嫌われているなら、これ以上嫌われようがないのだから。
「……本日は、どのような用事ですか?」
他人行儀な反応からは、逃げだしたいという思いがひしひしと伝わってくる。
すぐに本題に入ってもいいのだけど、あまりに腰の引けた様子に構い倒したくなり、俺は笑みを浮かべた。本当に面白い子だ。
「用事がなければ来てはいけない場所なのかな?」
「い、いえ。そんな事はありませんが……一応、ここは薬屋ですので」
それは知っている。
既にリストから聞いていたし、看板も出ていたのだから。でも俺はあえて知らないフリをして、オクトの反応を見てみることにした。
「あれ?薬屋なんだ。俺の同僚がね、賢者がアイス屋を開いていると言っていたんだけどなぁ。それから、図書館でも働いているそうじゃないか」
学生時代だけかと思ったのだが、そうではなく、今も図書館で働いているともリストから聞いた。
薬屋を営みつつ製菓業務をし、図書館でも働く。確かに先生が生き急いでいるというのも頷ける。ものぐさと呼ばれる割に、彼女の働き方は全然ものぐさからは程遠い。何か理由があるのだろうか。
お金の方は、以前彼女が開発した蓄魔力装置の特許料だけでも十分暮らしていけると思うのだが、どうしてそんなに働いているのだろう。
「あー……アイスの方は兼務をしてまして。図書館は、学生時代にお世話になった先輩のお手伝いをしているだけで働いているわけでは……」
オクトはボソボソと小さな声で俺の質問に答える。
アイスが兼務で、図書館は手伝い。確かアイスの方はオクトが作ってはいるが売っているのは別とも聞いた。もしかしたらこの子は、気が弱そうだし、押しに弱いのではないだろうか。
俺には正直理解できない人種だが、頼まれたら断れない性質のヒトというのは確かにいる。何となくだが、この子もその類な気がしてきた。
「へぇ。なら俺の後輩というわけだ」
「……そう……ですね」
元々あまりしゃべるのが得意ではないのか、上手くオクトとの会話が続かない。それでもオクトが答えてくれるのが嬉しい。俺の事が嫌いなのかと思ったが、そうとも限らなさそうだ。
「ただ、あの。今日は店が休みなんですが……」
「そうなのかい?」
もちろんそれはさっき確認したし、リストからも事前に聞いている内容だ。
オクトが会話を終了させてしまおうとしているのを感じてとりあえず恍けておく。人と長く会話したいなんて経験があまりないので、どうしたら上手く伸ばせるか分からない。それでもこのまま終わらせてしまうのは嫌だ。
なので俺はするっとオクトの終了させようとする言葉をかわす言葉を必死に考える。
「ならちょうど良かった」
「えっ?」
「今日は別に薬を売ってもらおうと思ってきたわけじゃないんだよね」
薬屋は休みでも俺的にはまったく問題がないという話にしてみると、オクトがギョッとする。そう来るとは思っていなかったらしい。
「あのですね……」
「君の事がもっと知りたくて来たんだ」
次の瞬間オクトが扉を閉めようとしたので、俺はとっさにその手を止め、足を中へねじりこむ。するとオクトが顔を青くした。……なんだろう。俺がオクトに興味を示す事はそんなに彼女を恐怖のどん底へ落とすようなものなのだろうか。
「酷いな。そんな急いで閉めなくてもいいじゃないか。俺は純粋に君と魔法について語りたいと思ったんだよ」
どんな言葉だったら彼女も興味を示してくれるのだろうと考えつつ俺は正直な気持ちを伝える。とにかく今は彼女と話したくて仕方がなかった。
「いや、だって……。――魔法ですか?」
「そう。蓄魔力装置は君が作ったんだよね?」
オクトは魔法という言葉に反応した。
先ほどよりは少しだけ表情を緩め頷く。オクトは精霊魔法という特殊な魔法を扱うほどに魔法に精通している。きっと、魔法の理論を話し合うのは嫌いではないはずだ。
「それに誰でも使える転移魔法装置、同じく誰でも使える冷却箱など、魔法を知らなくても使える物を開発していると聞いているよ」
「……誰でも使えるというのは語弊がありますが」
オクトは困ったようにそう言うが、俺が怖いともまた違う表情になった。
褒められて困惑といったところか。しかし彼女の実績は明らかに賞賛に値する。褒められ慣れていないとは思えないのだけれど……。
それとも、混ぜモノである事で、彼女は正当に評価を受けられずにいるのだろうか。
「俺は常々、魔法が特別なモノで魔法使いや魔術師しか使えないのはおかしいと思っていたんだ。莫大なお金を使って研究するなら、大衆の為であって欲しいとね。魔術師ですら攻撃魔法こそ一番だと思っている馬鹿が多くて嫌になる」
「はあ」
もっと普段の生活に即した魔法であればいいのに、国がお金を払って研究をするのは軍事用だ。そこから転用して一般に広がるような魔法がないわけではないが、彼女のように【魔術師】であるにも関わらず、攻撃魔法以外を極めていくモノはほぼ皆無だ。
資格のない魔法使いは、魔法を芸として使うモノもいるが、大抵の魔法使いは理論というより、より魔力が大きいものほど凄いという力技だけのモノが多い。
それは俺が望むのと少し形が違った。
「だから君が……ああ。そうだ。同窓なんだし、俺の事はアスタと呼んでくれないかな?」
ふと、俺はオクトの事を名前でまだ呼んではいない事に気が付いた。
かといって、心の中でないらいざ知らず、いきなり名前を呼び捨てにするのは失礼だろう。できるならオクトと仲良くなりたいのだ。悪印象は避けたい。その為先に俺の方が名乗る事にした。
それに、できる事ならオクトには俺の事を愛称で呼んでもらいたい。
「えっ。いや、そんな……」
期待を込めてオクトを見ていると、オクトは小さくため息をついた。
「分かりました。アスタ様」
「様はいらないかな。代わりに俺もオクトって呼ばせてもらうから」
オクトとは上下関係はない。だからか、様づけされるのは違和感がある。
「オクト」
声に出すと、何故今までちゃんと名前を呼ばなかったのだろうと思うぐらい、口に馴染んだ。まるで昔から呼んでいたような気がする。
「俺はオクトが攻撃魔法でない研究をしていてくれた事が嬉しいんだ」
出会うべくして出会ったかのように。オクトと会えたことが嬉しかった。
もしかして、これが一目ぼれという奴なのだろうか。リストがよくそれを体験するらしいが、俺は生まれてこの方そんなものを体験したことがなかった。
基本的にヒトと関わるのは煩わしいと感じる為に。
「いや、嬉しいと言われましても……、私は生活の為で――」
困惑しながらも、オクトはまだ俺から逃げようとする。ただその動きは機敏ではなく緩慢なものではあったけれど。
でも俺はこの出会いをなかったものにしたくはない。
だからオクトが【頼まれたら断れない性質のヒト】であることを利用することにした。
「だからオクト。俺に力を貸してくれないだろうか?」
「えっ?力を?」
「君に助けて欲しい」
じっとみていると、オクトは流されるままに縦に首を振った。そしてすぐに正気に戻ったらしく、慌てたように首を横に振り、否定の言葉を吐こうとした。
でも、一度は肯定したのだ。
「いや。その。私の力など――」
「ありがとう。オクト」
俺はオクトの拒否など気が付いていないかのように、お礼の言葉を重ねる。
肯定以外なんて、そもそも認める気はない。
「あのですね。私では――」
「オクトォ。お腹。えっと、へったの」
店先で話していると奥から、オクトよりさらに小さな子供が出てきた。そう言えば、魔力のない、異界の子供を引き取ったと先生が言っていた事を思い出す。
「アユム、ごめん。もう少し、待って」
「そうか。オクトも朝食がまだなのか。実は俺もなんだ」
仕事前に急いできたから、すっかり忘れていた。
まあ、元々食事はとったりとらなかったりと適当だったりする。朝から人があふれた食堂に行くのは面倒だし、自炊なんてやる気がしない。
「……よければ一緒にいかがですか?」
「ありがとう」
オクトとまだ話していられるなら、賑やかな食事でも構わない。
これが恋なのか良く分からないけれど、俺はオクトの申し出に、1も2もなく頷いた。