2話 あやふやな知り合い
「誰かいないか?」
俺はオクトを両手で抱えながら、子爵邸の扉を足で開け、中に入った。
子爵邸はほぼ使っていないに等しい為、最低限の使用人しか置いていない。息子のヘキサは伯爵を継いだので、今後もそれほど使われることはない予定だ。
「お帰りなさいませ、旦那様――」
いち早く俺の声に気がついたらしいペルーラが、階段を駆け下りてきた。この子爵邸では一番若く、獣人特有の力強さでここで働いている子だ。
「――オクトお嬢様?!」
ペルーラは、俺が抱えていた少女が誰かを知っているらしく、抱えられた少女の姿を見た瞬間、素っ頓狂な声を上げた。
「ペルーラ。この子を知っているのか?」
俺とオクトは、あの事件以外で接点はないということになっている。でも俺の魔力が通った魔法陣を持っていたことといい、そうではないだろうと俺は踏んでいた。
しかし、ならばどうして俺がアールベロに帰ってから、オクトとの繋がりを指し示すものが何もないのか。それほど深い関係ではなかった可能性はあるが……。心のどこかで本当に?と疑問が湧く。
「あ、はい。以前、私がヒンケツと呼ばれる病気で倒れた時に助けて下さったのが、当時6歳だったオクトお嬢様なんです」
「6歳?」
6歳って、まだ子供もいいところというか、そんな子供が病気を治せるようには思えない。しかしペルーラは心の底からそれを信じているみたいだ。
「はい。お嬢様は当時から頭が良く、賢者でいらっしゃいましたので」
なるほど。混ぜモノであるという事といい、オクトはとても特殊な生まれのようだ。
「その話は後で聞かせてくれないか? とりあえず、まずは医者に連絡をとって欲しい。この子が突然道で倒れたから、連れてきたんだ」
「倒れられたのですか?!」
「たぶん暑さにやられただけだとは思うけれど、念には念をしておきたいから。この子は、俺の命の恩人でもあるからね」
「かしこまりました! 今すぐ連れてまいります!!」
ペルーラは、まるで自分が死の宣告を受けたかのような悲痛な顔をしたが、すぐに部屋から走って出ていった。この分だと、医者を背負い走ってここまで連れてきかねないと思う。
まあそれでもいいのだけど。
とりあえず俺はオクトを自分の寝室のベッドまで連れていくと、そこに優しく横たえた。
一応俺の部屋だけはいつ帰ってきてもいいように、メイドに掃除とベッドメイキングさせているので汚くはない。
「少し熱があるな」
額に手をやると、少し熱っぽかった。
なので闇の魔法陣を頭に浮かべ、部屋の空気の温度を下げる。ついでにタオルを召喚し、水の魔法で適度に濡らしてオクトの額に置いた。
「君は、誰でも助けるのか?」
俺とオクトの出会いは、俺が助けられたからで、ペルーラとオクトの出会いも、あの分だと助けられたからという感じがする。この細く小さな体でだ。
とても不思議な少女だ。混ぜモノというのは皆、6歳で賢者と呼ばれるほど頭がいいものなのか。俺自身オクト以外の混ぜモノと出会った事がないので、何とも言えない。
久々に他人にとても興味が湧いた。
最近は魔法の研究出すら、あまりやる気がしなかったので、本当に久々だ。
ただどちらにしろ、オクトが目を覚まさなければ俺も彼女の事を知る事は出来ない。
空調は調節したが、服がこのままでは寝苦しいだろう。かといって、幼くても女の子だ。俺が着替えさせるのはマズイと思うぐらいの常識はある。
「とりあえず、襟元だけでも緩めるか」
このままきっちり着込んでいたら苦しいだろうと、上の方のボタン外し緩める。
すると、首に何やら紐が引っかかっているのが見えた。何だ?と引っ張り出してみると、どうやら手作りのお守りの様だった。
少し古ぼけ汚れたお守り袋。肌身はなさず持っている所を見ると、大切なものなのだろう。
普通だったらそっと元にしまう所なのだが、何故だか不意に魔が差した。何となくお守り袋の中身が何なのかが気になり、オクトが眠っている事を言い事に封を開く。
とんでもないものが入っているとは思わなかったが、お守り袋の中身は予想と違いただの紙だった。何が書いてあるのだろうと開いた一つ目の紙には、魔法陣が描かれていた。……これは――。
「追跡魔法?」
そこに描かれている魔法陣は追跡用のものだった。それと同時に、この魔法陣が俺の魔力と繋がっている先だと気が付く。
何故?
ぽつりと俺の心の中に染みを作る。
何故、この子は俺の追跡魔法の紙を持っているんだ?
相当親密な間柄だったのだろうか? それとも俺がこの子を追いかける立場だったのだろうか? はたまた、このお守りはこの子のものではなかったのだろうか?
分からない。
どんどんあふれてくる疑問に俺は答える術がない。何故ならその記憶は一切存在しないからだ。ただ一つ分かるのは、オクトが俺に対して何かを隠しているという事だけだ。
やはりあの日俺を助けたのは偶然などではない。オクトと初めて出会ったのが、暴漢に襲われた場所だなんて嘘だ。何故そんな嘘をつく必要があるのか分からない。分からないけれど、彼女が隠したものが気になってたまらなかった。
そっとお守りを終いもとに戻しが疑問が尽きる事はない。
「なあ、君は誰なんだ?」
オクトの金色の髪を指で梳きながら、俺は自分の中の足りない何かが、オクトの中ににあるような気がして、そっと問いかけた。
◇◆◇◆◇◆
「ただの疲労だよ」
俺が知るかぎり、一番信頼できる医者は、帰りがけに俺へそう伝えた。
「疲労?」
「どうもこの子は自分を痛めつけるのが趣味みたいだからな。まあ、一緒に住んでくれるモノできて少しはマシになったとは聞くがな」
「一緒に?」
誰が?
その事が気になってすぐに、彼女の交友関係を俺が知るはずもないのだと思いため息をつく。そもそも、オクトと誰が一緒に住もうと俺には関係のない事。
ただソイツがオクトが倒れそうなぐらいにも関わらず、気が付きもしないのだとしたら、何となくムカついた。こんなに痩せてよろよろなのに……俺だったらそんな事はしない。もっと大切にする――。
と自分でここまで考えて、首を横に振った。何かがおかしいと。
そもそもオクトと俺は一応2回目の再会というだけで、そんな家庭環境に首を突っ込むほど仲がいいわけではない。
「どうやら異界の子供を引き取ったらしいぞ」
「異界の?」
「真偽のほどは知らんがな。混融湖に流れ着いた魔力をまったく持たない子供らしい」
「そう言えば、何で先生が彼女の事を知ってるんだ?主治医なのか?」
ペルーラに続き再び俺の知り合いで、オクトを知っている人。
俺はあまり他人と仲良くなったりしないので、あり得ない事ではない。それでも何となく引っかかる。
「この子が以前図書館で働いていたからだよ。私が館長の主治医だった事は知っているだろ。彼女は館長のお気に入りだったんだ。時属性の魔力を持っているらしくてな。後継者と考えてたようだ」
館長の後継者。
再び俺の知り合いの名前が出る。でも確かオクトはウィング魔法学校出身だったのだから、館長と知り合うこともあるだろう。ただ後継者と思われていたなんて……。
「あの頃から、自分の事に無頓着な娘だったが、最近はそれに輪をかけて酷い状態でな。蓄魔力装置を開発して、そこから得られる利益だけで生きていけそうなものなのに、生き急ぐように働いているんだよ」
「蓄魔力装置って、アレだよな。魔法石の効率化を産んだ」
俺が失った数年間の間に発明されたものだ。
ただ凄いのは蓄魔力装置というよりも、その考え方。今まで平面でとらえていた魔法陣を立体で考えるきっかけをもたらしたのがそれだ。魔法石の並列つなぎと直列つなぎの法則を見つけ出したのが彼女だったとは。
一体この子は何者なのだろう。
ペルーラが賢者と言った言葉が頭に蘇る。
「何だ。お前さんならその手の話は知っていると思ったんだがな。魔の森の麓に住む、幼い姿をした変わり者の賢者。賢者は薬を生業にしているが、彼女が使う魔法はとても素晴らしく独特な発想をしている。そして自分でも多種多様な魔法が使えるのに、7種もの精霊と契約した変わり者。自分の事に関しては指一本動こうとしないからか、ものぐさな賢者と呼ばれている。結構有名だと思ったんだがな」
最近は出歩く事が極端に少なくなった為、俺は今まで以上に噂話に疎くなっていた。
職場のリスト辺りなら女好きだし、ペラペラとその手の噂を喋りそうなものだ。しかしアイツも知らないのか、それとも興味がない内容なのか特にそんな話を俺にしてくることもなかった。
「魔の森って、アロッロ伯爵の領地にあるアレか?」
「アレが何を指すか知らんが、お前さんの故郷の森だよ」
迷い込んだら出られないと言われる魔の森は、俺が生まれ育ち、今は息子のヘキサが収めている領地の端にあった。
誰も入る事ができない代わりに、他国からあの森を使って侵略されるという事もない為、ある意味守り神のような場所でもある。そんな俺と所縁がある場所に彼女が住んでいたなんて。
ただそんな場所に住んでいるとなると、もしかしたらヘキサとも知り合いかもしれない。
何故だろう。
俺の知り合いがこれほどまでにオクトの事を知っているにも関わらず、俺が一切オクトを知らないという現状は。
やはり、彼女には何かがあるように思えてならない。
「先生。他に彼女について知っている事はないか?」
彼女が知りたい。
俺の中でその想いが強くなる。俺だけが彼女を知らないだなんて――そうか。もしかして、本当の意味で俺だけが知らないんじゃないか?
正しくは知らせないようにしている。
何の為かは分からない。でもそうだろ。息子のヘキサは、領地で変わったことがあれば、俺に連絡をしてくる。オクトはヘキサの中では変わった事ではないのかもしれない。でも彼女が有名な賢者なら、まったく話題に出てこないのはおかしい。
「私に聞くより、彼女に直接聞いた方がいいだろ」
「それは詳しくしゃべる事を禁じられているからか?」
「馬鹿馬鹿しい質問だな。禁じられていたら、はいそうですと答えられるはずがないだろ」
そう言って肩をすくめるが、つまりは『はいそうです』という事か。
「分かったよ」
つまりは自分で調べろという事だ。
先生は積極的教えてはくれない代わりに、積極的に隠そうともしていない。俺に調べて欲しいというかのように。
いつもなら誰かに乗せられるとか御免だが、今回ばかりは乗ってもいい。俺自身、彼女が知りたいのだから。
「まずはオクトと話して来るよ」
その先に何があるかは分からないけれど、そう言い俺は再びオクトが眠る部屋に急ぎ戻るために、転移をした。