1話 不機嫌な男
ああ。面倒だな。
カリガリと魔法陣を図面に起こしながら、俺はため息をついた。今回の仕事は低い魔力でも発動する、攻撃用の魔法陣の作成だが、それ自体はあまり面白くもない仕事だ。魔力の供給を抑えるというのは、どの魔術師も苦労する部分で、大抵は魔道具などで魔力の補助を行うというのが一般的だ。
ただ今回の仕事は、そもそも魔力供給が低くても使える魔法陣というもので、その仕組みを作り出す為の案をいくつか書き出し、何度か実際に実験を行うというものだ。魔道具がなくてもという部分だけは評価できるが、少量の魔力でとなると、どうしても複雑な魔法陣形成をする事になり、頭の中で思い浮かべ使うには不便なものばかりだ。
となれば結局先に描いて置く必要があるわけで。それでは道具を持ち歩くのと大差はない。
「アスタリスク魔術師、少し休憩されたらどうですか?」
同僚のリストが声をかけ、お茶を出してきた。確かに少し根を詰め過ぎている気もする。
「さっさとこの仕事を片付けたいから、後でもらうよ」
「後だと、おやつはないですよ」
この甘味大王め。
リストはかなりのお菓子好きだ。俺が怪我の治療を終え、再び仕事に復帰するようになってから、それが輪にかけて酷くなっている事を知った。
とりあえずこうやってこの部署で出てくるおやつは、リストが部署の経費で買ってきたものだ。魔術に関係ないそんなものを経費で買っていたら怒られそうなものだが、客が来た時に出すとか、甘いものを食べながら仕事をした方が効率が上がるなど色々言い訳をして、結局認めさせていた。俺にとっては口に入れば何でもいいのだが、甘いものは確かに仕事を続けていると食べたくなる。
「そ、そんな目で見たって仕方がないんです。今流行りのシャーベットとアイスクリームが今日のおやつなんですから」
「しゃーべ?」
なんだソレは。
食べ物の流行りなど知らない俺は、リストの言葉に眉を顰める。大抵菓子というものはどこかの貴族のお屋敷で食べられていたものが流行るという流れが一般的だ。しかし俺は生まれてこの方、そんな名前の食べ物を聞いた事がない。
「シャーベットとアイスクリームです。魔力を使って果汁や牛乳を凍らせるらしくて、ここの店でしか買えなくて。常温だと融けてしまうので、風と水と闇の魔法で冷やしているんですけど、この魔法魔力を結構使うので、あまり長くはできないんですよ。食べるなら、今でしょという状態なんです」
「そんなものがあるのか。なら貰う」
魔法を使って、食べ物を冷やそうだなんて考える奴がいるなんて思いもしなかった。
どうしても、魔法といえば攻撃魔法の開発の方が進み、あまり普段の生活に使う方面は進歩していないように思う。
「……そうですか。アイスクリームとシャーベットどちらがいいですか?」
やっぱり2種類食べたかったんじゃないか。とても残念そうな面持ちのリストを見て呆れる。普通菓子といったら女子だろうに。
「なら、あいすという方で」
アイスクリームとシャーベットの違いが何かは知らないが、どちらでも構わない。なので先に名前の挙がった方を選んだ。
「どうぞ。かなり並んで本当に大変だったんですからね。しっかり、味わって下さいよ。絶対ですからね」
どれだけ食べたかったんだよ。
しかも仕事中に並んだんだろ、お前。隣のエルフにこの菓子を勧めるリストを見ながら、俺は渡されたアイスクリームというモノにスプーンを刺す。
氷のように冷たく、うっすら液状に融けているにも関わらず、氷のような硬さがまったくない。スプーンは想像よりも簡単に刺さった。
口に運ぶと、甘くそのまま解ける。……なんだこれ。
「氷ではないのか?」
果物を凍らせたりした物ともまた違う触感。確か牛乳を凍らせたような事を言っていたが、普通に凍らせたとしても、こうはならないだろう。
「なあ。これは何処で売っていたんだ?」
魔法でこれを作っているとリストは言っていた。しかしこれを作ったヒトは一体どんな魔術師なのだろう。氷を作るだけでも複雑な魔法だというのに、それを使って新しい菓子を作ろうとする発想が変わっている。
「港町近くの出店ですよ。今、行列ができ、これを食べる為だけに貴族が来るぐらい凄い人気なんですけど、本当に知らないのですか?」
「最近出かけてないからな」
特に外出する必要性を感じないのだ。
というか、何もやる気がしなかった。なので、そんな場所に出かける訳がない。
「引きこもりめ」
「お前も似たようなものだろうが。俺の場合は襲われた時の傷が疼くんだよ」
エンドもまた同じように、あまり寮から出歩くタイプではないので、ヒトの事は言えないはずだ。
「えっ? そうだったんですか?!」
「ああ。どうにも調子が出ないからな。刺された場所というか、胸のあたりが時折痛むんだ」
傷跡は残ったものの、傷はしっかりとふさがった。それでもふとした拍子に痛む。
「痛むって、どんな感じなんです?」
「締め付けられるみたいだな。それから穴はないはずなんだが、どうにも空虚な感じが消えないんだ」
あの時俺を助けてくれた少女なら、解決策も知っているのだろうか。
たしかあの子もアールベロ国出身だと言っていた。ドルン国で一度会ったきり、まだ会った事はないけれど……もう一度会えないだろうか。
「……それなら、仕方がないですね」
「そうだな」
そんなのは気のせいだとか、怠け病だと言ってくるかと思ったが、2人ともあっさりと納得した。
「良ければ、もう1つ食べます?」
しかも妙に気遣われている。甘味にかけては右に出るモノなしのリストがお菓子を差し出すなんてよほどの事のように思う。
「なあ、お前ら。俺に何か隠してないか?」
ただ何を隠すというのか俺にも分からないけれど。
「心配してるだけですよ。アスタリスク魔術師は死にかけたわけですし。それに最近アスタリスク魔術師、イライラしていますからね。皆早く元気になってもらいたいんです」
リストは人好きのする笑みを俺に向ける。心配していること自体が怪しいのだが、実際俺の怪我はあの少女が居なかったら死ぬようなものだったらしい。その為、気遣われてもおかしくはなかった。……でもな。
「ね。エンド魔術師」
「……ああ」
エンドは俺の方を見ることなく頷く。エルフは無駄に純朴というか真っ直ぐだ。それなのに、俺の方を見ずに話す事自体おかしい。
「絶対嘘だろ。そして、俺はお前に心配された方がイライラする」
「だろうな。だから心配はしていない」
エンドは俺の方に顔を向けると、表情をピクリとも動かさず言った。ムカつきはするが、その方が安心する。俺とエンドの関係は心配しあうような関係ではないはずだ。
「ただ、お前がイライラしていると鬱陶しい。さっさと結婚でもしろ」
「はあ?」
「それが無理なら、息子と一緒に生活しろ」
「嫌だ」
「お前は魔族なんだろ。独りでいるから、イライラするんだ」
エンドに言われなくても分かってはいる。
魔族とはそういう生き物だ。魔族は、誰かと過ごさなければ安定しない弱い種族。もしくは誰かに盲目的に仕える事で安定する。
クリスタルやトールと出会う前なら、魔術に没頭していればまぎれさせられたが、今はそうはいかない。
でも今更嫁、嫁と勧められるのも――いや、コイツが俺に嫁を勧めたのは今日が初めてか。それでも、グチグチと文句を言われるのは面倒だ。
「……とりあえず、出かけてくる」
「ちょっと待って下さい。今の会話で、どうしてそうなるんですか。仕事はどうするんです?!」
「取り合えず、今日のノルマ。一応全部魔法陣としては使えるけど、複雑だから、事前に魔法陣を書かないと使えないものばかりだけどな」
俺は書きあがった魔法陣の束をリストに預ける。これだけあれば文句は出ないはずだ。
「えっ。いつの間にこんなにも」
「なんなら、アイスとシャーなんとかって奴を、異界屋に行ったついでに買って来てやるよ」
この菓子を作り出した魔術師には少し会ってみたい。先ほどリストが言ったように、凍らせる魔法を持続するというのは大変だ。その上で、さらに新しい料理を作る独創性。一般的な魔術師とは違っているし、何らかの新しい発想をそこでもらえるかもしれない。
「えっ。いや。いいですよ。アイスクリームはまた僕が――」
リストは俺に借りを作りたくないのか、何か言いかけたが、俺はすべてを聞き終わる前に脳内に魔法陣を思い浮かべ転移した。
視界が若干揺れたかと思うと、俺は先ほどまでとは違い、外に立っていた。
「……先にアイスの方へ行くか」
要は保冷さえすれば事前に買っておいても問題はないはずだ。
異界屋へ行って面白いものがないか聞きに行ってもいいが、さっきまで仕事をしていたのだと思うと、やる気が起こらない。
これも怪我の後遺症なのだろうか。それともただ単に、魔族特有の病気のようなものだろうか。
「そうだ。彼女なら、判断できるかもな」
怪我の治療をした少女なら、きっと病気にも詳しいのではないだろうか。
あれ以来会ってはいないし、誰も彼女の事を知らないのか話題にも上がらないけれど。でもあの少女は確かにいて、凄い魔術師に違いない。
それに、確か俺の魔力が通ってる魔法陣を何故か持っていた人物だ。
少女の事を考えると、不意に凄い焦燥感にかられる。早く彼女に会わないといけない気がして……でもどうやる?
少し考えて俺はまだ彼女が持っている魔法陣への魔力の供給を止めていない事に気が付いた。そこから、どこにある魔法陣か逆探知できないだろうか。流石に精度は高くないが大雑把になら感じられるはず。
俺は自分が流している魔力を手繰った。そして――。
「ん? 結構近くないか?」
思ったより、その流れを近くに感じ、俺は周りを見渡す。もしかして彼女も買い物に来ているのだろうか。
確かあの子は金色の髪だったはず。耳が大き目で……背丈はどうだっただろう。流石に1年以上前の事になるので、記憶はあやふやだ。
でもふと、彼女が混ぜモノだった事を思い出す。
混ぜモノなんてそう居ない。これは大きな特徴だ。
俺は歩きながら、わずかに記憶に残っている姿を探した。ここで当てもなく探すより、一度職場に戻り、この国に住む混ぜモノを調べた方が早いかもしれない。混ぜモノという存在はそれぐらい珍しいのだ。
それでも探すのを止められず、俺は歩きまわり、そしてふと記憶に合致する姿を視界の端に見つけた。
「ねえっ」
気がつけば考えるよりも先に金色の髪の少女に声をかけていた。俺らしくない行動。でも、そうしなければいけないと何故だか思う。
「顔色が悪いけれど、大丈夫か?」
逃がさない為に掴んだ腕は折れてしまいそうなぐらい細かった。子供だからというだけでは説明できないぐらいに。
そして同時に、この少女だと思う。
混ぜモノの特徴である痣を見るまでもなく、俺が探していたのはこの少女だ。名前を呼びたい。でも上手く口から出てこない。確かに一度は聞いたはずなのに。
「……アスタ」
しかし彼女は青色の大きな瞳いっぱいに俺を映すと、まるで以前からの知り合いであるかのように、俺の愛称を呼びながら気を失った。