16話 秘匿な記憶
「なあ、ちょっといいか?」
海賊の船に乗って少しして、俺は黒髪の青年に声をかけられた。青年といっても、あまり身長は伸びなかったらしく、俺より目線がだいぶ低い。確かコイツは――。
「俺はオクトの兄のクロだけど。アンタに話がある」
俺が胡乱な目で見ていたからか、青年は自己紹介をしてきた。
アレか。アユムがオクトと仲がいいと言っていた男か。にしても兄って何だ。兄って。
オクトの兄はヘキサだけで、左目に涙ほくろがあるのが印象的な青年なんては俺は知らな――あっ。もしかして、オクトと一緒に旅芸人の一座にいた子供か?あまり覚えてはいないが、確かオクトは黒髪の少年と一緒に異界屋へやって来た気がする。
「話はなんだ?」
別に俺は話なんてないが、とりあえず先を促す。
今はオクトが料理をしに厨房へ行ってしまったので暇だ。それにこの船に乗る以上、協力をしてもらうと船長に言われたので、現在暇な時間を使って道具の運搬の魔法陣を作っていた。船長は若干の魔法の心得があるようで、簡易的な魔法陣ならば使いこなせるらしい。この船を介した道具の運搬だと、移動している場所への召喚魔法となるので、若干の微調整が必要だ。また道具の大きさや重さを変える魔法陣も欲しいそうなので、こちらも運搬用魔法陣の完成後に作成するつもりだ。質量に関係する魔法は地属性になるので、魔力の変換も必要となる。
船長の魔法の心得がどこまであるかは知らないが、できるだけ簡易に使いこなせるようなものの方が良いだろう。
「少し移動してくれないか」
ちらりと周りを見た所を見ると、聞かれたくない話なのだろう。……俺は小さくため息をついた。
面倒そうだが、これからしばらくこいつ等と顔を合わせなければいけないのだから、ある程度は譲歩して付き合うしかない。
「分かった」
俺はペンを置き、クロについていく。
クロが案内した部屋は、どうやら寝る場所のようだ。
今は全員が起きて何かをしているらしく、誰もいない。
「あのさ。アスタリスクさんは、オクトをどうしたいわけ?」
「はあ?」
部屋の扉を閉めて早々にクロがそう切り出してきた。
というか、言っている意味が分からない。オクトをどうしたいも、オクトはオクトの思うままに生きているので、俺がどうこうできるわけではない。
「……どうするも何も、俺はオクトと一緒にいるだけだけど」
オクトをどうこうというよりは、俺がオクトの傍にいたいだけだ。だからこうやってオクトについてきている。小さいころならいざ知らず、今のあの子を小さな檻に閉じ込めるのは無理だ。出不精なものぐさなくせに、身軽で簡単にどこかへ行ってしまう。
逃がしたくないなら一緒についていくしかない。
「一緒にって……。アスタリスクさんは分かってないかもしれないけど、アスタリスクさんの存在はいるだけで、オクトに凄い影響があるんだよ!」
「何が言いたいんだ」
俺の存在が、オクトに影響しているのは当たり前だ。
傍にいて、まったく影響しあわない方が異常である。特に、俺とオクトは元々義理の親子関係。今でもそれなりの影響力はあるはずだ。……まあ、何故か再度出会ったオクトは俺との縁を切ろうと躍起になっていたが。
カミュが言っていた王族にいいように使われない為とも違う気がする。そもそも、その事をカミュエル王子がオクトに話しているとは思えない。
「オクトの中でアスタリスクさんは凄い大きいんだ」
「もう少し、分かりやすく言ってもらえないか?」
だから何が言いたいのかさっぱり分からない。いや、コイツも案外、何を俺に伝えればいいのか分からず喋っているのかもしれないな。
「オクトが、今精霊魔法で死にかけているのは、アスタリスクさんを助けたからで」
「えっ?」
「責任とれとは言わないけどさ――」
「ちょっと待て。今の話、もう少し具体的に教えろ」
俺はさらりと流してしまいそうなクロの話を止めた。
今聞いた内容は、俺にはとても聞き流せない内容だ。
「今の話?」
「オクトが精霊魔法で死にかけていて、それが俺を助けたからってどういう意味だ?」
オクトの体調があまりよくないのは知っている。元々はそこまで病弱ではなかったので、たぶん俺と別れてからの間に取得したらしい、精霊魔法が原因だろうとは思っていた。
でも死にかけているなんて聞いていない。
そしてその精霊魔法が俺を助ける為だとも。
「えっ……もしかして、これ、言ったらまずかった話?」
「なるほど。クロは色々口止めされていて、俺に言いたい事が言えないわけか。よし。ここでの話は、お前から聞いた事は全て内緒にするから、全て吐け」
「って、何で、アスタリスクさんの方が強気?!」
俺に大切な事を伝えないなんて、いい度胸じゃないか。
俺はクロの頭を鷲掴みした。
「イタッ。イタタタッ。やめっ!トマト、トマトになるっ!!」
「おおっ。お前、たぶんライと気が合うぞ。アイツも俺がこうやって頭を握りつぶそうとすると、そういう表現するんだよな」
「笑ってないで、止めろ、マジで。死ぬほど痛いんだって!!」
「なら、隠し事なく全部話せ。俺はオクトの傍にいる代わりに、全部受け止めるつもりだから」
一度離れてしまった手をもう一度繋ぎとめたのだ。
何があっても離す気はない。その為なら、何だってする。多少、オクトを泣かせても、まあいいかと最近割り切る事にした。だってそうでもしないと、オクトは思いっきり、斜め上に逃げていく。
俺が手を離すと、クロは警戒してか、俺から離れた。でも馬鹿だよな。魔術師相手で剣士が勝つには接近戦しかない。魔法陣の構築が終わる前に殺るのが基本だ。まあ、早々そんな事にはならないだろうけど。
「まず、オクトが死にかけているってどう言う事だ」
「俺も良く分かんないんだけど、なんか医者の先生に言われたらしいんだよ。それを人伝で聞いた。普通精霊魔法ってオクトみたいな使い方はしなくて、かなり危険な状態らしい。でもオクト自身では上手く精霊との契約が切れないらしくて」
精霊との契約が切れないってどう言う事だ。
普通、精霊とは契約する際に事細かな取り決めを行うのではなかっただろうか。……いや、待て。そもそも普通は精霊と一対一で契約するのが普通だが、オクトの手の痣は1つどころではない。それに7属性全てと契約しているとも聞いている。
一体どういう契約をしたんだ? あのオクトが、1人づつ捕まえて交渉契約を繰り返すとかするだろうか。……まさかその場にいた精霊全員と、一括で契約したとかないよな。いや、いや。いくら自分の事になると手抜きをするオクトでも、そんな無謀なことはしないと思いたい。
ただやろうと思えばできそうなのも怖かった。わざわざ精霊を探さなくても、オクトの周りには、精霊が集まりやすい。カミュエル王子の話でようやくその理由が分かったが、どうやら混ぜモノであるオクトが生みだす魔素目当てで精霊は集まってきているようなのだ。
元々精霊は魔素が多い場所で生活する。体自体がすべて魔力で構成されているようなものだから、他の種族より魔素が多く必要な為でもある。そしてオクトはその問題を解決できるので、ちょうどいい歩く水場的に集まるのだろう。
「どの精霊とどう言う契約をしたのか――は知らないわな」
「俺は魔法とか疎いから良く分からないけど。でも、今の契約はオクトが続けたくて続けているわけではないとは聞いたぞ」
どの精霊と契約したのかも分からなくなっちゃいました……ではないと信じたい。もしもそうだとすると、かなり地道な解約方法になる。
契約したという事は繋がっているはずなので精霊もオクトの声は聞こえているはずだ。痣を使って呼び出して解約手続きをする。ただあまり離れていると、呼び出しに応じれない場合もあるだろうから精霊がどこにいるかを追跡系列の魔法陣を用いて確認し、こちらから出向くしかない。
呼びかけに応じてもらうだけでも魔力を使うだろうから、1日1人、ないし2人が限界か?いや、でもオクトの魔力の量だとどこまで体への負担なしでいけそうだ?
「まあ、そっちは、俺の方でも考えてみる。それで、オクトが俺を助けたからっていうのは、どういう意味だ?」
「……まんまだよ。えっと、アスタリスクさんは、ドルン国で刺されたんだろ? その時に精霊と契約して、アスタリスクさんを助けたと聞いたから」
俺は自分の胸に残っている傷跡に手をやった。
胸に剣が刺さっていたと説明を受けた時、俺は良く生きていたなと思った。普通はあり得ないからだ。胸を貫かれれば、普通は死ぬ。体が頑丈な獣人族でも。
そうだ。あの時。記憶を失って初めて会った時、すでにオクトは精霊魔法を使いこなしていた。
俺が記憶を失う前はなくて、でも失って初めて会った時にはもう、あの痣はオクトの腕に絡みついていたのだ。忘れたり思い出したりで記憶が入り乱れて、気が付くのが遅れた。
「ははっ」
とんだ間抜けだ。
ずっと傍にいて欲しいと思った子を、死の淵に立たせたのは俺じゃないか。自分を絞殺したいと、初めて自分自身に殺意が湧く。
「悪かったな。ありがとう」
そう言う事か。
臆病なあの子が俺から離れたのは、また俺を失いたくないという意味か。もしくは自分の所為で、俺が死にかけて、また同じことを繰り返してしまうかもと思ったからか。でもそれなら俺にもその気持ちは分かる。友人達を失った時、俺はこの失ったという空虚感を何度も味わいたいとは思えなかったから。
「って、ちょっと待て。呼び出したのは俺なんだけど?!」
部屋から出ていこうとする俺をクロが呼び止めた。
そういえば、オクトをどうする気だという質問だったな。
「どうもこうもしないよ。オクトは自由だ」
「はあ?! なんだよそれ。だったら、オクトから離れる覚悟はあるのかよ」
「ないな。オクトは自由だけど、俺も自由にオクトの傍にいさせてもらう。オクトが俺の事を好きでも、そうでなくても」
俺はどうしようもなく、オクトが愛おしいから。
この感情が親としてなのか、家族としてなのか、それともまた別なのかは分からない。それでも、この世界の何よりも愛おしいのだ。オクトと一緒にいられるならどんな関係でもいい。親子であろうと、恋人であろうと、友人であろうと、家族であろうと、何でもいい。
この命がオクトに助けられたから続いているなら、俺を殺していいのはオクトだけ。
「知らないようだから一つ伝えておくが、魔族はそういう生き物なんだよ」
1つの絶対だけは譲れない。俺の父が、母に対してそうな通り。
馬鹿馬鹿しいほどそれにつくし、つくすのを譲らない代わりに、見返りも求めない。いや、愛おしすぎて求められないというのが正しい。つくすのも許されなくなったら死ぬだけ。そういう種族なのだ。
ただ傍にいられれば、それで満足できる。
どうやら、俺の中の【絶対】の存在は決まってしまったようだ。
ここまでの想いをトールやクリスタルに向けていたか分からない。でもまたあんな風にオクトとの別れが来たら、それが俺の最期なのだろう。でもそれでいい。
もう、オクトしかいらない。




