10話 意外な客人
「アスタリスク魔術師、お客様です」
「仕事が忙しくて出られませんと言っておいて」
魔法陣の設計をしながら俺は手を振る。
今日も早めに仕事を終わらせて、家に帰る予定なのだ。だから仕事中に声をかけて来る奴などに割く時間はない。もしも相手が第一王子だったら、さっさとこの場所から逃げ出すべきだろう。
「駄目ですよ。アロッロ伯爵、つまりアスタリスク魔術師のお子さんがみえているです。一度手を止めて下さい」
「えっ? ヘキサが?」
ヘキサが俺の職場にやってくるなんて珍しい。ヘキサは律儀な性格で公私混同は良くないとやって来ることは少なかった。というか、そもそもあまり自分からは会いに来ない。……どうしてうちの子達はオクトも含め奥ゆかしいのだろう。もう少し自己主張をしてくれてもいいと思うのだけど。
「……分かった。すぐに行く」
俺は書きかけの魔法陣を机に置き、席を立った。まあ、基本的な部分はもう出来上がっているし大丈夫だろう。後は魔法陣をどう立体的な組み合わせをしてみるかだが、それはおいおいやっていけばいい。
「応接室に通していますから。ちゃんと、悩み事は聞いてあげて下さいよ」
「えっ? 悩み事?」
「違うんですか? アロッロ伯爵というか、ヘキサグラム魔術師がここに来るのは、ほぼ初めてですよね。何かアスタリスク魔術師に相談しに来たと考える方が妥当だと思うんですけど」
ヘキサが悩み?
自分ですべてを着々とこなしてしまうヘキサが?
リストの言葉は俺にとっては目から鱗のようなものだった。そうだ。俺はヘキサの父親なのだから、ヘキサが悩んでいるならば、ちゃんと相談に乗らなくては。
でもヘキサの悩み事ってなんだ?
伯爵領の方は今のところ特に問題は上がっていない。作物の成長も順調だし、なんとか今年の冬も越せる見込みだ。伝染病などが流行っているわけでもないし……。
考えているうちに、応接室へたどり着いてしまった俺は、とりあえず扉をノックし開けた。
「よ、ヘキサ。元気か?」
「……相変わらずですね。ご無沙汰しています」
ヘキサは何か言いたげな目で俺を見てきた。はて。
そういえばヘキサと会うのはいつぶりだろう。
「記憶を無くしたという割には私の姿は分かるのですね」
……ああ。そうか。
記憶がなかった期間をまるっとなかった事にすると、ヘキサはもっと幼い外見をしているはずだ。身長も低い方だったし、髪ももう少し短かったように思う。母親似の髪の色と父親似の瞳の色は変わりないが。
「既に、思い出してみえるのでしょう」
まあ、そう言う結論になるよな。
わざわざ俺は自分の記憶が戻った事は言っていないが、最近は隠しているわけでもなかった。ただ王子の命令と同じことを同僚には頼んだ。俺の記憶が戻っている事を積極的には誰にも伝えないで欲しいと。
気がつけばそれでいいし、気が付かないままでも構わない。
オクトに記憶が戻った事を伝えるかどうするかをずっと悩んでいたが、結局運を天に任せることにした。いや天ではなく、オクト自身にか。
オクトが俺と親子に戻りたいのならば記憶の事は避けられない内容だ。だからオクトがそれを望むなら俺は再びオクトの親になろう。
でもオクトがそれを聞いてこないのならば、別の関係で結ばれ続けようと。一緒に再びオクトと暮らし始めて、俺はそれだけで満たされてしまった。どうしようもない渇望も苛立ちも、家族の様に共に暮らし始めてからは感じない。
再びオクトが目の前からいなくなってしまったらどうなるかは分からないけれど、今の関係が永久まで続けば、俺はそれで十分らしい。
魔族は執着心が強いが、満たされるのも結構あっさりとしている。永遠にないものを渇望しているわけではない。
時折、それがまるで事前に誰かが仕組んだ事のように思えるぐらいに特殊な思考だ。
「そうだよ。流石ヘキサだ」
俺の息子と娘(仮)は本当に賢い。
嬉しい事だが、同時に教える事も少なくて残念でもある。
俺はそう言いながらヘキサの前に座った。
「やはりそう言う事でしたか。それならば、オクトの家に実質住まわれるようになったのも納得がいきます」
「もしかして、オクトを心配してか?」
ヘキサは分かりにくいが、妹思いな子だ。
だからわざわざ、ここへ確認しに来たのだろうか。
「いいえ。それとは別件です。アスタリスク様は、記憶を失ってから、私と何度顔を合わせたか覚えていますか?」
「えーっと……」
どうだっけか。
手紙でやり取りはした気がするが、伯爵邸に近づきたくなかったので、結構長い事会っていないような気も……。
「0回です。一度もお会いはしていません」
「そうだっけ?」
「そうです。ですのでこのままですと、いつまでたっても会えないと思い、今回色々書類をお持ちしました。こちらが住民票です。実質住んでいる場所は、賢者の家となりますので、そちらに記入変更をお願いします。それから、転移魔法を何度も使って王都との往復をするのでしたら、そちらの申請書も。最近はテロなどを考えて厳しくなっていますので」
ヘキサはツラツラツラと必要書類について説明をすると、机の上にドンドンと置いた。……ヘキサはあまりしゃべる方ではなかったように記憶しているがどういう事だろう。
なぜこんなに滑舌よく、書類の説明ができるのだろう。あれか。口から生まれたような親を持っているから、やっぱりヘキサの滑舌もいいという事なのだろうか。
「えっと、今は印鑑を持っていないから――」
「ご安心下さい。事前に子爵邸に寄り、貸し出していただきました。アスタリスク様が、こういった書面業務が嫌いな事は知っていますので、先延ばしにしたら永遠に提出はありませんので」
ヘキサ、手際がいいな。
あまりに良すぎて、お父さんびっくりだよと心の中で呟いてみるが、もちろん口に出しているわけではないので伝わるはずもなく、ヘキサはいつも通りクールだ。
「いや、永遠という事は……ないんじゃないか?」
「アスタリスク様が寮に住まわれるようになってからかなりの年月が経っておりますが、まだ変更がされておりません。伯爵邸から子爵邸に移った時も中々出されなかったと聞いております」
あー、そうだっけ?
どうでもいい書類に関しては、あまり出したか出していないかなんて覚えていない。ただ、そういえば、伯爵邸から子爵邸に移動した時は、使用人の誰かに代わりに提出を頼んだような……。
「ヘキサ、適当に――」
「本人直筆が原則となっていますので」
……そういえば、結構適当だった、伯爵家の書類関係が、ヘキサが伯爵になってからきっちり整理されるようになったと聞いた覚えがあるような気がする。……もしかして、こうやって取り立てに回ったりしたのだろうか。
「分かったよ。書くよ。書けばいいんだろ」
ヘキサは伯爵より金貸しの方が性にあってるかもしれない。
きっときっちり返済する計画から練ってくれることだろう。
「……というのは建前で、アスタリスク様に会う理由を作りたかっただけだったりもします」
「別に理由なんかなくてもいいんだけど」
それも知ってる。
ヘキサはオクトと違い器用でもあるので、人の使い方もちゃんと知っている。だから普通なら、こんな仕事は使用人に命じるだけだ。いちいちアロッロ伯爵領に住む人全員に行っていたら日が暮れる。
だからこの書類は会いに来る為の名目だったのだろう。まあ、実際必要な書類でもあるのだろうけど。
「私は貴方の息子のままでいいのでしょうか」
「良いに決まってるだろ。ヘキサは俺の大切な息子だよ」
たぶん俺より先に死んでしまうから、適度な距離を保ってきたけれど。でも大切な2人から貰った、大切な息子だ。
「なんだ? 寂しいのか?」
「……多少は。そして不安もあります」
自棄に素直だな。
俺は書類を書いていた手を止めた。リストが言っていた、悩み事が本当にあるのだろうか。
「今度、私の大切な人を紹介したいのですが、賢者の屋敷に伺ってもよろしいでしょうか?」
何でわざわざお伺いを立てるかな。まあその辺りの融通が利かないのがヘキサでもある。俺は立ち上がると、ヘキサの頭に手を伸ばし撫ぜた。
「良いに決まってる」
ヘキサは俺の息子なのだから。そう言って、俺は乱暴にその髪を撫ぜた。




