がじゅまるさま 第九話
(あっ……)
私は気付きました。夫の赤童は私のお父さんでも伯父さんでもないと言います。でも私のことを我が子呼ばわりします。全く意味不明でしたが、辻褄の合う答えがとうとう見つかったのです。
両目がないこと
人間として生きた時期があること
妻と子を置いてしまったこと
この三つが悉く整合する人物を、私はたった一人だけ知っていたのです。
「御先祖様!?」
私は不意に叫んでしまいました。また女性の赤童の体を無意識に乗っ取っていました。
上原家に伝えられた昔話に登場する、赤童に殺された漁師。そうだと考えると、たった一つの矛盾を除く全てが合うのです。
「うりぬ子か?話がしてー、そぬままでいろ」
御先祖様は妻に言ったのだと思います。私はまた体の主導権を取り返されることを心配しましたが、それはありませんでした。彼女はすっかりいじけてしまっていたのです。御先祖様は可能な限り優しく説いたつもりだったのでしょうが、それでも彼女を完膚なきまでに打ちのめすのに充分だったのです。
「御先祖様は、殺されたのではなく、赤童にされていたんですね」
私には衝撃の事実でした。後世の御先祖様が内容をねじ曲げたのか、間違って伝わったのかはわかりませんが、そこにいたのは間違いなく伝承にあった御先祖様でした。
「うりが死んだくとぅになってぃるぬか?むしろ、すれが意外だ」
御先祖様からしたら、意味がわからない話なのでしょう。自分が勝手に亡くなったことにされているのだから、気分が悪いのも当たり前です。
「とぅにかく、やーは人間に戻いてーじゃるう。方法はあるから、安心しる」
御先祖様の親切心には感謝しましたが、私には他にもやるべきことがありました。
「ありがとうございます。でも、私はタエコ伯母さんを探さないといけないのです」
御先祖様に会えたお陰で、私は帰れることが確実になりました。となれば、ショウちゃんのことも放っておけなくなります。
「うめーぬ伯母か、わかるぞ。何年か前に自分から仲間にないにきた、あの女だな」
御先祖様は私の知る事実と見当違いのことを、あっさりと口にしてくれました。クミちゃんとショウちゃんのお母さんは、当然のこと自ら望んで人間をやめたのではありません。ショウちゃんを救うために、やむなく生贄になることを決めたのです。尤も、赤童の立場からしたらそれ以外に考える余地もないのかもしれません。
「御先祖様、まさかとは思いますが…私たちにかけられた呪いのことは、ご存知ですよね?」
私は素朴な疑問を投げかけました。
「……まてぃ。今、呪いとぅ言ったか?」
御先祖様が語気を強めました。私は大きく頷きました。
「はい。本家の男の子は産まれたと同時に人間でなくなります。ショウちゃんが今まで無事だったのは、お母さんが人身御供として身を捧げたからです」
私は真実をきっぱり言いました。おそらく、御先祖様は歪められた情報しか知らないのです。
「そりは確かなことぅか?」
御先祖様は私の顔を正面から見据えました。目玉の無い両眼が、私の脳を見通そうとしているようでした。
「はい。今、ショウちゃんが…伯母さんの息子が、伯母さんに呼ばれて人を辞めようとしています。私はそれを食い止めにここに来たのです」
私は目を逸らすことが何故かできませんでした。そして、それは正解でした。
「そりは人間が望んだくとぅではなく、呪いのせいでぃ無理矢理仲間にされているという意味だな?」
御先祖様が念を押してきたので、私は大きく頷きました。
背後で鳴らされる三線の音が、耳元で大きく響き渡りました。
「なるふど。有い難い報しだ」
御先祖様は口元を歪めました。
恐らく、奥さんに長い間嘘ばかりを教え込まれてきたのでしょう。御先祖様だってオバカさんではないので嘘だというのはわかっていましたが、そうだと言い切る材料が無かったのです。私のような、奥さんのことを気にせず本音を口にできる者の出現を、ずっとずっと待っていたのでしょう。
もしかしたら、上原家が被ってきた長年の呪いが、終焉を迎える切っ掛けとなるかもしれません。
「タエコ伯母さんがどこにいるか、わかりますか?」
私が訊くと、御先祖様は深く頷きました。
「わかるむ何も、今のこの宴に参加してぃいねーのはあいつだきだ」
御先祖様が立ち上がりました。奥さんはすっかり心の奥に引きこもっているので、私は容易に体の支配権を保持することができました。きっと私が帰った後、旦那さんにこっぴどく叱られることがわかっているのでしょう。ちょっと可哀想だと思ってしまいましたが、すぐに考えを改めました。
彼らは良くも悪くも暢気者なのです。改めなければならない部分があったとしても、今回のような外的要因がなければ変われないのです。
後ろ向きに歩く御先祖様と私は、海岸を歩き続けました。三線の音がどんどん遠ざかり、淋しく暗い雰囲気になっていきました。
辿り着いたそこは、藪に囲まれた洞窟でした。何となく、暗く冷たい所でした。中に入ると、さっきまで太陽と空と海に囲まれていたせいか、余計に暗く寒く感じました。
真っ暗な洞窟に目が慣れたとほぼ同時に、奥で縮こまっているタエコ伯母さんを見つけました。
私は伯母さんの外見を知りません。それどころか、そもそも会った記憶がありません。伯母さんと最後に会った時、私はたった四歳だったはず。私は幼すぎたのです。
でも、それがタエコ伯母さんであることははっきりとわかりました。話の流れがなくてもわかった自信があります。間接的とはいえ、血がつながっているというのはこういうことなのでしょうか。人間ですらなくなってしまったそれに、私は声をかけました。
「タエコ伯母さん、久し振り……」
私は垢だらけの裸の女性の赤童を、背中から抱きしめました。
「……あなた…まさか、やっちゃん?やっちゃんなの?」
伯母さんも私が誰であるか、すぐにわかってくれました。
「やっちゃん…まさか、あなたも仲間に?」
伯母さんったら、余計な心配をする始末です。
「ううん。私、伯母さんに会いに来たの。ショウちゃんを助けたいの。伯母さんも力を貸して頂戴」
私には確信がありました。
伯母さんにとって、ショウちゃんは人間であることを捨ててまで救った大切な子供です。人間であることをやめてしまっても、それに変わりはありません。大切なショウちゃんに、人間をやめることを間違っても強いるはずがないのです。
「御免なさい…わたし、とんでもないことをしてしまったの……」
やっぱりタエコ伯母さんは昔のままでした。子供のために人生を捨てた、母親の中の母親だったのです。
「わたし、あの子の守り神になりたかったの。ずっとそばにいて、あの子に何があっても守ってあげたかった。
でも、わたしはやっぱり危険で邪悪な霊なのね。あの子の一部になろうとしたつもりが、あの子を強制的に仲間に引き込むようにしてしまったの。それどころか、ミキちゃんやクミコまで仲間に道連れにするところだった。やっちゃんと…もう一人の逞しい子はきっとナオちゃんね。あなたたちの機転がなかったら、子供たちも甥っ子にも姪っ子も人生を滅茶苦茶にしてしまうところだった……」
伯母さんはさめざめと泣いていました。
御先祖様が、呆れ果てたように言いました。
「だから言っただるう。うりたちは、もとぅもと『シュ』が上手じゃねー。うりぬ女房も、ヒトだったおれに誘惑の『シュ』をかきゆうとしたのに、失敗してぃ仲間に変いてしまった。きっとぅ、うりたちは何をしてぃむ無理矢理に仲間に変じさしる『シュ』にしかならねーんだ。
うりは女房を疑ってぃいちゃ。あいつはうりへの罪滅ぼしのたみに、一族の守い神になるとぅ言ってぃた。そりは嘘で、うりの一族の一部を仲間にしてしまうゆうにしているのだと疑ってぃた。
でむ、あいつは半分は本当ぬくとぅを言ってぃいちゃんだな。あいつないに、頑張ったんだるう。でも、裏目にしか出なかった。うりたちに使いるのは仲間を増やすたみの『シュ』だきなんだから。
失敗ばけーしてぃいるくしに、肝心なとぅくるで嘘をつくから…みんな最低ぬ方向ばかりに転がって…バカなやつ。すんな体たらくなら、いっそ最初から何むしなきりばどんなにマシだったか……」
嗚呼
私はずっと探していたのです。この事件の黒幕は誰だったのか、悪いのは誰なのか、ミステリー小説の犯人を探すようにずっと考えていたのです。
この事件に犯人がいるとすれば
それは、御先祖様に恋い焦がれて、ついには略奪愛を成就させてしまった奥さんなのかもしれません。上原家への罪悪感を清算しようとして、余計に一族を恐怖のどん底に落としてしまった、私に体を乗っ取られてしまった哀れな赤童なのかもしれません。
もしかしたら、悪いのはタエコ伯母さんなのかもしれません。伯母さんが余計なことをしなければ、ショウちゃんは何事もなく平和な夏休みを過ごしていたはずです。
捉えようによっては、御先祖様がもう少ししっかりしてさえいれば、奥さんに間違ったことをやめさせることができたかもしれません。
私の犯人探しは終わりました。そんなものは無駄だったのです。よく『罪を憎んで人を憎まず』と言います。あまり好きな諺ではありません。悪いことをしてしまう人が改めない限り、何事も良い方向に転じることはありえないのですから。悪いことをした人が罰せられない限り、同じことをする人の再発に歯止めがかからなくなる恐れがあるのですから。
でも、少なくとも今回の事件は当てはまることを認めざるを得ません。私には、他にやるべきことがあるのです。
「ミカドさんに助けを求めましょう」
私は御先祖様にそう言いました。
「そりは、外にいる人間たちぬくとぅか?」
御先祖様は不安そうです。私が予想した以上に、御先祖様はミカドさんを恐れているようです。私は頷きましたが、御先祖様の後ろを向いた顔では爪を噛んで考え込んでいます。
「奴らは信用でちるぬか?人間にしてぃは力が強すじる。仲間を殺すだきの力を持ってぃる」
どうやら私たちは基本的なところで勘違いをしていたようです。赤童の一匹二匹の命と引き換えに、ミカドさんたちが全滅させられることを恐れていました。でも、赤童たちは兵隊でも軍隊でもないのです。仲間一匹二匹の命と引き換えに得られるものなど、価値を感じていないのです。誰も死なせずに済む方法があるなら、その道を探そうとするのが当たり前に考えていたのです。