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がじゅまるさま 第8話

私が意識を取り戻したとき

私は海辺にいました。

波の音が目覚ましでした。静かな凪の波音が、優しく起こしてくれました。

真っ白な砂が指の間に挟まって、冷たい湿った感覚が心地良いのです。


「起ちた?」

誰かの声がしました。音の低めな、女性の声でした。すぐ近くから聞こえてきました。

私は周りを見回しましたが、あるのは真っ青な空と、白い砂浜と、エメラルドグリーンの海だけでした。


「探したってぃ見つからねーゆ。あたしは、あんただむぬ」

また声がしました。

私は言われた言葉の意味を考えてみました。


あたしは、あんただ


その意味をふと察した私は、改めて自分の体を見てみました。私は裸でした。

私は子供のように小さな体でした。

私は海まで駆けて、海面に映った自分の顔を見てみました。

それは、見慣れた私の顔とは全く違う顔でした。私も美人のつもりはないのですが、ヘチャムクレのみっともない顔になっていました。

そして、髪は夕焼けのように真っ赤な色をしていたのです。


私は

赤童になってしまったのです。


ぎゃあああああ


私は絶叫しました。

自分の姿が急に別人になってしまったら、私でなくても混乱してしまうはずです。絶対にそうに決まっているのです。私でさえそうだったのだから、間違いありません。

「なにさ。すんなに喜ばなくたってぃいいじゃねー」

声は笑いながら、滅茶苦茶なことを言いました。


「なんでこうなるのおかしくない私こんな顔じゃない戻して直して私を返して~!」

私は頭を抱えて、大きな声をあげました。

声は、そんな私を笑っていました。


「どうしたんだ。うふちな(大きな)声をだしてぃ、何かあったか?」

私の頭に、今度は別の声がしました。高めの、猫に似た男性の声です。いくらか離れたところから、私に話しかける声だとわかりました。

それは、男性の赤童でした。私と同じ、裸んぼうでした。体の大きさは子供でした。そのくせ…あの、オマタについているものはお父さんよりも大きかったのです。

私はまた大声で叫びそうになりましたが、できませんでした。体に力が入らず、声が出せないのです。


「何でむねー。あんたには関係ねー」

声が私の代わりに答えました。

どうやら、私はこの女性の赤童に乗り移った形でいるようです。しかも、主導権は元の赤童に握られているようです。私が体を操ることができるのは、赤童が気紛れに私に主導権を譲ってくれたときだけのようです。

幸いにも、女性の赤童は男性の赤童のことがあまり好きではないようです。でも、頼むからオマタから視線を外して欲しいのですが、この赤童ったらチラチラ見てばかりです。


「そうツンツンすんなゆ」

男性の赤童はニヤニヤ笑いながら、女性の体を触ろうとしました。こんなにいやらしい顔を見たことはありません。

「やめ……」

女性が叫ぼうとしたとき、また別の声が横から入りました。

「くらあ!またうめー、うりぬ女房に手を出してぃ!」

男性の低い声でした。


声が気になった私のリクエストに応えるように、顔がそこに向きました。

そこにいたのは、かなり妙な赤童でした。どういうわけか、後ろを向いているのです。そして、後ろ頭に一つ目だけが爛々と輝いていたのです。赤童の後頭部に眼がついているという予備知識がなければ、髪の毛が矢鱈に多い赤童かと思ってしまったかもしれません。


赤童は後ろ向きになったまま、こちらに前進してきました。赤童からすれば後退しているのですが、前進しているのです。後ろにも目がある赤童ならではの動きです。逆にいうと、前には二つの目があるはずなのにわざわざ後ろ向きになる理由がわかりません。カッコつけてるのだとしたら、とんだバカバカしい話ですが。

私がくっついている女性の赤童が、立ち上がって後ろ向き赤童に駆け寄りました。

「あんた~!()かった!凄く(くわ)かったよ!」

女性の赤童は後ろ向き赤童の背中から、甘えるように抱きつきました。どうやらこの二人が夫婦で、あの男性の赤童が横槍を入れているようです。

「でーじょうぶだ。うりに任しる」

後ろを向いていた赤童が、初めて振り向いて顔を見せました。私はまた大声を上げそうになりました。体の主導権を女性の赤童に奪われているので、声をたてることはできませんでした。


どうしてこの赤童が後ろ向きに歩くのか

私にはようやくわかりました


赤童は両目を潰されていたのです

両目には無残な傷痕があり

瞑ったまま開かないようになっていたのです


赤童は後ろ向きのまま、男性の赤童に向かって歩いていきました。そして、後頭部の一つ目で睨みつけました。

「うりぬ女房に手を出すなってぃ、なんべん言ったらわかるんか?」

目なしの赤童が拳を振り上げ凄みましたが、男性の赤童は平気そうです。

「やー(おまえ)こそ、なんべん負けたらわかるんか?」

男性は怖がっている様子さえありません。それどころか、怖がっているのは女性の赤童でした。私は彼女に取り憑いている形になっているので、気持ちの動揺が手に取るようにわかるのです。

たぶん顔の二つ目が無い分、彼女の夫はあまり喧嘩が強くないのでしょう。


後ろ向きの赤童が、裏拳を振り下ろしました。でも、動きが大き過ぎるので手で弾かれてしまいました。

そのまま二人の男性の赤童は正面切って撃ち合いました。彼女の夫は盲人とは思えないほど上手に撃ち合いました。相手の拳は腕でガッチリ受け、反撃に転じています。目が見えなくても武術の達人になれるというのも、まるきり絵空事ではないようです。

私は詳しいことを知らないのですが、二人ともかなり上級者のように見えました。互いに何発もの拳の応酬が繰り返されましたが、両方とも腕で防いだり()なしたりして、一向に顔や腹などの痛い部位に命中しないのです。


でも、彼女の夫は盲目であるのとは全く別の原因で不利に陥っていました。

相手の赤童は身を守るとき、拳を手で払って去なしています。対して彼女の夫は拳を腕を盾にして受けています。殴り合いをしたこともない私でもわかります。拳を重ねれば、彼女の夫はいずれ腕が痛くなってしまいます。

「なんで払ーねー。受きてぃたら手を痛みるぞ」

男性の赤童は下品に笑いながら言いました。

「受きねーと、そばにいるぬむを守りないじゃるうが!」

彼女の夫がそう叫んだとき、ついに隙が生まれて横っ面にパンチを食らってしまいました。


男性の赤童は高らかに笑いました。

「さてぃさて、今日くすは……」

こちらに視線を向けたと同時に、余所からまた別の声がしました。

「見たぞ。またうめーら、喧嘩してぃ」

いつのまにやら別の赤童が姿を現していました。

「全く、くいつは目が見いねーってぃのに……」

「酷い!最低せーてぃ!」

どこからともなく次から次へと赤童が現れ、倒れた彼女の夫を起こしたり、彼女を守るように立ちはだかったりしています。二十匹くらいの赤童が集まりましたが、男性の赤童の味方をする者はありません。自業自得といえばそれまでですが、私は少しだけ可哀想にもなりました。


しばらくは男性の赤童が悪行を責め立てられていました。でも、やがてそれも飽きたようです。誰ともなく三線(さんしん)を鳴らし出すと、唄を唄ったり踊りを踊ったりが始まりました。

(……ユルっ!)

私は声に出さずに、心の中で吹き出してしまいました。

おそらく、赤童たちはいつもこんな調子なのでしょう。男性の赤童を窘めて改心させるよりも、今この時を楽しむことが彼らには大事なのです。

本当なら、男性の赤童に二度と他人の女房にちょっかいを出さないよう糾弾するところでしょう。私たち人間の世界ではそうなります。でも、彼らは赤童なのです。人間ではないのです。彼らにとって裁判じみた真似をするより、唄ったり踊ったりを楽しむことの方がよっぽど大切なのでしょう。

この暢気さは、きっと彼らの欠点でもあり長所でもある。そんな気がしました。



私と彼女は海岸線を眺めて座りました。島の海辺は一通り行ったつもりでいましたが、ここは今まで見たどの海岸とも違います。見渡す限り、人の手で作られた建物も道路標識も無いのです。砂浜の白と、空の青と海の緑。ときどきデイゴの花の赤。目に映るのはそれだけです。

小さな離島の方はまだ行ったことのない場所が沢山ありますが、今どきこのような人の手が加えられた形跡の無い場所が実在するとも思えません。

多分、ここは現実の海岸ではないのでしょう。赤童たちの記憶の中だけに残っている、昔の海の姿なのかもしれません。ここは私たちの生きている世界とはまた別の、想像世界のような気がしました。


私と彼女のそばに、夫が座っていました。殴られた頬を腫らしたまま、痛くも何ともないように砂浜の上に胡座(あぐら)をかいています。彼女は夫に寄り添って肩をつけていました。幸せな夫婦なんだな、と私はそう感じました。

「憑きてぃるんだろ?」

夫がぼそりと呟きました。彼女は答えません。でも、夫にはわかるようです。

「隠すなゆ。いるんだろ。うりの子が。ヤスコとぅいう子が」


私は動揺させられました。

私のことを、名前までも看破したことはさほど不思議ではありませんでした。赤童には色々と不思議な力があるようなので、大抵のことは驚くに値しません。

私が驚いたのは、夫の放った一言でした。

“オレの子”

と、夫の赤童ははっきり言ったたのです。

「伯父さん?」

私が真っ先に考えたのは、それでした。私には勿論、お父さんがちゃんといます。行動力は頼りがいがありますが、基本がヘタレキャラなのでよく空回りします。でも、私のことをちゃんと考えてくれるお父さんです。満点パパではないけれど、私にはよくしてくれる大好きなお父さんです。


私にはお父さん以外にお父さんはいません。だから、唯一それに近いものに心当たりがある男の人がいるとしたら、それは伯父さんでした。正気を失って失踪したと言われていた、クミちゃんとショウちゃんのお父さんでした。

私は一瞬だけ彼女から体の主導権を奪っていました。体を奪うために何かしたわけではありません。どうやら感情の起伏次第では、何の力も持たない私でも赤童の意識を奪うことも不可能ではないようです。


夫の赤童は首を横に振りました。

「すうじゃねー。うりはおめーぬ父親でむおじさんでもねー。でも、おめーはうりの子供だ 」

まるでナゾナゾのような事を言われました。

どういうことなのか気になりましたが、もっと質問を重ねようとする矢先に体の主導権をまた取られてしまいました。やっぱり、基本的には赤童の方が強いみたいです。

「やっぱい、うりぬ子が中にいるんだな。別に叱ったりしねー。今さら、やーにそういうくとぅを言ってぃむわからないことは知ってぃる。

ただ、一つだき言ってぃうく。人間には人間ぬ生活がある。だから、無理に人間を仲間にしちゃいけねー。そりはとぅても残酷なことだ。

ここにいる仲間ぬ殆どが、生まりたとぅちから仲間だったか、生まれてぃすぐに仲間になったかのどぅちらかだ。人間ぬ立場になってぃ考いるくとぅは無理だ。でむオレは知ってる。人間として過ごしていちゃのに人間でねーものにさりることは、とても辛いことだ。うりは今さら人間に戻るうとぅ考いるくとはなきなったが、仲間になってぃしばらくの、うりの狂乱っぷいは忘れてねーじゃろう?むう一度言うが、自分のくとぅは意外と気に病まねーもんだ。ただ、妻と子供が恋しくてぃ仕方がなかった。うめーの中にいるヤスコといううりの子も、ちっと同じはずだ」


私は彼女と意識を共有していました。だからこそ、わかったことがあります。赤童たちからすれば、私たち人間の生き方はとても辛く見えるようです。半永久的に生きられる彼らとは違い、限られた時間に囚われて、せせこましい生活に追われて人生を謳歌する時間も少ない。彼らの仲間になった方がよっぽど幸せなのに決まっていると考えているのです。

私たち人間には実に奇妙な話に聞こえますが、赤童たちが人間を仲間に変身させてしまうのは、復讐でも罰でも悪戯でもなかったのです。赤童は仲間を増やし、変えられた者は人間でいるよりずっと幸福になれる。互いに利益のある一石二鳥の提案だったのです。

恐ろしい赤童の呪いだと思っていたものは、彼らからすればむしろ善意に満ちた厚意のつもりだったのです。

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