がじゅまるさま 第五話
翌朝
予定より早く、お母さんの呼んだミカドさんから送られて来た三人の人たちが訪ねてきました。
一人はハヤマと名乗る六十歳くらいのお爺さんでした。群青色の布でくるんだ棒のようなものを持ち歩いていました。中身は見えませんが、刀が入っていると私は直感しました。
「全く『カンパニー』の奴らときたら縄張りがどうとかブツクサ言いおってからに。貴様等に信用がないからオレ達が呼ばれてるのに、縄張りも糞もあるか馬鹿野郎が!」
何やらよくわからないことを大声で喚いています。多分、独り言のつもりなのでしょうが地声が大き過ぎます。
お父さんはお爺さんを目を白黒させながら見ていました。電話でお父さんを怯えさせたのは多分この人だったのでしょう。
もう一人はシマヅという三十代くらいのオジサンでした。お母さんと仲が良いらしく、目を合わせたと同時にお互いに頭を下げました。
「ハヤマさん、『人に知られず』ですよ」
と、お爺さんに窘める感じで声をかけました。他の二人もそうですが、私たちにはわからないキーワードを多用する謎に満ちた人です。
もう一人のマツバラという女の子は、なんと私とそう変わらない年の子供でした。まだ真新しいブレザーを着ていたところを見ると、中学に入って間もないのかもしれません。
さすがに物怖じしているらしく、下を向いたきり視線を合わせようともしません。
「おはよう。来てくれて、どうもありがとう」
クミちゃんが気を使って声をかけると、顔を上げて笑顔を見せてくれました。おっとりした感じの、優しい笑顔でした。それに、なかなか綺麗な子でした。
三人はお家に上がり、泣きべそをかくお祖母ちゃんと私の両親に挨拶をしました。
まず布団で簀巻きにされたショウちゃんを解き、三人がかりでショウちゃんの目を開いてじっと見たり、包帯を解いて傷口に触ったり、何か呪文のようなものを口にしたりしています。マツバラという女の子がショウちゃんを囲むようにお札を六ヶ所に置くと、ショウちゃんは拘束しなくても寝息をかいてじっとしているようになりました。
「ショウヘイ!良くなったか?」
孫が心配でたまらないお祖母ちゃんは気が急いて仕方がないようです。
「申しわけないです。まだ、あちらからの干渉を遮断しただけです」
マツバラさんは済まなそうに答えました。
「ショウヘイは…どうなってぃしまうぬですか?『がじゅまるさま』に取らりてぃしまうんですか?」
お祖母ちゃんはまた泣きそうになりながらマツバラさんに訊ねました。
「おばあちゃん、落ち着いて聞いてくださいね。
お孫さんには、人を人でないものにする『シュ』がかけられています。心配されている通り、放っておけば人ならぬものに取られてしまうでしょう。髪は赤く変色して、後頭部には目が開いてしまうでしょう。頭の傷はその準備なのです。
でも、それをさせないために私たちは来たんです。お孫さんに結界を施したので『ジャキ』に取られる心配はありませんが、このままでは寝たきりの病人と同じです。私たちがどうにかしますから、心配しないでくださいね……」
マツバラさんはお祖母ちゃんの手を握って励ましました。
その後、事件に関わった子供たちを揃えるように言われたのでナオくんとミキくんを呼びました。私たちはきつい説教を覚悟していたのですが、それはありませんでした。彼らはあくまで問題を解決しに来たのです。多忙な人達に余計なことに時間を割く時間はないのですから。
「君たちに詳しい話を聞きたい。可能な限り厳密な、正確な話を頼む」
シマヅという人が私たちに説明しました。
「事の始まりはあたしです。お母さんのお墓が御先祖様と一緒じゃないって聞いて……」
クミちゃんが話し始めるとすぐに、シマヅさんが割り込みました。
「その話は誰から聞いたんだい?」
クミちゃんは少しだけ目を泳がせて答えました。
「オバアからです…あたしも大きくなったから、本当のことを知っておくべきだと。前からおかしいって思っていたんです。お墓参りのとき、お母さんのお墓はどれだか聞いても、オバアははぐらかしてばかりで答えてくれなくて……」
クミちゃんが挙動不審気味な理由は明らかでした。そもそもお祖母ちゃんが悪い、という方向に話を持って行きたくないからです。
「なるほど。それで仲間たちを連れてお墓参りに行ったんだね。それで続きは?」
シマヅさんはクミちゃんが心配したことには何も関心を持ちませんでした。この人たちはやっぱりわかっているのです。誰かを責めても、この事件の解決には何の役にも立たないのですから。
「はい…それで、ミキくんは前に近付いたことがあって、『がじゅまるさま』は本当に危険だからやめた方が良いって言ったんです。でも、あたしはやめたくなくて…そしたら、やっちゃんは昼間なら危険が少ないんじゃないかって言ってくれて……」
クミちゃんが説明している間、ハヤマお爺さんがミキくんを穴を空ける勢いで見つめていました。
「ふむふむ。お前さん、感じる子か。前に行ったということは、肝試しでもしたか?」
ミキくんは申し訳なさそうに答えました。
「あ…すいません。先月、他の友達と探検したんですよ。林の中にどれだけ行けるもんかなってことで。そしたら『がじゅまるさま』まで近付く前から、冗談抜きに頭痛がするんですよ。マジヤベーから、チキンだのヘタレだの喚くバカども引っ張って逃げたんです。
すいません。あんとき思い知ったんですけど、肝試しとかマジやるもんじゃないですよね。それわかってるのに、またやらかしてオレったら、バカの二乗もいいとこですよね」
ミキくんは何故かハヤマお爺さんに謝りながら話しました。ミカドさんのような人には不謹慎な話に聞こえると思ったのでしょう。
「それがわかったなら上々だぞ小僧。むしろ、お前さんが危険を示唆しなかったら、警戒すらしなかっただろう。ここに帰ってくることさえできなかったかもしれん。お前さんは素人にしちゃ、大したもんだ。学べば大成するかもわからんぞ」
ハヤマさんは叱るどころか、ミキくんの頭を力強く撫でました。もしかしてミカドさんにスカウトされるかもしれません。
「でも行ってみたら本当に寒気のするところで。そしたらミキくんが案の定、足を止めたから…ストップかけるかと思ったら、いきなり大丈夫だとか言い出して……」
クミちゃんがそこまで言ったとき、ミキくんが話に入りました。
「クミちゃん、それマジ?オレ、覚えないんだけどそれ……」
私は背中がゾワッとしました。わかってはいたことでしたが、ミキくんはやはりそのとき取り憑かれていたのです。
「ミキサブロウくんと言ったね。覚えていないということは、記憶が飛んでしまったのかい?」
シマヅさんが質問すると、ミキくんは頷きました。
「はい。確か、ナオに呼ばれて、返事をしようとしたんです。前と全くおんなじでヤバいから帰ろうって答えようとしたら…その次の瞬間、滅茶苦茶眼ん玉が痛くて、オレぶっ倒れちまったんです。場所も変わってたし、明らかに記憶飛んでます……」
今度はマツバラさんが話に入ってきました。
「あの、そのナオさんが呼んだとき、名前を呼んだということですよね?」
質問にナオくんが答えました。
「ああ。オレが“ミキサブローどうした?”って聞いたんです。クミコが言ったのと同じで、なんとなくヤバい雰囲気だったからオレもブレーキかけてくんのかと思ったら、何故かアクセルしやがったんです。いつものコイツと違って一貫性ないからおかしいと思ったんです。そしたら……」
「ごめんなさい。一つ、確認させてもらっていいですか?」
ナオくんが話している途中で、マツバラさんが割り込みました。ナオくんに顔を近付けて、食い入るように見つめたのです。
「そのときは“ミキサブロウ”と、名前で呼んだんですね?“ミキ”とかのニックネームじゃなくて?」
マツバラさんは細かいことに突っ込みました。私たち素人には些末なことですが、ミカドさんのような本職の人には大事なことなのかもしれません。
「そ…そうですね。ミキサブローって言いました。はい……」
そのとき、ナオくんの様子がおかしいことに気付きました。顔が赤いのです。綺麗な子に顔を近付けられて少しくらい動揺するのはわかるんですが、あからさまに顔色が変化するのはどうかと思いました。
昨日手を繋いだときに、ときめいてしまった私は何だったんでしょう?何だか裏切られたような気持ちにさせられました。
「ありがとう。細かいけど大事なことだから。続けてください」
マツバラさんは手帳にメモを取っていました。よっぽど大切なことなんでしょう。
「それで…ショウが走り出したから注意したんですけど、この子ったら何も考えずに走っちゃって……」
クミちゃんが説明を続けようとしましたが、すぐにまたマツバラさんに止められてしまいました。
「たびたび、ごめんなさいね。その時、具体的に何て言って注意したか、覚えてる?」
マツバラさんはクミちゃんにも顔を近付けました。どうしてこの人は、私の大切な人を選んで近付くのでしょう?第一印象が良かっただけに、私は不快な気分にさせられました。
「えっと…ショウ、走っちゃ危ないわよ…と言いました」
クミちゃんは実際言ったことより、いくらか柔らかい言い方に改竄していました。
「……“ショウヘイ”とは言わずに、略して“ショウ”って呼んだんですね?」
マツバラさんはまた、かなり細かいことに拘っているように感じました。
「はい。その後、ナオくんに呼び止められて、答えようとしたら…そこからはミキくんと同様に、目が痛くなるところまで記憶が飛んじゃっています」
クミちゃんも記憶が怪しいので、説明はナオくんが引き継ぎました。
「オレは“クミコ、イクコ、おかしくないか?”的なことを言ったと思います。一字一句まで合ってる自信はないですけど……」
ナオくんが話し始めた途端に、マツバラさんは物凄い勢いでナオくんに顔を近付けました。今にも食いつかんばかりの勢いでした。
「あれれ?クミコちゃんとイクコちゃん、両方の名前を呼んだんですか?」
ナオくんが顔を赤くしながら頷くと、マツバラさんは凄い速さで手帳をバラバラと捲りました。
「あれ…?イクコちゃんとナオトくんは無事だった?ショウヘイくんは…あれ?
聞きたいんですけど、ショウヘイくんを“ショウ”とかじゃなくて、“ショウヘイ”と呼んだ記憶のある子はいますか?あと、ナオトくんのことを“ナオ”とかじゃなくて“ナオト”と呼んだ子はいますか?あと念のため、イクコちゃんは“イクコ”と名前でしっかり呼ばれてるんですよね?」
マツバラさんは、普通に考えたらわけのわからないことを妙に詳しく聞きたがりました。でも、私にはようやくわかりました。この人が名前の呼び方に細かく厳密に拘らなければならない理由を、私は知っていたのです。ただ気付いていなかっただけで、知っていたのです。
「はい。私たち五人のうち、名前を正確に呼ばれたのはミキくん…ミキサブロウくんと、クミコちゃんです。
ショウヘイくんはクミちゃんに注意されたとき以外、誰とも口をきいてなかったはずです。ナオトくんも、ナオくんとしか呼ばれていないはずです。私は“イクコ”と何度か呼ばれていますが、本当は育てる子と書いて“ヤスコ”と呼ぶのが正しいんです」
私はお母さんから聞いたことがあったのです。人ならざるものが取り憑くのには、相手の名前が必要とされることを。もし、それには少なくとも下の名前を正確に知っていなければならないとするなら、何度も呼ばれているはずの私が無事だったことに説明がつくのです。
(ナオくんとミキくんは呆気にとられた顔をしていました。きっと、どうしてクミちゃんやお祖母ちゃんが私のことを“やっちゃん”と呼ぶのか、理由を今やっと知ったのでしょう)
どうやら私たちに起きたことの概要は、既にお母さんからでも話が通っていたのでしょう。誰が取り憑かれて、誰が無事だったのかも知らされていたのです。わざわざ私たちを呼びつけて話を聞く必要は無いと言えば無かったのかもしれません。
でも、わざわざ私たちを集めた甲斐はありました。この事件には、どうしても説明がつかないことが一つあるのです。
名前をちゃんと呼ばれていないはずのショウちゃんが、よりによってたった一人だけ本格的に取り憑かれているのです
この不自然な事実は、シマヅさんとハヤマさんも首を傾げました。
「マツバラ、お手柄だ!」
ハヤマさんは痩せっぽちのマツバラさんの背中を、思いっきり叩きました。ハヤマさんは強めに撫でたくらいのつもりだったのでしょうが、マツバラさんは倒れて背中を押さえて呻いてしまいました。
可哀想なマツバラさんを完全に放置して、ハヤマさんはお祖母ちゃんに近寄りました。
「上原さん、確信しました。赤童の正体は、身内ですね。貴女と、この姉弟の……」
泣き咽ぶお祖母ちゃんを、睨みつけるようにハヤマさんは凝視しました。
「ハヤマさん、責め立てるような真似はやめてください」
幸いにも、状況がおかしくなる前にシマヅさんが止めてくれました。
「別に責めてはないだろ」
ハヤマさんは大きな声で反論しました。
「はい。貴男にそのつもりがないのはわかっています。貴男はそういう人です。しかし、貴男は気が強すぎる。そんなつもりはなくても、人を怯えさせてしまう。貴男はそういう人なんです」
シマヅさんの言うことは正しいように思えました。うちのお父さんを怖がらせたときも、もしかしたら怒っているつもりはなかったのかもしれません。