がじゅまるさま 第4話
私たちは走りながら、ようやっとお祖母ちゃんのお家に辿り着きました。
お祖母ちゃんと私の両親は、転がり込んできた五人の姿に、当然のように驚きました。
私はお父さんに問い詰められて、あったことを正直に話しました。クミちゃんのお母さんのお墓参りを子供たちだけでやろうとしたこと。五人のうち三人が変になったこと。そして、ショウちゃんはまだ動けないでいて、それが『がじゅまるさま』のせいなのか単に怪我をしているからなのかはわからないこと。
「この馬鹿むぬみ!」
優しいお祖母さんが、物凄い大声で叫びました。ちょっとびっくりしたけれど、それは当然のことでした。私たち孫が可愛ければ可愛いほど、感情的にならざるを得ないのですから。
それが証拠に、叫んだすぐ後に私たちを抱きしめて大泣きしました。
「……ごみんな…わたしが悪いんだ…クミコはもう大人だから話しても大丈夫と思ったんだ…でも、う母さんがそんなことになってぃいるって聞いちゃら、普通じゃいらりなくなるって当てーめーだ……
わたしが起くしたことぅだ。ごみんな……」
お祖母ちゃんの優しい言葉を聞いて、クミちゃんはわっと泣き出しました。お祖母ちゃんは私たちを放して、横になったショウちゃんのそばに寄り添い
「この子は…やっぱり『がじゅまるさま』に返すしかねーか……」
と、意味深なことを言い、さめざめと泣き始めました。
そんなお祖母ちゃんの言葉に応えるように、ショウちゃんが目を開けました。
「ショウヘイ!」
お祖母ちゃんは驚きと嬉しさの混ざった声とともに、ショウちゃんを抱きしめました。
私はホッとしたのと同時に、不安にもかられました。目を覚ましたからといって、元に戻ったとは限らないのです。
私はショウちゃんの目を見ました。いつもの甘えっ子のショウちゃんだったら、また黙ってお祖母ちゃんにしがみつくはずなのです。ところが、ショウちゃんはお祖母ちゃんの腕をすり抜けて、黙って歩き始めたのです。
「オバア。こいつ、瞬きしてねえ!」
ナオくんが大きな声をあげました。お祖母ちゃんにはその意味がわかりませんが、私にはわかります。ショウちゃんはおかしくなったままなのです。私はショウちゃんはをつかまえて、瞼を手で覆って塞ぎました。そうしないと、目を傷つけてしまうからです。幸いにも小さなショウちゃんは力が弱く、私でも簡単に取り押さえることができました。
ショウちゃんは何かをぼそぼそと呟いていました。よく聞くと、それは歌でした。
みみーちりーぼーじがたーちょんど
なーちゅるわらべーみみーぐすぐすー
なーちゅるわらべーみみーぐすぐすー
島に伝わる民謡でした。
「ウフムラウドゥンの唄…そんな古い唄、どうしてショウヘイが知っちぇる?」
お祖母ちゃんは驚いていました。
私たちは悟りました。どういうわけかはわかりませんが、ショウちゃんだけは本格的に『がじゅまるさま』に憑かれてしまったことを。
私たちはショウちゃんの頭に包帯を巻いて傷口を塞ぎました。布団でぐるぐる巻きにして縄で縛り、動けないようにしました。眼が乾いてしまわないよう、目隠しもしました。
ショウちゃんはウフムラウドゥンとお祖母ちゃんが呼んでいた歌を、バグったゲーム機のようにずっと繰り返していました。そして、『がじゅまるさま』の樹のある方に顔を向けて足を動かしていました。
目隠しをされているのに、布団を動かして方向を変えてもまた器用に体を回して顔を『がじゅまるさま』に向けるのです。そして、まるで歩いているように足を動かすのです。
多分、ショウちゃんは自分が目隠しされていることも縛られていることにもわかっていません。そんなことはお構いなしに、自動操縦の機械のように何も考えずに樹に向かおうとしているのです。
ショウちゃんは完全に心を乗っ取られてしまったのです。
通常ならこういう場合、ショウちゃんを病院に連れていくところでしょう。でも、これは普通の事件とは違います。病院に連れて行ったところで、匙を投げられるのは目に見えていました。
お母さんは巫女を呼ぶことを提案しました。
ノロというのは本土でいうところの神主さんみたいなものです。女性がなるという点が異なります。
「ノロでも無理だ…『がじゅまるさま』だけは、無理だ……」
お祖母ちゃんはそう言いましたが、だからといって何もしないわけにはいきません。お母さんが電話をかけると、夕方にはそれらしき人がお家を訪ねて来ました。
巫女といっても見た目はただのお婆ちゃんで、服装も他の島の人たちと変わりませんでした。私はお祖母ちゃんのお友達が来たのかと間違えたほどです。
ノロさんはショウちゃんの頭の傷を見た途端に頭を振りました。
「キデヌムさんは、祓えね」
と言いました。啜り泣いていたお祖母ちゃんの声が高くなりました。あの凶悪な気配を肌で感じた私にはわかりました。やっぱり『がじゅまるさま』は、並大抵の怪物ではないのです。
「……なあ、おまえ。こういうときこそ、ミカドさんじゃないか?」
お父さんがお母さんにそう言いました。ミカドさんというのは、お母さんが時々お世話になっているお寺だか神社だかのことです。島のノロさんよりも強い力があるのかどうかは知りませんが、お父さんの口振りでは頼りになりそうです。
「……こんな遠くまで来てもらえるわけないじゃない」
お母さんは渋りました。私には何かが引っかかりました。ショウちゃんの命がかかっているというのに、人に遠慮するとか有り得ないと私は思いました。
「ダメかもしれないが、良いと言ってくれるかもしれない。やってみなけりゃわからないだろう。オレだって、電話番号くらい知ってるぞ。
……お義母さん、ちょっと遠距離の電話をかけますが……」
お父さんはお祖母ちゃんの許可を取ろうとしましたが、肝心のお祖母ちゃんが泣き崩れてしまっているのでどうしようもありません。
「……最悪、電話代くらいオレが払うさ」
お父さんは見栄を切って隣室に電話をかけに行きました。ナオくんもそうでしたが、男の人の行動力には真似できないものがあると私は感心させられました。
しばらくすると、お父さんは肩をすぼめながら帰って来ました。
「メチャクチャ声の怖いオッサンだった……」
お父さんは格好つけた割に、スゴスゴと帰って来ました。
「……叱られたんじゃない?」
お母さんがちょっと意地悪く笑いながら聞くと
「……いや、話してることは普通だったんだが、何なんだろうあの剣幕は……。検討してくれるとは言ってたが、あの様子じゃ……」
お父さんはヤクザ屋さんにでも会ったような顔でした。事情はわかりませんが、よほど怖い人が電話に出たようです。
「お母さん。今まで聞いたことがなかったけど、ミカドさんて何なの?よくわからないけど、私もちゃんと聞いたことがなかったけど……」
私は長年の素朴な疑問を、お母さんに聞いてみました。小さな頃はお母さんがお寺だか神社に行くことに抵抗がありませんでした。他に大人をよく知らなかったので、それが当たり前のことだと思ったのです。他の人はあまりお寺や神社にもあまり行かないことを知ったのは、つい数年前のことでした。
「あ…ごめんね。育子も気になるわよね。別に、変な宗教とかじゃないのよ。ただね…上原の人間ってね、“そういうもの”を貰いやすい体質なのよ……」
私はドキリとさせられました。そんな話、聞いたこともなかったのです。
「育子は大丈夫よ。本家の子以外は、そういうのを持ちにくいみたいなの。
育子は本当に心配しないでいいの。念のためにウガサさん…ミカドさんの偉い祓い屋さんね。その人にあなたが赤ちゃんの頃に視てもらったけど、良くも悪くも普通の子だって仰ってたから。でもお母さんは、ちょっと危なっかしいから護符を頂いてるのよ。
もしミカドさんが人を寄越してくれるならショウちゃんもきっと大丈夫。本土でも一番の強い人が集まってる所だから、きっとなんとかしてくれると思うの。でも近頃は何か大変なことがあったらしくて、人手が足りなくてバタバタしてるから。こんな遠くまで人を寄越してくれる余裕はないんじゃないかしら……」
お母さんの挙動不審な言動の原因がわかりました。飛行機に乗らなければ来られない島に、偉い人たちを呼びつけるなんて烏滸がましいとお母さんは躊躇っていたのです。どちらにしろ人の命がかかっているのだから、遠慮どころか相手の事情をはねつけて頼み込んででも、無理を押させてでも来てもらうべきじゃないかって私は考えました。
そうこうしているうちに、電話が鳴りました。
まず間違いなくミカドさんからの返答です。今度はお母さんが受けに行きました。お母さんの声は高くて通りやすいので、所々ですが会話内容を聞き取ることができました。
「まあシマヅさん…まあ本当ですの!ありがとうございます!…はい、キデヌム…本土でいうところのキジムナーです…あと、よく知らないんですがウラヌスウドンとか…そう、それです。
えっ!シマヅさんとハヤマさん…そんな畏れ多い……」
よくよく考えれば、わざわざ電話をくれるということはつまり断る話になるとは考えにくいわけです。お母さんの甲高い声が一瞬止まったのを察した私は、耳を塞ぎました。
「やったわ!来て下さるらしいの!しかも、信じられないくらい凄腕の人たちよ!う母さん、ショウちゃんきっと助かるから安心して!明日の昼には来て下さるって!」
興奮したお母さんの声は耳に響くので、叫ぶとわかっているときには私はいつも耳を塞ぐことにしています。とあれお母さんの絶叫くらいでショウちゃんの命が助かるなら、安いものです。
私は力の抜けた溜息を吐いたクミちゃんを抱き締めました。ほんの僅かですが、希望の光が見え始めたのです。