:天才は灯籠を行く 肆
「貴方、最近、小学生の女の子に会いました…?」
私は弥做の名前を伏せ、津軽さんに聞いた。
「あぁ。会ったよ。…知り合い?」
やはり。弥做が会ったのは津軽さんで間違いない。
「あの子、なかなか癖のある子だね。この間起きた事件についても、なかなか詳しかったし……」
津軽さんは私の隣に座ってきた。
「君は知ってる? この街で流れてる、噂」
弥做に聞いたばかりだ。半ば舐めきっているその顔に向かって、私は言った。
「『都市伝説に憑かれると、殺される』……ですか…?」
「そ。『猿夢』の被害者が出た今、また更に加速するでしょうね」
「貴方は、スピリチュアル好きですか?」
「うん。哲学や、意味が解ると怖い話とか好きだよ? だから、今回の噂は、結構ワクワクしてるんだ」
本当に楽しそうだ。私は溜め息が出てしまう。すると津軽さんは、私に身体に寄り掛かってきた。
「…あ、あの……」
「ねぇ、藤九郎君。君のそれは、電気を自在に操れるのかな…?」
「え、えぇ……。シンプルに言えば…」
「ふぅん……」
津軽さんは私の顔を覗き込んできた。鼻の頭が微妙に掠れる。同性同士でこの距離は、些か緊張もするが妙だ。健全な幼児にこの情景は、些か目に悪い。
「あ、あの……。その……」
「面白い臭いがするね……。君とは仲良くやれそうだ…。なかなか可愛い顔してるし……」
「私に同性愛の趣味はありません」
「俺にだってないよ。でも、君のその受信メールはちょっと、俺の趣味を擽る…」
私はその言動に驚き、リュックの小さいポケットからスマートフォンを取り出した。確かに、津軽さんの言った通り、受信メールが来ている。
改めて、津軽さんにはゾッとする。ポケットの厚さは、受信の際に光る光が透ける厚さではない。しかも、サイレントモード。どう気付いたのか。
「………」
『今日は、小さな公園で、近所の子供たちと一緒に遊んだの。明日は誰が遊んでくれるかな? また明日』
「…………!!?」
「…………♪」
私の指先から電気が漏電する。私は表示されているアドレスを確認した。やはり、あの「merry」から始まる、メールアドレスだった。
「…身に覚えのないメールが、届いたと見た……」
「…なんで解ったんですか?」
明らかにおかしい。私は不覚にも、津軽さんに見とれていて気付かなかったが、津軽さんからリュックまでは、私を挟んだちょうど死角である。
津軽さんは、私を見て微笑むと、私の頬を第二関節で撫でた。
「…ん、ぅ……」
なんとも、はしたない声を出してしまった。先程から私に過度なスキンシップを求めてくるが、一体何なのだろう。
「藤九郎って、アホウドリの別名なんだってね……」
「……………」
「助走をつけないと、飛べない鳥。…君は知ってた……?」
「え、えぇ……まぁ…」
今度は私の頬をつついてきた。ポーカーフェイサーである私の顔が、徐々に赤面化していくのが解った頃、津軽さんも面白そうに笑う。
「…それで、なんでわか……」
バキバキッ!
「…………」
私は足元に転がっていた、違う空き缶に目を向けると、空き缶が派手に潰れていた。そして間も無く、私の目線の先にあったゴミ箱がゆっくりと潰れる。不気味なほど、静かに。
私が再び津軽さんに視線を戻すと、思わず背筋が凍るのではという笑顔で、私の顔を覗き込んできていた。
他に誰と間違えるか。この平和な公園で、空き缶とゴミ箱を遠距離技で潰せるのは、目の前のこの男しかいない。
「……で、出過ぎた事を…」
私は目線を逸らし、顔を下げる。
「藤九郎君。…君はあまり、こちらに入り込んじゃいけないよ……?」
「…え……」
私は目線を戻した。
「その能力がある以上、君に、平凡な日常は戻ってこない。…下手すれば……」
「君は晴れて、非日常の腹の中だ……」
私は何がなんだか解らず、ただ汗ばんだ手で、スマートフォンを握っていた。やけに粘着質な生唾を飲み込み、それでもこの目の前の男に、気圧された緊張で乾いた、口の中は潤したつもりだ。
「…もうそろそろ、か……」
津軽さんは立ち上がった。発言からして、用事でもあるのか。
「俺から助言出来るのは、ここまで。…話せて楽しかった。でも、くれぐれも気を付けて。…俺はもう行くよ……」
顔が近付いてきて、後ろに退こうと思った時にはもう遅く、肩を掴まれると、頬に唇を落とされた。
「…………!!?」
ポーカーフェイスを極めた私でも、これには流石に動揺した。
「な、なにを……!?」
「口止め料」
「は……?」
「君のそれは、他の人には言わないでおいてあげるよ。唇じゃないだけ、ありがたいと思ってよね?」
「貴方の口止め料は、口付けか接吻に限るんですか…?」
「その方が、どのような形であれ、俺の事、覚えるでしょ?」
最もだ。確かにこれであれば、恨みであれ、歓喜であれ覚える。現に私も、記憶のど真ん中に今の出来事が、焼き印で押された気分だ。
私はまだ残る感触に、頬を押さえた。
「プハッ、ハハ……ッ」
初なのは認めるが、笑われると腹が立つ。私はリュックをひっ掴むと、この狐のような男より先に公園を後にした。
「忠告はしたよ……。千影藤九郎君…」
津軽さんが何か言ったみたいだが、私には聞こえなかった。
私は家の近くで、再びスマートフォンを確認した。あの気味が悪いメールを見るためである。津軽さんのような趣味ではない。現実を見るためだ。
「公園で……遊ん、だ…?」
まさかとは思うが、先程いた公園に紛れていたのかと疑う。
−−−パチッ。
私の肩に、電流が走る。まだ慣れないため、私はその場で立ち止まる。気が付くと、もうマンションの前であった。
私はマンションで一人暮らしだ。両親は街にいない。更に言えば、海外にいる。だから私の頭の記事の事は知らない。それと、少し離れた所のマンションには、社会人の兄がいる。
私は、気味が悪いメールを見ながら、形だけと言わんばかりに、アドレスと番号を交換した、兄と両親の姿を思い出した。
一年間で、本家身内との受信メールトータルは、二桁にも満ていないのが現実である。あるのは専ら、仕送りの知らせだ。夜に爪を切ってはいないものの、果たして私は、親の死に目に会えるのだろうか。
この謎のメールアドレス。いつか、自分の家族よりもメール数が多くなってしまうのではと、嫌な気体が体内から込み上げて来そうであった。
私はエレベーターに乗り、部屋に向かうと、ドアを開けた。施錠はいつも完璧である。
「……………」
ふと疑問に思った。
「盗聴器は、いつ仕掛けられた…?」
今考えると、明らかにおかしい。私が最近招いた客といえば、弥做と、家の鍵が開かないと一時間程いた、奏。考えたくはないが、数ヵ月前には、兄がきた。
「………いや、まさか…」
考えたくはない。弥做とはずっと一緒であった。奏は自室に招いたものの、二度手間が嫌いな私は、自室に入る前に、買い置きの菓子と飲み物を持って、奏と一緒に入ったのだ。何が飲みたいかなど聞いていたので、仕掛ける隙などない。
兄に至っては、『心配で見にきた』と言って入り、特にといった笑い話もなく、私が兄から職場の話を少し聞き、兄は、『また来る』と言って帰っていた。
「……まさか…、他にも……」
私はリビングの中心に立つと、電流を少しだけ流してみた。流した電流が、斜め後ろにある観葉植物の陰に伸びる。
そこか、と、私は一気に電流を走らせた。
−−−バチ……ッ!
観葉植物の陰から、ごとり、と何かが落ちた。後ろを振り返る。
「………!?」
そこには、明らかに盗聴器という大きさではない。先端にレンズが付いている。
監視カメラだ。
私はまだ点いている赤いランプを見ると、恐怖が増し、まさに光の速さで監視カメラを破壊した。赤いランプが消えると、私はそこに座り込んでしまった。
−−−チリ……ッ!
「ひ………!!?」
身を縮めると、電流が走った。蛍光灯が割れる。テーブルの上に置いてあるカップが割れ、かなり高値のコンポも壊れた。
「やめろ。私を見るな……!」
駄目だ。漏電が続く。
誰かに見られ、聞かれる。これが落ち着いていられるか。耳を塞ぐ手が震える。
「頼む……。やめろ、やめてくれ……!」
やめてくれる気配などない。さしずめ、私の見えない所で、肆揮のようにケタケタと笑いながら、この情けない私の様を見ているのだろう。頭が痛くなってくる。
−−−カタンッ!
「………!?」
目を向けると、そこにはスマートフォンがあった。受信を知らせる、緑の光が静かに点滅する。私は、顎に流れてきた嫌な汗を袖で拭うと、意を決し、スマートフォンに手を伸ばした。情けない事に、まだ手は震えている。
起動させ、受信メールを確認した。
『明日は誰が遊んでくれるのかな?』
あのメールアドレスの主だ。
私はその一文だけかと、スライドさせ、確認した。
『あなたが遊んでくれるのかな?』
「………!!?」
更に下。
『それとも、あなたの、オトモダチ…?』
『やっぱり、あなた?』
『きーめた』
『明日はあなたと遊びましょ』
「………!!?」
私はスマートフォンを容赦無く、部屋の隅に投げつけた。
なんだ。なんなんだ、あのメールは!
明日は私と遊ぶだと!? どういう意味だ!?
−−−クスクスクス………。
笑い声が聞こえる。ついに頭がパンクしたか。幻聴まで聞こえてしまうとは愉快なものだ。
私は再びスマートフォンに目を向けると、またあの緑の光が点滅している。私は、四つん這いで近寄り、手に持たず、確認した。どうやらスマートフォンは生きているらしい。
しかし、私の平常心もついに尽きる。
『私の名前、×××っていうの』
『オトモダチになリマしョゥ…? ナカよクしまシよう……?』
『千影藤九郎』
私はその後、近所迷惑などお構いなしに、悲鳴を上げて倒れた。