:狂人は幻影を映す 肆
「…………」
朝起きたら、肆揮がいなかった。書き置きもないなんて珍しい。もう学校に行ったのだろうか。僕は朝食を済ませると、いつもと同じ時間に家を出た。
僕が同級生の住むアパートで見たのは、人集りと、ブルーシートと、朝から眩しく、けたたましいサイレンを鳴らし、光る救急車だった。隊員に運ばれていく同級生の手が、隙間から見えた。
僕は信じたくなかったが、犯人はと、唇を噛む。同級生は何かに遭う前に、奏とおぼしき人物に、家のインターホンを鳴らされていたらしい。何故自ら出て止めなかったか疑問だが、同級生のあの反応はおそらく、その人物が部屋に入ってきたのだろう。流れ的に考えて、同級生は助からないと薄々思って、僕は携帯を握り締めた。
おそらく、近くにあった携帯の発信履歴を発見されれば、僕は事情聴取でもされるのだろうが。
−−−ブブ……ッ。
携帯がバイブで震える。僕はすぐに起動させた。メールは、交響楽団のコンマスからだ。
『この度は、××県で開催されるコンサートへの参加、ありがとうございます。詳しい日程については…』
「おい、なんだよこれ…!」
僕に、こんな承諾をした記憶は一切ない。僕が、僕達がどれだけ、そういう誘いを断ってきたと思っている。ただ純粋に音楽が好きな僕達に、惨い大人の汚い手が伸びてくるから、今でも縁のある所しか世話になっていないと言うに。
しかし、このメールから、僕の疑いは少しずつ晴れていく。そうであってほしくない答えに。
−−−ブブ……ッ。
今度は管弦楽のホルンの先輩。
『瀬能兄が、わざわざスコア届けにきてくれたんだけど、なんかあった?』
「…………!?」
考える間もなく、次のバイブが鳴る。
『奏君から聞いたんだが、次のフィルハーモニーに出てくれると聞いて、再度お礼を……』
「おい、待てよ! 待ってくれよ!」
僕はその場を離れ、メールを処理していく。僕は奏に電話をかけるが、全然反応がない。舌打ちが出るのも無理はない。次に、ホルンの先輩に電話をかける。
『……ん、よぉ、瀬能弟。メール見てくれたか…?』
「本当に奏でしたか、そいつ!」
『いきなりどうしたんだよ。いっつも見分けつかねぇから、名前いつも最初に聞くだろうが。本人が瀬能兄だって言うから…』
「そうですか、ありがとうございます!」
悪いが一方的に切らせてもらった。
僕は今、学校どころではない。早くしなければ。この不可解な奏の目撃情報をつきとめなければ。
「……奏が、危ない…」
藤九郎君が、登校早々倒れた。
昨日のあれが原因だと、僕はすぐに解った。運動部の協力があって、藤九郎君は保健室に運ばれた。その後の看病は先生に任せられたが、僕は休み時間に藤九郎君の様子を見に行った。
苦しそうに寝ているかと思えば、気持ち良さそうに寝ていた。いつ見ても綺麗な顔だ。虚弱な色白の肌は、ガラス細工みたいに脆そうだった。思わず肌に触れて、指先で首を辿る。
「…ん……」
起きてしまった。開かれた藍色の瞳が、僕を写す。
「…奏……?」
「よかった。気分どう…?」
「……身体が、重い…」
また目を閉じた。
「…うん、具合悪そうだよ。今日は早退した方がいいと思う」
「……でも…」
僕は、藤九郎君の肩を撫でる。
「無理しちゃ駄目。…昔から身体に無理が利かないんだから。今日はゆっくり休んで……ね…?」
藤九郎君は少し視線を落とすと、小さく頷いた。先生が送ると言ったが、人に頼るのが苦手な藤九郎君は、一人で帰ることを譲らなかった。
僕は授業ギリギリで、担当の先生に藤九郎君の早退届を出し、席に着いた。
「…………」
僕はバレないように、携帯を起動させた。僕は、いけないと思いつつも、携帯に監視カメラの映像を連動させていた。
「…何もないといいけど……」
した覚えのないコンサートの誘いを受け入れた事、ありもしない連絡。回したはずがない意味深なチェーンメール。
僕は初夏に差し掛かる暑い日差しに背中を焼かれ、汗が拭いきれない。水分が欲しいとは思うが、今はそうもしていられない。
「奏……が、奏が……!」
心臓が痛い。僕は噴水の近くで、膝に手をついた。
−−−ブブ……ッ。 ブブ……ッ。
「な……」
次第に繰り返されるバイブ音。着信かと画面を見ると、メールがひっきりなしに受信している。
「…くしょぉっ! なんだってんだよっ!!!」
僕は携帯を地面に叩き付けた。周りにいた人は、僕に視線を向けている。しかし気にしてはいられない。僕は奥歯をギリっと鳴らすと、まだ生きている携帯を拾い上げて走った。
−−−ブブ……ッ。
何故かその受信メールには反応した。
奏だ。
『大切な物は、大好きなモノは、その『スベテ』が愛しい……』
『千影藤九郎は……藤九郎君は…僕のモノ……』
「………!!」
僕は声を押さえて、叫びたい気持ちを呑んだ。が、感情は零れ落ちる。
「な、で……奏ぇ!!!」
僕は感情を露に出来ない。下書きのメールに、感情をぶちまけるだけ、気は楽だ。
僕は藤九郎君が愛しい。
でも、彼には僕は幼馴染みでしかない。だから、言えない。でも、愛しい。狂っているほどとも、自覚がある。
誰がやったかは知らないが、この監視カメラの映像は、藤九郎君を近くに感じられた。
「…え……」
藤九郎君が帰ってきた。帰ってくるなり、カーテンを閉める。
「と、藤九郎君…?」
携帯をいきなり投げつけたり、明らかに普通ではない。
何かに、怯えているような。
僕は立ち上がった。
「…どうした、瀬能」
僕は焦り、携帯を陰で握り締めた。
「すみません、先生。トイレに……」
先生の許しを貰わぬ内に、僕は教室を飛び出した。そのまま階段をかけおりて、度々動画を確認した。
「藤九郎君…?」
僕は携帯の音量を上げる。
『やめろ! 私の中に入ってくるな!!』
「藤九郎君…!?」
僕は誰もいない事を確認すると、藤九郎君のマンション前を思い浮かべて、爪先を鳴らした。
目を開けると、そこは藤九郎君のいるマンションだった。僕は直ぐ様爪先を鳴らして、部屋の前まで飛んだ。
僕はドアをノックする。
「藤九郎君! 藤九郎君、開けて!!」
何回も鳴らした。が、藤九郎君は出てくれない。ドアノブも回してみるが、開くはずもなく、僕は焦った。
「藤九郎君!!」
−−−ガチャ……。
「うわ……っ!?」
いきなり開いて、僕は中に転がり込んだ。頬骨が玄関の段差に当たり、激痛が走る。が、僕はすぐに顔を上げた。
「藤九郎君!」
「黙れぇぇぇぇぇぇええぇえぇぇええぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!」
僕は藤九郎君の大きな声に驚いたが、すぐに藤九郎君に走り寄り、怯える彼の背中を抱いた。
「あああぁあぁぁぁあああぁああぁぁああぁあああぁぁぁああぁあぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁあぁぁあぁあぁぁぁぁぁぁあぁああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁああぁぁあぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁぁぁぁあぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁああぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁ!!!!!!!!」
藤九郎君は発狂していた。体格こそは違うが、僕は藤九郎君を包み込むように抱き締めた。
「藤九郎君、大丈夫だよ! 僕だよ!!」
「あああぁあぁぁぁあああぁああぁぁああぁあああぁぁぁああぁあぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁあぁぁあぁあぁぁぁぁぁぁあぁあ!!!!!!」
しっかりしてよ、大丈夫だから。藤九郎君。僕だよ。気付いて。
「僕だよ! 奏だよ!!」
「なニ言っteるノ……?」
僕と同じ声。肆揮が来てくれたのかと後ろを振り返った。
「……え……」
『ナに、してル、の……?」
何故、こんな事になっているんだ。
「ボくは……トウ、く郎君が……愛しい………。だから……」
見えたのは、鈍色に輝く鋒。藤九郎君の悲鳴も止んで、その者は不気味で、凍りつくような笑みをその鈍色に添える。
「スベテハ、キミガタメ……」
その後の事は、覚えてない。
ただ、眩んだ視界に浮かぶそれと、耳にある言葉が流れてきたのは覚えている。
「……あーあ」
「もうおしまいなの…?」
一体、何が終わりだと言うんだ。
藤九郎君は……。藤九郎君は………?
……あぁ、なんで倒れてるの…?
そんな……。嫌だよ……。藤九郎君……藤九郎君……。
「僕、は……」
「……で。奏……」
…………。
「…お願い、目を開けて……。奏……」
僕の目には、見慣れた天井があって、手には、触れなれた温もりが感じられた。きつく握られた手は、すっかり汗ばんで、隙間から感じる冷気が気持ちよかった。
「……肆揮…?」
喉から絞り出した必死の声に、手を握っていたその手が、一瞬緩む。天井の次に僕の視界に映ったのは、涙をボロボロと流す肆揮がいた。肆揮は僕と目が合うと、僕に抱き着いてきた。久しぶりに、弟らしい一面が見れて、僕は少しホッとする。
「……肆揮、僕は……」
「…あのね、奏…」
肆揮は続ける。
「大事な話がある……」