:文武は曇天を仰ぐ 弐
都市伝説に憑かれると殺される。
この街ではいつしか、そんな噂が流れていた。新聞にも挙げられるほどに、この大学でもかなり有名だろう。
「えぇ。一応知ってますけど……」
「実際どうなんだろうな。私も某動画サイト見てる身だからな。大抵の物は解るけど……。マジレスする奴等がマスコミ内にいたとは……」
確かに、内容としては現実味が無さすぎる。よくも編集者が許したものだ。
「教授としては、如何です?」
「いや、普通に興味深いと思うよ?」
言われれば少し楽しそうだ。
「……って、ああぁあ!」
片付けた本を持っていた手を見ると、もう次の授業が始まる。私はその場に本を落とした。
「き、教授! 私、これで失礼します!!」
「あ、おい……」
止めないで頂きたい! 私は急いでいるのだ!
大学を出ると、もう日が暮れていた。私は買い物を済ませ、家に帰るところだ。それにしても疲れた。サークルで随分な汗をかいてしまったせいもあるが、あの後も結局、教授の部屋の片付けを手伝った方に、不等号が向いているのが解る。
「あーもー。飲み会にも行けなかったし…。疲れたよー…。家に帰ったら実況動画見ようっと……」
足取りがフラフラする。
すると、目の前に何かチラついた。私が顔を上げた時には、そのチラついた何かにぶつかり、私は尻もちをついた。
「あ、す、すみません……」
「あ?」
あぁ。私は今日、とてつもなく運が悪いらしい。目の前にいたのは、金髪のガラの悪い男がいた。私の口角が引きつる。
「おい、何処見て歩いてんだよ。姉ちゃん」
明らかに声音を極力低くしているのが解る。
「あ、あの……す、すみません」
「あ? なんだって? 聞こえねぇなぁ…?」
あぁ、拳で黙らせたいけど、そうもいかない。あぁ、でもウザい。殴りたい。女が誰しも、か弱く大人しい、おしとやかな乙女だと勘違いしてる馬鹿め。私の拳は鉄拳を通り越してダイヤモンドと言われたほどなのだ。顎の骨を粉砕されたくなければ、さっさと私の荷物を両手で拾って、五回頭を下げろ。
とは言えるはずもない。言いたいが。
「おい、聞いてんのか!?」
私は腕を掴まれ、無理矢理立たされる。反射的に出そうな拳を押さえる。が、私の目に映ったのは、拳に変えられたもう片方の男の手。
「……!!?」
私は条件反射で、拳を振るおうとした。
が、視界が一気に黒に染まった。打ち所が悪く、意識を失ったかと思ったが、目が開けられるのでそうではないらしい。私の視界の黒は、私より背が高い青年の、学ランの黒であった。
「………」
「あんだてめぇ!」
男に怒鳴られる学ランの青年。しかし微動だにしない。その手には、男の手首を握られていた。男を見ると、痛いのか表情を歪めている。
「いえ、嫌がっているように見えたので………」
青年は落ち着いた口調でそう言った。
「それに、女性に手を上げるのは、如何なものかと……」
「うるせぇ!」
もう片方の私を掴んでいた手を拳に変え、青年に振るう。が、青年は首を傾け、それは当たらない。驚いた事に、その後繰り出される蹴りやパンチも、全て涼しい顔をしてかわす。しかも、ほとんど動かず、ポケットに手を入れたまま。
私の後ろを通る通行人も、その光景を見ているだろう。青年はいきなり後ろを向き、通行人の目線が自分に向いているのを確認する。そして後ろを向いているにも関わらず、かわす。
「証人は…これだけいれば充分、かな…?」
「余所見してんなぁ!」
青年は爪先を軸に回転し、その長い足で男の横腹に回し蹴りをした。男は横に吹っ飛んだ。
青年は私の方を見る。
「…お怪我は……?」
「え、え……? あ、え…?」
私は驚いた。私の前にいたのは、若返った教授だった。
「……あの、大丈夫ですか…?」
違う。この人物は、教授の弟の、千影藤九郎だ。それにしても、よく似ている。
「安心していいと思いますよ。正当防衛と言えば、同意してくれる方はいるかと。一方的に殴っていたのはあちらなので……」
弟さんは、私の荷物を拾ってくれ、手に持たせてくれた。
「幸い、相手も伸びてくれてますので、私はこれで失礼します……」
弟さんは、フードを被ると、私を置いて帰っていった。私もそそくさと、その場を後にした。
「千影、藤九郎……」
私はシャワーを浴びながら呟いた。シャワーを止めると、濡れた髪を弄る。ルームウェアに着替え、冷蔵庫の中にあるビールを出して、一気に喉に流す。いや、この為に生きていると実感する。私はパソコンを起動しながら、「かーっ!」と一服する。
「さて、動画動画…っと…」
弟さんの事も気になるが、とりあえず今は息抜きをしたい。好きな実況者の最新動画がアップされていて、すぐに見る。
冒頭からの茶番で、私は早くも腹筋を痛める。
「…ん……?」
私は動画の上を見た。
『不信メールの被害者多数。メールアドレス゛merry.nnn@××××.ne.jp゛』
私は動画を止めた。
「これ、まさか……。メリーさん…?」
『メリーさんの電話』。
有名な都市伝説だ。流れた頃は、電話での場合しかなかったが、最近のメリーさんは、SNSを使ってくるらしい。
メリーさんは電話で、『もしもし、私メリーさんよ』と名乗った後、自分の居場所を告げ、送信者にだんだん近付いてくる。そして最終的には、『今、あなたの後ろにいるの』という形で、コピペは終わっている。
そんなメリーさんにも、笑い話が存在する。
例を挙げるとすると、
『もしもし、私メリーさんよ。今、あなたのいるマンションの前にいるの』
その次の電話。
『もしもし、私メリーさんよ。オートロック開けてくれる?』
と、最新セキュリティに引っ掛かるという、お茶目なメリーさんの笑い話も存在する。
が、今起きているこの事件については、どうやら笑い話ではないようだ。
「教授も、巻き込まれてないかな……」
私は脳裏に過った教授の顔を気にかけた。あの弟さんあっての、あの教授、千影誠十郎がいると考えると、あまり心配はなさそうだが。
「…うーん。とりあえず動画見よう!」
教授なら、きっと大丈夫だよね。
私としたことが。
デスクに伏せって眠ってしまうとは。額がすごく痛い。とりあえず、キーボードの跡が消えるまで皮膚を伸ばすことにしよう。
「…あれ……?」
新着メールが届いている。またなんかの広告だろうと、私は一応開いてみる。
『おめでとうございます』
件名はそうあった。この私に詐欺行為を行おうというのか。いい度胸だ。見るだけ見て即消去してやろう。
『おめでとうございます。貴女は見事、多くの視野を有する事が出来るようになりました! これからの人生を、是非お楽しみください!』
なんの事だ? 更に下を見る。
『やり方は簡単。目を閉じて、視界を奪う人の顔を思い浮かべるだけ! さぁ、Let's try!!』
視界を奪う人? どういうことだ?
しかし、馬鹿げているが、少し興味がある。所詮、私は一人暮らしだ。やったところで誰も解らない。
まずは、目を閉じて……。
視界を奪う人の顔を……。顔を……。
−−−………。
私は目を開けた。
「………!!?」
私は目を疑った。私の目に映ったのは、メールを開いていた自分のパソコンのディスプレイではなかった。
見慣れたデスク。傷んだ古書。
「…う、そ……!?」
『ははっ。へぇ、そういうオチなんだ……。ははっ、は…っ!』
聞き慣れた声。
「…き、教授……? 教授の、部屋の、教授の声……? 教授の……」
−−−視界……。
そうだ。私は無意識にも浮かべた、千影誠十郎の視界を『奪った』。
私は目の前でめくられる古書。教授はそれを見て笑っている。私にはよく解らないが、この視界は、確実に教授のものだ。
この力をすぐに信用するとは言わないが、怖いと思う反面、私はすごいと思った。
「こ、これ……。遠距離でもいけるのかな……?」
私は目を閉じた。そして、実家の母の顔を思い浮かべる。
「あ………」
流石、私の母。もう起きて、祖母や使用人のために朝ご飯を作っている。目に映る味噌汁を見て、私は生唾を飲み込む。
『ねぇ、閖さん。維咲ちゃんは、悪い男に引っ掛かってないかね?』
祖母の声が聞こえる。
『またその話? 大丈夫よ、あの子は』
母が味噌汁をかき回しながら言う。
私は視界を解除した。
元の景色が戻ると、私は息を吐いた。
「…あ、は……アハハ、ハ…。何よこれ……。凄すぎでしょ……」
呆れてディスプレイの端に目を向ける。
「…ヤッバ! 授業に間に合わなくなる!」
私は椅子から立ち上がり、服を脱ぎ捨て、素早く着替えると、荷物を詰めて、部屋を蹴破るように出ていった。
「…あ、そうだ。摩季、今、何処にいるんだろう……」
私は走りながら、駅で待ち合わせを約束していた友人の顔を思い出した。約束の時間をとっくに過ぎて、乗るはずの電車を逃している。私は目を閉じて、開けてみると、そこは駅のホームだった。私は驚いて足を止める。
『おっそいなぁ……。電話にも出ないし』
あぁ、申し訳ない。本当に申し訳ない。私は自身の運動神経を信じて、商店街を走り抜けた。
「あ、維咲ぃ! もう、遅いよ〜!」
「ごめん、寝坊しちゃって!」
「また動画見てたんでしょ? 夜更かしも程々にしてよね!」
「うん、次から気を付けるよ。でも、あの実況者、面白くってさ! まだ見切れてないんだよね」
私はなんとか間に合った。
それもどれも、この、能力のおかげだ。
「それでね、その実況者がさ、今回も面白くて……」
『おめでとうございます。貴女は見事、多くの視野を有する事が出来るようになりました! これからの人生を、是非お楽しみください! やり方は簡単。目を閉じて、視界を奪う人の顔を思い浮かべるだけ! さぁ、Let's try!!』
『どうですか? 視界を奪う事が出来ましたか? しかし、使いすぎにはご注意下さい』
『どうなったって、知りませんよ〜?』
『ではでは。忠告完了〜! さよーならー!』
『by ××××』