9.急がないはずだったのに
「保留で!」
それだけ言うと、私は乱暴に茶器を集めて台所へと逃げた。
あのままあそこにいたら、きっと自分に都合の良い思い込みをしそうになったから。いや、もう十分してしまっていると思う。だって求婚だよ、求婚! 何その人生の一大事!
きっと顔が赤くなっているに違いない。やたら顔が熱いから。落ち着け、落ち着こうか自分!
茶器を洗うため水に触れたら、そこから冷たさが伝わって少し冷静になった。あくまでも少し、でしかないが。
表情の変化があまりないアルマジット氏の、顔色を多少ではあるが読めるようになってきたと思う。だからこそ落ち着いた今なら分かる。あの彼の言葉には愛だの恋だのが含まれていないことを。夢さえ見られない。
嫌われてはいない。むしろ順調に餌付けしていた気さえする。私だって彼を男性として意識していなかったから、双方に男女の色はない。それがまた腹立たしいのだ。そう、照れてるんじゃない。こう、女のプライドに抵触してしまった感じ。
私は十八歳の乙女に属している。
「結婚? 興味ないわ~」
なんて発言を常からして、そう思ってはいても。吟遊詩人の語る恋物語にときめかないわけではない。つまり私への恋情などないくせに求婚されたのが許せないのだ。なんという矛盾。
親が生きていて、婿を連れて来たとしたら、やはりそこに愛とか恋はないはずだけれど、ここまで腹は立たなかっただろう。それはそういうものだからと。
ただ私とアルマジット氏はここ数日、それなりに近い距離で行動してきたわけで。なのに私には女としての魅力がなかった、あるいは彼に女として見られる要素がなかったのかと、今度は落ち込んだ。
結婚する気がないなら、相手にどう思われていようが構わないはずだけれど、それはそれ、これはこれ。乙女心は複雑なんである。
「だめだ、ちまちま素材を洗うなら水路使うし、そうしたら顔を合わせてしまう。別の作業をしよう」
今は、直接会わない方が良い。まあ夕飯は一緒に取るから、それまでの間くらいは一人きりになれる場所に行こう。
我が家は平屋ではあるが、地下がある。水路が通っていたりするので室温は低い。だから食料品の保存庫であったり、薬の材料の保管場所にもなっているわけだ。謎道具を含んだ収納倉庫もあれば、どうやら何かの作業場所に使っていたらしい空き部屋もいくつか。地上で「口」みたいに繋がった棟の下に同じように繋がった空間があって、つまり総面積はなかなかに広い。
私は台所にある階段を下りて、通路を通って住居棟の下まで移動した。その一室を占めるのは、母が使っていた織機だ。各地下の天井は、地上部分より少し高い場所にあり、明り取りの小さな窓が設けられているので、昼間ならば真っ暗というわけでもない。もちろん、魔玉ランタンは持参しているけれど。
織機には縦糸が通されて、次の作業を待っている状態だ。ただ、織物には時間が掛かるから、本格的に冬ごもりするまではお預けと、布をかけてある。
織機の横にも、染め終えた糸を収めた棚があり、また別の場所にはまだ羊毛のままの塊と糸紡ぎ機があった。
私はその前の椅子に座って、羊毛を設置する。本当ならばお山からの収穫物を少しでも片付けねばならないのだが、それらの作業をするためには、どうしても水路に出なければならなくなる。そうすればそこに彼はいて。私はまだ整理できていない感情をかき回されることになるだろう。場合によっては、彼を詰ってしまいかねない。だから必要なのは無心でできる単純作業。そのために選んだのが糸紡ぎだ。冬になってからでもよい作業ではあるが、糸にしておくのは無駄にならない。
高地が広がるこの近辺では、農家であっても山羊は飼う。それと同じように、近くの村では昔から羊の飼育が盛んだった。そこから羊毛を買い、必要ならば皮を買い、また特別なお祝いの席には子羊を屠ってもらう。羊は生きている限り毎年毛が刈れるので、早く潰すとその分の儲けが減るのだ。年老いた羊は食肉とされるが、いささか硬く癖もあって、それほど高額ではなく取引されている。だが子羊の肉は柔らかく癖もないから好まれるもの。なので、本当にお祝いの席だけで味わえる希少品。早めに潰すだけの価格が上乗せされるからの高級肉として。そう、主に結婚式だとか。
「うーっ、また思考が戻ってしまったじゃないのっ!」
ものすごく正直な話。アルマジット氏の婿入りは、むしろこちらが両手を広げて歓迎したいほどの良縁だ。
彼がかなり裕福だろうということも分かる。嫁の稼ぎが必要ないくらいに。単独で深層に潜れるのだから。
そもそも魔導士は贅沢な暮らしも約束されている程に希少な存在。魔導士としての資質は親から子へと受け継がれることも知られており、当然、その血を取り込みたい有力者なども多いだろう。
この数日、行動を共にして見聞きした彼からは、金に頓着する様子は見られなかった。彼が求めるのは、美味しい料理と天幕の中のような快適さ。魔素や魔法への探求。そこには私自身の関心と共通するものも多い。だからこそ、一緒にいるのは苦にならない。むしろ自然と受け入れられていた。
価値観と距離感。これが適度で心地よい相手なんて、結婚相手にはうってつけである。なのに、かてて加えて。
「アルマジットさん、有能すぎるっていうか、便利すぎるんだもん」
多彩な魔法を使いこなし、山歩きの際でも無類の強さで護衛もしてもらえる。底の見えない収納力。持ち帰れなくて涙を飲んだ、あれやこれやだって収納してもらえてざっくざく。面倒な獲物の移動も処置も魔法でおまかせ!
「慣れて、頼り切っちゃいそうなのが怖いんだよね」
結局はそこなのだ。彼はあまりにも有能で、私がやりたいことをするのに、文句も言わずに手伝ってくれている。今はまだ、そこに慣れはないけれど。頼ることに慣れてしまった後で、捨てられたらきっと立ち直れない。
悲観的な予想ではあるが、べったり依存して良いように自分を便利使いする妻とか、それ、捨てられても文句も言えない悪妻じゃないか。
一人だから、誰にも頼れないから。自分の力だけで生きていくのだと言い聞かせてきた。家族以外に甘えて頼るのは苦手だ。けれど元々が一人娘で、薬師としての修行以外では、両親からもまだ存命だった頃の祖父からも、ある程度は甘やかされて来た身。つまり、一旦そういう相手だと認識すれば、甘えることに抵抗はないんである。
食堂で働いていた頃に、軽く口説いてきた冒険者たち。彼らが真剣に将来を見据えてそう言ってくる訳でないのは感じていた。冒険者は長く一か所に留まらない。身体が動くうちにより稼ぎの良い場所へと移動する。所帯を持つのは大抵が引退後。それも地元に帰ることが多いとか。だから本気にするわけにはいかなかった。遊びで関係を持つとか絶対無理。私は、彼らが去っても残ってここで生きていくのだから。昔からの村の人たちから白い目で見られるような行動なんてできない。家から離れられなくて、街中への移住すらできない私が、旅立つ彼らについていくこともまた、ありえなかった。むしろ、ここに残って婿入りしてくれるというのであれば話は別だが、そんな旨味のない選択を彼らは選ばないだろう。
グラムがまだ小さな村に過ぎなかった頃。村人は全員が血縁だった。遡れば確実に血が繋がっている。血が濃いのはよくないと、経験則で知っていたから、なるべくよそから結婚相手を選ぶ風潮があった。現に私の母は例の羊の多い村から嫁入りしてきた人だし。
「今夜は羊にしよう」
母の思い出に満ちた部屋にいて、かつて母から習ったように糸を紡いでいるうちに自然とそう思った。母の好きだったあの――。
どがん。
地下まで揺らぐほどの音と振動が私に伝わったのは、そんな時だった。
慌てて糸紡ぎを中断して居住区へ上がり、そして中庭へ。どこが原因なのか探ろうとした私の耳に、複数名の声が届く。店の方だと判断して飛び込んだ場所で。私は大穴の開いた壁と対面したのだった。
その場にいたのはアルマジット氏。そしてシルパにチャンダである。シルパは食堂常連の低層ダンジョンガイドをしてくれた中堅冒険者。チャンダは私の勤めていた食堂兼宿の持ち主バドリおじさんの娘だ。
もうもうと舞う土埃に全員が噎せていた。
『サヴァチャタ』
アルマジット氏がそう魔法を使って埃をどこかにやると、店と隣の作業所の間の壁が大きく崩れているのが見えた。作業所は現在、各種素材を乾かす場所として使っており、当然それらも被害にあったはず。石と木でできた壁は作業所の方角へと崩れているのだから。
「何があったのか、説明してくれるわね?」
漏れた声は、自分のものながら地を這うように低く怒りに満ちていた。
「処置し終わった革を運んで来たら」
「知らない人が我が物顔でいるんだもん!」
「不審者がいるから攻撃しろって言われて」
アルマジット氏、チャンダ、シルパが一斉に話し出すのを止める。
「一人ずつ! 一人ずつ話して! 最初はアルマジットさんから!」
彼は猪の肉を小分けにして収納した後、脂肪を除去して、毛も除去した上でなめしてくれたようだ。猪の毛って硬いから、あまり毛皮にしても嬉しくないと裏山からの帰り道に話したから、革にしてくれたんだろう。防水性もあって丈夫で長く使えるから、靴や鞄にするのに丁度いい。あとは寝袋とか天幕とかにも適している。地味に薬品で毛を除去するのも大仕事なので助かった。で、彼としては家の中では中庭と風呂と、そして店にしか通されていなかったから、店に運んだと。
チャンダは私に用があって訪ねてきたようだ。元々が村人同士だったから、急な訪問も、誰何なく家に上がり込むのもよくある話。しかしそこに見知らぬ人物がいた。しかも男性。一人暮らしの私の家に悪意あって入り込んでいる怪しい奴、と思ったそうだ。
アルマジット氏は寝泊まりをダンジョンの中でしていて、バドリおじさんの宿には泊まっていない。街には他にも宿も食堂もあるけれど、パドリおじさんのところは大きい方だから利用者も多い。泊まっていなくとも食事には来る客もいて、街に滞在している冒険者の顔はだいたい見知っていたりもするものだ。ただ彼は、食事には出るがギルドから一番近い店を利用していたらしい。たしかに私だって知り合ったのはダンジョンの中だったから、チャンダが知らなくとも無理はない。
シルパは、私をチャンダが訪ねるというので、バドリおじさんに頼まれてここまで同行したのだと言う。この辺りは本当に人がいないから。チャンダはおじさんの所の末娘で、心配が高じての依頼らしかった。長男は他のダンジョン都市の宿で修行中。次男は冒険者になって食事と寝る時にしか帰って来ない。たった一人の女の子でもあるからまあ分からないでもない。チャンダが可愛い顔をしているのも本当のことだし。で、家に着いたらいきなり「泥棒だからやっつけて!」と言われて咄嗟に敵方面に剣を向けたと。中堅クラスになると技量が上がって武器に魔力を乗せられたりするらしく。結果、壁が大破したと。
アルマジット氏はチャンダを知らなかったが、その後ろにいたのが知古のシルパだったため、攻撃されるなど予想はしていなかったものの、咄嗟に避けたと。彼が避けた背後が壁だったという顛末らしい。何これ。頭痛いんだけど。
「アルマジットさんに問題ないことは分かりました。一番問題なのはあなたね、チャンダ」
「あたしは! 泥棒か何かかと思って!」
「どうして私のお客だと思わなかったの? 少なくとも確認はしなさい。本当に泥棒だったら逃げるはずでしょう?」
「お姉ちゃん、きれいだし、一人で住んでるし、お父さんだって悪い男に狙われたら大変だって心配してたし! ここじゃ助けだって呼べないじゃない!」
ふんす、と鼻息を漏らすチャンダは、自分は間違っていない姿勢を崩そうともしない。まだ十二だから仕方がないかな、と思う面もある。私だって慕ってくれるチャンダには甘い。でも十二だと私が両親を失った歳だと思うと、もう少し落ち着いて視野を広げて欲しいところでもある。
そうやって私が効果の見えないお説教をしている間、シルパはアルマジット氏に詫びていた。
「自分で確認せずに攻撃しちまったのは俺の落ち度だ。すまなかった。アルマジットでなければ、無実の人間を殺すことになってしまったかもしれん」
「そう! それよ!」
シルパの話に割り込んでチャンダの耳を引っ張った。
「あなたの早とちりで、シルパは無実の人を殺してしまったかもしれないし、その場合、命じたのはチャンダだってことになるのよ。悪人だったら殺して良いってわけでもないけど、あなたのせいで悪いことをしていない人を殺しかけたのだと反省しなさい」
さすがにこれは効いたらしい。チャンダは目を大きく見開いて、やがてそこからぼろぼろ涙がこぼれ、やがて号泣したのだ。
「ごめっ、ごめんなざい」
「あなたが謝るのはここにいる全員によ? 危うく怪我するか死ぬかになるところだったアルマジットさん。あなたのせいで人を傷つけるところだったシルパさん。そして家の壁を壊された私。はい、順番に謝って」
元は素直な子なのだ。本当に反省しているかも分かりやすい子で。彼女が二人に、そして私へと謝るのを見守った。アルマジット氏もシルパも、どうやらそれで許すようだ。万が一を考えれば私たちが早々に許すのは甘いと言われるだろう。でもだからと言って、いつまでも責め続けるのもどうかと思うのだ。バドリおじさんに手紙を書こう。そして怒る役割は親に引き受けて貰うのが筋だ。
「謝罪は受け取ったわ。ただし、片付けは手伝ってもらうわよ? 作業場がとんでもないことになってるみたいだし。とりあえず、中のものを中庭に出して行ってちょうだい。それから掃除ね」
素直に作業場へ入るチャンダを見送る。穴開けたの俺だし、とシルパも続く。
「何だったら、部屋の中のものは私が一挙に収納してしまっても良いが」
残ったアルマジット氏が言ってくるのに首を振る。
「それではチャンダの罰になりませんから。幸い、シルパさんも手伝ってくれるようですし」
「そうか。だがこの壁の処理くらいには手を貸しても良いか?」
「それは助かりますけど」
じっと壁の惨状を眺めていた彼が、ふいにこちらを向いた。
「思ったのだが、この壁はいっそ全部取り払って、店を広げるのはどうだろう?」
店と作業場は同じ棟にある。なので壁を取り払ってしまえば、一棟丸々が一つの部屋となるだけで難しくはない。
「この家は、見る限り広さもあるようだし、作業場を他に移すことができるのならと思ったのだが」
「部屋もあるので、移すのはできます」
隣の棟は倉庫に使っているので、そこを片付けても良いし、地下にならば空き部屋もある。
「改装についてまだ話が途中だったが、部屋を繋げることでゆったりした店内にできる。席数を抑えたままでも、その方が客の居心地も良いだろうし、配膳する君も動きやすいのではないか? 何だったら部屋の一角を荷物の置き場にするとかの使い方もできるだろう」
アルマジット氏の言葉でそれまで曖昧だった店が、現実のものとなった気がした。
まだ蓄えはあるし、改装も開店も春以降にして、それまで冬中のんびりと、店を飾る小物や壁掛けを作ったりしようかと漠然と考えていただけだった店。どこか現実感がなかった。自分でも心のどこかで無理なんじゃないかと思っていたところもある。
壁を取り払う。それが同時に、私の心の中の壁すら吹き飛ばして、新しい風を運んできたようだった。
そしてまた、風を呼んだアルマジット氏への新しい感情がまた、小さく芽生えた気がした。
アルマジット、便利だなって、作者も思っています。一家に一人欲しい人材。
積極的に恋愛にするつもりはありません。キャラに任せている感じです。
次はご飯出ます。




