5.山は誘う(前)
「誘う」ではなく「誘う」です。
タイトルにルビが振れない……。
前後編のため、五話と六話を同時投稿します。
山に入ると、あたりは本格的な秋の盛りだった。木々の葉は色付き、足元をも落葉が染めている。踏みしめるといささか滑りやすいが、目には美しい。
たった十年でダンジョンの恩恵にすっかり慣れて甘えている事を自覚する。季節の移ろいに鈍感になった。日々齎されるものが一年中変わらない弊害だ。
長年、山歩きの相棒であった木の杖で足元を探りながら、私は先行して山を登っていった。
早朝、我が家の前で合流したアルマジット氏の姿は、ダンジョン探索時のものとほぼ変わらない。
「防寒装備でなくて大丈夫ですか?」
「ああ、このローブには環境順応の付与がしてある」
何それ、便利そう。背負い袋の中に防寒用の衣類を詰めたために背中が膨らんでいる私と違って、荷物も少なくて街中にいるようにスマートだ。
私の場合は、山歩きをしていると暑くなるためにやや薄着。ブラウスの上から毛織のケープを羽織っただけだ。山は気候が代わりやすいから防寒の支度は必須。ただ着ずに荷物にすると嵩張るのが難点。
羊や、長毛の山羊の毛から糸を紡いだり織ったり染色したりするのは、このあたりの冬の手作業だ。それは薬師の家であっても変わらない。薬師の父に嫁いだ母は織物が得意で、家族の衣類を用意してくれたものだ。
さすがに母が私にと作ってくれた衣類はもう着られないが、母の服が丁度良くなっていた。今着用のケープとスカートは母のもの。毛織の三角巾だけは食堂勤めの合間に自分で織った新作。織りも染めも習ってはいたが、大物を作るだけの時間は、さすがに取れなかったからね。でもこの冬は、ゆったり大物作製して過ごすのも良いかもしれない。
一応は若い娘なのできれいなものや可愛いものにも興味があって。食堂の看板娘をしている間は、街で売られるようになった華やかな衣装を買って着るようにもなった。以前よりかは垢ぬけた自覚もある。ただ、そういう街着が山に向くかというと、まったく向かないのが悲しい。
実の所、植物由来の染料は、薬の材料と被ることもあり。我が家の台所では鍋の中身が食物とは限らなかった。植物の根に木の皮などを煮だして糸や布を浸けると、思いもよらぬ鮮やかな色に染まったりする。何種類もの色糸を織り込んだ生地は、地方独自の文様が織り込まれる伝統衣装になるのだ。そんな衣装は、その地で生まれ育った者には不思議とよく似あうので、嫌いではなかった。流行も年齢も問わない衣装だから、実際、母から娘に譲られることもある。私が着用するのも不自然ではない。何よりとても暖かいのだ。母が亡くなってからも、防虫用の薬草を櫃にいれていたし、時折風も通していたので状態も良いまま。
ダンジョンで会った時は二度とも今と違った格好だったが、アルマジット氏からのコメントは何もなく。この人、絶対に彼女いないだろうと思った瞬間だった。
アルマジット氏を家の近くの街の外壁に案内する。
これは街になってから作られたもので、将来的な発展を見込んで、かなり広い部分を囲っている。人力だと何年もかかる大工事になるところ、ダンジョン由来の道具で驚く程に早く完成した。外壁は街づくりで真っ先に優先されるのだ。内部での魔物の間引きが足りない場合、外にまで魔物が溢れる事象が報告されている。それをスタンピードと呼ぶ。そのような事態が発生した場合、街の門を閉ざして他に被害が向かわないように、ダンジョンを擁する都市には外壁の設置が義務付けられている。なんでも、魔物の嫌う成分を含んだ石が材料らしい。スタンピードが起こった場合、住民がどうなるかは……。恩恵と身の安全。果たして釣り合いがとれるのだろうか。
外壁にはいくつかの門があって、通常は大きく開かれて、他所からの旅人や商人、冒険者たちを招き入れている。しかしこの私の家のすぐ近くの北門は、人家のものとも変わらないサイズで、鍵こそかかっていないものの、普段は閉じられていた。門の先には山しかなく、ここから誰かが入ってくる事もないからだ。
それでもこの裏門とでも呼ぶべきものが設置されたのは、主に我が家が、そして外壁ができた当時は元の村人たちも、山に出かけることが多かったからだ。
それこそ冬支度のために木を切って薪にしたり、獲物を狩ったり、山菜などの山の恵みを得るために。
けれど今となっては私くらいしか使わない。それでも私には便利なものだ。裏門がなければ壁の外周をぐるりと回らなければ山に行けないところだった。
山はどこからでも入れるが、それでも登りやすい箇所が自然と登山道となるものだ。すっかり人の出入りがなくなったことで自然に覆われて消えかけているが、幼い頃から慣れ親しんだ私には道が見えている。藪を漕ぐほどには埋もれていないのは助かった。荷物の中には短い鉈もあるが、出発早々から疲れたくはないから。
「この辺では採取をしないのだろうか?」
斜面の落ち葉を踏みながら、アルマジット氏が先行する私に短く問いかけて来た。ここまでまったく採取する様子を見せなかったからだろう。
「帰り道にします。まずは最奥まで進んで、戻りながら採取するのが代々の習わしなんですよ」
歩きながらも、道周辺の状況は見ている。場所は頭に入っているし、年によっては同じ植物であっても採れる量も違う。帰り道での採取計画を建てながらの道行きだ。頭の中も足取り同様、止まることはなかった。
元村、現街の裏山は、それほど大きいわけではなく、高さもさしてない。子供でも頂上まで登るのはそう難しくはない山だ。こんもりと繁る木々に覆われて、山菜や茸もよく見つかる。恵み豊かな山。けれど私は山道を途中まで進むと、頂上ではなく沢の方へと降りていく。
山と山の間を縫って、細い流れが谷底にあった。本来ならば谷の上に橋が掛けられていれば便利だと思うが、利用する者がいないから、沢まで降りて渡るしかない。
我が家の人間であれば、谷の上と途中と下とで採取をするので、上り下りを厭うことはないのだ。下るのは少し大変だけれど、このあたりで泣き言をいうようでは、先に進むなんて諦めた方が良い。
雪解け水が年間を通して流れているために、水は手が痺れるほど冷たく、清冽である。くみ上げた水で喉を潤すと、ここまで歩いて火照った身体に染み入るようだ。
「ここの水は旨いな」
「ええ。もしかしたら国中でも屈指の名水かと思いますね」
少しだけ上流に向かって歩いた先で沢を渡る。橋はないが、代々が利用してきた飛び石がある。
「濡れて滑るので気を付けて」
沢からの飛沫で石は黒く染まり、苔や落ち葉があると猶更に滑りやすいのだ。
初めて父に連れられて来た幼い頃には怖がったが、一旦渡れると体感してしまうと、楽しい場所へと変わった。沢の幅はさして広くもない上に、子供が飛び移れるほどしか石の間は離れていない。石で堰き止められた水が隙間を勢いよく流れているのも面白く感じた。ただし。この水は冷たすぎて、夏でも落ちると命に関わるのだが。
「魚は?」
「いますよ。ただ、釣るならば下流ですね。この辺りではあまり大きな魚はいませんし。食べるにはちょっと」
この沢が裏山を迂回して、他の流れと合流する頃にはそれなりの川幅となって、やがて湖へと注ぎ込む。湖からも水は流れて、その先は大河となるそうだ。降雨も降雪もそれなりにあるので、水だけは豊かと言えた。
私は沢を渡ると更に上流へと向かう。裏山と隣り合ったこちらの山は、切り立った崖が続いて人を拒んでいた。それに、無理に登る必要はないのだ。
「一応ですね、口止めというか。これから見ることは口外しないでくださいね?」
「何か一族の秘密でも? ならば私を連れて来る前にそう言って貰えれば引き下がったのだが」
「秘密といえば秘密なんですが、人に知られても実害はないので」
「実害はなくとも、できれば隠したいのだな? 承知した。ここまで連れてきてくれたのだから」
聞き分けの良いアルマジット氏を連れて、私は沢の側の灌木の茂みに近づいた。そしておもむろに鍵を取り出す。彼の眼には私が空中に鍵を刺して回したようにしか見えなかっただろう。
だが鍵を抜いた途端、周囲の景色が変わる。灌木は消え、岩肌には扉があって、内側に向かって開きかけていた。
「目くらまし……幻術か?」
「おそらくは。仕組みまでは知りませんが、使い方だけは伝わっています」
「扉ではなく、むしろ鍵こそが力の支点と思えるが」
「ええと、置いていきますよ? 先はまだ長いので」
鍵から目を離さずに考え込むアルマジット氏を放置して扉の中に進む……前に魔玉ランタンの用意だ。背負い袋から取り出したそれを起動させる。外が明るい分、ランタンから漏れる光はぼんやりと見えた。
慌てて後に続く彼と共に中に入ると、再び扉を閉めて鍵を掛ける。そうすることでまた、扉を隠す幻影が現れるのだと父から聞いた。ただ、中に入ってしまうので確かめる術はない。
扉の内側は洞窟だった。成人男性でもまっすぐ立って歩くに支障のない高さがあるが、幅はせいぜい二人が並べる程度。洞窟は奥へと続く岩の通路という方が正しい。鑿の後すらない両壁は、人工の匂いすら持たず、どこかダンジョンの洞窟部分に酷似していた。だが、ダンジョンのような不自然な明かりはないし、ここには魔物が出ない。不思議と動物や虫さえもいないのだ。ランタンや蝋燭が無ければまったくの暗闇で、なんの物音もしない。
私がアルマジット氏の同道を認めた理由がこの洞窟にあった。わずかな明かりを頼りに進むこの通路は、一人きりで通りたい場所ではない。世界から切り離され、感覚さえ失われた気になるのだ。父と一緒だった時でさえ、その上着の裾を放すことができなかったものだ。その父すら祖父が足を痛めて同道できなくなり、私がある程度大きくなるまでは、ここに一人では来なかったというのだから。アルマジット氏が申し出てくれなかったら一人で入る予定はしていたが、入り口付近で引き返した公算が大きい。
「これは……天然のものなのか? にしては不自然だが、到底人の手には負えないだろう」
「我が家の言い伝えによると、山の力によるものらしいです」
「山の力?」
「この先に連なる山脈は正しく“神峰”もしくは“霊峰”なのですよ。人を拒む、峻厳な聖地。洞窟を出ましたら、なるべく殺傷は避けてください。かの地に住まう動物はこちらに攻撃はしてきませんが。霊峰は血が流れるのを厭われますので」
普通に人の間だけで暮らしていると、現実味のない話にしか思えない。けれど洞窟を歩いている間に受け入れてしまう。そうだと納得してしまうのだ。何よりも、それ以上に説明が付かない。
「今日はこのまま洞窟を進んで、出口付近に広い場所があるので、そこを目指します。安全ではありますが距離もあって、精神上の疲れが出るので早めに休まないと保ちません。出口周辺は野営に向かないので中の方がマシなんですよ」
ここはもう、“霊峰の領域”なのだ。裏山はそうではなく、通常であれば人はそこまでしか入ることは許されない。洞窟の入り口であった岩山は霊峰を守るための盾。そこから続くこの洞窟もまた霊峰の支配域となる。通路は一本道で、なだらかに傾斜して、気付けば高度を上げている。
きっとアルマジット氏も出口からの光景に驚くことだろう。それを予想して、私の口角があがる。
「この洞窟からもう既に霊峰の影響下に入りますので、身体にも異変がありますが、異常ではないので安心してください」
「異変とは?」
「具体的に言うと食べる必要も出す必要もなく、その衝動も起きません。飲食に関しては精神的な安定に繋がるので、安全な場所でのみ少量を口にする程度ですね」
「聖域は不浄を厭う――ということか」
「いやあ、アルマジットさんは理解が早くて助かります。私が初めて父に連れて来られた時なんか、大泣きして『家に帰る』と泣きわめきましたから」
「いや、幼子であれば仕方あるまい。――幼子であったのだよな?」
「最初は七歳くらいだったので、幼子の範疇かは微妙ですが」
それから会話は途切れて、私たちの足音だけが洞窟に響くようになった。通路には脇道もないので迷うこともないが、終わりを知っている私が先を歩く。健脚の才能のある私は、女性にしては早く長く歩くことができるから、歩幅の違うアルマジット氏であっても、無理のない範囲だと思う。
裏山で摘んでケープに刺していた“時報せの花”の色で時刻を計り、適宜休憩を取る。“時報せの花”は摘んだ瞬間から一刻毎に色を変える花で、山では重宝する。里ではすぐに枯れてしまって使えないので、街育ちの人は知らないようだ。街には時刻を知る方法がいくつかあるから、花がなくとも問題はない。ただ、珍しいのは確かで、アルマジット氏も食いついていた。あまりの食いつきぶりに休憩の際より彼に預けたほどだ。
洞窟の中は風も遮られるのでさして寒くはない。身体に感じない程度の空気の流れはあるらしく、まだ魔玉ランタンが出回っていない頃は、持ち込んだ松明の炎が揺れていた記憶があった。そのせいか、あるいはまったく日が差さないせいか、じっとしているとひんやりと肌寒い。
なので、出口近くの野営地に辿り着くと、私は真っ先に竈に向かって、火属性の魔玉を設置して起動した。この竈は代々の先祖たちがここで野営するために、持ち運びできる程度の石を積み重ねて作り上げたものだ。
竈に火が灯ると、じんわりと中が暖まっていく。竈には鍋をかけ、水を注ぐ。
「飲食の必要はないけれど、お茶より身体が温まるので簡単なスープを作りますね」
ここでスープを飲むのも、父と訪れた時の定番で。父もまた祖父とそうしていたようだ。私が幼かった頃は、竈で使うための薪すら持ち込んで、父が作ってくれた。香草と茸を入れて塩を加えただけの懐かしい一品だ。
ただの広い洞窟で、当たり前だが家具のひとつもないために、床の上に持参の毛布を敷いて座る。寝るのもこの上だ。
スープを渡したアルマジット氏は少し顔をほころばせて受け取ってくれた。やはり温いというだけでご馳走になる。
ぽつりぽつりと会話して、そろそろ寝ようかという時に、真面目腐った顔で彼が提案してきた。だが微妙に視線が合わない。
「その、まったく他意はない。不埒な真似をしないことも誓う。君のためというよりも私のためなのだが、その、私の天幕に招待しても良いだろうか?」
意味が分からなかったので問いかけると、彼は何もない空間から、こんもりと膨らんだ立派な天幕を取り出した。
私がアルマジット氏の同行許可した最大の理由が、彼が空間魔法で収納持ちだと打ち明けてくれたせいだ。つまり、いくら採取しても彼に預けられるということ。
アルマジット氏はそうして、天幕に招いてくれた。
入口で靴を脱ぐと、床にはふかふかの絨毯。中央には柱が立ち、壁になる布は細い棒で支えられている。あちこちにクッションがあって居心地の良さそうな空間が広がっていた。
「これは私が普段から使っている天幕だ。直接洞窟の地面に寝るよりもずっと快適なのだが、まさか女性を硬い地面に寝かせて自分だけ……というわけにもいかないからな」
「こんな大きなものまで収納できるんですねえ!」
「本来、畳んでしまえばもっと嵩張らないのだが、一々張るのも手間なので、組み立てたまま収納している」
この天幕の様式は、彼の郷里である西南地方のものだ。そして大小の差はあっても、かの地のダンジョンの中で住まうために使われているものと同じなのだと言う。元が移動式の住居で遊牧していた一族の末裔だから撤去にも設営にも慣れているそうだ。
それよりも驚いたのが、アルマジット氏が現在も、この天幕でダンジョンの中で寝起きしているということだった。
「低層の草原帯であれば郷里と環境も同じ上に、魔獣除けの結界を張れば安全に夜を過ごせる。しかも外に出て宿に泊まる無駄な時間も、余分な費用もいらない」
道理で、彼に二度も草原帯で会ったはずだ。彼ならばもっと深い層まで進めるだろうに、会うのが低層ばかりなことに違和感があったので。
うちのグラムのダンジョンでも、外への出口に近い、六層か十層で寝泊まり(日替わり)しており、出口が近い場所を選ぶのは、ギルドでの売買と食事に出やすいからだそうだ。
ただ外套や寝袋で直接地面で眠るよりも、安眠できて体調もよく疲れにくいと。説明を聞くと納得できるが、空間収納持ちでない限り真似はできそうにない。
そしてこのふかふかの絨毯とクッションに、彼の稼ぎが大きいことも見て取れる。それだけ稼いでいれば宿にだって泊まれるだろうけれど、下手な宿の寝具よりも、はるかに快適なのを体験してしまえば、そりゃそうなるわと納得しかなかった。しかも彼の纏うローブ同様、内部には環境順応の付与がされており、天幕内は暑くも寒くもない適温である。下手したら我が家よりも快適かもしれない。
更にこの夜、貸し出された毛布も上等な軽くて暖かい逸品だったせいで、私がぐっすりと眠ったことは言うまでもない。また、彼があくまでも紳士であったことも。
目的地(霊峰)に辿り着いていない、だとっ!?




