11.彼の事情と旅商人の訪問
シルパの衝撃の発言をアルマジット氏は否定しなかった。
「正確には新年を迎えると四十五歳になる」
「父さんより年上!」
アルマジット氏を凝視しながらチャンダが叫んだ。そうか、バドリおじさんよりも年上なのか。ということは、父が死なずに生きていたとしてもアルマジット氏の方が年上になる。なかなかの衝撃だ。
新たな視点で眺めるアルマジット氏は、やや浅黒い肌に黒髪黒目という、特徴だけならばこの国によくある色合いの持ち主だ。短くした黒髪と大きめの瞳が二十歳にしても童顔な印象が強い。彫が深く整った顔立ちではあるが、髭を蓄えていない分、更に若々しく感じられるのだ。
この辺りでは男性が髭を生やすかどうかは半々と言ったところ。我が家では髭は剃ってしまうものだった。薬を扱うのに清潔さが優先されていたためだ。所によっては、髭を蓄えるのは成人男性の証だったりもするし、髭に誇りを持つ男性も少なくはない。逆に剃っている場合は、生活に余裕があるとも見做される。毎日それだけの手間を掛けられるということでもあり、良い刃物を所持している証明になるからだ。ちなみにダンジョンに潜る冒険者の髭率は低い。中層以上に出没する魔物対策が関係しているらしいのだが、その実態までは不明だ。
なんというか、アルマジット氏の実年齢が、私の中ですとんと納得できた。見た目では年齢差もそうないのに、妙に老成した印象があったからだ。それに、子供扱いされている気もしていたけれど、彼からすれば、実際に私は彼の子供、へたすれば孫の年齢に近い。土地によっては十五が成人で同時に結婚するという話も聞く。たしか彼の出身である西方がそうだったはず。
(余計に恋愛対象にはならないってことかなあ)
ただ、彼が既婚者だったり、かつて妻がいたりとかはないと思う。そういう男性はもう少し女性の扱いがこなれているものだ。多分。
「魔導士は神聖語に魔力を乗せて魔法を行使する。そのために、魔力を使う存在に目を付けられることもある。妖精や精霊、下級神などにな。二十歳の頃、そんな下級神の気まぐれというか癇癪に巻き込まれて呪われた。それ以来、身体の時間が止まったままとなったのだ。
周囲に、特に権力者に知られると厄介だから、あちこちに長居せずに移動する生活を続けて来た。元々がダンジョン内外の魔素に興味があって調べてはいたが、本格的に研究を始めたのはそれ以降だ。魔導士というだけで煩い輩に不老だと知られぬよう、ほとんどをダンジョン内で過ごしてやり過ごした。冒険者ギルドの幹部連中は多少察してはいただろうが、あそこは国の力が及ばない組織な上に、私の齎すダンジョンドロップが惜しかったから、沈黙してくれている」
淡々と己の過去を語りつつ、パンケーキのおかわりを目で求められてそっと差し出す。真剣な話のはずなんですけどね?
シルパがアルマジット氏の肩に腕を乗せて体重を掛けた。魔導士の眉が寄る。
「たまたま、家出したばっかりだった俺はこいつに助けられて。そのまま冒険者になった後は、いくつかのダンジョンで顔を合わせることがあった。事情もあるにせよ、人付き合いを避けまくってダンジョン内で寝泊まりする変わり者には違いない。たまに巻き込まれることもあったしな?」
「お前には被害が向かないようにはしていたが?」
「だからって、アルマジットが消えた後も、そのダンジョンに居座れるわけねーだろ。俺だってさっさと移動しないと、痛くもない腹を探られかねなかったしな」
なんか、アルマジット氏とシルパには色々あったらしい。たしかに、不老なんて知られたら権力者が放っておかないだろうって予想もできる。古来より、金と権力のある者が最後に望むのは不老不死と相場が決まっているのだから。
「だが安心しろ、シルパ。もう狙われることはなくなる。何しろ私の身体の時間が正常に流れ始めたからな。今後は普通に歳をとる」
「それ、マルディカちゃんが関わってる?」
「ああ。彼女は私の呪いを知らず、代々この地で霊峰の恩恵を得た薬を作ってきた家系。その霊威によって私を解放してくれた」
アルマジット氏なりに、お山に行ったあれこれを伏せてくれたんだろう。このあたりではお山はほとんど信仰対象に近いし、言い伝えも色々残っている。それでも我が家ほど関わっていたりはしなかったけれど。
「おねえちゃんとこのお薬、よく効くのよね。あたし、あんまりポーション好きじゃないし。
あ、それで思い出した! 今日はおねえちゃんにお願いがあって来たの!」
チャンダの関心はあっさりアルマジット氏から離れた。この子、そういえば興味の対象が次々変わっていくんだったわ。
「あのね、うちの食堂におねえちゃんが残していってくれた手荒れ用の軟膏、なくなっちゃったの! 実は、うちの店の皆が使わせて貰ってたのよね。これから肌がかさかさになる季節だから、また作って欲しいの! 父さんも、おねえちゃんが作ってたら買ってこいってお金渡してくれてるしー」
たしかにポーションは何にでも使えるが、日常のあれこれすべてに……となると金額がとんでもないことになる。ポーションを使うまでもない、という節約精神も、元村人の間には残っているらしい。私は食堂勤めの時に、自分用にと持ち込んだ自作の薬を、希望者がいれば使ってくれて構わないと置いていた。いつも確実に減っていたので、誰か使ってるな、くらいにしか思っていなかったけれど。そうか。皆、使ってたんだ。食堂ではどうしても水仕事が避けられないから、これからの季節は特に必要だろう。
「軟膏ならあるから。あ、もう遅いから帰る?」
「うん。明日も早いから帰る。今度は泊りがけで来てもいい?」
「できれば事前に教えてくれたら嬉しいわ」
「分かったー。あ、軟膏、多めに欲しい」
軟膏はカウンターの後ろの棚に置いていたので、すぐに用意できた。芹科の薬草と紫草の根を乾燥させたものにごま油と猪脂を加えて練ったものを二枚貝の中に少しずつ入れてある。芹科の薬草は元から使っていたものとダンジョン由来の自家栽培サプタを加えてみた改良品。効き目が良くなっている印象だ。袋にざらざらと複数個入れてチャンダに渡すと、代わりに硬貨が返って来た。ダンジョンが出来る前に近所の子供がお遣いでやってきた情景を思い出して、なんだか少し胸が痛んだ。
お腹も満たされ、目当ての軟膏も手に入ったチャンダは、上機嫌でさっさと帰路についた。シルパの方が慌てて後を追いながら、「また事情聞かせろ」とアルマジット氏に言い残して。きっと帰り道でアルマジット氏の年齢とかを口外しないように言ってくれるだろう。チャンダは聞き分けは悪くないし、自分の興味対象外は案外すぐに忘れるから大丈夫とは思うが。
残された私とアルマジット氏の間に沈黙が落ちる。とりあえず、お茶を温かいものに淹れ直して二人分をテーブルに置いた。
「えーと、解呪にお山がなんか関係してます?」
「ああ。霊峰の聖域にいる間に呪いがすっかり浄化された。君の言う“お山”は相当に格が高い。私に呪いをかけた下級神よりもはるかに」
「二人に、お山のこと、言わないでくれたんですね」
「そういう約束だったからな。私は恩人を裏切るような真似はしない」
魔導士としてはとても有能なのに、アルマジット氏からはどうしても不器用な印象が消えない。彼の状況を聞くに、手先の問題ではなく、人との間の交流だとか対話だとかが不足していたからかも。
「……ずっと、郷里にも帰れずにいたんですか?」
二十五年。それは私が生まれてからよりも長い年月。周囲の人と違う時間を強制された気持ちは分からないけれど、きっと――。
「私は西方のストリタラ砂漠にある同名のダンジョンで族長の十子として生まれた。元遊牧民のダンジョン定住組の三世になる。後継の長兄とは十歳以上離れてもいて、年齢の近い甥もいたから負うべきものもなく、残らずとも何の問題もない立場だった。魔導士の才覚があることは早いうちから判明していたので、成人と同時に旅に出て、それ以降は帰っていない。
もう郷里では世代交代しているはず。今、訪れたところでこの容貌では、私本人でなくその子供とでも思われるだけだろう。血縁はいても帰る場所ではない」
「寂しくは、なかったんですか?」
踏み込みすぎかなとも思ったが、するりと口から出た言葉は取り消せなかった。
「郷里とはまったく違う場所はどこも目新しいばかりで、あちこちを彷徨った。手持が少なくなるとダンジョンで稼いでまた彷徨う。そうこうしているうちに、例の低級神にやらかされて。それからは流されるまま、気が付けば年月から取り残され、国すら縦断していたわけだが。――そうだな。寂しいとは思わなかった。そういう感性がもしかしたら私には欠落しているのかもしれない」
器からまだ熱い茶で唇を湿してから、アルマジット氏は言葉を続けた。
「不老という、人と違った特性持ちになって、ますます人から離れた。もう自分はダンジョンの魔物とたいして変わらないのではないかとまで考えもした。すべてが私の横を通り過ぎる景色のようで、その中を揺蕩い彷徨うだけ。たまにシルパのように縁のできた相手もあったが、それこそ権力者が厄介だったから、数はそう多くない。人にも場所にも執着せず、ただ魔導へと耽溺した。魔導に底はなく、老いを知らぬ身体は研究には都合も良い。何しろ無理がきき、時間があったからだ。
グラムのダンジョンは異質だと、こちらに来て以来、なんとはなしに感じていた。魔素が濃いのもあるが、その質が他と違う。君に連れられて霊峰の聖域に踏み入ってようやく分かったのだが。グラムのダンジョンは霊峰の影響下にある。そしてかのダンジョンよりも、君こそが霊峰の加護が濃いと、共に聖域で過ごして実感した。君にとっては少し厄介な依頼を熟す程度の感覚のようだが、これほど霊威の高い存在から加護を与えられる家系は稀だ。この他国に比べても広い王国で、私自身が出会った誰よりも。
だからこそかもしれない。私はこれまで人間にたいして関心がなかった。不老の身が更にそれを遠ざける原因にもなったが。君ほどに興味深く関心を寄せた相手は初めてだ。呪いも解けて、悩まされることもなくなったから、ずっとこの地で今後は君の側にいたいと思う」
まっすぐに目を逸らさずに言い切るアルマジット氏ではあるが、真面目に聞いていると、割と酷いこと、言ってない?
「それ、求婚です?」
「そのつもりだが」
「アルマジットさんが人と関わるのを避けて、交流を苦手にしてきたのは納得してしまいますよ。――あのですね。私は女で、若い娘なんです」
「そうだな?」
「親から相手を決められることもなくて、自分で相手を選べる成人した女でもあります」
「ああ」
この半日、ぐるぐるしていた迷いはもう、本人にぶつけてしまうことにした。なんか、彼相手ならいいかなって。
「条件だけで言うならば、薬師のマルディカから見たアルマジットさんは、我が家の婿に迎え入れたい人材なのは間違いありません。でもですね。それでは若い娘であるマルディカは不満なんです。
なんですか? いくら誠実でもですよ? 希少な研究対象だから一番傍で観察したいって言われて、喜ぶ女はいないですよ。
私だって結婚にはそれなりに多少の憧れがあってですね? せっかく自分で選べるんなら、そこに恋愛感情が欲しいです。
ないでしょう? アルマジットさんには。残念ながら、私の方にもありません。
そもそも、私たち、出会って以来濃い日々を一緒に過ごしてはきましたが、まだ知り合って一月も経ってないんです。だから急いで決めなくても良いと思うんですよ。
隣人として今後も遇します。その中で、アルマジットさんが私を、幼い子供でも研究対象でもない“女”として意識するようになるか、もしくは私がアルマジットさんを恋愛的に“男”として好意を持つようになれば、その時はこちらから求婚しますよ」
自分の中でもまだ答えは出ない。でも、ずるい女の部分が、アルマジット氏以上の相手は今後現れない可能性が高いから、完全に断るのはもったいないと言う。彼の目の前で薄着になったとしても何も起こらなそうな現状だけれど、今後この朴念仁の魔導士との関係に少しでも変化が見えたとしたら、その時は。迷わず押し倒すのも有りなのでは? なんてね。
「とりあえず今日は壁が崩れたりもして埃まみれになりましたから、この後、お風呂に入ってもらいますからね」
空になった汚れた皿を重ねてそう言い放つと、入浴の習慣がないアルマジット氏の今日一番の困惑が伝わってきたが、無視して押し通すことにした。良き隣人には入浴の習慣をつけてもらう。そこは譲れないところ。絶対に。
秋が深まる中、数日雨が降り続くのが毎年のことだ。雨は冷たく、激しくはないが静かに降り続ける。天日干ししたいものが山盛りであっても、天候は仕方がない。乾燥小部屋では場所が足りず、大半は地下室で広げ、一部は熱によって水分を飛ばす。火属性の魔玉は、我が家が一番有効活用しているかもしれない。専用とした一室は、蒸気が沸き上がって、外気との差が激しい。
またこの時期には、冬籠り対策に肉や魚の塩漬けや燻製も作る。ダンジョン街として外壁が出来て以来、中の気温は一年を通じて厳しいものではなくなった。アルマジット氏に聞いたところ、やはり外壁の素材にダンジョンから齎された砂や石が含まれており、疑似的なダンジョン空間のように魔素が街の内部に立ち込めているのだと言う。あれだ。我が家のお山の石で作った保存庫と同じ。
アルマジット氏とは淡々と過ごしている。お互い、求婚に関する話はしない。だからと言って、距離を作るでもなく、毎日の食卓を共にし、彼が申し出てくれれば遠慮もせずにあれこれと手伝ってもらう。自然と午前中はお互い自分の作業――私は薬作りを、彼は魔導の研究をして、午後からは開店に向けて、使えそうなものの整理をしたり、薬草の下処理や食事の下拵えにも手を貸してもらう。時にはダンジョンで低層以外の薬草を取ってきてもらったりも。
そんな篠突く雨の午後。我が家の前に一台の荷馬車が停まった。玄関扉に付けた鈴が重く響く音を家中に届け、私は来客の訪れを知る。
「遠きより来りて、アルダチャンドラの知恵と技を請う。流れる血は薄まろうとも、アマヴァスヤ・ヤオの末裔が帰りし場所はここより他になく、しばしの滞留を許されよ」
今ではあまり使う者のいない古い作法の口上が述べられ、エプロンを外して慌てて駆け付けた私もまた、それに返答する。
「アルダチャンドラは常にこの地にありて、同胞の無事の帰郷を寿ぐ。当代のアルダチャンドラ・シェンが、古き縁者アマヴァスヤ・ヤオの末を歓迎する」
そうして互いに破顔して軽い抱擁を交わす。
「マルディカ! すっかり美人に育って!」
「デバッシュおじさん、お久しぶりです! お変わりなくて嬉しいです!」
遠方からの客は、ずいぶんと昔に我が家を離れた血縁の子孫。気ままに跳ねる癖のある黒髪に、子供のような好奇心を失わないままの中年男性だ。彼の職業は商人であり、普段は拠点とする街での商いをしているが、数年毎にはこうして仕入れを兼ねた行商に出る。グラムが貧しい村だった頃から変わらず訪れてくれていて、彼の齎すものは村でも歓迎されていたものだ。何せ、行商人の出入りすら滅多にない土地であったから。
「あのグラムがまさかこうなるとはねえ。ハージートが薬師を廃業すると知って驚いたが、マルディカがシェンを名乗るってことは、完全に廃業したわけでもないのかい?」
ハージートは父の名だ。同世代であったからこそ、父とも親しかったデバッシュは、前回の訪問時に父の死を知って大いに嘆いてくれた。私が生きるために食堂で働いていると聞いて、援助を申し出てもくれた。ただ彼には既に他の街に拠点があり、ここに戻って来るわけにもいかなかったから、丁寧に辞退したが。私がグラムを離れるのも論外だったし。
「ずっと一人でも薬は作り続けて来たわ。だからシェンを名乗っても良いでしょう? 先日もお山に行ったし。あ、そうそう、引き取ってもらいたい素材も沢山あるのよ」
デバッシュの主な商材は薬関係だ。ダンジョンのある地ではポーションが優勢ではあるが、それ以外の地にまで行き渡る程は生産されない。なので、普通の薬もまた普通に流通しているのだ。
「それは嬉しいねえ。お山の素材は他では得られない貴重品だ。私ほど血が薄いと、もう怖くて行けないけどね」
「直系の私でも、もうずいぶんと薄いとは思うわ」
「毎世代、お山に詣でて、新たな加護を貰っているなら問題はないさ。
ところでマルディカ? 隣にあるあの天幕は何だい? 西の砂漠で使われているものに似ているようだけれど?」
「隣人が住んでるのよ。夕食の時に紹介できるから、詳しいことはその時にね? さ、まずはゆっくり旅の疲れを癒して」
来る度に数日滞在するデバッシュを客間に案内して、私は予定の献立を変更する。
そうして夕食時にアルマジット氏をデバッシュに紹介したのだが。
「静寂の魔導士……?」
そう呟いてデバッシュはアルマジット氏を凝視したのだった。
手荒れ用の軟膏は紫雲膏のイメージ。ガラス容器は高額なので、川や湖で採れる二枚貝の殻に小分けしています。冷暗所に保管しておくとそれなりの期間保ちます。本来、豚脂なんですが、この地方、豚がいないので猪脂で代用。ムラサキ科ムラサキは、言いかえが出来ずに紫草という扱いにしました。
……だからキーワードが「恋愛未満」なんですよ。双方向に未満。お互い、ちょっとひどい。
「アルダチャンドラ」は薬屋としての屋号のようなものと思っていただければ。「アマヴァスヤ」もデバッシュの家(商家)の屋号。
十一話にしてようやく、マルディカ父の名が付きました。




