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第二話 清太、鍵束を継ぐ


 徳兵衛の葬儀はしめやかに執り行われた。晩秋だというのに陽は柔らかく温かで、寄り合い仲間や長屋の面々のみならず、多くの商店主や町役人までもが参列して、亡き徳兵衛との別れを惜しんだ。

 名主たちや奉公先の主人の力も借り、盛大な野辺送りと埋葬まで済ませた清太は、その晩、名主の源七の元へ赴いた。

 名主屋敷を訪れると、出迎えてくれたのは源七その人。深い皺が刻まれた容貌には薄らと愁然(しゅうぜん)が滲んでいたが、清太の姿を認めると、その目尻がわずかに緩められた。

「来たか。まあ上がれ」

 案内された座敷には、葬儀の片付けで持ち帰ったのか香の匂いがいまだ残っていた。清太は畳の(ふち)を避けるように膝をつくと、源七へ向けて深く頭を下げた。

「お陰様で無事に伯父を送り出すことができました。田所様にはお世話になりっぱなしで、誠にありがとうございます」

「礼なら要らねぇよ。他でもねぇ徳兵衛のためだ。わしが勝手に動きたくて動いただけさね」

 湯呑に茶を注ぎながらそう言って、源七は静かにそれを清太の前へ置いた。細く上る湯気の向こうから、源七がじっと清太を見据えてくる。

「……で、清太。おめぇ、この後はどうするつもりだ?」

 源七の言葉に、清太は眉を下げて暫し口ごもる。葬儀の間は目の前のことをこなすのに精一杯で、先のことなど考えてなかった。

「……とりあえず、奉公先へ戻ります。店の主人からは『気にするな』とのお言葉を頂戴しましたが、残してきた仕事のこともありますし、暫くは働きながら伯父の家の片付けに通おうかと……」

「ふむ。その『伯父の家』だがな」

 源七は脇に置いてあった木箱を引き寄せると、静かに蓋を開けた。中に収められていたのは、いくつかの遺品らしき品々と一通の白い封書。源七はその封書を手に取ると、スッと清太の目の前に差し出してきた。

「これは……」

「徳兵衛がよ。いつだったかわしに預けていったんだ。いざという時はおめぇ渡してほしい、ってな」

 その言葉に清太は小さく喉を震わせた。こみ上げそうな思いを堪えながら、重みのある封書を開けば、中から現れたのは見慣れた――大きくて素朴な、亡き伯父の字で綴られた手紙。


清太へ

お前がこれを読んでるってことは、俺はもう死んじまっているのだろう。

これまであれこれと煩く口を出してきたが、許せよ。

うちへ来た時の、小さくて細っこかったお前が、どうにも頭から離れなくてな。

だが、今のお前はもう十分にひとり立ちできる立派な男だ。

この先どんなことがあろうと、お前なら大丈夫だ。何ひとつ心配していねえ。

そんな俺の自慢の甥にこれを譲りたい。

無理強いするつもりはねえが、受け取ってくれたら嬉しい。

お前ならきっと務まると信じている。

長屋の連中は口は悪いが情に厚い、良い奴らだ。

困ってる者がいたら、どうか手を貸してやって欲しい。

じゃあな清坊。達者で暮らせよ。     徳兵衛


 封書に添えられていたのは、いくつかの鍵が連なる鍵束だった。大家が代々大切に引き継いできたものだ。

「伯父さん……」

 かつて、この鍵束を腰に下げて笑っていた伯父の姿が浮かんで、清太の封書を握る手が小さく震えた。そんな清太を見据えたまま、源七は深く息を吸うと、ゆっくりとその口を開く。

「徳兵衛はな、おめぇを後継にするつもりでいたんだよ」

「でも奉公しかしたことのない私に、大家という大役など……」

「大店の手代なら、読み書き計算はお手のもんだろ。わしらだって最初っからできてたわけじゃねぇよ。徳兵衛だって最初は右も左も分からねぇ青二才だった。肝心なのは、できるかどうかじゃねぇ。やるか、やらねぇかなんだよ」

 正面に座る源七のその言葉と視線は、清太へ真っ直ぐに届いて、胸の奥にすとんと刺さる。

 ――あとは頼む……なぁ……清坊。

 あの時の徳兵衛の大きな手と、笑むように見上げてきたあの表情が、最後の言葉とともに耳の奥で蘇る。

「……私に、務まるでしょうか」

「務まるさ。おめぇならな」

 短くも揺らぎのない源七の言葉に、清太の中の何かがカタリと動いた。俯いていた顔がゆっくりと上がり、その視線が源七に真っ直ぐ向けられる。

「……分かりました。伯父さんが守ってきたあの長屋、私が引き継がせて頂きます」

 その言葉を耳にした源七の顔に、ほんの僅かな安堵の色が滲んだ。


 翌朝、清太は奉公先の小間物問屋『和泉屋(いずみや)』へと帰参した。

 同僚からの心配や励ましの声を受けつつ通されたのは、主である和泉屋利兵衛(りへえ)の奥座敷である。清太は外廊下の先の真っ白な障子の前に膝をつくと、深く頭を下げた。

「旦那様、清太にございます」

 すぐさま中から帰ってきた(いら)えに清太が両手を揃えて慎重に障子を開けると、書院造りの広い座敷の中央に利兵衛がどっしりと腰を据えていた。清太は小僧時代から叩き込まれた所作で正面に座り、主に向けて深々と頭を下げた。 

 その清太の居住まいに、主の利兵衛は、そのがしりとした顎を引き、何かを噛みしめるようにそっと目をつぶる。

 静謐な座敷に束の間、茶釜のふつふつとした小さな音だけが響いていた。

 そうして暫しの沈黙の後、漆塗りの座卓の向こうから、低く落ち着いた声がかけられた。

「此度の徳兵衛殿のこと……実に惜しい方を亡くした。お前もさぞ大変だっただろう」

 その穏やかなねぎらいの声に、清太は下げていた頭をさらに深く下げる。

「はい。旦那様には過分のご配慮を頂戴し、この清太、亡き伯父ともども深く御礼申し上げます」

 ふたたび深く頭を下げる清太に利兵衛は鷹揚に頷き、そして、

「で、清太。お前はこれからどうするつもりだ?」

 と、まっすぐな問いを投げかける。

「……はい。色々と考えた末、伯父の長屋を引き継ぐことにいたしました。私はまだ若輩者。商人としても修業中の身ではございますが、伯父が大切に守ってきた長屋を私が守っていきたく存じます。旦那様……どうぞ、お許し下さいませ」

 清太は頭を下げたまま、はっきりと答えた。

 正直、自信などまったくないし、大家という大役に腰が引けている。

 けれど決めたのだ。徳兵衛を送り出した線香の匂いの中で、徳兵衛の手紙と源七の前で。

「……そうかい。お前が腹を決めたことなら反対はしないよ。さ、顔をお上げ」

 寸の間、利兵衛は何かを飲み込むように口を引き結ぶと、ゆっくりと声をかける。清太が遠慮がちに頭を上げれば、こちらを見つめる利兵衛の柔らかな視線とぶつかった。

「今までよく働いてくれた。お前はこの私が手ずから育てた大切な奉公人だ。どこに出しても恥ずかしくないよう仕込んだつもりだよ。ここは一つ、しっかりと送り出してやらなぁ、和泉屋利兵衛の名が廃るってもんだ」

 そう言って利兵衛は、懐から袱紗(ふくさ)の包みを取り出した。明らかに金子(きんす)と分かるそれに、清太は慌てて、うっかり胸の前で手をブンブンと振りかけてしまう。

「ささやかな(はなむけ)だ。持っていきな。大家ってのはな、見栄も世話も金もいる。最初の一歩が何より重いんだよ。……ああ遠慮なんざするもんじゃない。私が出すと言ったら受け取るのが筋ってもんだろう?」

 スイと眉を上げた主人に逆らえるはずもなく、清太はズシリと重いそれを、ただ恐縮しながら受け取った。勿体なくて有り難くて涙が出そうな清太に、利兵衛はふと思い出したように言葉を投げかけた。

「そういえば、確かお前の亡くなった両親も、うちと同じ小間物屋だったね」

 利兵衛の問いかけに、清太は背筋を伸ばして大きく頷く。

「はい。江戸の郊外で『桜屋』という小さな小間物屋を営んでおりました」

 その清太の言葉に利兵衛は大きく頷くと、ほんの少し身を乗り出すようにして穏やかに話し始めた。

「清太。小間物屋ってのはな、細かい物を扱う商売だ。だからこそ、人の気持ちの細けぇところが分からねぇ奴には務まらん。大家だって同じだ。店子の一人一人を細かく見てやんなきゃいけねぇ」

 湯呑をひとくち傾けた利兵衛が、しばし思案するように目を細める。

「恐らく亡くなった徳兵衛殿は、それが分かっていたんだろうさ。だからお前に任せた。なんたって、お前には『桜屋』の血と、この『和泉屋』の背骨が通っているからね。要は根っからの小間物屋ってことよ」

 主の穏やかな声が、じわじわと清太の胸に染みこんでいく。

 この和泉屋に比べたら、郊外の小さな店など取るに足らぬものだろう。だのにまるで同格のように語る主に、清太は亡き両親の生き様が報われたような、そんな気がした。

「いいかい、どんな時も決して小間物屋の心意気を忘れちゃいけないよ。そのために、今日からお前は『桜屋』の屋号を名乗るといい。小間物屋の矜持を持つ大家の桜屋清太として、この店を出ていきな。きっとその先に、お前なりの『桜屋』が見えてくるはずだ。迷ったらいつでも来い。ここはもうお前の一部だからね」

 桜屋を名乗ることは清太の密かな夢であった。ゆくゆくは独り立ちをして、小さくとも両親の店を再興したいと、ずっと願っていた。だからこそ、店をやめて大家になることを迷い躊躇(ためら)っていた。けれど利兵衛はそれをとっくに承知していて、夢を抱えたまま前に進めと、背中を押してくれている。

 清太は熱くなる目元にグッと力を入れると、目の前の主、和泉屋利兵衛をしっかりと見据え、和泉屋の奉公人として最後の挨拶を務める。

「旦那様から受けたご恩とご教示……この桜屋清太、生涯忘れることはございません。これからも桜屋と和泉屋、どちらの名も汚さぬよう精進して参ります。ありがとうございました」

 清太は胸の奥に灯った温かいものを抱きしめながら、深く深く頭を下げた。


 利兵衛への挨拶の後、清太が和泉屋を辞したのは、すっかり陽も上がった昼過ぎだった。

 手代とはいえ住み込みの奉公人ゆえ私物はさほど多くなく、荷造りはあっさりと終わった。けれどお(たな)の皆々への挨拶と引き継ぎに、時間がかかってしまったのだ。

 小僧の頃から可愛がってくれた番頭さんに古参の手代の方々、同じ釜の飯を食い、ともに助けあい笑いあった仲間たち――。みな清太が去ることを惜しんでくれ、(ねぎら)いや励ましの言葉とともに「いつでも戻ってこい」と、笑って背中を叩いてくれた。

 和泉屋の裏から外に出れば、冬の入り口のような冷たい風が頬を撫でるが、清太の胸の内にはホカホカとした温かい言葉の数々が灯火のように残っていた。

『桜屋清太』

 胸の内でそっと自分の名を呟いてみる。まだぎこちなく、何だかくすぐったい。

 懐には鍵と手紙、そして袱紗の包み――徳兵衛と利兵衛、親代わりの二人からの思いを腹に収めて、清太は表通りへ向けて歩き始めた。

 日本橋の町は今日も変わらず賑やかで、粋で品のある小物や呉服、()りすぐりの乾物や海産物を扱う商店が軒を連ね、行き交う人々の顔はみな晴れやかだ。日本橋を渡れば、川には荷を積んだ小舟が行き来して、水面に波紋を残していく。

 橋の上で、清太はふと後ろを振り返ってみた。

 いつもの日本橋、いつもの賑わい……でも、そのいつものはずの光景が、何だか今日はいっそう華やかに、けれどほんの少しだけ慌ただしく目に映った。


 そうして橋を渡って浅草方面へ足を進めて行くと、徐々に町の匂いが変わっていった。冷たい風に乗るように、どこか懐かしいざわめきが清太の耳をくすぐり始める。

 子供の遊ぶ声、職人の木槌の音、振り売りの鳴り物、小競り合いに野次、笑い声……清太がこれから向かう場所もそんな場所だ。あの伯父が守った裏長屋。伯父の死を悲しんでくれた優しい人々。きっと過ごしてきた日本橋とは、ひと味もふた味も違う生活が待っているのだろう。

 清太は知らず口元に笑みを浮かべて、浅草へ向けて足を速めていった。


 それから暫く、表通りから裏通りに曲がると、ようやく裏長屋へ通じる路地が見えてきた。

 足を進めるにつれ聞こえてきたのは、活気あふれるざわめきと人々の笑い声――ではなく、なぜか大きな怒声混じりの喧噪と、騒々しさに輪をかける子供の泣き声だ。

「え……なに?」

 ここまで聞こえる騒ぎの勢いに、うっかり清太の足が止まった。

 けれどすぐに止まっている場合ではないと思い返すと、再び足を動かし始める。気づけば小走りになっていた。

 大家への第一歩は、どうにも一筋縄ではいかないような……そんな胸騒ぎがした。



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