第26話 小さな恋の終わり②(終)
今回で最終話となります。
それは、今一番見られたくない相手。
振り返ると、ヒルデブラントが腕を組み、ロベールを睨みつけていた。
「神竜様!? どうしてここに……護衛は? 公務はどうしたの?」
リンはヒルデブラントの元へ駆け寄る。その後ろで、ロベールは両手で顔を覆い隠していた。ヒルデブラントの輝きはいつもより抑えられているが、それでもロベールには眩しかったようだ。
「どうしてって……君が『元』愛人に会いに行った、と聞かされては仕事なんて手につかないよ。自暴自棄になった相手に誘拐でもされたらどうするんだい? 心配になったから様子を見に来たんだ」
「すみません、バレちゃいました」
ヒルデブラントの背後からナンナが顔を出す。彼女は申し訳なさそうに、リンへ向かって頭を下げた。
「愛人……しかも、『元』……」
ロベールは間男扱いされてショックを受けたようだ。地面に膝をついてうなだれる。そんな彼を見て、ヒルデブラントはあざ笑うかのように鼻を鳴らした。
「なんだい、その間抜けな顔は。まさか自覚がなかったの? 『僕の』リンに手を出すなんて、どんな図々しい男かと思っていたけど……うーん、ずいぶんと堅物そうな人間だね」
ヒルデブラントは冷たいまなざしでロベールを見下ろす。
「あ……あの、俺……」
ロベールは地面に視線を落としたまま、蛇に睨まれた蛙のようにすくみ上がった。
「言っておくけど、僕は絶っ対にリンとの婚約は解消しない。しょせんお前は浮気相手どまりだ――だいたい、僕が何年リンと一緒にいると思っている。十年だぞ? 僕はお前なんかよりもずっと、リンのことを知っている。だからお前の入り込む隙間なんてこれっぽっちもないよ」
「うぅ……」
完全にマウントを取っている。恋敵ということもあり、ヒルデブラントの言葉の刃は的確にロベールを刺していく。
なおもヒルデブラントが続けようとするので、リンは慌てて止めに入った。
「神竜様、もうその辺にしてあげて! ちゃんと断るから。フるから!」
「……そうか。俺、やっぱりフラれたんだ……」
助け船を出すつもりが、逆に傷口をえぐってしまったようだ。胸を押さえてうずくまるロベールの顔色が、どんどん悪くなっていく。
ヒルデブラントは下民でも見るような目でロベールを眺めていたが、やがて、とどめをさすかのように宣告した。
「――決めた。お前、僕の騎士になりなよ。栄誉あるラグナル聖騎士団の一員となれるんだ、喜ぶといい」
「……え?」
ロベールは思わず、といった様子で顔を上げた。眩しさも忘れ、ヒルデブラントのことを凝視する。
「僕の寛大さに感謝しなよ。お前はこれからもリンのそばにいられるんだ」
「で、でも……」
「何、文句ある?」
「い、いいえ!」
ヒルデブラントに凄まれ、ロベールは光の速さで頭を下げた。
ロベールを聖騎士団の一員に、つまりはヒルデブラントの臣下として迎え入れる。
あっという間に進んでいく展開に、リンの頭はついていけない。
「リン、なんだか複雑そうな顔をしているね。うれしくないの?」
「それは、その……うれしくない、と言ったら嘘になるけど。でも、いったいどういう風の吹き回し?」
ヒルデブラントにしては優しすぎるのではないだろうか。彼のことだから、ミレイユに協力していた神官や騎士たちのように、聖都からの永久追放処分くらいはすると考えていたのだ。
リンの言葉を聞いたヒルデブラントは、不愉快そうに顔を顰める。
「正直この男のことは気に食わないよ。ものすごく、気に食わないけど! でも、彼は罪人でないからね。それなら彼だって、僕が守るべき民の一人だ」
「な、なるほど」
「それに、無理やりリンから引き離して悲劇の主人公ぶられても困るんだ。嫌だよ、これ以上僕が悪者みたいにされるのは」
さすがは世界の守護者だ。たとえ嫉妬の炎に身を焦がしていようとも、ヒルデブラントは己の役目を忘れていない。少しだけ私情も含まれているが。
ヒルデブラントは再びロベールへと視線を移す。
「たとえお前たちが惹かれ合っていたとしても、どうせお前はリンよりも先に死ぬ。リンの長い人生の中でお前とともに過ごす時間なんて、瞬きするほどに短いんだ。つまり、最後にリンの隣に立つのはこの僕だ――わかったか? お前はせいぜい指をくわえて見ているがいいさ。空の上で、ね」
ヒルデブラントは腰に手を当て、あっはははは、と勝ち誇るようにして笑った。婚約者としての余裕を見せつけているつもりらしいが、どうにも底意地が悪い。
「神竜様、大人げない」
「ちょっと、リン!? これでも譲歩してあげた方なんだからね! わかっている!?」
一方のロベールは、険しい顔で何やら考え込んでいるようだった。
リンに言い寄ったことはお咎めなしの上、本来であれば一握りのエリートしか選ばれない、ラグナル聖騎士団の一員になることができる。
これ以上ないくらい破格の待遇に思えるが、ロベールが聖騎士団員となった場合、これまで以上にリンと接する機会も増える。そうなると、余計に二人の立場の違いも明確になるだろう。
リンは神竜王ヒルデブラントの婚約者。だけどロベールは、ただの騎士にすぎない。
愛する者がそばにいても触れることができない――もしかするとそれは、永遠の別れよりもつらいことかもしれなかった。
やがて、ロベールは覚悟を決めたかのように姿勢を正す。ヒルデブラントの前で跪き、臣下の礼をとった。
「――わかりました。俺はあなたにお仕えする騎士となります」
「本当にいいの?」
リンの言葉に、ロベールは頷く。その瞳には強い覚悟の光が宿っていた。
「俺は、オルトリンデ様のことを愛しています。だから一番近くでお守りしたい。この気持ちに嘘偽りはありません」
「……この僕を前にして、ずいぶんと豪胆なことを。まあ、素直なところだけは褒めてあげる。そもそもお前に拒否権なんてないからね」
堂々とリンへの愛を告げるロベールに、ヒルデブラントはついていけない、とばかりにため息をつく。
「そういえば、お前は家族を養っていると聞いたよ。それも後でこちらに呼び寄せてあげるから安心するといい」
「本当ですか!?」
ロベールは感激のあまり涙ぐんだ。何度も何度も頭を下げる。
「ありがとうございます、神竜様! ありがとうございます!!」
「なんだか調子が狂うね……」
ヒルデブラントは背後に控えていたナンナを呼びつける。彼女はずっと、おろおろと成り行きを見守っていた。
「というわけで、お前にもようやく後輩ができるよ。色々教えてあげてね」
「……神竜様、本気でこの人うちに入れるつもりですか? またトラブルの火種になったら大変っすよ」
ナンナは明らかに嫌そうな顔をしている。セティが追放される原因となったのがロベールだ。だからそばにいてほしくないのだろう。
「お前、僕に意見するつもりかい? これは決定事項だ。ほら、さっさと連れて行ってよ。僕はリンと一緒に帰るから」
「あ、はい。すんません……」
ナンナに連れられ、ロベールは去っていく。
すれ違いざま、リンと目が合う。
彼は迷いの晴れた、すがすがしい笑顔を見せてくれた。
◇
後にはリンとヒルデブラントだけが残された。
「ねえ、リン。これで丸く収まったかな?」
次第に小さくなっていくロベールの後ろ姿を見つめながら、ヒルデブラントがリンに呼びかける。
「神竜様……」
「本当はもう、彼をリンに会わせたくない。でも、それだと君は悲しむだろう? 僕はただ、リンに嫌われたくなかっただけなんだ。君にはずっと、笑っていてほしいから」
感情を押し殺すような静かな声。だが、その瞳は不安そうに揺れている。
きっとうそをついてもすぐに見抜かれてしまうだろう。リンは正直に今の気持ちを答えた。
「ロベールと離れずに済んでうれしい。彼のことは、ええっと、その……好き、だから。それに、国に戻っても彼の居場所はなかっただろうし……神竜様のおかげで彼も少しは元気を取り戻せたと思うの――だから、ありがとう」
「……そう」
リンの言葉を聞いたヒルデブラントは、ショックを受けたように沈黙してしまう。ロベールのことを好きだと口にしたのは、さすがにまずかっただろうか。
心配になったリンはヒルデブラントの顔をのぞき込む。だが、彼は落ち込んでいたわけではないらしい。
「リン」
ヒルデブラントは真面目な表情でリンに向き直る。
「君、僕のことはどう思っている?」
「え?」
予想外の質問にリンは面食らう。
「僕のそばにいると言ってくれたのは、君が『神竜の巫女』だから? 僕と一緒にいるのは責任感から?」
「それは違うわ!」
リンは即座に否定する。
確かに、リンはロベールのことを好きになってしまった。
でも、初めてヒルデブラントと出会った時に感じた、彼の孤独を支えたいという思い。それは今でも変わっていない。かつてヒルデブラントが言ってくれたように、神竜王としてではなく、一人の人間として彼のことが大切だった。
「神竜様のことが放っておけなかったから。一人にさせたくなかったから、一緒いるの。だって、あんなに寂しそうな目をしていたのだもの」
「……そうか。うん、そうだよね」
ヒルデブラントは昔を懐かしむかのように遠い目をした。どこかうれしそうに口元を緩める。
「まあ、わかっていたけれどね。聞いてみただけ。リンは僕のこと、好きだよね?」
「うん」
「でも、君の好きと僕の好きは少し違う」
「……うん。そうね」
リンがヒルデブラントに向ける感情は、どちらかというと家族愛に近い。だがヒルデブラントは、リンのことを一人の女性として見ている。
「ままならないものだね」
ほんの一瞬だけ、ヒルデブラントの表情が曇る。けれども、彼はかつてのように絶望に押し潰されたりはしなかった。
ヒルデブラントは胸に手を当て、まっすぐなまなざしでリンを見つめる。
「――それでも、僕はあきらめない。いつかきっと、君に本当の意味で好きになってもらえるように頑張るから。だからこれからも見守っていてほしいんだ」
「神竜様……」
傍から見ても、リンはよい婚約者ではなかった。優柔不断な卑怯者。そんなリンでも好きだと、ヒルデブラントは言ってくれる。だからこそ、彼の想いに真摯に向き合いたい。
「……ええ、もちろんよ。ありがとう、神竜様」
リンが頷くと、ヒルデブラントは輝くような笑みを浮かべた。彼はリンに向かって手を差し出す。
「さあ、帰ろう」
「うん」
手を取るとヒルデブラントのぬくもりが伝わってきて、心まで温かくなる。
これでひとまずは一見落着といえるだろう。
◇
ヒルデブラントとロベール。
どちらの男も手に入れる、それもまた一つの愛の形――リンの脳内にセイラの言葉がよみがえる。
だが、もちろんリンは不誠実な態度を取るつもりはない。二人のためにも、いずれはきちんと選択をするつもりだ。近い将来その日は訪れるだろう。
――これは小さな恋の終わりと、新たなる始まり。
これで完結となります。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




