第25話 小さな恋の終わり①
ミレイユの処刑から一か月。
彼女の遺体は、聖都ラグナルの外れにある共同墓地へ葬られた。以降、リンは毎日彼女の元へと通っている。
古びた墓地にはいたるところに雑草が生い茂っていた。人気がなく物寂しい場所だが、リンが来るといつも、ミレイユの墓には花が供えてあった。彼女の可憐な笑顔を思わせる白い百合。おそらくはロベールが来たのだろう。
そういえば、最後に彼と会話をしたのはいつだろうか。ここ最近はリンも後処理に追われており、学園にも行く暇もなかった。だがロベールの周囲はもっと大変なはずだ。
彼のことは心配だったが、ミレイユという接点がない以上、たとえ友人という名目であったとしても気軽に会うことは難しかった。
心配といえば、ナンナのことも気がかりである。
ナンナはセティのことを先輩として慕っていた。彼がいないと張り合いがないようで、いつもの能天気さが鳴りを潜めてしまっている。
最近はようやく元気になってきて安心していたのだが、ここ数日はどこか様子が変だ。そわそわと落ち着きなくリンの顔色を窺っていたくせに、いざリンが声をかけようとすると、あからさまに目をそらされる。
「……」
ナンナのことは気になるが、いなくなった神官たちの代わりに公務を手伝っているため、リンも忙しい。緊急の用件ではないと思いこれまで放置してきたが、今日のナンナは特に目に余る。仕事に集中できないため、ついに問い詰めることにした。
「ねえ。あなた、何か隠し事をしているわよね」
「ひゃいっ!? ど、どどどどうしてわかったんすかっ」
リンに指摘され、ナンナは肩を跳ね上げて驚く。どうやら無自覚だったらしい。
「バレてしまっては仕方ありませんね……こちら、オルトリンデ様宛です」
観念したナンナは、ばつの悪そうな顔をしつつリンに封筒を渡してくる。差出人はロベールだ。
リンは開封済みの封筒から便箋を取り出した。ロベールの字はやや角ばっているものの丁寧に書かれており、彼の真面目な性格をよく表している。
手紙の内容は、国に戻ることになったため最後にもう一度だけ会いたい、というものだった。場所は聖都の正門前。日付は――
「うそ、今日じゃないの!?」
リンは勢いよく立ち上がった。ガタン、と派手な音を立てて椅子が倒れる。手紙に記載されていた時間はとっくに過ぎていた。
仕事を放り出して部屋の外に向かおうとするリンだったが、ナンナが扉の前に立ちふさがる。
「ま、待ってください! まさか会いに行くつもりですか!? ほら、指定されている時間過ぎちゃったじゃないですか。さすがにもう待っていませんよ!」
「あなたが渡さなかったからでしょうが! もしかしたらまだ待っているかもしれないじゃない」
ロベールは絶対にいる。リンは確信していた。
いまだにロベールとの仲を心配しているナンナの気持ちもわかるが、彼が国に戻ってしまったら、もう二度と会うことはできないだろう。彼との関係を綺麗に終わらせるためにも、別れの挨拶だけは言っておきたかった。
そのまましばらくナンナと睨み合う。こうなった時のリンは決して意見を曲げたりしない。
やがて、ナンナは諦めるかのようにため息をついた。
「本当に行かれるんですね?」
再度念を押され、リンは頷く。
「ええ。だって、これで最後だから」
「そうですか……わかりました。それならもう、私から言うことは何もないっす」
ナンナは道を譲るかのように扉を開けた。リンは一目散に外へと駆けていく。
ロベールとの関係にけじめをつける時が来たのだ。
◇◇◇
案の定、ロベールはまだ出立していなかった。わずかな荷物を馬に載せ、所在なさげに門前にたたずんでいる。時折あたりを見渡しているのは、リンが来ることを期待しているのだろう。
リンは少し遠くの物陰からロベールの様子を窺う。いざ彼を目の当たりにすると、なんて言葉をかければよいのかわからなかった。別れの挨拶だけで済ませるのも薄情な気がするが、かといって適当な言葉が見つからない。
思えば、二人は微妙な関係である。両思いではあったが、お互い、明確には好きだと口にしていない。正確には、ロベールは千年祭の時に思いを告げようとしていたが、結局未遂に終わってしまった。
ヒルデブラントのため、リンはロベールとの関係を絶つと決意した。だが、それを聞かされたロベールは、リンに裏切られたと思うだろうか。
「オルトリンデ様! 来てくださったんですね」
突然ロベールが目の前に現れ、リンはぎょっとする。
「き、気づいていたの?」
ロベールは白い歯を見せて笑う。
「たとえ世界のどこにいようとも、俺はあなたのことを見つける自信があります」
「まるで神竜様みたいなことを言うわね……」
「待っていてよかった。どうしても最後にお会いしてたくて」
久しぶりに会ったロベールは、リンの想像以上にやつれていた。声に覇気がなく、顔色も悪い。ただその瞳だけが、愛しい者を前にして熱っぽく潤んでいる。
ロベールはリンの手を取ると、自分の方へ引き寄せた。
そして――
「あ……」
気がついた時には、リンはロベールに抱きしめられていた。思いのほかたくましい胸板に、リンは頭から突っ込む。凍え切った体温とは対照的に、ロベールの鼓動は情熱的に脈打っていた。
「お願いします。しばらくこのままでいさせてください」
「うん……」
吐息交じりの声で囁かれると、リンは抗うことができない。ロベールに別れを告げに来たはずなのに、決意が揺らぎそうになる。
「……情けない話かもしれませんが、俺、国に帰りたくないんです。周囲の人になんて言われるのか考えたら怖くて」
ぽつり、とロベールが呟く。彼が不安に思うのも仕方のないことだ。
ミレイユが凶行に及んだ動機は世間一般には伏せられている。だが、彼女の親族や国元へは、使者を通して事情を説明していた。ロベールはミレイユの罪に全く関与していないが、そのきっかけとなってしまった以上、立場の悪化は避けられない。
主を失ったロベールは今後どうなるのだろう。片目を失った彼が騎士として働き続けることができたのは、ミレイユの好意によるところが大きい。ロベールの仕事がなくなってしまったら、彼のきょうだいたちも困るはずだ。
「それに、国にいると余計、殿下がいないという現実を突きつけられそうで……」
「ロベール……」
「俺は殿下のために命を捧げる覚悟をしていました。それなのにあの方を止めることができなかった。それどころか、殿下が思い悩んでいることすら気がつかなかった。殿下の身をお守りすることができなかったなんて、俺は騎士失格です」
抱きしめられているせいでよく見えないが、きっとロベールは苦しそうな表情をしている。
「あまり自分を責めては駄目よ。あなただけのせいではないわ」
リンはそっと、ロベールの震える背中をさする。
「ミレイユのことは、わたしにだって非がある。わたしも一緒に背負っていくから、一人で抱え込まないで」
「……やはりあなたは優しい方ですね。卑怯かもしれませんが、あなたならそう言ってくれると思っていたんです」
ロベールは安心したように息を吐く。少しは落ち着いてきたようだ。
「でも、だからこそ離れがたい――やっぱり嫌です。このままあなたと会えなくなるだなんて……」
リンを抱きしめる腕に力が込められる。まるで、檻の中に閉じ込めてしまうかのように。
「俺にとって殿下は恩人で、大切な主君でした。だけど初めてあなたと会った時、一目で心を奪われてしまったんです。世界が塗り変えられてしまったかのような衝撃でした。あなたのことは殿下と同じくらい――いや、それ以上に大切なんです。俺はあなたのことまで失いたくない。あなたがいてくれれば、他には何もいらない」
この先を聞いてはいけない。本能がそう告げている。
だが、リンはロベールを振り払うことができなかった。
「叶うのなら、二人でどこかへ逃げてしまいたい――オルトリンデ様。どうか、一緒に来ていただけませんか。俺とともに生きてほしいんです」
それは、愛の告白だった。
他のすべてを投げ捨ててでも、ロベールはリンとの未来を望んでいる。それほどまでに大きな覚悟で、彼はリンを想っているのだ。
本音を言うと、リンの心は喜びに震えていた。思わず彼の手を取ってしまいたい、という誘惑に駆られるほどに。
けれども、リンがこの申し出を受けるのは人生で二回目だ。すでにヒルデブラントと約束してしまっている以上、ロベールとは一緒にいられない。
一方で、ロベールの切羽詰まった様子を見ていると、はっきりと拒絶することができなかった。ただでさえ主を失って追い詰められているというのに、さらに失意の底へ突き落とすような真似はためらわれたのだ。
――あの時、ヒルデブラントの言葉に頷いていなければ未来は変わっていただろうか。
どうしても、もしもの可能性を考えてしまう。
かつてのリンは幼すぎて、恋愛のことなど何一つわかっていなかった。ただ、ヒルデブラントがひどく脆い存在に見えて、放っておけなかった。そして、今ではもう、彼はリンの一部となっている。切り離すことは不可能だ。
「……」
いつの間にか、ロベールの腕の中は居心地が悪くなっていた。彼はリンのことを優しいと言ったが、大きな誤解である。リンは優柔不断で、結論を先延ばしにし続けた卑怯な人間だ。
「……やっぱり、駄目ですよね」
いつまでも続く沈黙が答えだと受け取ったのだろう。ロベールはそっとリンを解放した。気まずい雰囲気をごまかすように、ぎこちない笑みを浮かべる。悲しみと諦めの入り混じった、寂しそうな表情。
「あなたは好きになってはいけない人。それは最初からわかっていました。それでも、自分の気持ちを抑えることができなかった。無理を言ってしまい申し訳ありません」
涙をこらえているのだろうか。途中からロベールの声は震えていた。リンの胸もひどく締め付けられる。
そんな顔をさせたいわけではなかった。彼にはいつも笑っていてほしかったのに。
「――まったく、見苦しい負け犬だこと」
突然背後から聞き覚えのある声がして、リンは飛び上がった。




