第23話 悪役令嬢、散る①
「神竜様! いったいどういうことなの!?」
リンがヒルデブラントの執務室に駆け込むと、彼は机に積まれた大量の書類と格闘していた。ペンを持つ手を動かしながら、彼は視線だけをリンへ向ける。
「ごめん、リン。今は忙しいんだ」
「大事な話なの!」
ドン!
リンは机に思いっきり両手を叩きつけた。書類の山がドサドサと音を立てて崩れる。
ヒルデブラントは手を止めると、仕方なく、といった様子で顔を上げた。動作は緩慢で、どこかけだるげだ。まだ本調子ではないらしい。
「それで、どうしたんだい?」
とぼけているようなヒルデブラントの態度に、リンは焦れて叫ぶ。
「どうした、じゃないわ! ミレイユのことよ! わたしの友達の!」
ミレイユの名前を出した途端、ヒルデブラントは苦虫をかみつぶしたような表情になる。本当は、彼はリンの用件がわかっているのだ。
「さっき神官たちが話しているのを聞いて……それで、あの子が死刑になるって……ねえ。死刑って何かの冗談よね? お願いだから嘘だと言って、神竜様」
自分でもわかるほど、リンの声は震えていた。
「……まったく、うかつな人間がいたものだね」
ヒルデブラントが目を伏せる。彼は困った様子でため息をついた。
「君の耳には入れたくなかったんだけどね……彼女に死刑判決が下ったのは本当だよ。大逆罪で死刑。これは正当な裁判の結果だ」
「そんな……! どうして?」
リンは悲鳴を上げる。大切な友人が死んでしまうだなんて、あまりにも受け入れがたい現実だ。
「あのね、リン。君も知っているとは思うけど、僕の身に何かあったら世界は滅んでしまうんだ。今回だって、僕の力が弱まったせいで結界がに穴が空いて、ケガレが中に入ってきてしまっただろう?」
まるで小さい子どもに言い聞かせるかのような、ヒルデブラントの声色。
「それはわかるけど……でも、でも! なんとかならないの!? ミレイユだって、こんな大事になるとは思わなかったはずよ」
目に涙を浮かべながら、リンは訴えかける。
ミレイユはただ、ロベールの恋を応援しようとしただけなのだ。
確かに、彼女の行動は世界に危険をもたらした。でも、ミレイユがしたことといえば、リンとロベールの仲を取り持とうとしたことや、その様子をヒルデブラントに伝えたことくらいだ。陰湿な面もあったが、死刑にするほどの凶悪な行為だろうか。
それに、ケガレはリンが浄化したし、結界も修復した。世界は救われたのだから、それでよいはずだ。
何よりも、ミレイユはリンの初めての友人である。だから死んでほしくない。
リンはすがるようなまなざしをヒルデブラントに向けた。こんな時、彼はいつもリンの頼みを聞いてくれる。僕がなんとかするから、そう言ってくれる。
だが今日の彼は、泣きそうな顔のリンを見ても、冷静な態度を崩さなかった。
「いいかい、よく聞いて」
ヒルデブラントは机の上で指を組む。その瞳には何の感情も浮かんでいない。あえて表に出さないようにしているようだ。
「ケガレの侵入があったのは君の故郷だよね? 今回は作物が駄目になる程度の被害で済んだけど、あれがさらに悪化したら、ケガレに襲われて亡くなる人が出たかもしれない――わかるよね? 彼女の行動は僕自身だけでなく、この世界に住むすべての人々を危険に晒したんだ。知らなかったで通用する話ではないんだよ」
「そんな……」
「もちろん、僕にも非はある。感情を抑えきれなくなったせいで、自分の役目に支障をきたした。それは非難されるべきだ。だけど、この状況が意図的に引き起こされた、というのは許しがたいね。僕がリンのことを好きな気持ちを利用するなんて、気分のいいものじゃない」
「……」
リンは反論できなかった。
ヒルデブラントの言うことはもっともである。どうして今まで思い当たらなかったのだろう。世界が滅ぶということは、そこに住む人々の命も失われてしまうのだ。ミレイユの計画は、全く罪のない、無関係の人々を巻き込むところであった。
世界に対する反逆者。ゆえに、死刑。そう言われては、もうどうしようもない。
「ねえ、リン」
ヒルデブラントの目がすっと細められた。彼の身を侵したケガレは浄化したのに、その瞳が一瞬、闇のような色合いに変化する。
「君はこの前、これからもずっと僕のそばにいてくれる、と言ってくれたね?」
「う、うん」
「でも、あの件がなかったとしても、僕たちはうまくやれていたはずだ。だって今までがそうだったのだから。君の友人が僕たちを引き裂こうとしなければ、ずっと平和でいられたんだよ。……それに、一人で結界の元へ向かった君がボロボロになって帰ってきたこと、僕は今でも忘れていない。僕の何よりも大切なリンを、あんな目に遭わせるなんて――だから僕は、彼女を許すことはできない」
「……ああ」
リンは悟った。
――これは駄目だ。
ヒルデブラントはこれまで、リンの頼みならなんでも叶えてくれた。世界で一番偉い存在の彼には不可能なんてないし、どんな無茶でも通すことができる。
だがミレイユは、ヒルデブラントが何よりも大切にしていた、リンとの絆を引き裂こうとした。それだけでなく、リンを危険な目に遭わせたのだ。彼の怒りが収まらないのも当然のことだろう。
リンがどれだけ懇願しても、ヒルデブラントはミレイユを助けてはくれない。ミレイユの死は、もう覆せない。
「……っ」
「あ、リン!?」
涙をこらえきれなくなり、リンは慌てて部屋を飛び出す。背後から、慌てたようなヒルデブラントの声が聞こえてきた。
彼の言うことは正しい。だからこそ、子どものように泣きわめく姿を見られたくはなかった。
自室に駆け込んだ瞬間、涙がとめどなくあふれてくる。一方で、自分には泣く資格がない、とリンは感じていた。
◇◇◇
ミレイユの処刑は、ラグナル大神殿前の広場で行われることになった。
処刑当日。
広場には、神殿の厳かな雰囲気には似合わない、無骨な断頭台が設置された。死神のような不気味な刃が、陽の光を浴びて鈍い輝きを放っている。
「リン。君は見に行かない方がいい」
ヒルデブラントからは止められていたが、従うつもりはなかった。リンは監視の目をかいくぐって部屋から抜け出すと、群衆の中に紛れる。
――わたしには、ミレイユの最期を見届ける義務がある。
彼女が罪人となるきっかけを作った者として、現実から目を背けるわけにはいかなかった。
『反逆者っていったいどんなやつだろう』
『あれが断頭台……なんて不気味なのかしら』
聖都で罪人の公開処刑が行われるのは、およそ十年ぶりのことだという。お触れを聞き、ラグナル中の住民が集まってきていた。処刑という言葉のおどろおどろしさに困惑しつつも、好奇心に負けてしまったようだ。
集まった住民たちは年齢も職業も様々だが、彼らの中には共通する一つの思いがあった。
――神竜様に危害を加えようとするなんて、とんでもない。
ヒルデブラントが直接治める聖都ラグナルの住民は、他の地域に比べて信心深い。そのため、神竜王に危害を加えようとしたミレイユのことを、恐ろしい人間だと決めつけていた。普段の穏やかで心優しい彼女を知っているだけに、リンは悲しい気持ちになる。ミレイユを反逆者に変えてしまった原因はリンにあるからだ。
集まった人々の中には、ところどころ見知った顔もあった。
「オルトリンデ!!」
そのうちの一人、ルイがリンの元へ駆け寄ってくる。今日はいつものように取り巻きを引き連れてはいない。
「おい、何とかしてくれ! このままではミレイユが、僕の妹が死んでしまう!!」
憔悴しきった様子からは考えられないほどの強い力で、ルイはリンの肩を揺さぶる。きっと何日も眠れていないのだろう。彼の頬はやつれ、目の下には隈が色濃く浮かんでいた。
「神竜様には何度も頼んだんだ。なんでもするから命だけは助けてくれって……でも駄目だった。オルトリンデ、お前ならどうだ? 神竜様だって、お前の言うことなら聞いてくれるんじゃないのか? お前はミレイユの友人だろう? だからどうか、神竜様を説得してくれ――頼む」
いつも傲慢で、人を見下した態度を取っていたルイが、リンに頭を下げている。嫌味ばかり言っていたけれども、本当は妹のことを大切に思っていたのだろうか。
しかし、どれだけ頼まれようが、リンにはどうすることもできない。
「……ごめんなさい。神竜様はわたしが頼んでも聞いてくれなかったのよ」
ルイの顔に絶望が浮かぶ。最後の望みが絶たれた彼は、気力を失ったかのようにうなだれた。
「そんな……ミレイユ……」
「……」
これ以上ルイの顔を見るのは忍びなくて、リンは視線をそらす。
その先に、ロベールの姿を見つけた。
リンの右前方にいるため、表情はよくわからない。だが、握りしめられた拳からは血が垂れていた。
きっと、今回の件で一番責任を感じているのはロベールだろう。できることならそばにいてあげたいが――
「おい、来たぞ」
誰かが叫ぶと、群衆の視線が一斉に神殿の入口へと向けられた。
とうとう処刑の時間となったのだ。
「ごめんなさい、通して!」
強引に人ごみをかきわけ、リンは最前列へと飛び出す。
神官に引き立てられたミレイユは、ゆっくりと断頭台へ歩いていく。恐怖のせいかその顔は蒼白く、唇をかみしめている。
しかし、姿勢を伸ばしてまっすぐに前を見つめる姿からは、高貴な者としての気品が感じられた。粗末な衣類を着せられ、髪も乱雑に短く切られてしまっているが、それでもなお、ミレイユは凛として美しい。
「ミレイユ、ミレイユ!! おい、離せ! 離してくれ!!」
後方からルイの騒ぐ声が聞こえてくる。周囲の者たちに押さえつけられているようだ。
断頭台に乗せられたミレイユは、視線だけを動かして群衆を見渡す。親しい者の姿を見つけるたびに、彼女はわずかに表情を変えた。
ミレイユが真っ先に見つけたのはロベールだった。助けを求めるかのように、その瞳が震える。暴れるルイの姿を見た時はさすがに驚いたようだ。ヴォルフラムや侍女たちには、申し訳なさそうに目を伏せる。
最後に、リンと目が合う。
「あ……」
ミレイユの表情が固まる。
時が止まったような気がした。
しばらく悩む様子を見せてから、ミレイユは眉を下げ、困ったような笑みを浮かべる。微笑みながらも、瞳からは一筋の涙がこぼれた。
これはいったい、どのような意味か――
「待って!」
リンはミレイユに向かって手を伸ばす。だが、決して届かない。
「あ……あぁ……」
リンは膝から崩れ落ちる。
――大逆人ミレイユ・ド・オルタンシアは処刑され、世界は平和を取り戻した。




