第22話 ある悪役令嬢の独白②
リンとの出会いも、鮮烈なものとしてミレイユの記憶に残っている。
せっかく学園に入学して外の世界を知ることができたというのに、ミレイユは周囲にうまくなじめなかった。
生来の内気な性格も影響していたとは思うが、ルイが顔を合わせるたびに絡んでくることも原因の一つと考えられた。
ミレイユがなじられていても、周囲の人は誰も助けようとはしてくれない。それどころか、視線をそらして見ないふりをする。皆、ルイに目をつけられたくないようだ。
もちろんロベールやヴォルフラムは心配してくれるが、ロベールはルイに意見できる身分ではないし、ヴォルフラムは学年が違うため、あまり顔を合わせる機会がない。ミレイユは一人で兄の暴言に耐え続けた。
(どうしてお兄様は、ここまでわたくしのことを憎むのでしょうか)
人並に健康になったのに、今度は孤独と絶望で胸が苦しい。
学園に来れば友人ができると思っていた。皆と同じように、ミレイユも友人や家族と笑い合いたい。だけど、そんなささやかな願いでさえ、叶えることができない。自分がとても惨めだった。
リンと出会ったのはそんな時だ。
「邪魔よ。どきなさい」
ある日のこと。
ミレイユがいつものようにルイから罵倒されていると、凛とした声が廊下に響き渡った。
「いいか、もう二度と僕の視界に入ってくるな――うん? なんだお前は。僕は今、大事な話をしているんだが」
話の腰を折られたルイが、不機嫌そうに振り返る。
――一人の少女が、腕を組んで仁王立ちしていた。
(あの方は……?)
ミレイユが学園に通い始めてから半年ほどたつが、初めて見る顔だ。
少女は周囲の人たちの中でもひときわ目立っていた。
毛先が巻かれた金色の髪。改造され、本来よりもレースやフリルの量が増えたふりふりの制服。そのせいか、一見するとやや派手な印象を受ける。
また、珍しいことに、少女の護衛は女性だ。
少女は意志の強そうな瞳でルイを睨みつける。
「聞こえなかった? 邪魔だと言っているの。廊下をふさがないで。それと、もう少し静かにしてもらえるかしら。あなたの声を聞いていると頭が痛くなってくるわ」
言い返されるとは思っていなかったらしい。ルイはぽかん、と口を開けて固まった。次第にその頬が朱に染まっていく。
「は……? な……っ!? お前、今僕に口答えしたか? したよな!? いったい僕を誰だと思っているんだ!!」
「あなたの方こそ、わたしを誰だと思っているの?」
「なんだと……っ!!」
ルイが真っ赤な顔で身を乗り出す。
その時、周囲で様子を窺っていた生徒たちのひそひそ話が聞こえてきた。
『おい、あれってまさか』
『ああ。神竜様の婚約者とかいう……』
「神竜様」という言葉が出てきた途端、ルイは握りしめていた拳を下ろした。分が悪いことを悟ったようだ。
「……っ。く、くそっ! 覚えておけよ!」
しばらくの間、ルイは顔を赤くしたり青くしたりと忙しなかったが、やがて、捨て台詞を吐いてその場から去っていった。
「ふんっ。一昨日来なさい――ねえ、大丈夫? 顔色が悪いけど」
「えっ?」
逃げていくルイの後ろ姿を鼻で笑った後、少女は突然ミレイユの方へ向き直った。まさか自分に話しかけてくるとは思っていなかったので、反応が遅れてしまう。
「災難だったわね。安心して、面倒なのは追い払ったから」
「あ……え、ええ。ありがとうございます。助かりましたわ」
どうやら、最初からミレイユを助けるために声をかけてきたらしい。学園に入学してからしばらくたつが、こんなことは初めてだ。
「それにしても、嫌なやつよね。もしかしていつも絡まれているの? もっと強く言っておけばよかったかしら」
「い、いえ! そのお気持ちだけで十分ですわ。きっとお兄様もストレスが溜まっているだけなんです。本当はもっとお優しい方のはずです」
「あれお兄さんなの? なおさらあの態度は……まあ、あなたがそう言うのならやめておくけど」
納得のいかない顔をしつつも、少女はおとなしく引き下がる。
夢でも見ているかのような心地だった。この少女は、初対面のミレイユを助けてくれたし、ミレイユの分までルイに憤っている。なんて勇敢で、正義感が強く優しい人間なのだろう。
――もしかしたら、彼女となら仲良くなれるかもしれない。
直観的にそう思った。
内気で自分の意見もろくに言うことができないミレイユだが、今日を逃したらもうチャンスはないかもしれない。怖いけれど勇気を振り絞らなければ、と自分を奮い立たせ、大きく息を吸う。
「あ、あの!」
緊張のあまり声が上ずってしまう。
「わ、わたくし、第五王国出身のミレイユ・ド・オルタンシアと申します。それで、ええっと、その……」
口がうまく回らない。手の平に汗がにじむ。
そんなミレイユに、少女は優しく微笑みかけてくれた。すべてわかっている、と言いたげな顔だ。
「わたしはオルトリンデ・シュタイナー。最近入学したばかりなの。一応『神竜の巫女』って呼ばれる存在なんだけど、まあ、特に普通の人間と変わらないわ。これからよろしくね、ミレイユ」
差し出された手は天からの救いのように思えた。
◇◇◇
予感通り、ミレイユとリンは親しくなった。
彼女と出会って以降、学園生活は充実したものとなっていた。リンが撃退したおかげか、以前よりルイに絡まれることも少なくなった。
リンはミレイユにはないものを持っていた。いつも堂々としていて、誰かに媚びることがない。それでいて、時々子どもっぽい無邪気な一面も見せてくれる。何よりも、困っている人を放っておけない、面倒見のよさに、ミレイユは好感を持っていた。
(きっと、オルトリンデ様は周囲の方から愛されて育ったのでしょうね)
リンをうらやましく思う気持ちがないといえば嘘になる。だが、それ以上に憧れの感情が強かった。
一度だけ、どうして自分と仲良くしてくれるのか、と聞いたことがある。神竜王の婚約者であるリンに近づきたい人間はたくさんいた。
「そんなの、理由は一つしかないわ――わたしがあなたと仲良くしたいと思ったからよ」
そう言って、なんてことのないようにリンは笑う。
リンの言葉を聞いたミレイユは、自分が彼女の特別な存在になれたような気がしていた。
出身地も、身分も、価値観も、すべてが異なる。それでも二人は友人になった。奇跡のような出来事だからこそ、この縁は一生大切にしたいと思っていた。
そしてある時、ミレイユは気づいてしまった。
ロベールがリンに向ける視線。そこには、ミレイユへ向けられるものには存在しない、熱が込められている。
――ロベールは彼女のことが好きなのか。
ミレイユは勝手に、ロベールが一番大切にしているのは自分だとうぬぼれていた。身を挺してまで自分を庇ってくれたのもそのためだ、と。しかし現実は非情である。
ロベールの想いを悟ってから、しばらくは食事も喉を通らないほどにショックだった。
でも、すぐに思い直す。本当にロベールのことを想うのであれば、彼の幸せを応援してあげるべきではないか。
相手がリンなのはむしろ幸いだった。ミレイユの大切な友人である彼女なら、素直に祝福できる。
それに、ミレイユは学園卒業後、国に戻らなければならない。聖都に暮らすリンとは離れ離れになってしまうが、彼女とロベールが結婚すれば、国に連れて帰ることができる。これからも一緒にいられるのだ。
リンとロベールの仲を取り持つ。それは非の打ちどころのない計画に思えた。
以前のミレイユであれば、このような策を巡らせることはなかったはずだ。だが、これまでの人生で色々なことをあきらめてきた分、今後は貪欲になっても許されるのではないか――そう考えるようになっていた。
――問題は、リンの婚約者だ。
それからというものの、ミレイユはリンとヒルデブラントの仲を引き裂こうと暗躍し始めた。
まずはそれとなく、リンが自分の境遇に不満を抱くよう誘導した。
とはいえ、あの時リンに語ったことはミレイユの本心である。幼少時に様々な病に苦しめられてきた彼女としては、不老不死など絶対に遠慮したい。
だが、残念ながらミレイユの言葉はリンに響かなかった。腑に落ちない様子で首をかしげる彼女は、今後待ち受けている残酷な未来を、何の疑問もなく受け入れようとしている。神竜王に洗脳され続けたせいだろうか。
仕方ないので、ミレイユはアプローチの方向性を変えることにした。
ミレイユは方向音痴のふりをして、外出時に何度か行方をくらませた。
恋愛経験もなく奥手なロベールには、自分から異性に話しかけることは難しい。だから強制的にリンと二人きりにして、物理的に彼らの距離を縮めようとしたのだ。
この作戦を実行する際は、リンの護衛を買収して協力してもらった。ミレイユを匿い、リンとロベールの捜索場所が重なるように誘導する役目だ。中でも、セティという青年には何度か世話になった。
一つ失敗だったのは、国元から連れてきたごろつきたちの存在である。少し脅してもらうだけのはずが、まさか本物の刃物で斬りかかるとは思わなかった。ロベールの勇姿をリンに見せたかっただけなのに、彼女を危険な目に遭わせてしまった。
とはいえ、ミレイユの策で二人の仲は進展した。それとなくロベールから聞き出したところ、前よりも緊張せずにリンと会話できるようになったそうだ。
特に、千年祭の夜は二人きりで花火を眺めたらしい。恋人と花火を見ると永遠の幸せが得られる、という噂は街で聞いたものだ。なんてロマンチックなシチュエーションだろう。
捜索にあたる騎士や侍女たちを巻き込んだことは申し訳なく思うものの、左目を失って以降ずっと張り詰めた雰囲気をまとっていたロベールが、リンと会った後は表情が和らいでいる。それを見ると、自分は間違っていないと確信できた。
作戦が順調に進む一方で、懸念もあった。
バラ園に行って以降、リンがミレイユのことを避けている気がするのだ。ミレイユがリンとロベールの仲を取り持とうとしていることに気づいたのだろう。
ロベールの話を信じる限りでは、リンも彼に惹かれているようだが……。
リンに会う機会が減ったことで、ロベールの顔も暗くなった気がする。彼の恋をこのまま終わらせるわけにはいかなかった。
――できればこの手段は使いたくなかったが。
リンに近づくことができないのであれば、婚約者の方に揺さぶりをかけるしかない。
ミレイユは何度かヒルデブラントに宛てて手紙を書いた。リンとロベールが恋仲になったという、虚偽の密告である。手紙は王国からの使者や、買収した神官を通じて、確実にヒルデブラントの目に入るよう仕向けた。
目論見通り、ヒルデブラントはリンへ疑念を抱くようになった。協力してもらった神官の話では、彼はリンに対してはいつも通り接しているが、その分他の人間への態度がとげとげしくなっているそうだ。
着実にミレイユの計画は成功に近づいていたが、念には念を入れる必要がある。彼女は日頃から、ヒルデブラントの心を折るためには何が有効かを考えていた。
聞くところによると、ヒルデブラントは普段、神殿から出られないという。そこで、リンが外出先でロベールと楽しそうに過ごしている話を聞かせてあげようと思った。
千年祭の話も良かったが、舞踏会の夜の出来事も大きな衝撃を与えたはずだ。あの時ミレイユは、一緒にいたヴォルフラムを捲き、物陰から二人の様子をこっそり眺めていた。
はしゃぎ声をあげながら仲睦まじそうに踊る二人は、心の底からお似合いだと思った。だから、その様子を詳細に記述して送り付けてあげたのだ。
ここまでしておきながらも、ミレイユ個人はヒルデブラントに全く恨みを持っていない。そもそも会ったことすらないのだ。
ミレイユが必死になるのには、ロベールへの純粋な恋心だけではなく、贖罪の意味もあった。
主を守り、片目を失ったロベール。彼に命を救われたにも関わらず、ミレイユはいまだにその恩に報いることができていない。
これは襲撃後に聞いた話だが、ロベールには近衛騎士団抜擢の話があったという。だが、怪我のせいで消えてしまった。本人は気にしていないと笑うが、ミレイユはいつも罪悪感に苛まれている。
だからせめて、ロベールが今後何不自由ない人生を送れるようにしたい。ミレイユなんかを庇ったせいで不幸になった、と彼に思わせたくなかった。
ミレイユ本人には何も取り柄がないが、権力だけは持っている。そんな彼女がロベールに与えられる唯一のもの、それが愛する者との幸せだった。そのためなら自分が悪者になったとしても構わない。
たとえ相手が神に等しい相手だったとしても。
だが――
◇◇◇
薄暗い牢屋の中で、ミレイユは膝を抱えて丸くなった。
ぼんやりと檻の外を眺める。ここから出られる時、それは彼女の死を意味する。
「……」
死刑を宣告され、ミレイユはようやく冷静になっていた。
自らの行動で世界を危機に晒していただなんて、全く想像してもいなかった。世界が滅んでしまったら、リンやロベールだって死んでしまう。
それに、いくら邪魔だったからといって、何の罪もない相手を平気で傷つけようとするとは。我ながら恐ろしい。
だがやはり、ミレイユの中で一番大きな感情は、死に対する恐怖であった。
――わたくし、本当に死刑になるのでしょうか……?
本当は、ミレイユには世界を敵にする覚悟などできていなかったのだ。




