第20話 一見落着?②
「オルトリンデ様! 戻られましたか」
神殿の中に入ると、すぐさまアトリが駆け寄ってきた。
なお、ヒルデブラントの方は一足先に公務へと戻っている。彼自身はリンから離れたくなかったようだが、仕事がかなり溜まっているそうだ。
「神官長。久しぶりね」
慌てて飛んできたのか、アトリは布で顔を隠すのを忘れていた。十年ぶりに見た彼の素顔は、相変わらず美しく、若々しい。
「お体の方は大丈夫ですか? ケガレの影響で寝込んだとお聞きしてから、私、不安で夜も眠れなくて」
「まだ肌荒れが治らなかったりするけど……ほぼ元気よ。ほら、この通り」
「それならよいのですが……」
まだ信じられないのか、アトリは困ったように眉を下げている。やはり、顔を見た方が感情がわかりやすくてよい。
「飴、ありがとう。おいしかったわ」
リンが礼を言うと、アトリは柔らかく微笑む。彼にもずいぶんと負担をかけてしまったようだ。無事に戻ってくることができて本当によかった。
「よく眠れないのはおじいちゃんだからじゃないっすか?」
「こらナンナ! 失礼だろう?」
「センパイだって、神官長は年寄りくさい、とか言ってるくせに」
「バラすなよ!」
背後でナンナが余計なことを言っているが、感動の再会を果たせたためか、それとも耳が遠くて聞こえないからか、今日ばかりはアトリも目くじらを立てない。
その時、背後からドタドタと騒がしい足音が聞こえてきた。
「――こんの、おバカー!!」
「ぎゃあっ!?」
振り返った瞬間、蹴りが飛んできてリンは悲鳴を上げる。危うく直撃しそうになった。
「ちょっと、危ないじゃない! 何考えてるのよ! しかもそんな恰好で」
「ふんっ。バカは殴らないとわからないのよ」
「いや、拳じゃなくて蹴りだったじゃない」
乱入者の正体はセイラだった。蹴りを入れたせいでドレスの裾が乱れている。
「もう、あんたってバカよね。ほんっとうにバカ。勇気と無謀は違うのよ、わかってるの? せっかく世界を救っても、それで自分が死んだら何の意味もないんだからね!」
セイラは興奮した様子でまくし立てる。ヒルデブラントと同様に、彼女も無茶をしたリンに怒っているようだ。
「あら、あなたもわたしのことを心配してくれていたのね」
「はあ!?」
心外だ、と言わんばかりの表情でセイラが目をむく。
「ば、ば、バカなこと言ってんじゃないわよ。あたしが、あんたを? 心配? そんなこと、あるわけないじゃない。ただちょっと、気になって気になってしょうがなかっただけなんだから!」
「はいはい」
「絶対わかってないでしょ! ……ああ、もう。いいわよ、それで。心配してたわよ! 悪い!?」
声を荒げつつもセイラの頬が真っ赤に染まっている。彼女のわかりやすいところをリンは好ましく思っていた。
「全然悪くない。あなたにも本当に感謝しているわ。わざわざ様子を見に来てくれてありがとう」
「……まあね。でも、心配していたのはあたしだけじゃないわ。あんたの友達のミレイユなんか、心労のあまり寝込んじゃったらしいのよ」
「ミレイユが?」
これまた懐かしい響きだ。
「そ。学園でも何回か声をかけられたわ。あんたから連絡は来ていないか、って」
「ミレイユ……」
そういえば、最近は直接言葉を交わす機会も少なかった。後で手紙を出して無事を伝えようか。
ミレイユのことを考えると、どうしても彼のことまで思い出してしまう。
――ロベール。
彼もきっと、リンのことを心配しているだろう。
だが、リンはもう決めたのだ。ヒルデブラントを守り、一生寄り添っていく。だからもう、ロベールと会うことはやめる。それがお互いのためだ。
◇◇◇
「――なるほど、そんなことがあったのね」
約一カ月ぶりに戻ってきたリンの私室。
雨に濡れた服を着替え、温かい飲み物で一息ついた後、リンはセイラにこれまでの経緯を説明した。
「まさかそんなことになっていたなんて……このバカップルめ。巻き込まれる方はたまったもんじゃないわよ」
ふかふかのソファに腰かけたセイラが、隣に座るリンへ半目を向けてくる。それについては返す言葉もない。
「でも、なんとか解決できてよかったわ。わたしのせいで世界が滅亡するだなんて、笑えないもの」
リンは無事にヒルデブラントと仲直りできた。二人の絆はより堅固なものとなり、もう彼がリンのことで思い悩むこともなくなるだろう。
それに、ケガレの浄化と結界の修復も済ませた。もうしばらくすればヒルデブラントも完全回復し、いつも通りの日常を取り戻せるはずだ。
だが、なぜかセイラは難しいで黙り込んでしまう。
「……いいえ。まだ終わってないわ」
「どういうこと?」
おやつのクッキーに手を伸ばしかけたリンは、セイラの言葉に手を止める。珍しく神妙な顔をしたセイラは、いいこと? と右手の人差し指を立てる。
「あんたに好きな人ができたことや、彼と逢引していた場所。それを神竜様に伝えた人がいるでしょ」
「……あ」
確かに、リンはロベールのことを用心深く隠していた。ヒルデブラントの前では名前すら口にしなかったのだ。密告がなければ、今でもヒルデブラントは気づいていなかったかもしれない。
――では、誰がいったい、何のために?
目的として真っ先に考えられるのは、リンをヒルデブラントの婚約者の座から引きずり下ろすため、という理由だ。そういえば、学園でのセイラとの会話もヒルデブラントに伝わっていたが……。
リンは思わずセイラから距離を取る。
「もしかしてあなた、まだ神竜様のことをあきらめていなかったの?」
「違うわよ!! あたしがそんな回りくどいことできると思う?」
「……ごめん、できないよね」
「なんか自分で言ったくせに悲しくなってきたわ」
あの時のセイラの声はかなりうるさかった。周囲の人間に聞かれていてもおかしくはない。
「たぶん、密告した人は神竜様の婚約者になりたいわけじゃないと思うのよ」
眉間にしわを寄せながら、セイラはクッキーに手を伸ばす。気がつくとリンの分はほとんど残っていなかった。
「神竜様がオルトリンデのことを大好きなのは、聖都の人間なら大体知っているわよね?」
「まあ、噂は広まっているみたいね」
「じゃあそんな神竜様に、あなたの婚約者には他に好きな人がいます、って伝えたらどうなると思う? ショックで寝込むかもしれない、くらいのことは容易に想像つくんじゃないかしら」
「うん」
実際には寝込むどころの話ではなかったわけだが。
……なんだか嫌な予感がする。
「つまり――」
セイラはもったいぶったように一度言葉を区切る。
「黒幕の狙いは、神竜様に危害を加えることだったのよ」
「なっ……!」
背筋が寒くなり、リンは自分の体を抱く。
ヒルデブラントは今まで散々苦しんできたというのに、どうしてまた、傷つけられなければならないのだろうか。
「結界の破壊やケガレの流入。犯人がそこまで望んでいたかはわからない。ただ、犯人が神竜様に悪意を持っていることだけは確かだわ。犯人を見つけない限り、また同じようなことが繰り返されると思う」
「そ、そんな」
「問題は、誰がそんなことしたのか、って話だけど……あんたの好きな人のことまで知っているくらいだもの、密告したのはあんたに近い人間のはずよ。たとえば――」
セイラは、リンの背後に控えていたナンナを睨みつける。
「あんたとか?」
「はひっ!?」
突然自分に矛先を向けられたナンナは、間の抜けた声を上げた。
「あんた、よくオルトリンデと一緒にいるわよね。この子の交友関係も把握しているでしょう?」
「ち、ちちち違います! 自分じゃありません! 確かに、オルトリンデ様とロベール殿の関係はよくないことだと思ってましたが……でも、密告なんてしないっす。だってそんなことしたら、監督不行き届きで怒られるのはこっちなんですよ!」
「本当にぃ?」
必死で弁明するナンナに、セイラはなおも疑いの目を向ける。
「本当ですって! それに、自分なんかよりもセンパイの方が怪しいですよぉ。だってあの人、オルトリンデ様のとロベール殿の仲を応援しようとして……」
「セイラ。いつもそばにいるからわかるけど、ナンナはそんなことしないわ」
「オルトリンデ様……!」
リンが庇うと、ナンナは感動のあまり目を潤ませた。彼女もまた、思ったことはその場で口にするタイプだ。密告なんて真似、できそうにない。
「じゃあそのセンパイってやつ?」
「セティも違うと思う」
あなたの幸せを一番に願っています――そう言って、セティはリンの恋を応援しようとしていた。だからこそ、リンがヒルデブラントを傷つけたくないと思っていることは理解しているはずだ。
他に親しい人物といえば、側仕えの神官や他の護衛たちが思い浮かぶが、彼らはリンとロベールの関係を知らないだろう。
「じゃあ、他に思い当たる人は? まさか、例の騎士が自分で密告を……」
「それもありえないわよ!」
リンが知る限り、ロベールは真面目で控え目な性格だ。異性と手が触れ合うだけで赤面するような人間が、禁断の恋を相手の婚約者に自慢するはずがない。
でも、それならいったい誰が――
「…………まさか」
一人だけ思い当たる人物がいた。




