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第18話 ケガレとの対峙

本日、1話のみの投稿となります。

「本当に行かれるのですか?」 


 アトリがためらいがちに尋ねてくる。


「ええ」


 答えながらリンは振り返る。

 ヒルデブラントはベッドの上で静かに眠っていた。その呼吸はあまりにも弱々しい。このまま目覚めないのではないか、と心配になるほどだ。


「ケガレが蔓延した土地は、足を踏み入れるだけでも人体に悪影響を及ぼします。神竜様の回復を待たれた方がよろしいのでは……」


 リンは首を横に振る。


「それは駄目よ。だって、これはわたしが引き起こしたことだもの。これ以上神竜様に負担をかけるわけにはいかないわ」


「……そうですか。決意は固いのですね」


 リンが意見を曲げることはない、とわかっていたのだろう。アトリが部屋の扉を開けると、すでに旅支度を終えたナンナとセティが立っていた。


「どうしても行かれるというのであれば、せめて護衛を連れて行ってください」


 騎士二人は、いつになく険しい表情で部屋の入口をふさいでいる。

 だが、リンは申し出を拒絶した。


「いいえ、必要ないわ。わたし一人で行く」


「どうしてですか?」


 顔を覆う布越しにも、アトリの困惑が伝わってくる。


「ケガレが蔓延した土地は危険だって、神官長が言ったばかりじゃない。ケガレの浄化や結界の修復ができるのは、わたしと神竜様だけなのよね? 騎士たちがいても役に立たないし、むしろ足手まといだわ」


「ですがそれでは、神竜様が目覚められた時どう思われるか」


「……それもそうね」


 絶対に行くな、と引き止めてきたヒルデブラントの姿を思い出す。

 確かに、リンを一人で行かせたと知ったら、彼は激怒するだろう。自分の行動のせいでアトリやナンナたちに危害が及ぶことは避けたい。


(まあ、途中までなら大丈夫かしら……)

 

 結局、第七王国までナンナとセティについてきてもらうことになった。


   ◇


「オルトリンデ様」

 

 出発前。馬車に乗り込もうとしたリンに、アトリは声をかけた。


「お好きでしょう、これ」


「あ……」


 手渡されたのは、見覚えのある小さな包み紙。かつて、アトリがリンの緊張を和らげるためにくれた飴である。リンがおいしい、と喜んでいたことを覚えていたらしい。懐かしさとありがたさが胸いっぱいに込み上げる。


「無事に帰ってきてくださいね。ご武運をお祈りします」


「うん……ありがとう」


 馬車に乗った後で、リンは包み紙をはがして飴を取り出す。口の中に含むと、十年前と同じ優しい味がした。


   ◇◇◇


 数日後。

 第七王国に到着したリンは、故郷の街に向かう。街の入口は、王国騎士団によって厳重に封鎖されていた。ここからでもうっすらとケガレの瘴気を感じ取れる。


「あなたたち、なぜここに? この街は現在立ち入り禁止となっています。危険ですから離れてください」


 リンが入口に近づくと、若い騎士に制止される。すでにケガレの影響を受けているのか、少し体調が悪そうだ。早く治療してあげたいが、まずは大元を絶つことが先だろう。

 若い騎士の背後から現れた壮年の騎士は、セティやリンの顔に見覚えがあるようだ。


「おや。君は昔、王国騎士団にいた……もしかして、隣にいらっしゃるのは『神竜の巫女』様ではないですか?」


「えっ、この女の子が?」


 壮年の騎士は、十年前のケガレ浄化を目撃していたらしい。

 『神竜の巫女』という言葉を聞き、警備についていた騎士たちがわらわらと集まってきた。リンは彼らに向かって堂々と告げる。


「ええ。わたしが『神竜の巫女』、オルトリンデ・シュタイナーよ。神竜様の代わりにケガレを浄化しにきたわ」


 救世主の登場に、王国騎士団の面々は歓声を上げる。


「聖都から援軍が来たぞ!」


「よかった、これで俺たちは助かるんだ」


 彼らはずっと、自分もケガレに襲われるのではないか、という恐怖と戦っていたのだ。

 

 リンは騎士団の人たちを避難させた。


「ナンナ、セティ。あなたたちも一緒に下がっていて」


「は、はい……さすがにこれは厳しいっすね」


 ナンナはすでにケガレに当てられたようで、手で口を覆いつつ後退する。

 一方、セティはリンを庇うように前に立つと、頑なに引き下がろうとしなかった。


「セティ。ここから先は危険なの。あなたも下がって」


 十年前、セティはケガレに襲われて生死の淵をさまよっている。これ以上危険な目に遭わせたくはなかった。だが、彼は首を縦に振らない。


「危険だからこそ、です。命の恩人であるオルトリンデ様に、あのような苦しい思いをさせたくはありません――僕の命はあなたに救っていただいたものです。だからあなたのために使わせていただきます。ケガレの浄化はできませんが、こんな僕でも盾くらいにはなるでしょう」


 セティの足はがくがくと震え、顔だっていつも以上に青白い。恐怖に呑まれそうになりながらも、彼はリンを守ろうとしている。


「セティ……」


 ――自分は彼に、これほどまでに大きな影響を与えていたとは。


 セティを助けた時、リンは特に深いことは考えていなかった。目の前で消えゆく命を放置できなかっただけだ。しかし、あの時リンが助けていなければ、彼は今ここに存在しない。そう考えると、セティの行動が大げさすぎるとは言えなかった。

 

 そういえば、ロベールもミレイユのことを恩人だと言っていた。


 ――そのようなお方を異性として意識するだなんて、恐れ多いことです。

 

 今なら、恩人という存在の重みが少しは理解できるような気もする。


 とはいえ、ここはリンも譲れない。視線でナンナに合図を出すと、彼女は心得た、とばかりに動いた。ナンナはセティの肩に手を置く。


「センパイ、気持ちはわかります。だけど、オルトリンデ様も足手まといだって言っていたでしょ? 我々がいても邪魔になるだけですって」


「……わかった」


 普段能天気な後輩に諭されたセティは、拳を握りしめ、悔しそうに唇を嚙む。いまだに納得のいかない表情をしつつも、彼はおとなしく引き下がった。


「安心してください、センパイのことはこちらで見張っておきますので」


 セティの肩を抱いたまま、ナンナがリンに向けて親指を立てる。彼女もまた、どこか不安そうな顔をしていた。


「言っておきますけど、私だってオルトリンデ様のことが心配なんですからね。だから気をつけてくださいよ? それに、神竜様に怒られたら嫌です」


「ええ、わかっているわ」

 

 リンは二人に向けて頷く。彼らのためにも、無事に戻らなければならない。


   ◇


 リンは一人で街の中に入る。住民たちはすでに避難済みのため、人気のない街は廃墟のように物寂しい。この世界に自分一人だけが取り残されてしまったような気分になる。


「うっ……」

 

 護衛を連れてこなかったのは正解だった。結界へ近づくにつれ、瘴気はどんど濃くなっていく。黒い靄が視界を覆い、息をするたびに体内に入り込んでくる。いちいち浄化してもきりがないので我慢していたが、だんだんめまいがひどくなり、体も重くなってきた。


 ――駄目よ、ここで倒れては。


 遠ざかっていく意識をすんでのところで保ちつつ、リンはようやく、街の外れにある結界の元へたどり着いた。


 わずかに目に見える光の壁が、人々の住む世界を覆っている。本来はヒルデブラント同様に虹色に輝いているはずだが、彼の力が衰えているせいか、結界の光も弱まっていた。結界には、成人一人分ほどの大きさの穴が空いており、そこから次々とケガレが流れ込んでくる。


(大丈夫、前と同じようにやればいいんだわ)

 

 怯みそうになる心を奮い立たせ、リンは結界の前に立つ。裂け目に手をかざし、ひたすらに祈る。


 ――うん、できた!


 リンの手があたたかな光を放つ。あの時と同じ感覚だ。

 光は結界に空いた穴を覆うと、ゆっくりと修復していく。

 

 だがその間にも、わずかな隙間からケガレが入り込んでくる。それらは少しずつリンの体を蝕んでいった。


「……っ、ぐ……っ」

 

 限界が近いようだ。目の前が真っ暗になる。呼吸が苦しい。

 でも、リンは絶対に倒れるわけにはいかなかった。リンの背中には世界の平穏がかかっているのだ。それに、


 ――神竜様。

 

 今回のように結界に穴が空くことは、おそらく一度や二度の話ではない。それを、ヒルデブラントはこれまで一人で対処してきたのだ。だからリンが音を上げるわけにはいかなかった。絶対に無事に戻って、もう一度彼と話をしたい。


 歯を食いしばり、リンは地面を踏みしめた。目の前の結界とケガレを睨みつける。これまでにない大きな力が自分の体を駆け巡っていくのを感じた。

 次の瞬間、ひときわ明るい光が世界を照らす。


「きゃあっ」


 あまりの眩しさにリンは目をつぶる。

 しばらくたってから瞼を開けると、周囲に満ちていた瘴気はきれいさっぱり消えていた。結界も、最初から穴なんて空いていなかったかのように虹色の輝きを放っている。


「お、終わった……?」

 

 気を抜いた途端、立っていられなくなる。リンは膝から崩れ落ちた。

 ひっくり返って天を仰ぐと、視界いっぱいに澄んだ青空が広がっている。思いっきり息を吸い込むと、清浄な空気が肺に満ちていく。


「よかった……これで安心、ね……」


 安堵の笑みを浮かべるとリンは意識を失った。


   ◇◇◇


 目が覚めた時、リンは実家のベッドに寝かせられていた。


「オルトリンデ!」


 久しく会っていないはずの両親が、リンの顔を心配そうにのぞき込んでいる。一瞬幻覚を見ているのではないかと疑ったが、頬に触れる母の手が、これは現実だと証明していた。


「お父様、お母様……」


 目に涙を浮かべながら、両親は手を取り合ってリンの回復を喜んでいる。彼らの背後にはナンナとセティの姿も見えた。


 ――すべてうまくいったみたいね。


 ケガレを浄化して、結界も修復した。街の封鎖も解除され、住民たちは無事自宅に戻ることができた。これでヒルデブラントも回復するだろう。

 すがすがしい気持ちで起き上がろうとしたリンだったが、なぜか体が鉛のように重い。


「駄目よ、まだ寝ていなさい。あなた、一週間も目覚めなかったのよ」


「一週間!? そんなに? ねえ、わたしの体どうなっているの」


 リンとしては、そこまで重症を負ったつもりはない。

 不安になって尋ねると、母親が鏡を見せてきた。鏡に映る己を認識した瞬間、リンはこの世の終わりみたいな声を上げる。


「な、何これぇ!?」

 

 今のリンは人様に見せられない顔をしていた。

 一目見て不健康だとわかるほど頬がこけており、土気色になった肌は荒れに荒れ果てている。髪も艶がなくパサパサだ。これまで容姿に気を遣ってきたリンにとっては、今の自分の姿は受け入れがたいものだった。


「うぅ、こんなんじゃ人前に出られないわ……」


「普通の人間であれば死に至るほどの瘴気を浴びたんだ。命があっただけでもよかったと思いなさい」


 心労のせいかリンと同じようにやつれている父親が、呆れた様子で言う。『神竜の巫女』だからケガレなんて平気だと思っていたが、しっかりと生気を吸われていたらしい。ヒルデブラントの心配は正しかったのだ。


 結局、その後一カ月ほど実家で療養することになった。久しぶりに両親と過ごせることはうれしかったが、やはりヒルデブラントのことが気にかかる。


 ――神竜様、大丈夫かしら。早く元気になってほしいけど……。

 

 思えば、ヒルデブラントとこれだけ長い期間離れたのは初めてのことだ。

 彼はもうリンの一部であり、切り離すことはできない――あらためて実感した。

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