第14話 舞踏会
「オルトリンデ様、そろそろ神竜様へご挨拶に行く時間ですよ――へっ、何してるんですか?」
主の部屋を訪れたナンナは、扉を開けるなり間の抜けた声を上げた。
いつもであればこの時間はベッドの上でごろごろしているはずのリンが、鏡台の前にすました顔で座っている。彼女を取り囲むようにして、側仕えの女性神官たちが忙しなく動き回っていた。
神官たちの邪魔をしないようそっと近づいてきたナンナは、おそるおそるリンの顔をのぞき込む。
今日のリンは髪を結いあげ、鮮やかな青いドレスに身を包んでいた。服に合わせたアイメイクは、少女を普段よりもあでやかに、大人っぽく見せている。
「どう、変じゃない?」
「全然変じゃないっす。むしろ似合ってます。オルトリンデ様マジ美少女――いや、そうじゃなくて! なんで急におしゃれなんてしているんですか? え、神竜様のため?」
「その言い方だと、普段はおしゃれしていないみたいじゃない。神竜様には見せないわ。今夜の舞踏会の準備よ」
「ぶとうかい? ……あの、男女が密着してダンスするという?」
「うん。学園の舞踏会に参加することにしたの」
「はぁ!?」
ナンナはしゃがんでリンと目線を合わせる。
「いやいやいや! 何を言ってるんですか。駄目に決まっているでしょう!? だいたい、そんなの神竜様が許すはずないじゃないですか」
「許可なんて取らないわよ。勝手に行くの」
サラッと答えたリンの言葉に、ナンナは口をへの字に曲げる。
「そんなぁ、考え直してくださいよぉ。神竜様に怒られるのはこっちなんですよー」
「だって神竜様ったら、ここ最近はわたしにべったりじゃない。学園にも行けていないせいで鬱憤がたまっているのよ」
ヒルデブラントの気分に波があるのは今に始まった話ではないが、ここ最近は特に落ち込んでいるようだ。
『次のお祭りでも、一緒に花火を見ようね』
千年祭の夜、ヒルデブラントから告げられた言葉を思い出す。あの時、リンは少しだけ返答に迷ってしまった。すぐにごまかしたから大丈夫だろうと考えていたが、その翌日から彼の様子がおかしい。
今回は外出禁止命令を出されてはいないが、ヒルデブラントが周囲に八つ当たりすると困るため、リンはなるべく彼に寄り添うことにしていた。
しかし、時折我に返ってしまう――なぜ自分はこんなことをしているのだろうか、と。これでは子守りと変わらないではないか。
「確かに最近の神竜様はピリピリしてましたからねぇ」
「それに、全く行事に参加しないだなんて、学園に通う意味がないじゃない」
「な、なるほど。いや、でも神竜様に黙って出かけるなんて……」
「オルトリンデ様、準備はできましたか?」
部屋の外からセティが顔を出す。ナンナは頭を抱えて叫ぶ。
「えっ、センパイもグルなんですかぁ? 何考えてるんすかもう!」
「セティだけじゃないわ。神官長も神竜様を足止めしてくれているの」
「マジっすか」
今頃ヒルデブラントは書類仕事に忙殺されているはずだ。
リンはいたずらっぽく唇の端を吊り上げる。
「つまり、これは反抗期よ」
◇◇◇
リンが足を踏み入れた途端、にぎやかだった会場が一瞬にして静まり返った。
ざわついた空気を感じつつも、リンは背筋を伸ばし、堂々とした歩みで会場を進んでいく。人々はリンを避けるようにして道を開けるが、その一方で、彼女の一挙手一投足に注目していた。
『あれが神竜様の婚約者か? 社交の場には全く出てこないって話だったが』
『隣にいるのは誰だろう。おい、お前声かけてこいよ』
『無理だよ。神竜様はとても嫉妬深いと聞くし……でも、ちょっと話すくらいなら大丈夫かなあ』
「うぅ……もう帰りたいんすけど」
エスコート役は、男装したナンナである。文句を言いつつも結局ここまでついてきた。自分にまで好奇のまなざしを向けられ、非常に居心地が悪そうだ。
(うーん、お邪魔だったかしら)
リンは舞踏会の華やかな世界を体験したかっただけなのだが、こんなにも注目を集めてしまうのは想定外だ。顔を出したのは失敗だったかもしれない。
「あ、オルトリンデだ。こっちこっち」
だが、そんな空気をぶち壊すかのように、一人の少女が声をかけてきた。
「セイラ!」
ようやく知り合いに出会うことができた。セイラに手を引かれ、別室へと移動する。ソファに腰を下ろしたリンに、セイラはレモネードを手渡してくれた。
「まさかあなたの顔を見てほっとする日が来るなんてね」
「もっと感謝してくれてもいいのよ?」
一口飲むとさわやかな甘みが広がって、リンの気分が和らいでいく。
「それにしても、あんたがこんなところに顔を出すなんて珍しいじゃない。神竜様は、あんたが他の男と踊るのを嫌がるんじゃない?」
ちょうどその時、ナンナも人ごみを抜けて避難してきた。
「うそ。もしかしてこれ、いつもあんたのそばにいる女騎士? 男装させてるの? え、そこまでしてダンスしたかったわけ?」
セイラは理解できない、といった表情でリンを見る。彼女はあまりダンスが得意ではないと聞いていたが、これほどまでに拒絶反応を示すとは。それでも、出会いがほしくて舞踏会に参加したようだ。
「あなたこそ、一人で来るなんて勇気があるわね。パートナーは見つからなかったの?」
「うっさいわね、誰も声かけてこなかったのよ!」
「騒がないでくださいよ、余計に目立ちますから」
気がつくと、人々は何事もなかったかのようにダンスを再開していた。
リンとセイラはホールに戻ると、壁の花となって皆の踊る姿を眺める。色とりどりのドレスを身にまとった令嬢たちが、うっとりとした表情で優雅に舞う。まるでおとぎ話のような光景で、見ていて飽きない。
「あ、ミレイユがいたわ」
友人の顔を見つけ、少しうれしくなる。彼女のパートナーは、婚約者のヴォルフラムだった。
咄嗟に、リンは会場内に視線を巡らせたが、どこにもロベールの姿は見当たらない。
――さすがにいないか。
リンだって、ナンナが一緒にいるため、セティの方は馬車に置いてきている。
「もしかしてあれ? うわ、二人並ぶとキラキラオーラが半端ない。けっ、やっぱり王子様にはああいう子の方が似合うんだわ」
セイラがつまらなさそうに呟く。そういえば、彼女はヴォルフラムのことも狙おうとしていた。
「そうだ。この前は言いそびれちゃったけど、ミレイユを一緒に捜してくれてありがとうね。よければ今度紹介しようか。あなたとも仲良くなれる気がするんだけど」
「結構よ。あんたと違って生まれた時からお貴族様だもの。あたしとは絶対に合わないわ」
「そう……」
ヒルデブラントの婚約者の座を狙っていたくせに、セイラは時々妙なところで卑屈になる。
それとも、リンが気にしなさすぎなのだろうか。だんだん不安になってくる。リンが学園で皆から遠巻きにされているのは、元が平民であることも原因かもしれない。
……いや、楽しい舞踏会の場で考えることではないだろう。
「それにしても、誰にも話しかけられないわね。ちょっとくらいは踊ってみたいんだけど」
ナンナに頼もうとしたところ、これ以上目立ちたくありません、と拒絶されてしまった。
「さすがに無理でしょ。みんな神竜様に睨まれたくないもん。超怖かったんだから、あれ。声をかけてくるやつがいるとしたら、それはよほどの馬鹿――」
「おい」
早速その「よほどの馬鹿」が現れた。
声をかけてきたのは、ミレイユの兄・ルイだ。あまりにも普段とは雰囲気が違うため、一瞬誰だかわからなかった。
ルイは後ろに撫でつけた髪を押さえつつ、リンの元へと歩いてくる。彼は元から身なりに気を遣っている方だが、正装に身を包んでいると、ちゃんと白馬の王子様らしく見えるから不思議だ。
「あら、どうしたの」
「馬鹿か貴様は。舞踏会だぞ? 用件といえば一つしかないだろう」
そう言って、ルイはリンに向かって手を差し出す。
「……」
なおもリンの反応が薄いため、ルイは舌打ちをすると、綺麗な顔をいつものように歪ませた。
「相変わらず察しが悪いな。この僕が一緒に踊ってやると言っているんだ」
「……あなたが、私と……?」
「なんだ、何か文句でもあるのか」
もちろんリンとて、舞踏会で男が女に声をかけるのはどういう意味なのか理解している。だが、普段犬猿の仲ともいえるルイから誘われるのは、完全に予想外だった。
よく見ると、ルイは絶妙にリンから視線をそらしている。加えて、足の爪先で床を小刻みに叩いていた。
……これ以上彼に恥をかかせるわけにもいかないだろう。
「いいえ、文句なんてないわ。よろしくお願いするわね」
リンはルイの手を取る。
「でも、もう少し丁寧にお誘いできないのかしら」
「う、うるさいぞ! 黙って僕についてこい」
いつものように憎らしい口を叩きつつも、今日のルイは頑なにリンと目を合わせようとしなかった。
――なるほど、普段と雰囲気が違うのはわたしも同じか。
その理由に思い当たった途端、口元が緩んでしまう。ルイは照れているのだ。
「おい、何を笑っているんだ」
「別に何もないわよ。ただ、踊るのが楽しみなだけで」
「ふん、そうだろうそうだろう。この僕と踊れるなんて滅多にない機会だ。光栄に思えよ!」
どうやら、ルイにもかわいいところがあるようだ。にやけ顔を隠しつつ、リンはフロアの中心へ向かっていった。
◇
リンはダンス中にルイの足を三回も踏んでしまったが、文句を言われることはなかった。踊り終わった瞬間に、多くの男性に囲まれたからだ。
彼らは皆リンに興味を持っていたが、神竜王の許嫁ということもあり、近づくことをためらっていた。しかし、リンがルイの誘いを了承したことで、声をかけても問題ないと気づいたのだ。
我も我もと押し寄せてくる男性たちと順番に踊ることになり、その後は休憩する暇もなかった。舞踏会がお開きになってからも、一人暇を持て余していたセイラをなだめたり、ミレイユに声をかけるなどしたため、会場を後にしたのは一番最後である。
すぐに帰宅してもよかったのだが、せっかくなので外の庭園で休憩することにした。
「ああ、疲れたわ……」
ベンチに腰かけると、一気に体が重くなる。ちゃっかりナンナもリンの隣に座った。
「オルトリンデ様は美少女ですからね。男性から人気が出るのも頷けます」
「人気の半分は神竜様のおかげだろうけど……わたしの想像以上ね」
ヒルデブラントからは毎日のように「かわいい」「綺麗」などと賞賛されてきたが、彼はリンのことならなんでも褒めまくるのだ。おまけに、リンの周囲には、飛び抜けた美少女であるミレイユやセイラがいる。そのためあまり信用していなかったが、事実だったらしい。声をかけられるのはうれしいが……もうしばらくダンスはしたくない。
目の前の噴水をぼんやりと眺める。深夜の学園は静寂に包まれており、水しぶきの音だけが響く。夜風が火照った体を冷やしてくれた。
「……うん?」
あるものを視界にとらえ、リンは咄嗟に腰を浮かす。
見間違いだろうか? いや、あれは――
だらけきった様子のナンナが、視線だけをリンへと向ける。
「どうしたんですかー」
「ごめん、ちょっと行ってくる」
「えっ? あ、ちょっと! オルトリンデ様!?」
ドレスの裾をたくし上げ、慣れないヒールに転びそうになりつつも、リンは全力で駆けていく。
だんだん大きくなる後ろ姿を見て確信した。
やはり見間違いなんかじゃない。あの人は――




