復讐の時 後編
「ここは、どこだ?」
シズヨは初めて口を開いた。
その声は戦場を駆け抜けてきた女武者にふさわしく低く、よく通った。
朱髪の少女、アカネが戸惑いの表情でシズヨを見上げる。
「ここは東京。だけど、もう東京じゃない。10年前に街がダンジョンに呑まれたの」
シズヨは眉をひそめた。
トウキョウ?聞いたことのない地名。
ダンジョンとは何か?
その言葉の意味を問おうとした矢先、耳をつんざく悲鳴が響いた。
大通りの先で、石畳の上を棺桶のような鉄の箱――アカネが「車」と呼ぶもの――が次々と横倒しにされ、押し潰されるようする人々が逃げていた。
「民間人を守れ!」
「ヒール!ヒールはまだか!」
冒険者と呼ばれる若者たちが必死に戦っている。
だが怪物は尽きることなく湧き出し、数で押し潰されそうだった。
アカネがシズヨの腕を掴んだ。
「あなた、信じられないくらい強い!わたしはアカネ。収納と双剣スキルがあるの」
彼女は腰の収納具に手を伸ばすと、何もなかった空間から双剣を引き抜いた。
二振りの刃が、青い火花を散らして輝く。
「一緒に戦って!」
シズヨは答えなかった。
だが刀を握るその手は自然と力を込めていた。
◇
その時、大地が震えた。
轟音と共に建物の壁が砕け散り、巨大な腕が突き破って現れる。
高さは30mあろうかという巨人。
灰色の肌、鎖をまとった両腕、そして目は血のように赤く光っていた。
「ギガンテス!」
アカネが顔を青ざめさせる。
周囲の冒険者たちも一斉に退いた。
「まずいぞ、なんでコイツが!」
「盾がもたねぇ!」
巨人は咆哮を上げた。
ただ声を上げただけで、近くの窓ガラスが一斉に粉砕し、冒険者の耳から血が流れる。
ギガンテスの棍棒が振り下ろされる。
大地が揺れ、鉄の箱や人々の悲鳴が宙を舞った。
冒険者たちが必死に食い下がるが、剣も槍も、その皮膚に浅い傷しか与えられない。
炎や氷の魔術も弾かれて霧散していく。
「もう……だめか」
誰かが呟いた、その瞬間。
「退け」
シズヨの声が轟いた。
一歩踏み出す。
大地が悲鳴をあげるほどの踏み込み。
「――ッ!」
次の瞬間。
シズヨの一刀が、ギガンテスの頭を真っ二つに割っていた。
巨体が揺らぎ、赤黒い血が噴き出す。
ギガンテスは呻き声をあげる間もなく、その巨躯を崩れ落とした。
冒険者たちが言葉を失った。
アカネは口をぱくぱくさせ、呆然とシズヨを見つめていた。
「あのギガンテスを一撃で?」
◇
だが。
それで終わりではなかった。
ギガンテスの肩に、ひとりの男が乗っていたのだ。
「久しいな、シズヨ」
その声に、シズヨの目が細められる。
裏切り者のひとり。
名をセイゴロウといった。
男はにやりと笑い、左腕に光るものを掲げた。
それはタカゾウが生涯離さなかった鉄の腕輪。
「ようやくここまで追ってきたか。だが遅かったな」
「セイゴロウ!」
「この世界は我らが手に入れる。俺は力を得た。街をダンジョンへと変え、怪物を従える力をな!」
アカネたちがざわめく。
「街をダンジョンにした?まさか、この人が?」
セイゴロウの目は狂気に輝いていた。
「タカゾウのような獣を倒せたのも、この力あってこそ。そして鬼女よ、ここで死ね」
男の指先が光り、無数の黒い鎖が宙から伸びる。
シズヨの体を絡め取ろうと迫り、兜をチンと跳ね上げた。
「甘い」
シズヨの刀が走る。
鎖は音もなく斬り裂かれた。
次の瞬間、彼女はセイゴロウの目前に立っていた。
「ぬッ!」
刀が閃く。
セイゴロウの腕が、肘から先ごと宙を舞った。
はめていた腕輪が、地に転がる。
「ぎゃあああああッ!」
叫びと共にセイゴロウの体が黒煙を上げた。
その身は崩れ、数十羽ものカラスへと分かれ、夜空へ散っていく。
「許さぬ!許さぬぞ!次、会ったがあの獣と同じ結末を与えてやる!」
声だけを残し、闇に消えた。
◇
シズヨは血に濡れた刀を振り払い、地に落ちた腕輪を拾い上げた。
冷たく重い鉄の感触。
夫、タカゾウの生き様が刻まれた腕輪。
それは確かに彼の形見だった。
「タカゾウ。1つ、取り戻したぞ」
静かに呟く。
その声は戦場の喧騒を超え、夜風に溶けていった。
アカネが、恐る恐る言った。
「あなた、いったい何者なの?」
シズヨは答えなかった。
ただ目を閉じ、己に問いかける。
3人の裏切り者は、ここにいる。
ならば、と静かに誓いを立てる。
「夫の仇を追い、全てを取り戻すためにまいった。私はシズヨ、不義理を働く奴らを殺さねばならぬ」
アカネ達、冒険者は息を呑む。
「ここはどこか?」
シズヨの目は暗闇の向こうのどこかに潜む敵を睨んでいた。
その瞳には、決して揺らぐことのない復讐の火が灯っている。
静かに夜風が吹く。
街は破壊され、怪物は散った。
それでも、戦いの尾はまだ終わらない。