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アニメは腐りかけている2

作者: ちほめへつ

 あくまで私の意見でありますので千差万別の意見が出ると思います。不快に思ったならばすぐに読むのをやめることをお勧めします。

アニメは腐りかけている2


「最近ってアニメがすごい人気になってきていない?」


そう私の友人に言われたことがすごく印象的だった。


 SNSの発展によるものか、はたまたサブスクによりアニメを見やすくなったのか、普通に時代の変化なのか、理由は様々で複雑化しているため、これといった発展理由がわからないが、とにかくアニメは数十年前と比較すると格段に視聴者数が増えているように感じている。しかしなぜこれほどみられるようになったのだろうか。昔であれば深夜にやっているというだけで敬遠されがちだったが、今のアニメはやはりサブスクの発展のおかげか、「深夜アニメ」という枠にとらわれなくなった。録画なんかしなくても普通に昼間に見れるようになったし。


 さて、そんな人気になったアニメでも当然のように人気になるアニメと人気のないアニメがある。ここ数年で話題となったアニメは、鬼や呪霊と戦ってみたり、5人の女の子とイチャイチャしてみたり、バンドだったり、アイドルの子供に転生したり、超能力者を娘にしたり、兄を女の子にしてみたり、1話目を2時間地上波で放送してみたり、様々だ。


 何年か前にあるアニメ監督は、今のアニメは何がヒットするかわからない、とおっしゃっていた。こうもジャンルがバラバラだとなぜそれらのアニメが人気になったか、アニメの専門家というわけではない筆者は理解できない。ちなみに「これらの作品が他作品より圧倒的に面白いからだ‼」という意見についてはノーコメントで。


 このまま理解できないというだけでは話は終わってしまうのでいくつか思ついてみたことを書いておこう。

 まず、アニメソングが大きく貢献しているだろう。今はやりのアーティストをOP・EDに起用することで、アニメソングがアニメという枠を乗り超えてJPOP化した。これにより、普段アニメを見ない若者世代へと普及していたことが挙げられる。

 他には多様化を認めるという世間の動きから、昔ほどオタクが嫌悪されずに、結果アニメ文化も受け入れられたことが挙げられる。数十年前であれば「オタク=気持ち悪い」というのが少なからずあった。しかし、現代ではそういった差別意識が薄まってきたため、オタクも以前と比較すると受け入れられるようになり、結果アニメに対しても気持ち悪いという意識もなくなってきたことだろう。まあ、アニメのコンプライアンス意識が高まったことで、一般の人が見ると気持ち悪いと思うような表現が減ってきたことも要因としてあるが。


 さて、今回の題名は「アニメは腐りかけている2」である(今更だが1もみてほしい)。今回話すのは先ほど話題に挙げたアニソンとコンプライアンス意識の高まりの2点である。


 一点目のアニソンの変化についてみなさんはどのように皆さんは考えているだろうか。「人気のアーティストが歌ってうれしい!」「どうでもいい、興味ない」「俺は絶対に認めない!」だいたいこの3つのうちのどれかを思い浮かべると思うが、筆者はどれを思っているかまるわかりです。そうです、「俺は絶対に認めない!」である。

 先に記述しておくが人気のアーティストが歌ってたり、最近のアニソンのすべてを否定する気は毛頭ない。あくまで「変化」を認めないのである。ただ、ここから主観要素が強くなるので理解できる人とできない人が生まれるであろうから意味が分からなければ流し見してほしい。

 最近のアニメは人気のアーティストを起用しているせいか、アニメとの乖離が大きくなったと感じられる。要するにそのアニメとアニソンが「あっていない」のである。もう完全に主観的であるが、まあ聞いてほしい。昔だとそのアニメのためにOP・EDが作られており、JPOPとか一般の人に受け入れられるとか気にせずに作っていた(と私は考えている)。後々に一般の人にも受け入れられることがあるがあくまでそのアニメのために作られたため、アニメとアニソンがマッチしている。しかし、今のアニソンはどうだろうか。少なからず曲を作る段階からアニメのためだけではなく、JPOPやアニメを見ていない人に対しての意識があるのではないか。その結果、アニメとの乖離が徐々に大きくなっている気がする。

 しかし、「結局それの何がいけないのか?」と考える人もいるだろうがそれは次のコンプライアンス意識の話が終わってから記述する。


 さて、コンプライアンスの高まりによるアニメへの影響を話させていただく。現代は少数派や客観的意見を大切にしようという風潮により、様々なことに規制が発生した。アニメにも規制がかかり、特に性的な描写が大きく減った気がする。昔は女子小学生のパンツが出るのは当たり前だったのに、最近ではそんな描写がある作品は私が知る限りはない。

 ここで問題なのは描写の不自然さが上がったことである。あんな短いスカートはいて、特に戦闘シーンでパンツ見えないとかおかしいだろ!なんなら胸も湯気とかで隠すな!エヴ〇やはがな〇は当たり前のように出てたぞ!・・・・・・決して見たいとかそういうことを言っているわけではない。

冗談はさておき、昔の作品にもパンツが出ていないものは出ていないし出ているものは出ているだろ、と思ってしったかもしれないががそういうことをいっているわけではない。現代の作品は足並みをそろえたように出なくなったのはおかしいのではないか、という話だ。

 

 視聴者の目を気にして、万人受けするようなアニメを作り続けてしまうとこの先の未来で、アニメはどんどん個性が薄まってしまう。すでに薄まりつつある。個性がなくなればもうアニメ文化は終わりだ。作画技術さえ追いつけば人口が豊富な中〇やAIがつくればいい。今はまだ映像美が日本が勝っているから作れているだけのような気がする。

 

 日本には日本語という素晴らしい文化がある。「何言ってんのこいつ?」と思ったかもしれないが、日本人はあまりにも日本語の素晴らしさに気が付いていないように私は感じている。

 例えば、一人称を表す表現は「僕、私、俺、自分、おいら、わらわ、某、朕、わっち・・・・・・」などぱっと思いついただけで様々なある。英語だと「I」だけである。他にも日本語の語尾は「です、だ、ある、ありんす、であろうぞ、だよ、っす・・・・・・」と様々だ。(筆者は英語に詳しくないから英語にもこのような表現があるかもしれないが)英語ではできない表現の数々である。

 これにより、日本語の表現は圧倒的に勝っている。歌舞伎や落語を含めると無限大の表現ができることを日本人はもっと認識するべきである。

 アニメの個性が薄まってしまうと、いよいよ日本語で作る必要性がなくなってしまう。作品の個性があってこその言葉の個性である。作品の個性がなければ言葉の個性があっても意味がない。

 

 以前は男性同士の恋愛はちょっとした笑いの種であったがLGBT意識の高まりのせいか、現在は笑うこともできない風潮にある。アニメでも鉄板の笑いのネタであったのに・・・・・・。それで不快に思うのならば見なければいいだけなのに、という筆者の意見は頭が固すぎるのだろうか。

 社会はLGBTに合わせてほしいと思うのはいいが、LGBT者は周りに合わせないのはなぜなのだろうか。

パンツがアニメに映ることは子供の教育に悪いとか言っている奴は子供に見せなければいいだけだ。全体を巻き込むのはやめてくれ。これ以上、アニメの個性をなくさないでくれ。時代は筆者の意見を受け付けないというのは理解はしているが、それでも声を上げることを止めることはできない。


 余談であるが、パンツ描写が減った分、かわりに太もも表現が増えている気がする。パンツはだめで太ももはまだいいのだろうか。


 さて、話は戻してアニソンの話をさせていただく。有名な歌手を起用するのはいいが、それによってアニメとの乖離が大きくなっていることを問題として挙げたが理由を述べよう。先ほどのコンプライアンスと同様にアニメという個性が薄まっているのが問題である。アニソンもアニメの一部である。アニソンというアニメの中の一部が個性が失われてしまったら、表面上は変わらないように見えるが中身は腐っていく。

 結局何がいけないのか、わからない人もいるから述べさせていただく。何かアニソンの曲名を誰かに訪ねてみたら「それって○○(歌手名)だよね」と返答があることが悪いことである。本来であれば「それってあのアニメのOPだよね」という返答が正しい。この返答の差によってアニソンをアニメの一部として捉えているのか、それともアニメとは離れたものとして捉えているのかがわかる。

 アニソンはCMも含めた30分というアニメの放送枠内の約3分を占める。その3分間がアニメと乖離してしまえば、もはやそのアニメで放送する必要があるのだろうか。アニソンなんて歌っている人がわからないくらいでいいのだ。昔のアニソンなんて歌手名を答えられる人の方が少数派だろう。

そもそも有名な歌手はアニソンとして売り出さなくても売れるのではないだろうか。もしくは、別のアニメのOPとして使われても違和感がないのではないか、と感じる時が多々ある。その時点でそのアニメの一部としてアニソンを見ることができない。大前提ですべてのアニソンをそうだとは言わないが、やはり一部のアニソンは乖離が激しくなっている。


 アニソンとコンプライアンス問題による影響でアニメという作品が変容してきていることは結局作り手の問題なのでは?作り手が有名な歌手やコンプライアンスを無視すればいいだけだろう、ともし思った人がその人に言わせてもらう。「ふざけるな!お前らのせいだろ!」

 まあこれは強すぎる表現のため、もう少しお上品に言うとすると「そのようなご冗談は少々的外れかと存じますわ。そのような事態はあなた方によるものかと存じますわね」というところだろうか。

 冗談はさておき、近年のアニメの変容は我々視聴者の問題である。前作でも触れたが、アニメ会社は我々視聴者の需要を意識しなければない。そうしなければ、ただでさえ安月給重労働で運営しているアニメ会社はさらに運営が厳しくなるだろう。そのため、少しでも売上をよくする必要があり、視聴者が見たいと思わせる作品を作る必要がある。特にアニソンがいい例であろう。


 また、コンプライアンスによりアニメも出来る表現がどんどん少なくなっている。視聴者が無駄に拡散させることによって炎上が起きてしまうからだ。バカなSNS利用者は自身や他者が不快に思いそうなことをいちいちSNSに投稿するな!自分が不快に思うなら見るのをやめろ!自身が不快に思ったことを他者に見せることによって、その他者が不快になるのを気づいていないのか!

 まあ結局はこれらは受け入れられないことは知っている。しかし、そうしたバカな視聴者に合わせた結果、アニメ作品もバカになってきているのが私の意見である。


 今回はアニソンとコンプライアンス意識によるアニメへの影響を語ったが、皆さんはどのように感じているだろうか?あくまで筆者の主観的意見のため、「そうそうわかる」と思う人や「何言ってんのこいつ?きもっ」と思う人がいるだろう。まあそれは仕方がないことだとわかっているが、これを読んで一人でも同意してくれる人がいれば筆者はこれを書いた意味があるというものだ。よければ感想覧にて、肯定的な意見も否定的な意見も受け付けているので、ぜひ各々の意見をかいてほしい。


感想を受け付けています。よろしければ評価もお願いします。星が高いほど同意していただいたと筆者は感じます。

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― 新着の感想 ―
[一言] お邪魔いたします。 思うところは、ちょいちょいありますが、簡潔に。 アニソンは、多分「キャッツアイ」が契機ではなかったかと思います。 あの曲のヒットで「なるほど、OP曲やらED曲やらにも…
2023/12/24 15:09 退会済み
管理
[良い点] 前回に続きアニメに関する熱い想いが伝わって良かったです [気になる点] アニメとアニソンが合ってない ことについては原作を読み込んで曲を作る方もいますし、合うパターンと合わないパターンで具…
[一言] アニソンについては概ね気持ちは分かる。ただ、どうしても歳を取ると令和の感性には合わなくなってくるのだとも思う。今も昔も人気バンド&歌手が歌う事はあった。 パンツ……。 気軽にエロ売りにして…
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