不可視の投身:顛末④
「それで、連絡先を教えたの?。」
話を聞き終えた稲嶺が目をやった。
「いや、それが…」
黒鋼は言葉を濁し、少し間をおいて。
「その三日後、二人で阿部さんに話を聞きに行くことになったんだ。」
稲嶺が吹き出した。
(なるほど、また璃夢に押し負けて付き合う羽目になったのね。)
と心の中で納得する。
黒鋼と紅原の二人はいつもこうだ、どれだけ塩対応を貫いても屈せず突っ込んでくる彼女に彼は必ず押し負ける。そして最後には黒鋼の方が引っ張っていくことになる。
仲間内では昔からの十八番芸のような光景だった。
「私たちの関係がどれほど変わっても、二人だけは昔の儘ね。」
稲嶺はそう呟くが、黒鋼の表情は暗い。
「…そうでもないだろう。」
絞り出すようにそれだけ返すと、黒鋼は暫く黙ってしまった。
やがて静寂を誤魔化すように―――コホン。と稲嶺は咳払いをする。
「それで、阿部さんに会いに行ったのよね。」
「あぁ、あの日は――
「阿部さんですよね、紅原です!早速ですがお話を――」
「ちょちょ、ちょっと待ってくれ…黒鋼、このお嬢ちゃんがこの前電話で話していた”後輩”か。」
事務所に着くなり飛び込んできた紅原に狼狽しながら、阿部は黒鋼に助けを求める。
すみませんね。と頭を下げる俺に、阿部はため息をつくと表情をやわらげた。
「…いや、話すのは構わないさ。ただこっちは完全に行き詰っていてね。」
訊くところやはりあれ以降進展はないらしい。
「黒鋼から既に話は聞いているんだろうけど、これといって目新しい情報もないんだよねぇ。」
見ると阿部の目の下にはうっすらと隈が出来ている。
「寝れてないんですか?」
後輩が尋ねると阿部は力なく頷いた。
「最近どうにも夢見が悪くてな、夢の中で俺はあの原っぱの真ん中にいて、気が付いたら身体がふわりと浮き上がって、それで…地面に叩き付けられるところで目が覚めるんだ。」
そう言って俯く阿部に、紅原はどう言葉を掛けるか迷っていた。
俺は訊く。
「阿部…お前”何を”見た?」
鋭い声に後輩が驚いてこちらを見る。
「本当はもうとっくに全部、思い出しているんじゃないか?」
阿部がハッと顔を上げた。そして
「あぁ…白状すると、実は忘れた事なんて一瞬たりともなかったよ。」
開き直った様な告白に続けて、阿部はその目に焼き付いた光景を教えてくれた。
「建物だ、それなりに大きい…アパートに近いかな。4階建てで…屋上がある。飛び降りれば、まぁ死ねるってぐらいの高さだな。」
正直死ぬには心許ないが、と笑う。
「目の前に…女がいたよ、顔は髪で隠れて見えなかったが、目が合った気がした。」
「どうして黙ってた…」
その問いにまた阿部が笑う。
「そりゃ、ビビってるって思われたくなかったからさ。いいカッコしたかったんだよ、後輩の前で。」
その言葉を聞き紅原がピクリと動いた。
お前じゃねぇ…とけん制するよりも早く彼女は言う。
「事件現場に行きます。場所を教えてください。」