不可視の投身:落下
屋上の縁を蹴った黒鋼の身体は、先に落下を始めた紅原よりも早く落ちていく。
体当たりにも近い状態で空中の紅原に追い付くと、両腕で抱き込むように包み込み、そのまま自らの身体を下にし庇う。
(ここまでは良い…問題はここからッ――)
僅か1.2秒の間にここまで来れた、だがこのままでは地面に叩き付けられお陀仏必至だ。
「その前に…!」
黒鋼は異能によって出力した即席の結界を自らの下方に作り出す。
本来なら自らを守る為の結界を緩衝材にし、地に落ちるまでの速度を和らげようとしたのだ。
畳程の透明な板状の結界が現れ、しかし速度を持って落下する二人の衝撃に耐え切れず、黒鋼の背中が激突した瞬間にバリンッ―――と割れてしまう。
(不味いッ、想定よりも速度が殺せていない…!!)
続けざまに結界を作り出すが、バリンッ―――バリンッ―――と呆気なく割れてしまった。
異能の出力自体はともかく、屋上から地面へ落下していく最中、空中で任意の場に結界を置くにはとても時間と集中力が足りない。
「―――ッ安全空間!」
敢えて時間を消費し、より強固な結界を生み出す。
しかし、これも二人の衝突と同時に――バキンッ。
と音をたてて弾けてしまった。
(時間が足りないッ!結界が固まるより早く破壊されてしまう…!)
「―――あいつかっ!!」
上を見れば、女が上から見下ろし、声高らかに笑っている。
(あの女の干渉で落下速度が上がっているッ!まだ勢いを殺し切れていない!不味い―――
その思考が終わる前に
―――グシャ。
と音を立て、紅原を抱き抱えたまま、黒鋼の身体は地面に叩き付けられた。
「おとした。」
女が笑う。
「おとした。」
黒鋼は後輩を抱えたまま、動かない。
「おとした、おとした。」
背中から地面に激突し右肩は僅かに凹んでいる。
弾みで頭を強打したのか、側頭部に亀裂が走り血がドクドクと流れている。
「おとした、おとした、おとしたおとしたおとしたおとしたおとしたおとしたおとおとおとおとあはははははははははは!!!!」
女が地から目を離し、本田へとその目を向けた。
「あなたも。」
しかし、本田の表情に動揺はない。
紅原の落下からここまで、わずか数秒。
本田は屋上の端から女の目の前まで歩いて向かう途中だった。
そのまま歩みを早めることもなく、コツコツと
歩いて女へ近づく。
「…あなたも、おちる。」
「…うるさいよ。」
本田が口を開いた、その右腕が炎に包まれる。
「まぁ…でも、やっぱりお前はやるやつだよ。」
「…?」
その言葉に女が首を傾げると同時に、突如として後方が緑色の光に包まれた。
女が振り返る。
「な、に…?」
燃えていた。
倒れたままの黒鋼の身体が、緑色の炎に包まれている。
「なん、だ…」
女は理解できず、目を見開き固まっている。
そして、まるで炎に傷が焼き尽くされるかのように―――
肩の凹みが膨らんでゆく、頭部の亀裂が塞がっていく、そして。
「…カハッ…ゲホッ…うっ…」
黒鋼が吐血し、しかし同時に呼吸が大きく安定したものに変わってゆく。
「…なぜ、なぜ、なぜだ!おちた!おちた!」
―――何故落ちたのに死んでいないのか。
とでも言いたいのか、女は狼狽し黒鋼を睨み付ける。
「クソッたれ…」
―――飛べないんだよ、俺は。
そう呟く黒鋼の瞳には、確かな光が戻っていた。




