【御参考 其之三(老子・荘子・韓非)】
【老子(紀元前6世紀頃)】
・『道教』の始祖の一人(と、言われている)
・姓は、『李』
・老子の『老』は、『古い』と言う意味(本名は、謎)
・六尺(約1.8メートル)の大きな身体をしていた
・老子の思想は、同じ『道家』の荘子よりも政治色が強いと言われている
楚の苦県(河南省周口市)に生まれた老子は、東周の蔵書管理官であった。
其処で多くの著作物に触れ、様々な知識や知恵を得た。
老子は道徳を修め、多くの人々に自分の訓えを説いた(其の才能を隠し生きて来た?)。
しかし東周での道徳観念の衰退や東周王朝の衰えを嘆いた老子は、官を棄てて東周を去り西へ行く事にした。
其の途中、老子は函谷関(河南省の関所)で役人・尹喜に呼び止められた。
尹喜は、言った。
「隠遁されると言うのであれば、どうか私に貴方様の訓えを書き記して下さいませんか?」
すると老子は上下二巻五千語の『老子(別名『道徳経』)』を書き残し(真実は不明)、其の場を立ち去った。
其の後、老子がどうなったかは分からない。
『老子』には、印度の影響があるとも言われている。
其れ故、『老子』を記した老子自身も本当は印度人ではないかとも言われている。
老子は天竺へ行って仏教を唱えた(『老子化胡経』)とも、釈迦は老子の弟子とも、釈迦自身が老子だとも言われている(『仏教』と『道教』は対立しており、仏教徒は老子を仏の弟子または仏自身にしようと考えたとも言われている)。
『道教』は老子の事を『太上老君(神格化された老子の事)』と名付け、崇め奉った。
また老子の姓が『李』であった事から、同じ『李』の姓を持つ唐王朝(618年~907年)で老子は更に神格化された。
老子は八十一回生まれ変わったとも、不老長寿の秘術を会得したとも、本当は実在していなかったとも言われている。
老子は謎が多く仙人的な部分もあった為、『仏教』『道教』そして国に利用された。
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≪思想≫
《道》
【道可道 非常道
名可道 非常名】
此れこそが『道』であると言う『道』など無い。
此れこそが『名』であると言う『名』など無い。
※ 老子自身、『道』について語る事は難しいと言っている。
『道』=『天地万物の根源』
『静』=『変化しない』
『道』=『静』つまり、『万物』は『不変』=『万古不易』と老子は考えていた(と、思われる)。
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《無為自然》
【持而盈之 不如其已
揣而鋭之 不可長保
金玉滿堂 莫之能守
富貴而驕 自遺其咎
功遂身退 天之道】
(物を沢山持ち続ける事は、止めるべきである。
刀を鋭いまま保ち続ける事など、出来はしない。
金銀財宝を持っていても、全てを守りきる事など出来はしない。
富貴を手にして驕り高ぶれば、自ら咎めを残す事になる。
功績を残した後、身を退く事こそが『天の道』である)
【天長地久
天地所以能長且久者
以其不自生故能長生
是以聖人後其身而身先
外其身而身存
非以其無私耶
故能成其私】
(『天』と『地』は、永久である。
其れは、『天』と『地』が『あるがまま』に生きているからである。
聖人は、自分自身の事を後回しにする。
故に聖人は人から尊敬され、人の前に立つ事になる。
聖人は、其の身を外に置き自分の事は考えない。
故に、聖人は存続する事になる。
何故、其の様な事が起こるのか?
其れは、聖人が『天』や『地』のように無私無欲の人間だからである。
無私無欲であるから、聖人は自分を貫いて生きていく事が出来るのである)
【上善若水
水善利萬物而不爭 處衆人之所惡
故幾於道
居善地 心善淵 與善仁
言善信 正善治 事善能
動善時
夫唯不爭 故無尤】
(『最善』とは、水の様なものである。
水は争う事もなく、万物に恩恵を与え続けている。
しかも、水は人が嫌悪する所にまで赴く。
其れは、まるで『道』に近い。
住む所は『地上』が善く、心は『深淵』が善く、交友は『仁愛』が善く、
言葉には『信頼』が善く、政は『統治』が善く、物事には『能率』が善く、
行動には『適時』が善い。
水は争わないから、咎められる事も無い)
俗世の中では、人はどんなに努力しても其れを長く続ける事など出来ない。
それどころか、其の努力によって却って人の心は疲弊してしまい兼ねない。
其の様な世界に生きていて、人は幸せに生きる事が出来るのだろうか?
愛着や愛蔵こそが、人を不幸にしているのではないだろうか?
ならば、始めから持たなければ良い。
何も、求めなければ良いのだ。
『天』や『地』のように無私無欲であれば、長く生きる事が出来るのだ。
『水』のように流れのまま生きていれば、柔軟にそして強く生きる事が出来るのだ。
何も持たず、『自然』のまま、『あるがまま』に生きる事こそが『天の道』つまり『長く生きる道』『強く生きる道』『自然の道』『幸せに生きる事の出来る道』『善く生きる道』なのだ。
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《小国寡民》
【小国寡民
使有什伯之器而不用
使民重死而不遠徙
雖有舟與 無所乗之
雖有甲兵 無所陳之
使民復結繩而用之
甘其食 美其服 安其居 楽其俗
隣国相望 鶏犬之声相聞
民至老死 不相往来】
(諸侯は武力で以て領土を広げ、自分の領土とした地の人々を
更なる領地拡大の為に兵士として利用する。
其の様な世の中に、人々は疲弊している。
生きていく事に、幸せを感じる事が出来ない。
では、どうすれば良いのか?
其れは、『小国寡民』の国を作れば良いのだ。
小さな国、少ない人々と言う国が理想なのだ。
『小国寡民』の国では、便利な道具が有っても、其れを使用しない。
人は命の重みを知っているので、兵として戦に赴かない。
武器は有っても、其れを用いない。
人々に、再び縄を結ばせるのだ(※)。
文字の無い時代に戻るのだ。
今食べている物に満足し、今着ている物に満足し、今住んでいる所に満足し、
今の生活に満足する。
そうすれば、隣の国を羨んで移住しようとは考えない。
他国を侵略しようとも、争おうとも思わない)
※ 『結繩之政』
文字の無かった時代、大事の政には大きな縄を結び、
小事の政には小さな縄を結んで伝達記録した。
満たされていないと思っていたけれど、本当は満たされていた。
欠けていると思っていたけれど、本当は欠けてなどいなかった。
今生きていると言う事に満足していれば、何も求めはしない。
故に、争いも起こらない。
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≪名言≫
【是謂深根固柢 長生久視之道
非陰陽賊之 心則使之也】
細い根を深く張り、太い根を強くすることが、
長く生きる為の道である。
其の為には適切な水や酸素、豊かな土壌、
栄養吸収能力や耐性能力の向上が必要不可欠
である。
何が自分にとって必要であるかを見極め、
受け容れるべきものは受け容れ、
切り捨てるべきものは切り捨てなければ
ならない。
自分の心と体を守る為にも。
【知足之足 常足】
自分が満たされていると気付いている事が、
常に満たされている
と言う事である。
【知足者富】
自分が満たされていると感じている人こそが、本当に富める人である。
【少則得 多則惑】
物をあまり持っていなければ、得る事に
喜びを感じる事が出来る。
物を沢山持っていれば、それらをどう用いれば
良いのか迷う。
多ければ良いと言う事ではない。
少ない方が良い時もある。
【挫其鋭 解其紛 和其光 同其塵】
人は、鋭くあってはならない。
人は、複雑であってはならない。
人は、才知があってはならない。
自分は、塵と同じであると思いなさい。
【爲而不恃】
たとえ大業を為したとしても、其れを誇っては
ならない。
【善行無轍迹】
『善い行い』とは、轍のように跡を
残さない事である。
功績を残さない事こそが、美徳である。
【三十輻共一轂
當其無 有車之用
埏埴以爲器
當其無 有器之用
鑿戸牖以爲室
當其無 有室之用
故有之以爲利 無之以爲用】
車輪は、三十本の車の矢が1つの轂(車の輪の中央部分)に
集まって出来ている。
轂に何もない空間があるから、車輪としての役割を果たす。
器は、粘土を捏ねて作る。
器に何もない空間があるから、器としての役割を果たす。
部屋は、戸や窓を貫いて作る。
部屋に何もない空間があるから、部屋としての役割を果たす。
故に『形有る物』に意味があるのは、『形無い物』が其の役割を
果たしているからである。
『有』によって『利』を得られるのは、『無』があるからだ。
『無』がなければ、『有』は無い。
『無』がなければ、『利』も無い。
『無』は、無意味なものではない。
【太上下知有之
其次親而譽之
其次畏之
其次侮之
信不足 焉有不信
悠兮其貴言 功成事遂
百姓皆謂我自然】
君主の存在は知っていても何をしているのか分からないと言う君主が、
真に素晴らしい君主である。
次に素晴らしい君主とは、人に功績を讃えられる君主である。
次に素晴らしい君主とは、人に畏怖される君主である。
次に素晴らしい君主とは、人に侮られる君主である。
君主が誠実でなければ、信頼を失う。
君主が悠然とし軽率な言葉を発しなければ、物事を成し遂げる事が出来る。
功が成し遂げられた時、人は皆「自分自身が功を成し遂げたのだ」と
自信を持つ事が出来る。
【希言自然】
何かに接すると、音を発する。
何かに接しなければ、音は発せられる事は無い。
『無音』であると言う事が、自然なのである。
無理に音を発する必要などない。
【跂者不立 跨者不行】
爪先を立てて背伸びをしている者は、長く立っていられない。
大股で歩く者は、遠くまで歩き続ける事が出来ない。
何事も、無理をすべきではない。
【道法自然】
『道』とは、自然に従う事である。
自然のまま、『あるがまま』に生きなさい。
【大制無割】
素晴らしい作品とは、手が加えられていないものである。
手を加えられているから便利なものであるとされ、
人に使われるのである。
誰かに使われない為にも、元のまま、『あるがまま』でいる
べきである。
【天下神器 不可爲也】
天下とは、神の器の様に不可思議なものである。
故に、人にはどうする事も出来ない。
【物壯則老】
栄えあれば、衰えもある。
其れが、自然である。
【樂殺人者 不可以得志於天下矣】
戦で多くの人を殺しておきながら勝利を喜んでいる者に、
志を果たす事など出来はしない。
【戰勝 以喪禮處之】
たとえ戦に勝っても、喜んではならない。
其の戦により失った命を、悼むべきである。
【勝人者力 自勝者强】
『人』に勝つ者は、力のある人である。
『自ら』に勝つ者は、本当に強い人である。
【死而不亡者壽】
たとえ肉体が滅びても、其の人は『人』の心の中で生き続ける。
【以不自爲大 故能成其大】
自分は偉大ではないと思っているからこそ、大業を為せるのである。
【柔弱勝剛强】
柔らかく弱い者は、時として強い者に勝つ。
『柔よく剛を制す』
【上德不德 是以有德】
最上の『徳』とは、自ら其の『徳』を『徳』としない事である。
【天下萬物 生於有 有生於無】
全てのものは『有』から生まれ、『有』は『無』から生まれる。
【大器晩成】
最上の『道』とは、時間の掛かるものである。
焦る事は無い。
【大象無形】
大いなるものとは、『形の無いもの』である。
【强梁者 不得其死】
力で以て人を征服する者は、非業の死を遂げる。
【天下之至柔 馳騁天下之至堅】
水は柔らかく、どのような場所にも適応する。
水は弱く、赤子にも掬われてしまう。
だが、水は柔順で弱いだけではない。
水は、時には巨岩さえも貫く。
此の世で一番柔らかいものは、此の世で一番堅いものを支配する事が出来る。
【不言之敎 無爲之益 天下希及之】
言葉にせずとも伝わる『不言の教え』と、
何もせずとも有益な『無為の益』に勝るものはない。
【大直若詘 大巧若拙 大辯若訥】
真に真っ直ぐなほど、曲がって見える。
真に巧みなものほど、稚拙に見える。
真の雄弁家は余計な事を言わないから、訥弁(口下手)の様に見える。
【禍莫大於不知足】
世の中にある禍の中で、満たされていると気付いていない事が
最も大きな禍なのだ。
自分が今満たされていると言う事に、気付きなさい。
【生而不有 爲而不恃 功成而弗居】
『道』は万物を生み出すけれど、其れを自分のものとしない。
功績があったとしても、其れを自分のものとしない。
人も、そうあるべきである。
【善建者不拔 善抱者不脫】
しっかりと打ち立てられたものが抜けないように、
しっかりと抱かれたものが抜けないように、
堅固な基礎は頑丈で零れ落ちる事はない。
【民多利器 國家滋昏】
生活を豊かにしようと便利なものを多く使うようになると、
争いが増え国は益々混乱する。
【禍兮福所倚 福兮禍所伏】
禍の影には、福が潜んでいる。
福の影には、禍が潜んでいる。
【光而不耀】
たとえ光り輝いていても、其れを外に出してはならない。
【大國下流】
大国とは、小さな川が集まる大河の下流の様なものでなければならない。
あらゆるものが流れ込み、全てを受け容れる国でなければならない。
【大者宜爲下】
強い者ほど、謙虚であらねばならない。
【圖難於其易】
困難な事は、早いうちに対処せよ。
【九層之臺 起於塁土】
九層建ての大きな建物も、少しずつ土を盛る事から始まる。
【千里之行 始於足下】
千里の道も、此の一歩から始まる。
【輕諾必寡信】
軽々しく約束などしてはならない。
約束を守る事が出来なければ、却って信用を無くしてしまう。
【儉 故能廣】
常に慎ましくあれば、心に余裕が生まれる。
心に余裕があれば、人を慈しむ事が出来る。
【善用人者爲之下】
人に協力してもらいたいのならば、謙虚であるべきだ。
【不敢進寸 而退尺】
『進む』ではなく、『退く』の方が善い時もある。
【知者不言 言者不知】
真の知者は、多くを語らない。
多くを語る者は、知者ではない。
【知人者智 自知者明】
『人』を知っている者は、智者である。
『自ら』を知っている者は、明智の人である。
自分自身を知りなさい。
【民不畏威 大威至矣】
民が天の威めを畏れなくなると、何れ天罰が下される。
【天網恢恢 疎而不失】
天は大きな網を張っているので、零れ落とす事は無い。
『善』も『悪』も。
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【荘子(紀元前369年頃~紀元前286年頃)】
・『道教』の始祖の一人(と、言われている)
・姓は『荘』、名は『周』
・『荘子(三十三篇)』を記す
・六尺(約1.8メートル)の大きな身体、赫顔、白髪
・若い頃、孔子と老子に学んだが、老子の思想に強く魅かれた
・詳細不明
・ほぼ仙人
宋の属国である蒙(河南省商丘市)で生まれた荘子は、漆園の官吏として働いていた。
ある時、荘子の噂を聞いた楚の威王が、荘子を宰相として迎えようと使者を遣わした。
目の前に並べられた礼物を見て、荘子は言った。
「三千年前に殺された亀は、楚の国で今も祀られていると聞きました。
しかし亀は、其れを望んでいたのでしょうか?
亀は、泥の中ででも生きていたかったのではないのでしょうか?
私はたとえ泥の中でも、束縛されず生きていきたい」
そう言って、荘子は仕官の誘いを断った。
荘子は束縛されずに生きたいと思うと同時に、汚れた此の世に此れ以上留まりたくないと考えていた。
荘子には、洛邑で共に学んだ朋友がいた。
一人は蘇秦、もう一人は張儀。
蘇秦は説客(諸国を遊説する弁士の事)として各地を回り、『合従』を唱えた。
そして張儀は、其れに対抗するかのように『連衡』を唱えた。
※『合従』とは六か国(燕・斉・楚・韓・魏・趙)が聯盟して、
強国・秦を倒そうとする策。
『連衡』とは六か国がそれぞれ秦と手を結ぶよう画策し、
『合従』を阻止しようとする策(秦の暗躍)。
其処から派生した『合従連衡』と言う四字熟語は、
「状況に応じて、各々が力を合わせたり離れたりする」と言う意味。
時代の流れとは言え、二人は学んだ知識を自分の為に、権力の為に使うようになってしまった。
あれ程仲の良かった二人が対立し、権謀術策を駆使して自らの地位拡大を画策している。
人とは、こんなにも変わってしまうものなのか?
荘子は、現実の世に絶望した。
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〈荘子の説話〉
『胡蝶の夢』
ある時、『私』は夢の中で胡蝶になった。
自分が荘周である事を忘れ、夢中になって飛び回った。
そして目覚めると、『私』はやはり荘周であった。
いや。
今の『私』は、本当に荘周なのであろうか?
荘周である『私』が夢の中で胡蝶となったのか、それとも『私』は本当は胡蝶であり夢の中で荘周となっているのか?
何れが、本当の『私』なのであろうか?
いや。
胡蝶の『私』も、荘周の『私』も、何れも『私』なのだ。
どちらが真実であるかは問題では無く、どちらも『私』なのだ。
真実など、誰にも分からないのだ。
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『栗林問答』
ある時、荘子が雕陵と言う栗林で鵲を見つけた。
荘子が鵲を射落とそうと近づくと、鵲の近くに蟷螂が居た。
其の蟷螂は、蝉を狙っていた。
鵲は、蝉を狙っている蟷螂を喰らおうとしていたのだ。
今、自分は蟷螂を喰らおうとする鵲を射落とそうとしている。
ならば、鵲を射落とそうとしている自分は・・・。
荘子は、身震いした。
「私は、『利』を追っているのだと思っていた。
しかし、自分は知らない内に『害』を引き寄せていたのだ。
『利』や『害』は、互いを引き寄せるものなのだ」
恐ろしくなった荘子は、身を翻して其の場を立ち去ろうとした。
其の時、荘子を栗泥棒だと思った番人に荘子は見つかった。
荘子は番人に追い掛けられ、ひどく叱責された。
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≪思想≫
《道》
『道』は、人の目に美しいものと見えるものでは無い。
流れのまま、其の変化に委ねる。
『道』は、『道無き』を『道』とする。
いや。
『道』は、『道無き処』にある。
『道』は、何処にでもある。
『道』の無い処は、無い。
人は、『無為自然の道』を歩いている。
『道』=『天地万物の根源』
『動』=『変化する』
『道』=『動』つまり、『万物』は『変動』する=『万物流転』と荘子は考えていた(と、思われる)。
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《無為自然》
人為を嫌い、自然と共に俗世間から離れて生きる事。
※ 政治色の強い老子とは、少々異なる。
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《万物斉同》
無の境地に立てば、万物は全て同じものである。
だから、差別も対立もない。
儒家のように『礼』などと言う人為的な事を唱えると、『礼』によって人はずる賢くなり却って世は乱れる。
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《逍遥遊》
何ものにも囚われず、『あるがまま』に生きる事。
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《不知の知》
『知』は無限定の自然を限定するものであるから、人は『知』を捨て、『あるがまま』に受け容れるべきである。
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《無用の用》
【知無用而始可與言用矣】
(『無用』を知って、『有用』を知る)
一見『無用』に見えるものも、『有用』の為には無くてはならないものである。
『無用』があるから、『有用』がある。
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《混沌の德》
【南海之帝為儵 北海之帝為忽 中央之帝為渾沌
儵與忽 時相与遇於渾沌之地
渾沌待之甚善
儵與忽諜報渾沌之徳曰
「人皆有七竅
以視聽食息
此独無有
嘗試鑿之」
日鑿一竅 七日而渾沌死】
(南海の帝王を『儵』と言う。
北海の帝王を『忽』と言う。
中央の帝王を『渾沌』と言う。
『儵』と『忽』はある時、『渾沌』に会いに行った。
『渾沌』は、二王を手厚くもてなした。
『儵』と『忽』は『渾沌』の恩義に報いようと思い、『混沌』に言った。
「人は皆、七つの穴(目二つ、鼻二つ、耳二つ、口一つ)を持っている。
人は此れらの穴を使って、見たり、呼吸したり、聞いたり、食べたりする。
しかし、貴方には七つの穴が無い。
だから、貴方に七つの穴を開けてあげよう」
二王は、一日に一つずつ『渾沌』に穴を開けた。
そして七日後、『渾沌』は死んでしまった)
自然に手を加えると、自然は消えてしまう。
『無為自然』である事が良いのである。
『あるがまま』である事が良いのである。
※ 『儵忽』・・・迅速
※ 『渾沌』・・・無秩序な自然
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≪名言≫
【寇莫大於陰陽 無所逃於天地之間
非陰陽賊之 心則使之也】
陰陽の不調和ほど、大きな敵はない。
天地の何処にも、其の理から逃れられる所
などない。
陰陽の不調和は、自分の心によって決まる。
だから、自分の心を大切にしてください。
自分の為にも、他の為にも。
【水之積也不厚 則負大舟也無力】
深い水が無ければ、大きな船を浮かべる事は出来ない。
人も同様に。
【適千里者 三月聚糧】
千里と言う遠い道を歩む者は、三か月前から食糧の準備をしなければならない。
人も同様に。
【蟪蛄不知春秋】
夏の間しか生きる事の出来ない蝉は、春も秋も知らない。
人も同様に。
【至人無己 神人無功 聖人無名】
『道』を極めた人には、私心が無い。
神の域に達した者には、功績が無い。
聖人には、名誉が無い。
【拙於用大矣】
大きなものを用いる時には、相応の用い方と言うものがある。
【有蓬之心也】
蓬が生い茂っているように、雑念に覆われている。
【嗒焉喪其耦】
まるで自分が存在しなくなったようだ。
【六合之外 聖人存而不論
六合之内 聖人論而不議】
聖人は宇宙の外の存在は認めるけれど、論じない。
聖人は宇宙の中について論じるけれど、善悪は問わない。
【遁天之刑】
天道から外れた者の刑罰である。
【治國去之 亂國就之】
善く治まった国に居ても、すべき事は無い。
乱れた国には為すべき事があるから、其処に留まるべきである。
【以火救火 以水救水】
火を消す為に、火を使う。
水の流れを止める為に、水を注ぐ。
判断を誤ると、却って被害が大きくなる。
【無聽之以耳 而聽之以心】
耳で聴くのではなく、心で聴きなさい。
【言者風波也 行者實喪也】
言葉を発し、其の言葉によって行われてしまった事は取り返しがつかない。
【自適其適】
自分の心に適したものこそが、本当に適したものである。
【聞疑始】
先ずは、『何故か』と言う疑問を持つ事から始めるべきである。
【視乎冥冥 聽乎無聲】
目に見えないものを視なさい。
耳に聞こえない声を聴きなさい。
【識其一 不知其二】
一方を識っていても、他方を知っていなければ意味が無い。
【所貴道者書也】
『道』を学ぶ為に必要なものは、書物である。
【不主故常】
慣例に従うだけではなく、時には臨機応変に行動しなくてはならない。
【以衆小不勝 爲大勝也】
小さなものに勝とうと思わなければ、大きなものに勝つ事が出来る。
【至樂無樂 至譽無譽】
無心の楽しみこそが、真の楽しみである。
無自覚の名誉こそが、真の名誉である。
【皮爲之灾也】
其の美しい毛皮が、災いを招く。
【見利而忘其眞】
目の前の利益に目を奪われていると、本当の自分を見失ってしまう。
【入俗從其俗】
『郷に入っては郷に従え』
【非不答 不知答】
答えないのではない。
答えを知らないのだ。
【若白駒之過郤】
『光陰矢の如し』
【無有所將 無有所迎】
過去も未来も、考え過ぎてはならい。
【去人滋久 思人滋深】
一人でいる事が長いと、人恋しくなるものだ。
【無以巧勝人 無以謀勝人 無以戰勝人】
技巧で以て、人に勝とうとしてはならない。
謀略で以て、人に勝とうとしてはならない。
戦いで以て、人に勝とうとしてはならない。
【以德分人謂之聖 以財分人謂之賢】
『徳』を人に分ける事を、『聖』と言う。
『財』を人に分ける事を、『賢』と言う。
【爲大不足以爲大】
大きな事を為し遂げたと考える者に、大きな事など出来はしない。
【無病而自灸也】
病気でもないのに、自分でお灸をすえる。
【畏影 惡迹而去之走】
自分の影を畏れ、自分の足跡を恐れる。
【以不平平 其平也不平】
『不平』を『平』にしても、其の『平』は『平』ではない。
『不平』は、『不平』である。
【(許由曰く) 名者實之賓也】
名と実は、賓客と主人の関係と同じである。
人も同様に。
【(子綦曰く) 吾喪我】
私は、自分の存在を忘れた。
【(子綦曰く) 未聞天籟】
未だ、天の声を聞いた事が無い。
【(子綦曰く) 日以心鬭】
人は毎日、自分の心と闘っている。
【(子綦曰く) 樂出虚】
音楽とは、空虚な所から出て来るものである。
人も同様に。
【(子綦曰く) 有眞君存焉】
真の支配者とは、本当に存在するのであろうか。
【(子綦曰く) 物無非彼 物無非是】
是は非であり、非は是である。
是は非ではなく、非は是ではない。
【(子綦曰く) 道隱於小成 言隱於榮華】
浅はかな知識は、真の道理を隠してしまう。
華やかな言葉は、真の意味を隠してしまう。
【(子綦曰く) 道通爲一】
全ての『道』は、ただ一本の『道』に通じている。
【(子綦曰く) 朝三暮四】
朝、狙公は猿達に芧の実を三つ与えた。
そして、狙公は猿達に言った。
「夜は、芧の実を四つ与える」と。
すると、猿達は怒った。
狙公は猿達に言った。
「では朝は四つ、夜は三つ与える」と。
すると、猿達は喜んだ。
与えられる数は変わらないのに。
【(子綦曰く) 堅白之昧】
「堅い石は、石ではない」
「白い馬は、馬ではない」
そんな議論をする事は、愚かな事だ。
【(子游曰く) 心固可使如死灰】
再び燃える事の無い冷たい灰の様に、人の心も乱れてはならない。
【(連叔曰く) 大浸稽天而不溺】
天に届くほどの洪水でも、神の域に達した者は溺れる事は無い。
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【韓非(紀元前280頃~紀元前233年)】
・『法家』の第一人者
韓の公子(諸侯の子弟)であったが庶公子(母親の身分が低い公子)であり、また吃音であったが為に不運な日々を過ごしたと思われる(『人間不信の哲学』とも言われる韓非の思想が生まれたのは、其の生い立ちのせいなのかもしれない)。
辛い幼少期を過ごした韓非は、後に秦の宰相となる李斯と共に『儒家』の荀子に学んだ(諸説あり)。
荀子の許を去った後も韓非は様々な思想を学び続け、韓に帰国。
当時『戦国七雄』の中でも弱小国であった韓は、常に隣国である秦の脅威に晒されていた。
韓非は故郷を救う為に度々韓王に献言するも、聞き容れられる事は無かった。
韓非は我が身を憂い、自らの思想『法治主義』を残す為に『韓非子(五十五篇)』を書き記した。
其の『韓非子』の内二篇『狐憤』と『五蠹』が秦王(後の、始皇帝)の目に留まり、秦王は韓に韓非を使者として秦に遣わすようにと命じた。
秦に送られて来た韓非を秦王は登用するも、重用には至らなかった。
また嘗ての学友であった李斯は自分の地位が韓非によって奪われる事を恐れ、韓の公子である韓非が秦を亡ぼし兼ねない存在であると秦王に進言。
李斯の進言を信じきった秦王は、韓非を投獄。
韓非は無実の罪を訴えるも、秦王に目通りも許されなかった。
其の後、李斯は韓非に毒薬を与えて自殺させる(韓非を投獄した秦王は後悔し韓非を赦免しようとしたが、韓非は既に死んでいた)。
韓非はやはり、心の底では人を信じていたのではないだろうか?
李斯から毒薬を渡された時、『人』と言うものに絶望したからこそ命を断ったのではないだろうか?
韓非の死から三年後、韓は滅亡。
国を統一した始皇帝は不死の効果があるとされていた水銀を服用するようになり、水銀中毒となって紀元前210年に死亡(毒殺との説もあり)。
始皇帝の死後、李斯は宦官・趙高との権力争いに敗北し胴斬りの刑に処される。
趙高は自らが帝位に就こうとしたが各官に受け容れられず、秦王朝最後の君主・子嬰によって一族諸共殺害される。
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〈趙高の有名な言葉〉
【断じて行えば鬼神もこれを避く】
(断行すれば、どんなに困難な事でも成功する)
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≪思想≫
《人は『利』によって動く》
一見、非情で冷徹な思想と思われるが、韓非は単に其れが『現実』であり、『真実』であると言っているに過ぎない。
『利』で動く事は人間の『本性』であるのだから、其れは『善』でも『悪』でも無い。
韓非は人が『利』の為に動く事は『自然』であり、『真実』であり、『現実』であり、人の『本性』なのだから其れで良いと冷静に客観的に判断しているだけである。
『利』と言うと、どうしてもお金や物などの物質的な『利』を想像してしまい、汚らわしいものとして敬遠されがちだが、韓非の言う『利』とは物質的『利』のみならず、地位や名誉や権力、自己満足等、自分にとって『有益なもの』全てを指す。
『人を救いたい』と言う無私の心も、『利』である。
『利』は、人によって異なる。
自分の為の『利』、人の為の『利』、物質的『利』、精神的『利』、どれも『利』に変わりない。
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《信賞必罰》
『二柄』
【二柄者刑德也】
(権力の二つの柄とは、『刑』と『徳』である)
明君が臣下を制する為に必要なものは、『刑(刑罰)』と『徳(褒賞)』の二柄である。
何を『刑』『徳』と言うか?
殺戮を『刑』と言い、慶賞を『徳』と言う。
臣下は誅罰を畏れ、慶賞を得ようとする。
故に為政者は『刑』と『徳』を用いれば、臣下は其れに脅威を感じ為政者に従おうとする。
たとえ身分が高くとも、近親者であろうとなかろうと、為政者は必ず罪を犯した者に罰を下さなければならない。
たとえ身分が低くとも、近親者であろうとなかろうと、為政者は必ず功績を残した者に賞を与えなければならない。
罪人に必ず罰を下す事によって、犯罪を抑制する事も出来る。
『刑』を優位にしておけば、世は治まる。
しかし『徳』を多くすれば、世は乱れる。
公私の別も、厳しくすべきである。
そうでなければ公平公正な判断が出来なくなり、『法』が瓦解し、秩序が乱れ、組織が崩壊してしまう。
差を作ってはならない。
差は、争いの原因となる。
不安定な組織であれば尚の事、『法』は遵守されなければならない。
たとえ非情と言われようとも、『法』は絶対でなければならない。
為政者は、『法令至上主義』『現実主義』『結果主義』『能力主義』であらねばならない。
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《刑名参同》
『刑(形)』とは、『言葉』『申告』『地位』『職分』の事。
『名』とは、『行動』『実績』『実行』『事実』の事。
『刑』と『名』は、一致していなければならない。
『申告』よりも『実績』を上げる事が出来なければ、罰する。
『申告』よりも『実績』を上げる事が出来ても、罰する。
何故ならば、どちらも『刑』と『名』が一致していないからである。
『刑』と『名』が不一致であっても良いと言う事になれば、全ての例外を認めなければならなくなる。
其れでは国が機能しなくなり、統治も出来ない。
『刑』と『名』の不一致は、国が乱れる原因となる。
『越権行為』
ある時、韓の昭侯が転寝をしていた。
其れを見た冠係の役人が、昭侯に衣を掛けた。
目を覚ました昭侯は、自分に衣を掛けた人物が誰かを近くにいた者に問うた。
「誰が、私に衣を掛けたのか?」
近くにいた者が、答えた。
「冠係です」
昭侯は、言った。
「では冠係と衣服係、両者を罰せよ」
近くにいた者は、訴えた。
「貴方様に衣を掛けると言う自分の仕事を怠った衣服係の者が罰せられる事は、仕方の無い事です。
しかし何故、冠係まで罰するのですか?
貴方様を思って、冠係の者は衣を掛けたのですよ?」
昭侯は、答えた。
「冠係は、私に冠を被せる事が仕事である。
冠係は私に衣服を掛け、自分の領分を超えた。
だから、罰するのである。
職分は、厳守しなければならない」
『刑名法術』
原因動機問わず、人を殺せば一律死罪。
其れは、法律の正文である『名』と殺人と言う『実』が一致しているからである。
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《七術》
・君主が使うべき七つの『術』。
・君主が臣下を御する心得。
・臣下は君主に迎合し、自分の地位を固め、大権を揮おうとする。
故に君主は臣下を警戒し、あらゆる手段を用いて正邪善悪を洞察
しなければならない。
しかし君主は、臣下に其の事を悟られてはならない。
一.【衆端參觀】
(臣下の言葉と事実が同じであるかを調査する事)
二.【必罰明威】
(罪人には必ず罰を与えて、君主の威厳を示す事)
三.【信賞盡能】
(功績のある者には必ず褒賞を与えて、臣下の能力を十分発揮させる事)
四.【一聽責下】
(臣下一人一人の言葉を聞いて、其の言葉に責任を持たせる事)
五.【疑詔詭使】
(思いもよらない事を訊ね、臣下を試す事)
六.【挟智而問】
(不知である振りをして問い、臣下を試す事)
七.【倒言反事】
(自分の考えとは反対の事を行って、臣下を試す事)
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《六微》
君主が警戒すべき六つの『陰微』。
『陰微』とは、目立たないと言う意味。
一.【権借在下】
(臣下に君主の権限を貸し与える事)
二.【利異外借】
(君主と利害の異なる臣下が、外部勢力を借りる事)
三.【託於似類】
(臣下が権謀術策を用いる事)
四.【利害有反】
(君主と利害の異なる臣下が、君主との対立を利用し操る事)
五.【參疑内爭】
(勢力争いにより内乱が起こる事)
六.【敵國廢置】
(敵国の謀略によって、臣下の任免を誤る事)
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《十過》
身を亡ぼす十の過ちの事。
一.【行小忠 則大忠之賊也】
(小さな忠義に固執している事は、大きな忠義の妨げとなるであろう)
二.【顧小利 則大利之殘也】
(小さな利益に固執している事は、大きな利益の得る事を阻むであろう)
三.【行僻自用 無禮諸侯 則亡身之至也】
(諸侯に対して非常識で無礼な態度をとっていると、
何れ自らを亡ぼす事になるであろう)
四.【不務聽治而好五音 則窮身之事也】
(政をせず音楽に熱中し過ぎると、何れ自らを困窮させる事になるであろう)
五.【貪愎喜利 則滅國殺身之本也】
(利益ばかりを追い求めていると、何れ国も其の身も
亡ぼす事になるであろう)
六.【耽於女樂不顧國政 則亡國之禍也】
(女性の舞楽に耽り政を顧みなければ、何れ国は亡びるであろう)
七.【離内遠遊而忽於諫士 則危身之道也】
(国を離れて遠くへ赴き諫める者の言葉を聴かなければ、
何れ其の身を亡ぼす事になるであろう)
八.【過而不聽於忠臣而獨行其意 則滅高名爲人笑之始也】
(誤っていながら忠臣の言葉を聴かず自分一人で行えば、
名声を失い笑い種となるであろう)
九.【内不量力外恃諸侯 則削國之患也】
(自分の力量を知らず外部の力を頼っていると、
何れ国は外部によって削られる事になるであろう)
十.【國小無禮不用諫臣 則絕世之勢也】
(小国である事を弁えず無礼な態度をとり、
諫める臣下を蔑ろにすれば、家計は絶える事になるであろう)
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《法治主義》
『法』に基づいて為政者が国を治める事
《国家至上主義》
どのような犠牲を払っても、国を擁護する事
《君主至上主義》
どのような犠牲を払っても、君主を擁護する事
《絶対専制主義》
君主が絶対的権力を持つ事
《愚民而治主義》
民を愚かにして国を治める事
『道徳』と『政法』は、全く別物である。
『仁』や『徳』等ではなく、絶対的な『法』や『規則』によって国を治めるべきである。
忖度も斟酌も無い。
『法』が、絶対である。
徹底した『法』の遵守を最重視。
また為政者など、中程度がほとんどである。
中程度とは、聖人と暗愚の王の真ん中である。
たとえ中程度の人物であっても『法』を守らせ、絶対的な権力を与えさえすれば国を治める事が出来るのだ。
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≪名言≫
【為其不可復者也 則事寡敗矣】
再び直す事の出来ないものに対して周到に準備してさえいれば、
失敗する事など無い。
【不知而言不智 知而不言不忠】
知らないのに言う事は、自分は『不知』であると言っている様なものである。
知っているのに言わない事は、相手に対して『不忠』である。
【華而不實】
表面は華やかだけれど、実が無い。
【虚則知實之情 靜則知動之正】
空虚であれば、真実の心を知る事が出来る。
安静であれば、行動の意味を知る事が出来る。
【去智而有明 去賢而有功 去勇而有彊】
不要な知識を棄てれば、明知を得る事が出来る。
不要な賢才を棄てれば、功績を得る事が出来る
不要な武勇を棄てれば、強さを得る事が出来る。
【道在不可見 用在不可知】
『道』とは、見る事が出来ない所にある。
『用』とは、知る事が出来ない所にある。
【能法之士 必强毅而勁直】
『法』を守る者は、心が強く真っ直ぐである。
【非知之難也 處知則難也】
知識を得る事は、難しい事では無い。
知識を生かす事が、難しいのである。
【人主亦有逆鱗】
どのような人にも、逆鱗は有る。
【待目以爲明 所見者少矣】
目に見えるものは、少ない。
目に見えないものも見よ。
【鏡執淸而無事】
鏡は、真実を映す。
【明於公私之分 明法制去私恩】
公私混同してはならない。
『法』の下では、私的な恩義も捨てるべきである。
【私怨不入公門】
私的な怨みが有ったとしても、其れを公の場に持ち込んではならない。
【饑召兵 疾召兵 勞召兵 亂召兵】
飢餓は、戦争を引き起こす。
病気は、戦争を引き起こす。
労苦は、戦争を引き起こす。
騒乱は、戦争を引き起こす。
【私行勝 則少公功】
私情は、功績を妨げる。
【自營者謂之私 背私謂之公】
自分の為だけに行う事を、『私』と言う。
自分に背いて行う事を、『公』と言う。
【和氏之璧 不飾以五采】
本当に優れた人は、着飾らなくとも其の異彩は放たれる。
【處疾則貴醫 有禍則畏鬼】
人は病に罹れば、医者を貴ぶ。
人は禍に直面すれば、鬼を畏れる。
【以天下觀天下】
現状を見て、天下を見る。
【以皮之美 自爲罪】
美しい毛皮を持っていると、身を滅ぼす。
【飛必冲天】
天に向かって飛べば、天に達するであろう。
【涸澤之蛇】
『虎の威を借る狐』
【遠水不救近火也】
遠くに水があったとしても、其の水で近くの火を消す事は出来ない。
【巧詐不如拙誠】
人を欺いて言葉巧みに生きる事は、たとえ不器用でも
誠実に生きる事に敵いはしない。
【小逆在心 而久福在國】
諫言は受け容れ難いが、受け容れれば国に永久の繁栄をもたらす。
【安危在是非 不在於彊弱】
国が安全であるか否かは国の強弱によるのではなく、
其の国が正しいか否かによる。
【非天時 雖十堯不能冬生一穂】
名君である堯帝が十人いようとも、
冬に稲穂を一本を育てる事など出来はしない。
『時の運』
【一手獨拍 雖疾無聲】
たとえ片手で早く手を打ったとしても、音を出す事は出来ない。
片方の手が無いのだから。
【右手畫圓 左手畫方 不能兩成】
右手で円を描き、左手で四角を描く。
同時に行えば、二つとも書く事が出来ない。
【三人言而成虎】
多くの人が言うと、其れが真実ではなくとも
現実であるとされてしまう事がある。
【買櫝而還其珠】
ある日、楚の人が美しい珠玉を売ろうと思って鄭に赴いた。
鄭の人は其の美しい珠玉ではなく、珠玉を入れた箱に心奪われた。
そして箱のみを買って、珠玉を返した。
外見に目を奪われ、本当に必要なものが見えなかった。
【秦伯嫁女】
秦の王が娘を晋の公子に嫁がせる際、着飾らせた侍女も共に送った。
すると晋の公子は美しい侍女を妾にし、秦の娘の事など忘れてしまった。
策略は、失敗に終わった。
【犬馬難】
鬼や化け物は誰も見た事が無いから、描く事は難しくない。
犬や馬は皆が知っているから、描く事が難しい。
【非其義者不受其祿】
受けるべきでない報酬は、受けない。
【矛楯】
何ものをも貫く矛と何ものをも貫かない楯など、辻褄が合わない。
【雲罷霧霽 而龍蛇與螾螘同矣】
雲や霧が晴れてしまえば、龍もミミズや蟻と同じである。
【内擧不避親 外擧不避雠】
登用する際、親しみや憎しみは関係ない。
【爲政猶沐也】
政を行うと言う事は、沐浴すると言う事と同じである。
髪を洗えば髪は抜けるが、髪は美しくなり更に生えて来る。
政によって多少の損失はあっても、其の後の利益の方が大きい時もある。
【不躓於山 而躓於垤】
大事には注意するが、小事には注意しない。
小事の失敗が、大事となる事がある。
【治天下 必因人情】
国を治めるのに必要なものは、『人の心』である。
【守株之類也】
偶々株に頭を打って死んだ兎を見つけて得をしたとしても、
再び同じような事があるとは思わない方が良い。
【世異則事異 事異則備變】
世の中が変われば全ての事も変わり、全ての事が変われば備えも変わる。
【長袖善舞 多錢善賈】
長い袖の衣服を準備しておけば、綺麗に舞う事が出来る。
多くのお金を持っていれば、良い品を買う事が出来る。
準備を怠らなければ、良い結果が出る。
【兵戰其心者勝】
勝とうと言う気持ちがあれば、勝つ事が出来る。
【(子夏曰く) 蚤絕姦之萌】
悪の芽は、早々に摘み取るべきである。
【(周書曰く) 毋爲虎傅翼】
虎に翼を付けてはならない。
更に猛威を振るう事になる。
【(書経曰く) 既彫既琢 還歸其樸】
彫刻し、磨く。
其の後は、元の素朴なものに還せば完成となる。
【(晋の文公曰く) 一時之權 萬世之利】
謀とは、其の時だけに用いるものである。
『信義』を用いれば、其れは永遠に国に利益をもたらす。
【(慎到曰く) 弩弱而矢高者 激於風也】
弩の力が弱くとも、風に乗れば矢を高く射る事が出来る。
【(斉の宣王曰く) 人主以二目視一國 一國以萬目視人主】
君主は、二つの目で一国を視る。
一国は、万人の目で君主を視る。
【(張孟談曰く) 藏於臣 不藏於府庫】
蔵に財宝を納める事が、善い政治ではない。
人こそが財産である。
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〖参考文献〗
諸橋轍次『中国古典名言事典』(1979年)講談社学術文庫
湯浅邦弘『諸子百家』(1989年)中央新書