【御参考 其之二(孔子・孟子・荀子・墨子)】
【孔子(紀元前552年頃~紀元前479年)】
・『儒家』の始祖
・名は、『丘』
(生まれた時、頭の中央が窪んでいた為)
・身長二メートル以上もあり、
とても体格が良かった為、『長人』と言われた
・周の開祖・文王の子である
周公旦(周王朝の基礎を固めた人)を
理想の聖人とした
・孔子は穏やかではあるが厳しいところもあり、
威厳はあるが威圧的ではなく、
慎み深く誰に対しても礼儀正しかったと言われている
・『論語』は、孔子の死後に書かれた
孔子と弟子達との言語録
・孫の子思は四書(『論語』『大学』『中庸』『孟子』)の一つ、『中庸』を記した
孔子は、魯(山東省南部)で生まれた。
三歳の頃に武人であった父・孔紇を亡くし、貧しい暮らしをしながら母・顔徴在(巫女であったと言われている)に育てられた。
十七歳の時に母も亡くし、経済的にも苦しい思いをしていた孔子は様々な経験を積み重ね、後に通ずる技芸と知識を身に付けていった。
そして二十八歳の時に孔子は魯に仕え、三十歳の時に周への遊学を許され、老子(老子が誰かは、不明)から『礼』を学んだ(と言われている)。
周で身に付けた知識を生かしながら魯に仕えていた孔子は、三十六歳の時に魯の君主・昭公が斉に追放された為に共に斉へ亡命。
斉の君主・景公は孔子を厚遇しようとしたが、斉の宰相・晏嬰が景公に『儒家』の欠点を述べ、孔子の訓えを斉に取り入れるべきでは無いと献言。
景公は、其の献言を受け容れた。
『儒家』の訓えは理想論に過ぎず、富国強兵策を進める斉には受け容れられなかった。
三十八歳の時に孔子は斉を去り、魯に帰国。
帰国してから孔子は魯で高い地位(五十二歳の時、『大司寇』(司法大臣)となる)に就くも次第に魯の政が乱れ始め、失望した孔子は魯を去り十三年間諸国を遊説。
孔子は六十九歳の頃に再び魯に戻るが政に関わる事はなく、残りの人生を弟子(穏やな人柄と豊富な知識と経験のある孔子には、約三千人の弟子がいたと言われている)の教育に費やす。
七十三歳で、死去。
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≪思想≫
《徳治主義》
・『徳』のある為政者が、『仁愛』を以て国を治める事
・『徳』で民を導き、『礼』を以て民を整える事
・武力による支配を否定
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《道徳思想》
・正しい行いをする為の規範
『仁』・・・仁愛
『義』・・・正義
『礼』・・・社会規範
『智』・・・是非の見極め
『信』・・・誠実
『忠』・・・忠誠
『孝』・・・孝行
『恕』・・・思いやり
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《礼治主義》
『礼』により国を治める事
《シャーマニズム》
巫術の事
《人間至上主義》
どのような犠牲を払っても、人間を擁護する事
《人間中心主義》
人間が世界の中心とする事
《主観中心主義》
主観を中心とする事
《道徳至上主義》
道徳が絶対であると言う事
《倫理的理想主義》
理想を追求し、実現しようとする事
《民為重主義》
民重きを為す事
《啓民而治主義》
民を啓いて国を治める事
《先祖崇拝》
先祖を崇拝・畏敬する事
《親孝行》
親に対し、真心を以て尽くす事
《仁愛》
慈しむ事
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≪名言≫
【述而不作 信而好古】
自分はただ、古人の言葉を伝えているだけである。
作り話などしていない。
古人の言葉を信じ、愛しているだけだ。
【知者楽水】
知者はどの様な事が起こっても、水の流れのように
変化に応じて自らを変え、其れをまた楽しむ。
想定外の事態が起こる事など、当然の事。
何事に対しても重要なのは完璧である事ではなく、
不測の事態でも臨機応変に対応する事である。
もし其れが出来ていると自信をもって
言えるのならば、自分を誇りに思えば良い。
【知我者其天乎】
貴方の努力や能力は天が必ず見てくれているから、
大丈夫。
【不如郷人之善者好之、其不善者悪之】
全ての人に好まれるようでは、仁者とは言えない。
全ての人に悪まれるようでは、仁者とは言えない。
世の中の善き人から好まれ、世の中の善からざる
人から悪まれる。
其れが、本当の仁者である。
正しい行いをしていれば、善からざる人から悪まれる
という事は当然である。
恐れる事なく、正しいと思う事を貫けば良い。
【雖覆一簣 進吾往也】
少しずつでも、ゆっくりでも、前に進んでいれば
『0』ではない。
無理をし過ぎて、心と体を壊さないように。
【楽以忘憂】
心から楽しんでいれば、心配事など
気にならなくなる。
たとえ些細なものでも、其の中から小さな『喜び』や
『幸せ』を見出す事が出来れば、
『心から楽しい』が少しずつ増えていく。
【敬事而信】
自分の行いを敬えば、人から信頼を得るであろう。
【莭用而愛人】
政を行う者は節約に努め、人を愛せよ。
【敏於事而愼於言】
実行は早く、言葉は慎重に。
【視其所以 觀其所由 察其所安 人焉廋哉】
其の人の行動を視よ。
其の人の行動の意味を観よ。
其の人が、自分の行動に満足しているか推し量れ。
そうすれば、其の人がどのような人物か分かる。
【君子不器】
決まった用途の為に作られた器と君子は異なる。
君子とは学問だけではなく、人格においても
優れた人物でなくてはならない。
【周而不比】
友には、分け隔てなく接しなさい。
【學而不思則罔 思而不學則殆】
たとえ学んでも、考えなければ意味がない。
たとえ考えても、学ばなければ意味がない。
【知之爲知之 不知爲不知 是知也】
知っている事は、知っている事とする。
知らない事は、知らない事とする。
此れが、本当の『知る』と言う事である。
【見義不爲 無勇也】
正しい事だと分かっていながら、其れを行わない。
勇気が無いのだ。
【見賢思齊焉 見不賢而内自省也】
立派な人物は、鑑とせよ。
愚かな人物は、教訓とせよ。
【德不孤 必有鄰】
『徳』を行っていれば、独りになる事は無い。
必ず、誰かが隣に居る。
【唯恐有聞】
『聞く』だけではなく、『実行』せよ。
【不恥下問】
たとえ自分よりも地位や身分、年齢が下でも
訓えを請うべきである。
【不遷怒 不貳過】
怒りを他人に移してはならない。
過ちは、二度と繰り返してはならない。
【女畫】
自分に見切りをつけるのが早過ぎる。
やらなければ分からない事も沢山ある。
【誰能出不由戸】
人には、通らなければならない『道』がある。
【知之者 不如好之者
好之者 不如樂之者】
其の事について知っている人は、其の事を好む人には
及ばない。
其の事を好む人は、其の事を楽しむ人には及ばない。
【先難而後獲】
困難な事は先に行い、利益は後回しにせよ。
【近取譬】
何事も、自分に置き換えて考え行動せよ。
【默而識之 學而不厭 誨人不倦】
静かに学び続けよ。
学ぶ事を諦めてはならない。
自分の学んだ事を、人に訓えよ。
【志於道 游於藝】
志を立てなさい。
心豊かでありなさい。
【不憤不啓】
意欲が無ければ、訓えても無駄である。
【樂亦在其中矣】
不遇であっても、楽しみは必ずある。
【不義而富且貴 於我如浮雲】
不正をして富を得たとしても、其れは自分にとって
空に浮かぶ雲のように儚いものである。
【難乎有恒矣】
変わらない心を持ち続ける事は、難しい。
【與其進也 不與其退也】
過去に何が有ろうとも、正しい道を進もうとしている
のならば許すべきである。
しかし其の道から外れようとするのならば、
決して許しはしない。
【我欲仁 斯人至矣】
『優しくありたい』
そう思った時、人は優しくなる事が出来る。
【君子不黨】
徒党を組むべきではない。
【丘也幸 苟有過 人必知之】
私は、幸せである。
私が誤った時に、其れを指摘してくれる人が
いるから。
【民無得而稱焉】
徳行とは、人知れず行われている事が多い。
だから、称賛される事があまりない。
【恭而無禮則勞
慎而無禮則葸
勇而無禮則亂
直而無禮則絞】
恭敬であっても、礼儀がなければ窮屈となる。
慎重であっても、礼儀がなければ臆病になる。
勇気があっても、礼儀がなければ粗暴となる。
実直であっても、礼儀がなければ自縛する。
【毋意 毋必 毋固 毋我】
自分勝手な判断をしてはならない。
自分の考えを人に押し付けてはならない。
自分の考えに固執してはならない。
自分本位であってはならない。
【主忠信】
『忠』と『信』を重んじよ。
【過猶不及】
『過ぎる』と言う事と『及ばない』と言う事は、
同じ事である。
【鳴鼓而攻之可也】
不正を行った人物がどのような地位に
就いていようとも、糾弾すべきある。
【爲仁由己 而由人乎哉】
『良い事』とは自分自身が行う事であって、
他の人に頼るべき事では無い。
【内省不疾 夫何憂何懼】
自らを顧みて疚しいところが無ければ、
憂う事も恐れる事もない。
【無宿諾】
承諾したのならば、直ぐに実行せよ。
【政者正也】
政治とは、正しい行いをする事である。
【色敢仁而行違】
評判は良いが、実際は評判とは違う。
【居處恭 執事敬】
どのような地位に就いていても、恭敬の心を
忘れてはならない。
どのような事があろうとも、謹慎の心を
忘れてはならない。
【和而不同】
協力はする。
しかし、同調はしない。
【君子泰而不驕】
大らかでいなさい。
傲慢であってはならない。
【勿欺也 而犯之】
嘘をついてはならない。
仕えている人が誤っているのならば、
其れを諫めなさい。
【可與言 而不與之言 失人
不可與言 而與之言 失言】
お互い話すべき時に口にしなければ、人を失う。
お互い話すべきでない時に口にすると、失言となる。
【無遠慮 必有近憂】
遠い将来の事ばかりを考えず、身近な憂いの事を
考えなさい。
【不曰如之何 如之何者
吾末如之何也已矣】
「どうすれば良いのか」と本気で考えている者にしか、
私は手を差し伸べる事が出来ない。
【不以言擧人 不以人廢言】
善い言葉だからと言って、其れだけで人を
評価してはならない。
普段悪い行いをしているからと言って、
其の人の言葉を排除してはならない。
【己所不欲 勿施於人】
自分が嫌がる事を、人にしてはならない。
【小不忍 則亂大謀】
小さな事に我慢出来なければ、
大きな事など出来はしない。
【衆惡之必察焉 衆好之必察焉】
多くの人が憎んでいても、必ず自分の目で
確かめなさい。
多くの人が好いていても、必ず自分の目で
確かめなさい。
【有敎無類】
人は元々平等であり、教育によって
人は変わるのである。
【道不同 不相爲謀】
互いが違う道を進むのであれば、
共に歩む必要は無い。
【辭逹而已矣】
言葉は、伝わらなければ意味がない。
【君子有九思
視思明 聽思聰 色思溫
貌思恭 言思忠 事思敬
疑思問 忿思難 見得思義】
君子には、九つの『意思』がある。
しっかりと見る事。
良く聞く事。
穏やかでいる事。
恭しくいる事。
言葉に責任を持つ事。
慎重である事。
疑問があれば、問う事。
怒りを表す前に、其の後の事を考える事。
利を得る時、其の利が道理に適っているかを
考える事。
【磨而不磷 涅而不緇】
本当に固いものは、どんなに磨かれても
摩耗する事は無い。
本当に白いものは、どんなに黒く染められても
黒くはならない。
人も同様に。
【好仁不好學 其蔽也愚
好知不好學 其蔽也蕩
好信不好學 其蔽也賊
好直不好學 其蔽也絞
好勇不好學 其蔽也亂
好剛不好學 其蔽也狂】
『思いやりの心』に重きを置いて学ぶ事をしなければ、『愚人』となる。
『知識を得る事』に重きを置いて学ぶ事をしなければ、『自己陶酔者』となる。
『誠実である事』に重きを置いて学ぶ事をしなければ、『俗人』となる。
『正直である事』に重きを置いて学ぶ事をしなければ、『愚直な人』となる。
『勇敢である事』に重きを置いて学ぶ事をしなければ、『騒乱を招く人』となる。
『強靭である事』に重きを置いて学ぶ事をしなければ、『狂人』となる。
【未得之也 患得之
得之 患失之】
得ようとする事ばかりを考えてはならない。
一旦得ると、失いたくないと考えてしまう。
【有勇而無義 爲亂】
勇気があっても正義が無ければ、世は乱れる。
【惡稱人之惡者
惡居下流人訕上者
惡勇而無禮者
惡果敢而窒者】
人の悪いところだけを非難する者は、嫌いだ。
下の位でありながら上の者を非難する者は、嫌いだ。
勇猛であっても礼儀のない者は、嫌いだ。
果敢であっても道理が分からない者は、嫌いだ。
【不降其志 不辱其身】
たとえ困窮しようとも、志を高く持ち続けなければ
ならない。
【無可無不可】
『可』である『不可』であると、始めから
決めつけてはならない。
【周有大賚 善人之富】
周には、大きな宝がある。
其れは、多くの善人がいると言う事だ。
【寛則得衆
信則民任焉
敏則有功
公則說】
寛大であれば、民の心を得る事が出来る。
誠実であれば、民に認められる。
迅速に行えば、其れは結果に表れる。
公平であれば、民は喜ぶ。
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【孟子(紀元前372年頃~紀元前289年頃)】
・『儒家』の代表的人物
・孔子に次ぐ聖人『亞聖』とも言われている
・孟子や其の弟子が書き記した思想書を、
『孟子(七篇)』と言う
・『孟子』の評価は元々あまり良くなかったが、
宋代に見直されて『四書』の一つとなり、
科挙(人材登用試験)でも用いられるようになった
魯の公族・孟孫氏の血を引く孟子は、鄒(山東省鄒城市)で生まれた。
孟子の父は孟子が幼い頃に亡くなり、厳格で教育熱心な母の許で孟子は育てられたと言われている。
二十歳頃、孟子は魯に遊学し、孔子の孫である子思の門人に学問を学んだ。
三十歳頃、斉の威王の許で自分の思想を説いた。
四十歳頃、孟子は馬車数十台、従者数百人を率いて各地を遊説して回るようになった。
孟子は『孔子の正式な後継者』であると言う自負から、自尊心が高い人物であったと言われている。
従って、孟子は自分に訓えを乞う王にとって自分は師匠であり、特別待遇されるべき賓客であると考えた。
其の後、斉の宣王、梁の恵王、鄒の穆公に仕えたが、結局正式採用される事は無かった。
戦乱の世では、『王道政治』は受け容れられなかった(孟子の性格にも問題があったに違いない)。
晩年は特に活躍も無いまま故郷・鄒に帰り、弟子の育成に専念した。
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〈孟子に関する有名な故事〉
『孟母三遷』
一.孟子は最初、「墓地」の近くで住んでいた。
すると、孟子は葬式遊びをし始めた。
二.其れを危惧した孟子の母は、「市場」の近くに
引っ越した。
すると、孟子は商人の真似をするようになった。
三.其れを危惧した孟子の母は、「学問所」の近くに
引っ越した。
すると、孟子は勉学に励むようになった。
環境が、人間育成に大きな影響を及ぼす。
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『孟母断機』
ある日、孟子が学問を途中でやめて帰って来た。
すると孟子の母は、機で織っていた織物を突然断ち切った。
孟子の母は、其の織物を見せながら孟子に言った。
「貴方が学問をやめると言う事は、此の織物と同じ事です!!
今まで学んで来たものを、此れから学ぶべきものを、全て失っても良いのですか!?」
学業は、続けなければ意味が無い。
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≪思想≫
《性善説》
《天命思想》
《易姓革命》
人の本性は、『善』である。
『悪』は、後天的な環境により形成されるものである。
此れを《性善説》と言う。
人間には本来、『四端』が備わっている。
『四端』とは、『惻隠(人を思う心)』『羞悪(悪を憎む心)』『辞譲(譲り合う心)』『是非(善悪を判断する心)』の事である。
此の『四端』を発展させると、『四徳』(『仁』『義』『礼』『智』)へと繋がる。
人間の性である『四端』は『天』によって与えられたものであるから、全ての人間が『善人』となる事が出来る。
そして『善人』が更に努力し、自分の為すべき事を自覚し、信念を持つ事によって『浩然の気』を放つ事が出来るようになる。
『浩然の気』とは『活力の源となる気』の事であり、其の『気』は世界に拡散する。
此の『浩然の気』を放つ人物を、孟子は『大丈夫』と言った。
『大丈夫』は、『五倫(五つの道徳)』を守らなければならない。
『五倫』とは、『父子の親』『君臣の義』『夫婦の別』『長幼の序』『朋友の信』である。
更に孟子は《性善説》に、《天命思想(【御参考 其之一(諸子百家)】参照)》と『五百年周期説』を取り入れた。
『五百年周期説』とは、五百年に一度『聖人』が現れると言う説である。
つまり『天』は、五百年に一度『大丈夫』を選ぶ。
『天命』によって選ばれた『大丈夫』を『聖人』と言う。
此の『聖人』が君主となり、国を治める。
しかし五百年経つと再び世が乱れるので(『聖人』は五百年に一度しか現れない為)、『天』は新たな『聖人』を選ぶ。
『覇道政治』を行い、『天』から与えられた『徳』を失った君主は君主ではあらず、『一夫(一人の人間)』に過ぎない。
『徳』の無い人間が、国を治めるべきではない。
暴君が位に就くと国が亡ぶ為、新たな『聖人』に天命が下る。
『天命』により選ばれた『聖人』は、新たな王朝を築くように言われる。
此れが、《易姓革命(【御参考 其之一(諸子百家)】参照)》である。
孟子は《易姓革命(『禅譲』『放伐』)》を理論化する事により、王朝交代を正当化した(少々矛盾があるが)。
「王朝が変わるのは五百年と言う前の王朝の寿命が尽き、覇道政治が敷かれているからである。
従って、新たな王朝が興る事は自然の事である」
とした。
また孟子は孔子の訓えを堅守してはいたが、『放伐』による王朝交代も止むを得ないと考えた。
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《王道政治》
君主は武力による『覇道』ではなく、仁愛による『王道』によって国を治めるべきである。
『仁政』は周囲を感化し、其れは何れ世界中に広がる。
『仁政』を敷く君主に、人は服従する。
つまり、『仁者無敵』である。
武力を用いなくとも、『仁政』により国は平定する。
先ずは、衣食住の保障と死者の葬儀が行われる事。
理想実現の為には、『恒産(安定的生業)』と『庠序(学校)』が必要である。
『恒産』が人に『恒神(安定的精神)』を与え、『庠序』が『人倫(人の道)』を訓える。
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≪名言≫
【易其田疇 薄其税斂
民可使富也】
国民が自ら田畑を耕し、国が国民に課す税負担を軽減すれば、
国民は豊かになる。
また国民が納めている税は、
国と国民の為に使われるべきものである。
私利私欲の為に使われるなど、断じて許されない。
【爲後義而先利 不奪不饜】
『義』を後にして『利』を優先すれば、
人は全てを奪わない限り
満たされる事はないであろう。
【與民偕樂 故能樂也】
民と共に楽しむからこそ、君主も楽しむ事が出来る。
【養生喪死無憾 王道之始也】
人が善く生き、死しても葬儀を行ってもらえる事。
其れが、『王道政治』の始めである。
【頒白者 不負戴於道路矣】
高齢の人が路上で荷運びをしなくても善い政治が、『王道政治』である。
【無罪歲】
今の状況を招いたのを、凶年のせいに
すべきではない。
善い政治が行われなかったせいである。
【不爲也 非不能也】
出来なかった。
其れは、やらなかったからである。
【與民同樂】
民と楽しみを同じとせよ。
【樂民之樂者 民亦樂其樂】
君主が民が楽しむものを楽しめば、
民もまた其れを楽しむ。
【蓋亦反基本矣】
何故、根本に戻らないのか?
【雖有智慧 不如乘勢】
たとえ知恵があっても、時流に乗らなければ
意味がない。
【德之流行 速於置郵而傳命】
『徳』が広がる事は、早馬による郵便よりも速い。
【量敵而後進】
先ず敵の力量を知ってから、進むべきである。
【志氣之帥也】
『志』とは、力の源である。
【行有不慊於心 則餒矣】
自分の行いに疚しいところがあると、
『浩然の気』は失われてしまうだろう。
【心勿忘 勿助長也】
忘れてはならない。
また、時を待たずして行おうとしてもならない。
【遁辭知其所窮】
言い逃れようとしている姿を見ると、其の者が
追い詰められているのだと分かる。
【人皆有不忍人之心】
人には必ず、『惻隠の情(思いやりの心)』
と言うものがある。
【樂取於人以爲善】
人の行った『善』を自分も行う事によって、
自分も楽しむ事が出来る。
【莫大乎與人爲善】
人と共に『善』を行う事は、素晴らしい事である。
【遺佚而不怨】
たとえ忘れ去られても、自分の信念の通りに生きて
いるのであれば怨む事など無い。
【天時不如地利 地利不如人和】
『天の時』を得ても、『地の利』が無ければ
意味がない。
『地の利』を得ても、『人の和』が無ければ
意味がない。
【彼一時 此一時也】
あの時はあの時であり、此の時は此の時である。
【以天下與人易 爲天下得人難】
天下を譲る事は、容易である。
しかし其の後、天下の為となる人材を得る事は
難しい。
【不直則道不見】
過ちは、正さなければならない。
【枉己者 未有能直人者也】
不正をした人間が、不正をした他人を正した事など
無い。
【非其道 則一簞食不可受於人】
道義に反するものであれば、其れが僅かなものでも
受け容れてはならない。
【作於心害於其事 作於其事於其政】
邪心が芽生えれば、其れは表に出て害をなす。
其の害は、政にも影響を及ぼす。
【徒善不足以爲政
徒法不能以自行】
『善』のみで政を行う事は出来ない。
『法』のみで成果を上げる事も出来ない。
【桀紂之失天下也 失其民也】
夏の桀王や殷の紂王が天下を失ったのは、
民の心を失ったからである。
※ 【夏桀殷紂】・・・暴君
【殷鑒不遠 在夏后之世】
殷が見るべきものは、前王朝である
夏の失策であった。
悪例は遠くではなく、近くを見るべきである。
【行有不得者 皆反求諸己】
行って成果を得る事が出来なかったのならば、
先ず自分を顧みなさい。
【得其民斯天下矣】
民心を得れば、天下を取る事が出来る。
【道在爾 而求諸遠
事在易 而求諸難】
『道』は、近くにあるものである。
しかし、人は其の『道』を遠くにあるものとして
求める。
『事』は、簡単なものである。
しかし、人は簡単な『事』を難しいものと
考えてしまう。
【誠者天之道也 思誠者人之道也】
『誠実』とは、『天の道』である。
『誠実』に生きる事は、『人の道』である。
【至誠而不動者 未之有也】
『至誠』が、動かさないものなどない。
【存乎人者 莫良於眸子】
瞳さえ見れば、其の人の事が分かる。
【聽其言也 觀其眸子 人焉廋哉】
其の言葉を聴き、其の瞳を見れば、
其の人の全ての事が分かる。
自分も相手も、自身の事を隠す事など出来ない。
【有不虞之譽 有求全之毀】
大した事をやった訳でもないのに、
思わぬ栄誉を得る事がある。
全力で行った事が、非難される事もある。
【易其言也 無責耳矣】
軽々しく言葉を発してはならない。
責任を持って言葉は発しなければならない。
【有不爲也 而後可以有爲】
してはならない事は、してはならない。
そうすれば、後に大業を為す事が出来る。
【言人之不善 當如後患何】
人の悪口を言えば、必ず自分に返って来る。
【博學而詳說之 將以反說約也】
博く学び其れを詳しく説く事は、根本を顧みて
自分が学んだ事を伝える為である。
【不祥之實 蔽賢者當之】
不吉な事とは、賢者を隠す事である。
【聲聞過情 君子恥之】
自分の実力以上の評価を受けるべきではない。
【堯舜與人同耳】
聖人である堯も舜も、人間である。
私も、同じ人間である。
【爾爲爾 我爲我】
貴方は貴方であり、私は私である。
【友也者友其德也】
友となる人は、其の人の持つ『徳』を友とすべし。
【求則得之 舍則失之】
求めるか求めないかと言う自分の心次第で、
得も失いもする。
【人之所貴者 非良貴也】
人が貴いとするものは、真に尊いものではない。
【歸而求之 有餘師】
退き静かに見つめると、多くの善い師がいる事に
気付く。
【先生之志則大矣 先生之號則不可】
貴方の志は、立派です。
しかし、其の主張はなりません。
【訑訑之聲音顔色 距人於千里之外】
自分に満足し、人の意見を受け容れないと言う態度を
取っていると、多くの人が貴方から離れて行くでしょう。
【萬物皆備於我矣】
万物は全て、自分の中に備わっている。
【人不可以無恥 無恥之恥 無恥矣】
人は、恥を知るべきである。
『知らない』と言う事を恥じる事は、恥ではない。
【仁言不如仁聲之入人深也】
言葉で人に説くのではなく、先ずは自ら実践せよ。
【善政不如善敎之得民也】
善い教育は、善い政よりも民の心を捉える。
【有德慧術知者 恒存乎疢疾】
困難な時にこそ、人は成長するものである。
【父母倶存 兄弟無故 一樂也
仰不愧於天 俯不怍於人 二樂也
得天下英才而敎育之 三樂也】
父母が健在で兄妹に何事も無い事は、
最上の喜びの一つである。
天に恥じない生き方は、最上の喜びの一つである。
才能ある人々を教育する事は、最上の喜びの
一つである。
【執中無權 猶執一也】
『中庸』と言う言葉に執着して臨機応変に行動
出来なければ、『中庸』など単なる偏った考えに
過ぎない。
【於不可已而已者 無所不已】
止めてはならない事さえも止める者は、
やらなければならない事をも止める。
簡単に諦めるべきではない。
【進鋭者 其退速】
あまりにも早く進むと、退くのも早い。
ゆっくりした方が良い時もある。
【知者無不知也 當務之爲急】
知っている事を何の為に使うのかを知り、
そして其の知識を実際に行わなければ意味が無い。
【是之謂不知務】
『先にすべきもの』『重きもの』を後にする事を、
務めを知らないと言う。
【盡信書則不如無書】
書いてある事全てを、信じてはならない。
【仁人無敵於天下】
仁者に、敵はいない。
【無政事 則財用不足】
善政が行われていないと、国の財源が不足する。
【茅 塞子之心矣】
茅(邪念)が、貴方の心を塞いでいる。
【言近而指遠者 善言也】
ありふれた言葉であっても其の内容が広く深いもので
あれば、其の言葉は善い言葉である。
【養心莫善於寡欲】
欲を無くす事こそが、心を養う方法である。
【惡似而非者】
外面のみ善いものに似ているものを嫌悪する。
【莫非命也 順受其正】
人の幸不幸も生死も、『天命』である。
しかし自ら招いたものは、『天命』ではない。
【(孔子曰く) 鄕原德之賊也】
俗物は、『徳』の賊物である。
【(會子曰く) 出乎爾者 反乎爾者也】
自ら発したものは、必ず自分に返って来る。
【(會子曰く) 自反而縮
雖千萬人吾往矣】
自分が正しいと思ったのならば、たとえ相手が
一千万人であっても信念を貫くべきである。
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【荀子(紀元前313年頃~紀元前238年以降)】
・『儒家』の代表的人物
・当時信じられていた『天命思想』『天人相関思想』
を批判
・荀子の思想を記した著作物は、『孫卿新書』として
纏められた(荀子は漢代に、
『孫卿』と呼ばれていた)
・孔子・孟子を批判し『性悪説』を唱えた為に荀子は
異端者扱いされ、長く『孫卿新書』は読まれなかった
(当時は『性善説』が正統と考えられていた)が、
其の後『孫卿新書』は唐代に楊倞
によって改定を加えられ、著作名も
『荀子(三十二篇)』と改められた
・荀子の弟子には法家の韓非と李斯がおり、
荀子の思想は彼らに多くの影響を与えた
・荀子の思想は漢初の『経学(四書五経等に関する
学問)』にも関係があり、『礼記』を通して
荀子の思想は広まっていった
趙で生まれ育った荀子は五十歳の時に斉へ遊学し、斉の襄王に仕えた。
斉では、稷下の学士(臨淄(斉の首府)の稷門近くに集められた諸国の学者達の事)の祭酒(学長)に任命された。
しかし讒言により斉を去らなければならなくなり、其の後、楚の蘭陵の令(楚の邑(領地)の地方長官)となった。
紀元前238年に荀子を重用していた楚の宰相(君主を補佐する最高官吏)・春申君が死去した為に荀子は官職を追われ、蘭陵で生涯を閉じる事になった。
荀子の生きた【戦国時代】は群雄割拠、下剋上、奸計、謀略、戦、略奪、不正、不義と、無秩序で非人道的であり人間の欲望や懐疑心に塗れた悖乱の世であった。
其れを目の当たりにした荀子は、『儒家』の唱える『道徳』や『倫理』だけでは国を治める事は出来ないと考えるようになっていった。
荀子の思想は孔子・孟子とは一線を画す様になり、やがて『性悪説』を生み出した。
荀子は『理想』よりも、『現実』や『実力』を重んじる人物であった。
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≪思想≫
《礼治主義》
『礼』(外側から人間を規制)を以て、国を治める事。
『礼』によって、人の徳化(人徳によって感化する事)を目指す。
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《性悪説》
人の本性は、『悪』である。
しかし完全なる『悪』ではなく、『人為(教育)』によって正す事が出来る。
『礼』を以て、『悪』を『善』に矯める必要がある。
人は『善』になる為に、学び続けなければならない。
※ 孟子の唱えた『性善説』を批判。
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《生涯学習》
【學不可以已】
学問は、永遠に続けなければならない。
【學至於行之而止矣】
学問とは、実行した時に最上に達する。
【靑取之於藍 而靑於藍】
青と言う色は、藍(蓼科の植物)によって出来る。
そして青は、藍よりも青い。
『青は藍より出でて藍より青し』
『出藍の誉れ』
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《実力・能力主義》
実力・能力に応じて評価する事
《現実主義》
現実を重視する事
《統治思想》
為政者が国や人を支配し治めると言う思想
《論理的思想》
論理的に考え進めようとする思想
《王覇論》
王者・覇者が国を治めると言う論
⇒ 『法家思想』に繋がる
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≪名言≫
【不登高山 不知天之高也】
高い山に登らなければ、天の高さを知る事は
出来ない。
【敎使之然也】
此れは、教育によるものである。
【所立者然也】
此れは、立場によるものである。
【福莫長於無禍】
禍の無い生活こそが、本当の幸せである。
【蓬生麻中 不扶而直】
曲がって生える蓬が真っ直ぐ生える麻の中で
生まれれば、真っ直ぐに育つ。
【肉腐出蟲 魚枯生蠧】
肉が腐ると、虫が湧いて出て来る。
魚が干からびると、魚を喰らう虫が生まれ出て来る。
禍には、必ず原因がある。
【火就燥也】
積み重ねられた薪の中の乾いた木に、火は燃え移る。
【不積蹞歩 無以至千里】
一歩一歩進まなければ、千里の道には到達出来ない。
【目不兩視而明】
二つの目で見るから、明瞭に見えるのである。
【行無隱而不形】
行いは隠しても、必ず表に現れる。
【有爭氣者 勿與辯也】
血の気の多い人と言い争っても、無駄である。
【百發一矢 不足謂善射】
百発矢を射て一発でも仕損じれば、
弓の名手とは言わない。
ただ一つの愚行で、全ての善行は無となる。
【非我而當者 吾師也】
自分を非難し欠点を指摘してくれる人を、
師と仰ぐべきである。
【諂諛我吾賊也】
自分に媚び諂う者は、自分に害をなす者である。
【以善先人者 謂之敎】
先ず、『善』を人に示す。
其れが、教育である。
【是謂是 非謂非 日直】
正しい事を正しい事と言い、
間違っている事を間違っていると言う。
其れを『直』と言う。
【道義重 則輕王公矣】
自分が正しいと思っているのならば、
たとえ王公貴族の前であろうとも
堂々とすべきである。
【良農不爲水旱不耕】
良い農民は、洪水だからと言って
『耕さない』と言う事はしない。
【堅白同異】
目で見れば、其の石は白い事は分かる。
目で見ても、其の石が堅い事は分からない。
【跛鼈千里】
歩くのが遅い鼈も、千里を歩く事が出来る。
【養心 莫善於誠】
心を養う為に必要な事は、誠実である
と言う事である。
【千人萬人之情 一人之情是也】
千人万人の心は、一人の心でもある。
【公生明 偏生闇】
公平であれば、世を明瞭に見る事が出来る。
不公平であれば、世を正しく見る事など出来ない。
【盜名不如盜貨】
実も無いのに名誉だけを得ようとする事は、
財宝を盗む事よりも悪い事である。
【與善言 煖於布帛】
善い言葉は、織物よりも温かい。
【欲觀千歳 則審今日】
先を知りたいのであれば、今を明確にせよ。
【信信信也 疑疑亦信也】
信じるべきものは、信じなさい。
疑うべきものは、疑いなさい。
【言而當知也 黙而當亦知也】
発言して其れが核心を突いているのならば、其れは『知』である。
沈黙して其れが核心を突いているのならば、其れも『知』である。
【利足而迷 負石而墜】
道に迷った健脚の人は、無駄に歩いて
時間を浪費する。
水の中で石を背負った人は、深く沈む。
才覚のある人は、気を付けなさい。
【不聞不若聞之 聞之不若見之 見之不若知之 知之不若行之】
訓えは、聞かないよりも聞いた方が良い。
訓えは、聞くよりも見る方が良い。
訓えは、見るよりも知る方が良い。
訓えは、知るよりも行う方が良い。
【寡則必爭矣】
少ないからこそ、争うのだ。
【國危則無樂君
國安則無憂民】
国が危うければ君主は楽しまず、国が安泰であれば
民の憂いはなくなる。
【立直木而求其影之枉也】
真っ直ぐな木を立てて、其の影が曲がる事を望む。
そんな事を望んでも、仕方がない。
真っ直ぐな木の影は、曲がる事はない。
【一而治 二而亂】
意見が一致していなければ、世は乱れる。
【愛民者彊 不愛民者弱】
民を愛する国は、強い。
民を愛さない国は、弱い。
【無急勝而忘敗】
勝ちを急いて、負けた時の事を忘れてはならない。
【無見利而不顧其害】
目の前の利益に心奪われて、其の害を顧みない事が
無いように。
【白刃捍乎胷 則目不見流矢】
白刃が胸を貫こうとする時、目の前を飛び交う
流れ矢など見ている余裕はない。
【大巧在所不爲】
真の技巧とは、何もしない事である。
【怪之可也 畏之非也】
此の世には、不思議な事が沢山ある。
此れを怪しむ事は、善い事である。
しかし、此れを畏れる事は善くない事である。
【蔽於一曲 而闇於大理】
偏った見方をしていると、大きなものが見えない。
【人心譬 如槃水】
人の心は、盥の中の水と同じである。
静かであれば其の身を明瞭に映し、
乱れていれば其の身を歪んで映す。
【以疑決疑 決必不當】
自分の心を疑いながら物事を疑って見ると、
解決出来ない。
【不知其子 視其友】
其の子を知らないのであれば、其の友を視よ。
【推恩而不理 不成仁】
恩を施しても其れが道理に合っていなければ、
其れは『仁』ではない。
【禍與福鄰】
『禍』と『福』は、隣り合わせである。
【滿則覆】
満ちたり過ぎると、転覆する。
【從道不從君 從義不從父
人之大行也】
『正道』に従って君主に諫言し、『正義』に従って
親の命令に従わないのは、人の偉大なる行いである。
唯唯諾諾であると言う事が、『忠義』なのではない。
【(孔子曰く) 遇不遇者時也】
厚遇と不遇は、時の運である。
【(孔子曰く) 爲人下者 其猶土也】
人の下にいる者は、土の様である。
土を掘れば、水が湧き出て来る。
土を耕せば五穀が実り、草木が生える。
動物も住むようになる。
土は、多くのものを生み出す。
【(孔子曰く) 有而不施 窮無與也】
裕福であるのに人に施さなければ、
自分が困窮した時に人から施しを受ける事は無い。
【(顔淵曰く) 造父不窮其馬】
優れた御者である造父は、馬に無理をさせなかった。
政も同様に。
【(顔淵曰く) 鳥窮則啄】
鳥は空腹であれば、何でも啄む。
人も同様に。
【(子貢曰く) 良醫之門 多病人】
良い医者の許には、病人が集まる。
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【墨子(紀元前470年頃~紀元前390年頃)】
・墨家の開祖
・名は、『翟』
・孔子と同じく魯の人で、
後に宋の大夫(貴族。高級官僚)になったとも、
夏公に仕えたとも言われている
・韓非 曰く
【儒之所至 孔丘也 墨之所至 墨翟也】
・『淮南子』には、【儒墨】【孔墨】と記されている
・墨子は、孔子と並び称された
(世を救い、人を正す。正しき行為や教育、
法を重んじる。
国家安康、人民の生を楽しまん)が、
儒家と墨家はよく対立し、
孟子は墨子を批判していた
・墨子は孔子とは生きた時代が異なり、
また墨子が生きた時代は無秩序な世であった為、
孔子よりも現実的で実際的であった
「『儒家』は、人間関係を大切にし過ぎる。
君主が『不義』であっても、忠臣は其れに従う。
そうではない。
真の忠臣とは、君主に諫言する者の事である。
そして三度諫言しても聞き容れない
暴君に対しては、武力行使も辞さない」
・墨子の残した『墨子』は始め七十一篇あったが、
五十三篇にまで減少
(『墨子』は難解な文章であり古字も
使われていた為、写し間違いや解釈の
錯誤が多々あった)
・墨子の生涯についての伝承は、ほとんど残されて
いない
・『墨』と言う名から刺青が彫られた罪人だとも、
卑賎の出であったとも、墨を扱う職人であった
とも言われているが、結局良く分からない
墨子は始め『儒家』を学んだが其の訓えに疑問を持つようになり、自らの思想を形成していった。
孔子の死後、墨子は魯に拠点を置いて思想家集団、武装集団を形成して活動。
此の集団を『墨家』と言った(但し『墨家』に集まった者達(墨者)は、権力や地位を求める有象無象の集団に過ぎなかったと言われている)。
『墨家』は争いを無くす為、大国に侵略されようとする小国を助ける為に戦った。
しかし、『墨家』は強過ぎた。
強過ぎたが為に両者の力が拮抗し、却って戦が長引いてしまった。
そして墨子の死後、『墨家』は三派(『相里氏』『相夫氏』『鄧陵氏』)に分裂。
何故か?
『墨家』が小国を助けた為に戦が終わらないのならば、大国に力を貸して大国が勝利すれば争いが直ぐに終結すると考える人々が現れたからである。
彼らと墨子の遺志を継ぐ者達の間で対立が起こり、『墨家』が分裂してしまった。
大国・秦に付いた『墨家』の一部は、秦の国の統一に助力した。
『墨家』は其の後も思想界において『儒家』と勢力を二分していたが、人を愛する学問である墨子の訓えは秦に敬遠されるようになっていった。
『墨家』は利用されるだけ利用され、勢力を失っていった。
秦が亡びてから壊滅状態にあった他の諸子は復活したが、『墨家』だけは復活の兆しは見えなかった(『儒家』による排斥運動があったとも言われている)。
次第に、『墨家』は消えていった。
晋の時代に墨子が見直された時もあったが、何故か墨子は『変化の術』や『金丹の法』を得、『鬼神(死者の魂)』を使役した仙人であると解釈されてしまった(墨子が、『鬼神』の存在を信じていたからなのかもしれない)。
仙人=『道家』と言う考えがあり(『道家』の思想を基とする『道教』では仙人は仙術を操る不老不死の人とされた)、また『墨家』の思想である『博愛』『平等』『平和』が『道家』と通ずるところもあり、幸か不幸か仙人扱いされた墨子は『道家』の中に密かに生き残る事となった。
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≪思想≫
【十論】
一.《兼愛交利》
「子は父を愛さず、弟は兄を愛さず、
臣下は君主を愛さず、
君主は臣下を愛さず、盗賊は自己を愛し
他人を害し、諸侯は自国を愛し
他国を愛さない。
此の様に自己を愛し自分の利益のみを
求め続けているから、
『乱れ』が生じるのだ。
お互いを愛していないから、
天下騒乱が起こるのだ」
自己と他者とを兼く愛せば、争いは無くなる
⇒ 『兼愛(無差別愛。世界的愛他主義。
非個人愛。非個人主義)』
交々相利すれば、争いは無くなる
⇒ 『交利(互いに利益を与え合う事)』
※ 家族や君主等、自分に近しい人を
大事にすべきだと考える『儒家』は、
墨子の『兼愛公利』を否定。
全ての人を同じように扱う事は、
禽獣と同じであると批判した。
二.《非攻》
「一人殺せば『不義』と言い、死罪となる。
十人殺せば十の『不義』であり、
十の死罪となる。
百人殺せば百の『不義』であり、
百の死罪となる。
しかし侵略戦争は、『正義』であると
称賛される。
人を殺している事に変わりはないのに
何故人殺しは『不義』であり、
侵略戦争は『正義』なのだ?
此れでは、『不義』と『正義』の区別が
無いではないか?
他国を侵略し多くの人々を殺す侵略戦争も、
『不義』に変わりはない。
侵略戦争は、『正義』である
『天の利』『鬼の利』『人の利』と
合致しない」
墨子は、『非侵略主義』であった。
『非戦主義』でも、『無抵抗主義』でも
なかった。
『誅(暴君を罰する誅伐)』や
『救(侵略からの防衛)』による
武力行使は肯定していた。
しかも、其れを実践していた。
軍事訓練を行って防衛技術を磨き、武器を
開発して其れらをもって弱小国の救援に
向かったりもした。
故に、『墨家』は思想家集団であると同時に
武装集団でもあった。
『義』の為ならば、命を棄てる覚悟
(純粋且つ過激)
三.《天志》
『天』は絶対的存在であり、『天命』に背いては
ならない。
「『天命』に順う事を『義政』と言い、
『天命』に反く事を『力政』と言う。
『天』『鬼神』『人民』に利する者を
『聖王』と言い、
然らざる者を『暴王』と言う」
四.《明鬼》
人を賞罰する『鬼神』の存在を
信じていないから、人々は悪事を働くのだ。
『鬼神』の存在を信じていれば、
争いなど起きはしない。
※『儒家』は、『鬼神』については
語っていない。
五.《尚同》
『尚同一義』
『天命』によって選ばれた『天子』のみで
世を治める事は難しいので、
『天子』の下に三公を立て、三公の下に
諸侯を立てる。
諸侯の下に卿(臣下の中でも最高位の者)と
宰(大臣)を立て、
其の下に郷長(郷を管理する長)、
家君(一家の長)、
正長、里長(各里の長)を置く。
職制を置き、上意下達をしっかりして
組織化・秩序化し、天下の『義』を一にすれば
国は安定する。
六.《尚賢》
身分に関係なく、賢者を登用すべきである。
※『墨家』は賢者を育てようと考えたが、
『儒家』は賢者を招こうと考えた。
七.《非命》
『宿命論』を否定。
『天命』は存在するが、『天』によって運命が
決められている訳ではない。
努力によって、運命を変える事は出来る。
八.《非楽》
人々を堕落させる舞楽は、遠ざけるべきである。
※『儒家』は、礼楽(礼儀と音楽)を重視した。
九.《節用》
「質素倹約は人の『原徳』を保持し、勤労と因果の
好循環をもたらす。
豪奢は人の『原徳』を喪失させ、
遊惰安逸(仕事もせず惰性で生きる事)と
因果の醜循環をもたらす。
勤労に服する事は『道』であり、『善』であり、
『美』であり、『幸福』である。
皆が節度ある生活をすれば、世の中は良くなる」
墨子は贅沢をせず、質素簡易な生活をし、
重要な所に投資すべきであるとした。
其れに反するものは、『社会悪』を生ずる。
用を節しないと、節度の無い生活と
欲求が起こる。
其れは、社会紛糾の根源となる。
また治者、優者も節用すべきとした。
※ 孔子は質素を尊び豪奢を悪むが、
其れは人間の性であり仕方の無い事
とした。
十.《節葬》
祭礼に費用を費やすべきではない
(『薄葬』の勧め)。
※『儒家』は、時間と費用が掛かる
『厚葬』や祭礼を重視した。
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≪名言≫
【非無安居也 我無安心也】
心安く休める所が無いのではない。
私に安んじる心が無いから、休む事が出来ないのだ。
【必擇所湛 必謹所湛者】
人は染まる場所を選び、染まる場所に
注意をしなければならない。
【弓張而不弛】
弓を張ったままでいると、弓は使い物に
ならなくなる。
【壹同天下之義 是以天下治也】
天下の主張を一つにすれば、世は治まる。
【一目之視也 不若二目之覩也
一耳之聽也 不若二耳之聽也】
一つの目で視るよりも、二つの目で視る方が良い。
一つの耳で聴くよりも、二つの耳で聴く方が良い。
【知亂之所自起焉 能治之】
乱の原因を知れば、世を治める事が出来る。
【虧不足 而重有餘也】
不足しているものから減らし、有り余っているものへ
増やす。
だから、世が乱れるのである。
【去無用之費 聖王之道 天下之大利也】
国を治める為には、浪費を無くす事である。
其れこそが聖王の『道』であり、天下の大いなる『利』でもある。
【知小而不知大】
小さな事は知っていても、大きな事は知らない。
【言有三法 有考之者
有原之者 有用之者】
言葉には、三つの方法がある。
言葉の意味を考えて言うもの。
人の心を推し量って言うもの。
実行する事を前提に言うもの。
【爲義 非避毀就譽】
『義』を行うのは人々からの誹りを避ける為でも、名誉を得る為でもない。
【百門而閉一門焉 則盜何遽無從入】
百ある門の一つだけ閉じても、盗賊を防ぐ事など
出来はしない。