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紅叶  作者: 野口 ゆき
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【御参考 其之二(孔子・孟子・荀子・墨子)】

孔子(こうし)(紀元前552年頃~紀元前479年)】


・『儒家』の始祖

・名は、『(きゅう)

(生まれた時、頭の中央が(くぼ)んでいた為)

・身長二メートル以上もあり、

 とても体格が良かった為、『長人』と言われた

(しゅう)の開祖・文王(ぶんおう)の子である

 周公旦(しゅうこうたん)(周王朝の基礎を固めた人)を

  理想の聖人とした

・孔子は穏やかではあるが厳しいところもあり、

 威厳はあるが威圧的ではなく、

 慎み深く誰に対しても礼儀正しかったと言われている

・『論語(ろんご)』は、孔子の死後に書かれた

 孔子と弟子達との言語録

(まご)子思(しし)四書(ししょ)(『論語』『大学(だいがく)』『中庸(ちゅうよう)』『孟子(もうし)』)の一つ、『中庸』を記した


孔子は、()山東省(さんせいしょう)南部)で生まれた。

三歳の頃に武人であった父・孔紇(こうこつ)を亡くし、貧しい暮らしをしながら母・顔徴在(がんちょうざい)巫女(みこ)であったと言われている)に育てられた。

十七歳の時に母も亡くし、経済的にも苦しい思いをしていた孔子は様々な経験を積み重ね、後に通ずる技芸と知識を身に付けていった。

そして二十八歳の時に孔子は魯に仕え、三十歳の時に(しゅう)への遊学(ゆうがく)を許され、老子(ろうし)(老子が誰かは、不明)から『礼』を学んだ(と言われている)。

周で身に付けた知識を生かしながら魯に仕えていた孔子は、三十六歳の時に魯の君主・昭公(しょうこう)(せい)に追放された為に共に斉へ亡命。

斉の君主・景公(けいこう)は孔子を厚遇しようとしたが、斉の宰相(さいしょう)晏嬰(あんえい)が景公に『儒家』の欠点を述べ、孔子の(おし)えを斉に取り入れるべきでは無いと献言(けんげん)

景公は、其の献言を受け容れた。 

『儒家』の訓えは理想論に過ぎず、富国強兵策を進める斉には受け容れられなかった。

三十八歳の時に孔子は斉を去り、魯に帰国。

帰国してから孔子は魯で高い地位(五十二歳の時、『大司寇(だいしこう)』(司法大臣)となる)に就くも次第に魯の(まつりごと)が乱れ始め、失望した孔子は魯を去り十三年間諸国を遊説(ゆうぜい)

孔子は六十九歳の頃に再び魯に戻るが政に関わる事はなく、残りの人生を弟子(穏やな人柄と豊富な知識と経験のある孔子には、約三千人の弟子がいたと言われている)の教育に費やす。

七十三歳で、死去。


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≪思想≫


徳治主義(とくちしゅぎ)


・『徳』のある為政者が、『仁愛』を以て国を治める事

・『徳』で民を導き、『礼』を以て民を整える事

・武力による支配を否定


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


《道徳思想》


・正しい行いをする為の規範


(じん)』・・・仁愛

()』・・・正義

(れい)』・・・社会規範

()』・・・是非の見極め

(しん)』・・・誠実


(ちゅう)』・・・忠誠

(こう)』・・・孝行

(じょ)』・・・思いやり


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


礼治主義(れいちしゅぎ)

『礼』により国を治める事


《シャーマニズム》

巫術(ふじゅつ)の事


人間至上主義にんげんしじょうしゅぎ

どのような犠牲を払っても、人間を擁護する事


《人間中心主義》

人間が世界の中心とする事


《主観中心主義》

主観を中心とする事


《道徳至上主義》

道徳が絶対であると言う事


《倫理的理想主義》

理想を追求し、実現しようとする事


民為重主義(みんいじゅうしゅぎ)

民重きを為す事


啓民而治主義(けいみんじちしゅぎ)

民を(ひら)いて国を治める事


《先祖崇拝》

先祖を崇拝・畏敬する事


《親孝行》

親に対し、真心を以て尽くす事


《仁愛》

慈しむ事

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≪名言≫


述而不作(のべてつくらず) 信而好古しんじていにしえをこのむ

 自分はただ、古人の言葉を伝えているだけである。

 作り話などしていない。

 古人の言葉を信じ、愛しているだけだ。


知者楽水ちしゃはみずをたのしむ

 知者はどの様な事が起こっても、水の流れのように

 変化に応じて自らを変え、其れをまた楽しむ。

 想定外の事態が起こる事など、当然の事。

 何事に対しても重要なのは完璧である事ではなく、

 不測の事態でも臨機応変に対応する事である。

 もし其れが出来ていると自信をもって

 言えるのならば、自分を誇りに思えば良い。 


知我者其天乎われをしるものはそれてんか

 貴方の努力や能力は天が必ず見てくれているから、

 大丈夫。


不如郷人之(きょうじんのよきもの)善者好之(はこれをこのみ)其不善者そのよからざるものはこれを悪之(にくむにしかず)

 全ての人に好まれるようでは、仁者とは言えない。

 全ての人に悪まれるようでは、仁者とは言えない。

 世の中の善き人から好まれ、世の中の善からざる

 人から悪まれる。

 其れが、本当の仁者である。

 正しい行いをしていれば、善からざる人から悪まれる

 という事は当然である。

 恐れる事なく、正しいと思う事を貫けば良い。


雖覆一(ひとふごをくつがえす)(といえども) 進吾往也(すすむはわがゆくなり)

 少しずつでも、ゆっくりでも、前に進んでいれば

 『0(ゼロ)』ではない。

 無理をし過ぎて、心と体を壊さないように。


楽以忘憂たのしみてもってうれいをわする

 心から楽しんでいれば、心配事など

 気にならなくなる。

 たとえ些細(ささい)なものでも、其の中から小さな『喜び』や

 『幸せ』を見出(みいだ)す事が出来れば、

 『心から楽しい』が少しずつ増えていく。


敬事而信ことをけいしてしんあり

 自分の行いを敬えば、人から信頼を得るであろう。


莭用而愛人ようをせっしてひとをあいす

 政を行う者は節約に努め、人を愛せよ。


敏於事而愼於言ことにびんにしてげんにつつしむ

 実行は早く、言葉は慎重に。


視其所以(そのなすところをみ) 觀其所由(そのよるところをみ) 察其所安そのやすんずるところをさっすれば 人焉廋哉ひといずくんぞかくさんや

 其の人の行動を視よ。

 其の人の行動の意味を観よ。

 其の人が、自分の行動に満足しているか推し量れ。

 そうすれば、其の人がどのような人物か分かる。


君子不器(くんしはきならず)

 決まった用途の為に作られた器と君子は異なる。

 君子とは学問だけではなく、人格においても

 優れた人物でなくてはならない。


周而不比(しゅうしてひせず)

 友には、分け隔てなく接しなさい。


學而不思則罔まなびておもわざればすなわちくらし 思而不學則殆おもいてまなばざればすなわちあやうし

 たとえ学んでも、考えなければ意味がない。

 たとえ考えても、学ばなければ意味がない。


知之爲知之これをしるをこれをしるとなし 不知爲不知しらざるをしらずとなす 是知也(これしるなり)

 知っている事は、知っている事とする。

 知らない事は、知らない事とする。

 此れが、本当の『知る』と言う事である。


見義不爲(ぎをみてなさざるは) 無勇也(ゆうなきなり)

 正しい事だと分かっていながら、其れを行わない。

 勇気が無いのだ。


見賢思齊焉けんをみてはひとしからんことをおもう 見不賢而(ふけんをみては)内自省也うちにみずからかえりみる

 立派な人物は、鑑とせよ。

 愚かな人物は、教訓とせよ。


德不孤(とくはこならず) 必有鄰(かならずとなりあり)

『徳』を行っていれば、独りになる事は無い。

 必ず、誰かが隣に居る。


唯恐有聞ただきくあらんことをおそる

『聞く』だけではなく、『実行』せよ。


不恥下問(かもんをはじず)

 たとえ自分よりも地位や身分、年齢が下でも

 訓えを請うべきである。


不遷怒(いかりをうつさず) 不貳過あやまちをふたたびせず

 怒りを他人に移してはならない。

 過ちは、二度と繰り返してはならない。


女畫(なんじはかぎれり)

 自分に見切りをつけるのが早過ぎる。

 やらなければ分からない事も沢山ある。


誰能出不由戸たれかよくいずるにこによらざらん

 人には、通らなければならない『道』がある。


知之者(これをしるものは) 不如好之者これをこのむものにしかず

 好之者(これをこのむものは) 不如樂之者これをたのしむものにしかず

 其の事について知っている人は、其の事を好む人には

 及ばない。

 其の事を好む人は、其の事を楽しむ人には及ばない。


先難而後獲かたきをさきにしてうることをのちにす

 困難な事は先に行い、利益は後回しにせよ。


近取譬(ちかくたとえをとる)

 何事も、自分に置き換えて考え行動せよ。


默而識之(もくしてこれをしるす) 學而不厭(まなびていとわず) 誨人不倦(ひとにおしえてうまず)

 静かに学び続けよ。

 学ぶ事を諦めてはならない。

 自分の学んだ事を、人に訓えよ。


志於道(みちにこころざす) 游於藝(げいにあそぶ)

 志を立てなさい。

 心豊かでありなさい。


不憤不啓(ふんせざればけいせず)

 意欲が無ければ、訓えても無駄である。


樂亦在其中矣たのしみまたそのうちにあり

 不遇であっても、楽しみは必ずある。


不義而富且貴ふぎにしてとみかつたっときは 於我如浮雲われにおいてうかべるくものごとし

 不正をして富を得たとしても、其れは自分にとって

 空に浮かぶ雲のように儚いものである。


難乎有恒矣かたいかなつねあること

 変わらない心を持ち続ける事は、難しい。


與其進也(そのすすむをゆるさん) 不與其退也そのしりぞくをゆるさず

 過去に何が有ろうとも、正しい道を進もうとしている

 のならば許すべきである。

 しかし其の道から外れようとするのならば、

 決して許しはしない。


我欲仁(われじんをほっすれば) 斯人至矣(ここにじんいたる)

『優しくありたい』

 そう思った時、人は優しくなる事が出来る。


君子不黨(くんしはとうせず)

 徒党を組むべきではない。


丘也幸(きゅうやさいわいなり) 苟有過いやしくもあやまちあれば 人必知之ひとかならずこれをしる

 私は、幸せである。

 私が誤った時に、其れを指摘してくれる人が

 いるから。


民無得而稱焉たみえてしょうするなし

 徳行(とっこう)とは、人知れず行われている事が多い。

 だから、称賛される事があまりない。


恭而無禮則勞きょうにしてれいなければすなわちろうす

 慎而無禮則葸しんにしてれいなければすなわちしす

 勇而無禮則亂ゆうにしてれいなければすなわちらんす

 直而無禮則絞ちょくにしてれいなければすなわちこうす

 恭敬(きょうけい)であっても、礼儀がなければ窮屈となる。

 慎重であっても、礼儀がなければ臆病になる。

 勇気があっても、礼儀がなければ粗暴となる。

 実直であっても、礼儀がなければ自縛(じばく)する。


毋意(いなく) 毋必(ひつなく) 毋固(こなく) 毋我(がなし)

 自分勝手な判断をしてはならない。

 自分の考えを人に押し付けてはならない。

 自分の考えに固執してはならない。

 自分本位であってはならない。


主忠信ちゅうしんをしゅとせよ

『忠』と『信』を重んじよ。    


過猶不及すぎたるはなおおよばざるがごとし

『過ぎる』と言う事と『及ばない』と言う事は、

 同じ事である。


鳴鼓而攻之可也つづみをならしてこれをせめてかなり

 不正を行った人物がどのような地位に

 就いていようとも、糾弾すべきある。


爲仁由己じんをなすはおのれによる 而由人乎哉(ひとによらんや)

『良い事』とは自分自身が行う事であって、

 他の人に頼るべき事では無い。


内省不疾うちにかえりみてやましからずんば 夫何憂何懼それなにをかうれえなにをかおそれん

 自らを顧みて疚しいところが無ければ、

 憂う事も恐れる事もない。


無宿諾だくをとどむることなし

 承諾したのならば、直ぐに実行せよ。


政者正也(せいはせいなり)

 政治とは、正しい行いをする事である。


(いろ)敢仁而行違じんをとりておこないはたがう

 評判は良いが、実際は評判とは違う。


居處恭(おるところきょう) 執事敬(ことをとりてけい)

 どのような地位に就いていても、恭敬の心を

 忘れてはならない。

 どのような事があろうとも、謹慎(きんしん)の心を

 忘れてはならない。


和而不同(わしてどうぜず)

 協力はする。

 しかし、同調はしない。


君子泰而不驕くんしはゆたかにしておごらず

 大らかでいなさい。

 傲慢であってはならない。


勿欺也(あざむくことなかれ) 而犯之しこうしてこれをおかせ

 嘘をついてはならない。

 仕えている人が誤っているのならば、

 其れを(いさ)めなさい。


可與言(ともにいうべくして) 而不與之言(これといわざれば) 失人(ひとをうしなう)

 不可與言ともにいうべからずして 而與之言(これといえば) 失言(げんをうしなう)

 お互い話すべき時に口にしなければ、人を失う。

 お互い話すべきでない時に口にすると、失言となる。


無遠慮とおきおもんぱかりなきときは 必有近憂かならずちかきうれいあり

 遠い将来の事ばかりを考えず、身近な憂いの事を

 考えなさい。


不曰如之何(これをいかんせん) 如之何者これをいかんせんといわざるものは

 吾末如之何也已矣われこれをいかんともするなきのみ

「どうすれば良いのか」と本気で考えている者にしか、

 私は手を差し伸べる事が出来ない。


不以言擧人げんをもってひとをあげず 不以人廢言ひとをもってげんをはいせず

 善い言葉だからと言って、其れだけで人を

 評価してはならない。

 普段悪い行いをしているからと言って、

 其の人の言葉を排除してはならない。


己所不欲おのれのほっせざるところ 勿施於人ひとにほどこすことなかれ

 自分が嫌がる事を、人にしてはならない。


(しょう)不忍(しのばざるときは) 則亂大謀すなわちたいぼうをみだる

 小さな事に我慢出来なければ、

 大きな事など出来はしない。


衆惡之必察焉しゅうこれをにくむもかならずさっし 衆好之必察焉しゅうこれをよみするもかならずさっす

 多くの人が憎んでいても、必ず自分の目で

 確かめなさい。

 多くの人が好いていても、必ず自分の目で

 確かめなさい。


有敎無類(おしえありてるいなし)

 人は元々平等であり、教育によって

 人は変わるのである。


道不同(みちおなじからざれば) 不相爲謀(あいためにはからず)

 互いが違う道を進むのであれば、

 共に歩む必要は無い。


辭逹而已矣(じはたつのみ)

 言葉は、伝わらなければ意味がない。


君子有九思(くんしにきゅうしあり)

 視思明(しはめいをおもい) 聽思聰(ていはそうをおもい) 色思溫(いろをおもい)

 貌思恭(ぼうはきょうをおもい) 言思忠(げんはちゅうをおもい) 事思敬(ことはけいをおもい)

 疑思問うたがわしきはもんをおもい 忿思難いかりにはなんをおもい 見得思義うることをみてはぎをおもう

 君子には、九つの『意思』がある。

 しっかりと見る事。

 良く聞く事。

 穏やかでいる事。

 恭しくいる事。

 言葉に責任を持つ事。

 慎重である事。

 疑問があれば、問う事。

 怒りを表す前に、其の後の事を考える事。

 利を得る時、其の利が道理に適っているかを

 考える事。


磨而不磷(ますれどもうすろがず) 涅而不緇(でっすれどもくろまず)

 本当に固いものは、どんなに磨かれても

 摩耗する事は無い。

 本当に白いものは、どんなに黒く染められても

 黒くはならない。

 人も同様に。


好仁不好學じんをこのみてがくをこのまざれば 其蔽也愚(そのへいやぐなり)

 好知不好學ちをこのみてがくをこのまざれば 其蔽也蕩(そのへいやとうなり)

 好信不好學しんをこのみてがくをこのまざれば 其蔽也賊(そのへいやぞくなり)

 好直不好學ちょくをこのみてがくをこのまざれば 其蔽也絞(そのへいやこうなり)

 好勇不好學ゆうをこのみてがくをこのまざれば 其蔽也亂(そのへいやらんなり)

 好剛不好學ごうをこのみてがくをこのまざれば 其蔽也狂(そのへいやきょうなり)

『思いやりの心』に重きを置いて学ぶ事をしなければ、『愚人』となる。

『知識を得る事』に重きを置いて学ぶ事をしなければ、『自己陶酔者』となる。

『誠実である事』に重きを置いて学ぶ事をしなければ、『俗人』となる。

『正直である事』に重きを置いて学ぶ事をしなければ、『愚直な人』となる。

『勇敢である事』に重きを置いて学ぶ事をしなければ、『騒乱を招く人』となる。

『強靭である事』に重きを置いて学ぶ事をしなければ、『狂人』となる。


未得之也いまだこれをえざるときは 患得之これをえんことをうれう

 得之(これをうるときは) 患失之これをうしなわんことをうれう

 得ようとする事ばかりを考えてはならない。

 一旦得ると、失いたくないと考えてしまう。


有勇而無義(ゆうありてぎなければ) 爲亂(らんをなす)

 勇気があっても正義が無ければ、世は乱れる。


惡稱人之惡者ひとのあくをしょうするものをにくむ

 惡居下流人訕上者かりゅうにいてかみをそしるものをにくむ 

 惡勇而無禮者ゆうにしてれいなきものをにくむ

 惡果敢而窒者かかんにしてふさがるものをにくむ

 人の悪いところだけを非難する者は、嫌いだ。

 下の位でありながら上の者を非難する者は、嫌いだ。 

 勇猛であっても礼儀のない者は、嫌いだ。

 果敢であっても道理が分からない者は、嫌いだ。


不降其志そのこころざしをくださず 不辱其身(そのみをはずかしめず)

 たとえ困窮しようとも、志を高く持ち続けなければ

 ならない。


無可無不可(かもなくふかもなし)

『可』である『不可』であると、始めから

 決めつけてはならない。


周有大賚しゅうにおおいなるたまものあり 善人之富(ぜんにんこれとめり)

 周には、大きな宝がある。

 其れは、多くの善人がいると言う事だ。


寛則得衆かんなればすなわちしゅうをう

 信則民任焉しんなればすなわちたみにんず

 敏則有功びんなればすなわちこうあり

 公則說こうなればすなわちよろこぶ

 寛大であれば、民の心を得る事が出来る。

 誠実であれば、民に認められる。

 迅速に行えば、其れは結果に表れる。

 公平であれば、民は喜ぶ。


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孟子(もうし)(紀元前372年頃~紀元前289年頃)】


・『儒家』の代表的人物

・孔子に次ぐ聖人『亞聖(あせい)』とも言われている

・孟子や其の弟子が書き記した思想書を、

 『孟子(七篇)』と言う

・『孟子』の評価は元々あまり良くなかったが、

 (そう)代に見直されて『四書』の一つとなり、

 科挙(かきょ)(人材登用試験)でも用いられるようになった


魯の公族・孟孫(もうそん)氏の血を引く孟子は、(すう)山東省鄒城市さんとうしょうすうきし)で生まれた。

孟子の父は孟子が幼い頃に亡くなり、厳格で教育熱心な母の許で孟子は育てられたと言われている。

二十歳頃、孟子は魯に遊学し、孔子の孫である子思(しし)の門人に学問を学んだ。

三十歳頃、斉の威王(いおう)の許で自分の思想を説いた。

四十歳頃、孟子は馬車数十台、従者数百人を率いて各地を遊説して回るようになった。

孟子は『孔子の正式な後継者』であると言う自負から、自尊心が高い人物であったと言われている。

従って、孟子は自分に訓えを乞う王にとって自分は師匠であり、特別待遇されるべき賓客(ひんきゃく)であると考えた。

其の後、斉の宣王(せんおう)(りょう)恵王(けいおう)、鄒の穆公(ぼくこう)に仕えたが、結局正式採用される事は無かった。

戦乱の世では、『王道政治』は受け容れられなかった(孟子の性格にも問題があったに違いない)。

晩年は特に活躍も無いまま故郷・鄒に帰り、弟子の育成に専念した。


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〈孟子に関する有名な故事〉


孟母三遷(もうぼさんせん)


一.孟子は最初、「墓地」の近くで住んでいた。

  すると、孟子は葬式遊びをし始めた。

二.其れを危惧した孟子の母は、「市場」の近くに

  引っ越した。

  すると、孟子は商人の真似をするようになった。

三.其れを危惧した孟子の母は、「学問所」の近くに

  引っ越した。

  すると、孟子は勉学に励むようになった。


環境が、人間育成に大きな影響を及ぼす。


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孟母断機(もうぼだんき)


ある日、孟子が学問を途中でやめて帰って来た。

すると孟子の母は、(はた)で織っていた織物を突然断ち切った。

孟子の母は、其の織物を見せながら孟子に言った。


「貴方が学問をやめると言う事は、此の織物と同じ事です!!

今まで学んで来たものを、此れから学ぶべきものを、全て失っても良いのですか!?」


学業は、続けなければ意味が無い。


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≪思想≫


性善説(せいぜんせつ)

天命思想(てんめいしそう)

易姓革命(えきせいかくめい)


人の本性は、『善』である。

『悪』は、後天的な環境により形成されるものである。

此れを《性善説》と言う。


人間には本来、『四端(したん)』が備わっている。

『四端』とは、『惻隠(そくいん)(人を思う心)』『羞悪(しゅうお)(悪を憎む心)』『辞譲(じじょう)(譲り合う心)』『是非(ぜひ)(善悪を判断する心)』の事である。

此の『四端』を発展させると、『四徳(しとく)』(『仁』『義』『礼』『智』)へと繋がる。

人間の性である『四端』は『天』によって与えられたものであるから、全ての人間が『善人』となる事が出来る。

そして『善人』が更に努力し、自分の為すべき事を自覚し、信念を持つ事によって『浩然(こうぜん)の気』を放つ事が出来るようになる。

『浩然の気』とは『活力の源となる気』の事であり、其の『気』は世界に拡散する。

此の『浩然の気』を放つ人物を、孟子は『大丈夫(だいじょうぶ)』と言った。

『大丈夫』は、『五倫(ごりん)(五つの道徳)』を守らなければならない。

『五倫』とは、『父子(ふし)(しん)』『君臣(くんしん)()』『夫婦(ふうふ)(べつ)』『長幼(ちょうよう)(じょ)』『朋友(ほうゆう)(しん)』である。

更に孟子は《性善説》に、《天命思想(【御参考 其之一(諸子百家)】参照)》と『五百年周期説』を取り入れた。

『五百年周期説』とは、五百年に一度『聖人』が現れると言う説である。

つまり『天』は、五百年に一度『大丈夫』を選ぶ。

『天命』によって選ばれた『大丈夫』を『聖人』と言う。

此の『聖人』が君主となり、国を治める。

しかし五百年経つと再び世が乱れるので(『聖人』は五百年に一度しか現れない為)、『天』は新たな『聖人』を選ぶ。

覇道政治(はどうせいじ)』を行い、『天』から与えられた『徳』を失った君主は君主ではあらず、『一夫(いっぷ)(一人の人間)』に過ぎない。

『徳』の無い人間が、国を治めるべきではない。

暴君が位に就くと国が亡ぶ為、新たな『聖人』に天命が下る。

『天命』により選ばれた『聖人』は、新たな王朝を築くように言われる。

此れが、《易姓革命(【御参考 其之一(諸子百家)】参照)》である。


孟子は《易姓革命(『禅譲(ぜんじょう)』『放伐(ほうばつ)』)》を理論化する事により、王朝交代を正当化した(少々矛盾があるが)。

「王朝が変わるのは五百年と言う前の王朝の寿命が尽き、覇道政治が敷かれているからである。

従って、新たな王朝が興る事は自然の事である」

とした。

また孟子は孔子の訓えを堅守してはいたが、『放伐』による王朝交代も止むを得ないと考えた。


挿絵(By みてみん)


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王道政治(おうどうせいじ)


君主は武力による『覇道』ではなく、仁愛による『王道』によって国を治めるべきである。

仁政(じんせい)』は周囲を感化し、其れは何れ世界中に広がる。

『仁政』を敷く君主に、人は服従する。

つまり、『仁者無敵(じんしゃむてき)』である。

武力を用いなくとも、『仁政』により国は平定する。


先ずは、衣食住の保障と死者の葬儀が行われる事。

理想実現の為には、『恒産(こうさん)(安定的生業)』と『庠序(しょうじょ)(学校)』が必要である。

『恒産』が人に『恒神(こうしん)(安定的精神)』を与え、『庠序』が『人倫(じんりん)(人の道)』を訓える。

_____________________________________


≪名言≫


易其田疇そのでんちゅうをおさめ 薄其税斂そのぜいれんをうすくせば

 民可使富也たみはとましむべきなり

 国民が自ら田畑を耕し、国が国民に課す税負担を軽減すれば、

 国民は豊かになる。

 また国民が納めている税は、

 国と国民の為に使われるべきものである。

 私利私欲の為に使われるなど、断じて許されない。


爲後義而先利ぎをのちにしてりをさきにするをなさば 不奪不饜(うばわずんばあかず)

『義』を後にして『利』を優先すれば、

 人は全てを奪わない限り

 満たされる事はないであろう。


與民偕樂(たみとともにたのしむ) 故能樂也ゆえによくたのしむなり

 民と共に楽しむからこそ、君主も楽しむ事が出来る。


養生喪死無憾せいをやしないしをそうしてうらみなきは 王道之始也(おうどうのはじめなり)

 人が善く生き、死しても葬儀を行ってもらえる事。

 其れが、『王道政治』の始めである。


頒白者(はんぱくのもの) 不負戴於道路矣(どうろにふたいせず)

 高齢の人が路上で荷運びをしなくても善い政治が、『王道政治』である。


無罪歲としをつみとすることなかれ

 今の状況を招いたのを、凶年のせいに

 すべきではない。

 善い政治が行われなかったせいである。


不爲也(なさざるなり) 非不能也あたわざるにあらざるなり

 出来なかった。

 其れは、やらなかったからである。


與民同樂たみとたのしみをおなじゅうす

 民と楽しみを同じとせよ。


樂民之樂者たみのたのしみをたのしむものは 民亦樂其樂たみもまたそのたのしみをたのしむ

 君主が民が楽しむものを楽しめば、

 民もまた其れを楽しむ。


蓋亦反基本矣なんぞまたそのもとにかえらざる

 何故、根本に戻らないのか?


雖有智慧(ちえありといえども) 不如乘勢いきおいにじょうずるにしかず

 たとえ知恵があっても、時流に乗らなければ

 意味がない。


德之流行とくのりゅうこうするは 速於置郵ちゆううしてめいをつとうる而傳命(よりすみやかなり)

『徳』が広がる事は、早馬による郵便よりも速い。


量敵而後進てきをはかりてのちにすすむ

 先ず敵の力量を知ってから、進むべきである。


志氣之帥也こころざしはきのすいなり

『志』とは、力の源である。


行有(おこないてこころに)不慊於心こころよからざることあれば 則餒矣(すなわちうう)

 自分の行いに(やま)しいところがあると、

 『浩然の気』は失われてしまうだろう。


心勿忘こころにわするることなかれ 勿助長也たすけちょうずることなかれ

 忘れてはならない。

 また、時を待たずして行おうとしてもならない。


遁辭知其所窮とんじはそのきゅうするところをしる

 言い逃れようとしている姿を見ると、其の者が

 追い詰められているのだと分かる。


人皆有不忍人之心ひとみなひとにしのびざるのこころあり

 人には必ず、『惻隠(そくいん)の情(思いやりの心)』

 と言うものがある。


樂取於人以爲善ひとにとりてもってぜんをなすをたのしむ

 人の行った『善』を自分も行う事によって、

 自分も楽しむ事が出来る。


莫大乎與人爲善ひととぜんをなすよりだいなるはなし

 人と共に『善』を行う事は、素晴らしい事である。


遺佚而不怨いいつせられてうらみず

 たとえ忘れ去られても、自分の信念の通りに生きて

 いるのであれば怨む事など無い。


天時不如地利てんのときはちのりにしかず 地利不如人和ちのりはひとのわにしかず

『天の時』を得ても、『地の利』が無ければ

 意味がない。

『地の利』を得ても、『人の和』が無ければ

 意味がない。


彼一時(かれもいちじなり) 此一時也(これもいちじなり)

 あの時はあの時であり、此の時は此の時である。


以天下與人易てんかをもってひとにあたうるはやすく 爲天下得人難てんかのためにひとをうるはかたし

 天下を譲る事は、容易である。

 しかし其の後、天下の為となる人材を得る事は

 難しい。


不直則道不見たださざればすなわちみちはあらわれず

 過ちは、正さなければならない。


枉己者(おのれをまぐるものは) 未有能直人いまだよくひとをなおくするものは者也(あらざるなり)

 不正をした人間が、不正をした他人を正した事など

 無い。


非其道(そのみちにあらざれば) 則一簞食(すなわちいったんの)不可受於人しもひとよりうくべからず

 道義に反するものであれば、其れが(わず)かなものでも

 受け容れてはならない。


作於心害於其事こころにおこればそのことにがいあり 作於其事そのことにおこればその於其政(まつりごとにがいあり)

 邪心が芽生えれば、其れは表に出て害をなす。

 其の害は、政にも影響を及ぼす。


徒善不足以爲政とぜんはもってまつりごとをなすにたらず 

 徒法不能以ほうはもってみずからおこなわ自行(るるにあたわず)】 

『善』のみで政を行う事は出来ない。

『法』のみで成果を上げる事も出来ない。


桀紂之失天下也けつちゅうてんかをうしなうや 失其民也そのたみをうしなえばなり

 ()桀王けつおう(いん)紂王ちゅうおうが天下を失ったのは、

 民の心を失ったからである。

 ※ 【夏桀殷紂(かけついんちゅう)】・・・暴君


殷鑒不遠 (いんかんとおからず) 在夏后之世(かこうのよにあり)

 殷が見るべきものは、前王朝である

 夏の失策であった。

 悪例は遠くではなく、近くを見るべきである。


行有不得者おこないてえざるものあれば 皆反求諸己みなかえりてこれをおのれにもとむ

 行って成果を得る事が出来なかったのならば、

 先ず自分を顧みなさい。


得其民斯天下矣そのたみをうればここにてんかをう

 民心を得れば、天下を取る事が出来る。


道在爾(みちはちかきにあり) 而求諸遠しかるにこれをとおきにもとむ

 事在易(ことはやすきにあり) 而求諸難しかるにこれをかたきにもとむ

『道』は、近くにあるものである。

 しかし、人は其の『道』を遠くにあるものとして

 求める。

『事』は、簡単なものである。

 しかし、人は簡単な『事』を難しいものと

 考えてしまう。


誠者天之道也まことはてんのみちなり 思誠者人之道也まことをおもうはひとのみちなり

『誠実』とは、『天の道』である。

『誠実』に生きる事は、『人の道』である。


至誠而不動者しせいにしてうごかざるものは 未之有也いまだこれあらざるなり

『至誠』が、動かさないものなどない。


存乎人者(ひとにそんするものは) 莫良於眸子(ぼうしよりよきはなし)

 瞳さえ見れば、其の人の事が分かる。


聽其言也(そのげんをききて) 觀其眸子(そのぼうしをみれば) 人焉廋哉ひといずくんぞかくさんや

 其の言葉を聴き、其の瞳を見れば、

 其の人の全ての事が分かる。

 自分も相手も、自身の事を隠す事など出来ない。


有不虞之譽おもんぱからざるのほまれあり 有求全之毀まったきをもとむるのそしりあり

 大した事をやった訳でもないのに、

 思わぬ栄誉を得る事がある。

 全力で行った事が、非難される事もある。


易其言也そのげんをやすくするは 無責耳矣(せめなきのみ)

 軽々しく言葉を発してはならない。

 責任を持って言葉は発しなければならない。


有不爲也(なさざるあり) 而後可以有爲しかるのちもってなすあるべし

 してはならない事は、してはならない。

 そうすれば、後に大業を為す事が出来る。


言人之不善(ひとのふぜんをいわば) 當如後患何まさにこうかんをいかにすべき

 人の悪口を言えば、必ず自分に返って来る。


博學而詳說之ひろくまなんでつまびらかにこれをとくは 將以反說まさにもってかえりてやくをとかん約也(とするなり)

 博く学び其れを詳しく説く事は、根本を顧みて

 自分が学んだ事を伝える為である。


不祥之實(ふしょうのじつは) 蔽賢者當之けんをおおうものこれにあたる

 不吉な事とは、賢者を隠す事である。


聲聞過情せいぶんまことにすぐるは 君子恥之(くんしこれをはじず)

 自分の実力以上の評価を受けるべきではない。


堯舜與人同耳ぎょうしゅんもひととおなじきのみ

 聖人である堯も舜も、人間である。

 私も、同じ人間である。


爾爲爾(なんじはなんじたり) 我爲我(われはわれたり)

 貴方は貴方であり、私は私である。


友也者友其德也ともなるものはそのとくをともとするなり

 友となる人は、其の人の持つ『徳』を友とすべし。


求則得之もとむればすなわちこれをえ 舍則失之すつればすなわちこれをうしなう

 求めるか求めないかと言う自分の心次第で、

 得も失いもする。


人之所貴者ひとのとうとくするところのものは 非良貴也りょうきにあらざるなり

 人が貴いとするものは、真に尊いものではない。


歸而求之かえりてこれをもとめば 有餘師(よしあらん)

 退き静かに見つめると、多くの善い師がいる事に

 気付く。


先生之志則大矣せんせいのこころざしはすなわちだいなり 先生之號則不可せんせいのごうはすなわちふかなり

 貴方の志は、立派です。

 しかし、其の主張はなりません。


訑訑之聲音顔色いいのせいおんがんしょくは 距人於千里之外ひとをせんりのそとにふせぐ

 自分に満足し、人の意見を受け容れないと言う態度を

 取っていると、多くの人が貴方から離れて行くでしょう。


萬物皆備於我矣ばんぶちみなわれにそなわる

 万物は全て、自分の中に備わっている。


人不可以無恥ひともってはじなかるべからず 無恥之恥はずることなきをこれはずれば 無恥矣(はじなし)

 人は、恥を知るべきである。

『知らない』と言う事を恥じる事は、恥ではない。


仁言不如仁じんげんはじんせいのひとにいる聲之入人深也ことのふかきにしかざるなり

 言葉で人に説くのではなく、先ずは自ら実践せよ。


善政不如善敎之ぜんせいはぜんきょうのたみをうるに得民也(しかざるなり)

 善い教育は、善い政よりも民の心を捉える。


有德慧術知者とっけいじゅつちあるものは 恒存乎疢疾つねにちんしつにそんす

 困難な時にこそ、人は成長するものである。


父母倶存(ふぼともにそんし) 兄弟無故(けいていこなきは) 一樂也(いちのたのしみなり)

 仰不愧於天(あおいでてんにはじず) 俯不怍於人ふしてひとにはじざるは 二樂也(にのたのしみなり)

 得天下英才てんかのえいさいをえて而敎育之これをきょういくするは 三樂也(さんのたのしみなり)

 父母が健在で兄妹に何事も無い事は、

 最上の喜びの一つである。

 天に恥じない生き方は、最上の喜びの一つである。

 才能ある人々を教育する事は、最上の喜びの

 一つである。


執中無權ちゅうをとりてけんなければ 猶執一也なおいつをとるがごとし

『中庸』と言う言葉に執着して臨機応変に行動

 出来なければ、『中庸』など単なる偏った考えに

 過ぎない。


於不可已而已者やむべからざるにおいてやむものは 無所不已(やめざるところなし)

 止めてはならない事さえも止める者は、

 やらなければならない事をも止める。

 簡単に諦めるべきではない。


進鋭者すすむことするどきものは 其退速そのしりぞくことすみやかなり

 あまりにも早く進むと、退くのも早い。

 ゆっくりした方が良い時もある。


知者無不知也ちしゃはしらざることなきなり 當務之爲急まさにつとむべきをこれきゅうとなす

 知っている事を何の為に使うのかを知り、

 そして其の知識を実際に行わなければ意味が無い。


是之謂不知務これをこれつとめをしらずという

 『先にすべきもの』『重きもの』を後にする事を、

 務めを知らないと言う。


盡信書(ことごとくしょをしん)則不如無書ずればすなわちしょなきにしかず

 書いてある事全てを、信じてはならない。


仁人無敵於天下じんじんはてんかにてきなし

 仁者に、敵はいない。


無政事(せいじなければ) 則財用不足すなわちざいようたらず

 善政が行われていないと、国の財源が不足する。


(ぼう) 塞子之心矣しのこころをふさげり

 (ちがや)(邪念)が、貴方の心を塞いでいる。


言近而指遠者げんちかくしてむねとおきものは 善言也(ぜんげんなり)

 ありふれた言葉であっても其の内容が広く深いもので

 あれば、其の言葉は善い言葉である。


養心莫(こころをやしな)善於寡欲うはかよくよりよきはなし

 欲を無くす事こそが、心を養う方法である。


惡似而非者にてひなるものをにくむ

 外面のみ善いものに似ているものを嫌悪する。


莫非命也(めいにあらざるはなし) 順受其正したがってそのせいをうく

 人の幸不幸も生死も、『天命』である。

 しかし自ら招いたものは、『天命』ではない。


【(孔子曰く) 鄕原德之賊也きょうげんはとくのぞくなり

 俗物は、『徳』の賊物である。


【(會子(そうし)曰く) 出乎爾者(なんじにいずるものは) 反乎爾者也(なんじにかえる)

 自ら発したものは、必ず自分に返って来る。


【(會子曰く) 自反而縮みずからかえりみてなおくんば

        雖千萬人吾往矣せんまんにんといえどもわれゆかん

 自分が正しいと思ったのならば、たとえ相手が

 一千万人であっても信念を貫くべきである。


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荀子(じゅんし)(紀元前313年頃~紀元前238年以降)】


・『儒家』の代表的人物

・当時信じられていた『天命思想』『天人相関思想てんじんそうかんしそう

 を批判

・荀子の思想を記した著作物は、『孫卿新書(そんけいしんしょ)』として

 (まと)められた(荀子は漢代に、

 『孫卿』と呼ばれていた)

・孔子・孟子を批判し『性悪説』を唱えた為に荀子は

 異端者扱いされ、長く『孫卿新書』は読まれなかった

 (当時は『性善説』が正統と考えられていた)が、

 其の後『孫卿新書』は(とう)代に楊倞(ようりょう)

 によって改定を加えられ、著作名も

 『荀子(じゅんし)(三十二篇)』と改められた

・荀子の弟子には法家の韓非(かんぴ)李斯(りし)がおり、

 荀子の思想は彼らに多くの影響を与えた

・荀子の思想は漢初の『経学(四書五経等に関する

 学問)』にも関係があり、『礼記』を通して

 荀子の思想は広まっていった


(ちょう)で生まれ育った荀子は五十歳の時に斉へ遊学し、斉の襄王(じょうおう)に仕えた。

斉では、稷下(しょくか)学士(がくし)臨淄(りんし)(斉の首府)の稷門近くに集められた諸国の学者達の事)の祭酒(さいしゅ)(学長)に任命された。

しかし讒言(ざんげん)により斉を去らなければならなくなり、其の後、楚の蘭陵(らんりょう)(れい)(楚の(ゆう)(領地)の地方長官)となった。

紀元前238年に荀子を重用(ちょうよう)していた楚の宰相(さいしょう)(君主を補佐する最高官吏)・春申君(しゅんしんくん)が死去した為に荀子は官職を追われ、蘭陵で生涯を閉じる事になった。


荀子の生きた【戦国時代】は群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)下剋上(げこくじょう)奸計(かんけい)謀略(ぼうりゃく)(いくさ)略奪(りゃくだつ)不正(ふせい)不義(ふぎ)と、無秩序で非人道的であり人間の欲望や懐疑心に(まみ)れた悖乱(はいらん)の世であった。

其れを目の当たりにした荀子は、『儒家』の唱える『道徳』や『倫理』だけでは国を治める事は出来ないと考えるようになっていった。

荀子の思想は孔子・孟子とは一線を画す様になり、やがて『性悪説(せいあくせつ)』を生み出した。

荀子は『理想』よりも、『現実』や『実力』を重んじる人物であった。


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≪思想≫


礼治主義(れいちしゅぎ)


『礼』(外側から人間を規制)を以て、国を治める事。

『礼』によって、人の徳化(とっか)(人徳によって感化する事)を目指す。


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性悪説(せいあくせつ)


人の本性は、『悪』である。

しかし完全なる『悪』ではなく、『人為(じんい)(教育)』によって正す事が出来る。

『礼』を以て、『悪』を『善』に()める必要がある。

人は『善』になる為に、学び続けなければならない。


※ 孟子の唱えた『性善説』を批判。


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生涯学習(しょうがいがくしゅう)


學不可以已がくはもってやむべからず

 学問は、永遠に続けなければならない。


學至於行がくはこれをおこなうに之而止矣(いたってとどまる)

 学問とは、実行した時に最上に達する。


靑取之於藍あおはこれをあいにとりて 而靑於藍(あいよりもあおし)

 青と言う色は、藍(蓼科(たでか)の植物)によって出来る。

 そして青は、藍よりも青い。

『青は藍より出でて藍より青し』

出藍(しゅつらん)(ほま)れ』


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《実力・能力主義》

実力・能力に応じて評価する事


《現実主義》

現実を重視する事


《統治思想》

為政者が国や人を支配し治めると言う思想


《論理的思想》

論理的に考え進めようとする思想


《王覇論》

王者・覇者が国を治めると言う論


 ⇒ 『法家思想(ほうかしそう)』に繋がる

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≪名言≫


不登高山こうざんにのぼらざれば 不知天之高也(てんのたかきをしらず)

 高い山に登らなければ、天の高さを知る事は

 出来ない。


敎使之然也おしえこれをしてしからしむるなり

 此れは、教育によるものである。


所立者然也たつところのものしかればなり

 此れは、立場によるものである。


福莫長於無禍ふくはわざわいなきよりながきはなし

 禍の無い生活こそが、本当の幸せである。


蓬生麻中よもぎもまちゅうにしょうずれば 不扶而直(たすけざるもなおし)

 曲がって生える蓬が真っ直ぐ生える麻の中で

 生まれれば、真っ直ぐに育つ。


肉腐出蟲にくくさりてむしをいだす 魚枯生蠧さかなかれてむしをしょうず

 肉が腐ると、虫が湧いて出て来る。

 魚が干からびると、魚を喰らう虫が生まれ出て来る。

 禍には、必ず原因がある。 

 

火就燥也(ひはそうにつく)

 積み重ねられた薪の中の乾いた木に、火は燃え移る。


不積蹞歩(きほをつまざれば) 無以至千里もってせんりにいたるなし

 一歩一歩進まなければ、千里の道には到達出来ない。


目不兩視而明めはりょうしせずしてしこうしてめい

 二つの目で見るから、明瞭に見えるのである。


行無隱而不形おこないはかくれてあらわれざることなし

 行いは隠しても、必ず表に現れる。


有爭氣者(そうきあるものとは) 勿與辯也(ともにべんずるなかれ)

 血の気の多い人と言い争っても、無駄である。


百發一矢ひゃっぱつしていちをうしなえば 不足謂善射ぜんしゃというにたらず

 百発矢を射て一発でも仕損じれば、

 弓の名手とは言わない。

 ただ一つの愚行で、全ての善行は無となる。


非我而當者われをひとしてあたるものは 吾師也(われがしなり)

 自分を非難し欠点を指摘してくれる人を、

 師と仰ぐべきである。


諂諛我吾賊也われにてんゆするものはわがぞくなり

 自分に()(へつ)う者は、自分に害をなす者である。


以善先人者ぜんをもってひとにさきだつもの 謂之敎(これをきょうという)

 先ず、『善』を人に示す。

 其れが、教育である。


是謂是(ぜをぜといい) 非謂非(ひをひというを) 日直(ちょくという)

 正しい事を正しい事と言い、

 間違っている事を間違っていると言う。

 其れを『直』と言う。


道義重(どうぎおもければ) 則輕王公矣すなわちおうこうをかろんず

 自分が正しいと思っているのならば、

 たとえ王公貴族の前であろうとも

 堂々とすべきである。


良農不爲りょうのうはすいかんのため水旱不耕(にたがやさざるをせず)

 良い農民は、洪水だからと言って

『耕さない』と言う事はしない。


堅白同異(けんぱくどうい)

 目で見れば、其の石は白い事は分かる。

 目で見ても、其の石が堅い事は分からない。


跛鼈千里(はべつもせんり)

 歩くのが遅い(すっぽん)も、千里を歩く事が出来る。


養心(こころをやしなうは) 莫善於誠(まことよりよきはなし)

 心を養う為に必要な事は、誠実である

 と言う事である。


千人萬人之情せんにんまんにんのじょうは 一人之情是也ひとりのじょうこれなり

 千人万人の心は、一人の心でもある。


公生明(こうはめいをしょうじ) 偏生闇(へんはあんをしょうず)

 公平であれば、世を明瞭に見る事が出来る。

 不公平であれば、世を正しく見る事など出来ない。


盜名不如盜貨なをぬすむはかをぬすむにしかず

 実も無いのに名誉だけを得ようとする事は、

 財宝を盗む事よりも悪い事である。


與善言(ぜんげんをあたうるは) 煖於布帛ふはくよりもあたたかなり

 善い言葉は、織物よりも温かい。


欲觀千歳せんざいをみんとほっすれば 則審今日すなわちこんにちをつまびらかにせよ

 先を知りたいのであれば、今を明確にせよ。


信信信也しんをしんずるはしんなり 疑疑亦信也ぎをうたがうもまたしんなり

 信じるべきものは、信じなさい。

 疑うべきものは、疑いなさい。


言而當知也(いいてあたるはちなり) 黙而當亦知也もくしてあたるもちなり

 発言して其れが核心を突いているのならば、其れは『知』である。

 沈黙して其れが核心を突いているのならば、其れも『知』である。


利足而迷(あしをとくしてまよい) 負石而墜(いしをおうておつ)

 道に迷った健脚の人は、無駄に歩いて

 時間を浪費する。

 水の中で石を背負った人は、深く沈む。

 才覚のある人は、気を付けなさい。


不聞不若聞之きかざるはこれをきくにしかず 聞之不若見之これをきくはこれをみるにしかず 見之不若知之これをみるはこれをしるにしかず 知之不若行之これをしるはこれをおこなうにしかず

 訓えは、聞かないよりも聞いた方が良い。

 訓えは、聞くよりも見る方が良い。

 訓えは、見るよりも知る方が良い。

 訓えは、知るよりも行う方が良い。


寡則必爭矣すくなければすなわちかならずあらそう

 少ないからこそ、争うのだ。


國危則無くにあやうければすなわちたの樂君(しむのきみなく)

 國安則無憂民くにやすければすなわちうれうるのたみなし

 国が危うければ君主は楽しまず、国が安泰であれば

 民の憂いはなくなる。


立直木而求ちょくぼくをたててそのかげ其影之枉也のまがらんことをもとむ

 真っ直ぐな木を立てて、其の影が曲がる事を望む。

 そんな事を望んでも、仕方がない。

 真っ直ぐな木の影は、曲がる事はない。


一而治(いつなればおさまり) 二而亂(になればみだる)

 意見が一致していなければ、世は乱れる。


愛民者彊たみをあいするものはつよく 不愛民者弱たみをあいせざるものはよわし

 民を愛する国は、強い。

 民を愛さない国は、弱い。


無急勝しょうにきゅうしてはい而忘敗(をわするることなかれ)

 勝ちを()いて、負けた時の事を忘れてはならない。


無見利(りをみてそのがいを)而不顧其害かえりみざることなかれ

 目の前の利益に心奪われて、其の害を顧みない事が

 無いように。


白刃捍乎胷はくじんむねをおかせば 則目不見流矢すなわちめにりゅうしをみず

 白刃が胸を貫こうとする時、目の前を飛び交う

 流れ矢など見ている余裕はない。


大巧在所不爲たいこうはなさざるところにあり

 真の技巧とは、何もしない事である。


怪之可也これをあやしむはかなり 畏之非也これをおそるるはひなり

 此の世には、不思議な事が沢山ある。

 此れを怪しむ事は、善い事である。

 しかし、此れを畏れる事は善くない事である。


蔽於一曲いっきょくにおおわれて 而闇於大理(だいりにくらし)

 偏った見方をしていると、大きなものが見えない。


人心譬(じんしんはたとえば) 如槃水(はんすいのごとし)

 人の心は、(たらい)の中の水と同じである。

 静かであれば其の身を明瞭に映し、

 乱れていれば其の身を歪んで映す。


以疑決疑うたがいをもってうたがいをけっすれば 決必不當(けつかならずあたらず)

 自分の心を疑いながら物事を疑って見ると、

 解決出来ない。


不知其子(そのこをしらざれば) 視其友(そのともをみよ)

 其の子を知らないのであれば、其の友を視よ。


推恩而不理おんをおしてしならざれば 不成仁(じんをなさず)

 恩を施しても其れが道理に合っていなければ、

 其れは『仁』ではない。


禍與福鄰わざわいとさいわいとはとなりをなす

『禍』と『福』は、隣り合わせである。


滿則覆みつればすなわちくつがえる

 満ちたり過ぎると、転覆する。


從道不從君みちにしたがってきみにしたがわず 從義不從父ぎにしたがってちちにしたがわざるは

 人之大行也(ひとのたいこうなり)

 『正道』に従って君主に諫言(かんげん)し、『正義』に従って

 親の命令に従わないのは、人の偉大なる行いである。

 唯唯諾諾(いいだくだく)であると言う事が、『忠義』なのではない。


【(孔子曰く) 遇不遇者時也ぐうとふぐうとはときなり

 厚遇(こうぐう)と不遇は、時の運である。


【(孔子曰く) 爲人下者(ひとのしもたるものは) 其猶土也(それなおつちのごとし)

 人の下にいる者は、土の様である。

 土を掘れば、水が湧き出て来る。

 土を耕せば五穀が実り、草木が生える。

 動物も住むようになる。

 土は、多くのものを生み出す。


【(孔子曰く) 有而不施(ありてほどこさざれば) 窮無與也きゅうしてあたえらるることなし

 裕福であるのに人に施さなければ、

 自分が困窮した時に人から施しを受ける事は無い。


【(顔淵(がんかい)曰く) 造父不窮其馬ぞうほはそのうまをきわめず

 優れた御者である造父は、馬に無理をさせなかった。

 政も同様に。


【(顔淵曰く) 鳥窮則啄とりきゅうすればすなわちついばむ

 鳥は空腹であれば、何でも啄む。

 人も同様に。


【(子貢(しこう)曰く) 良醫之門(りょういのもんには) 多病人(びょうにんおおし)

 良い医者の許には、病人が集まる。


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墨子(ぼくし)(紀元前470年頃~紀元前390年頃)】


墨家(ぼっか)の開祖

・名は、『(てき)

・孔子と同じく魯の人で、

 後に宋の大夫(たいふ)(貴族。高級官僚)になったとも、

 夏公に仕えたとも言われている

韓非(かんぴ) (いわ)

 【儒之所至(じゅのいたるところは) 孔丘也(こうきゅうなり) 墨之所至(ぼくのいたるところは) 墨翟也(ぼくてきなり)

・『淮南子(えなんじ)』には、【儒墨(じゅぼく)】【孔墨(こうぼく)】と記されている

・墨子は、孔子と並び称された

 (世を救い、人を正す。正しき行為や教育、

  法を重んじる。

  国家安康、人民の生を楽しまん)が、

 儒家と墨家はよく対立し、

 孟子は墨子を批判していた

・墨子は孔子とは生きた時代が異なり、

 また墨子が生きた時代は無秩序な世であった為、

 孔子よりも現実的で実際的であった

 「『儒家』は、人間関係を大切にし過ぎる。

  君主が『不義』であっても、忠臣は其れに従う。

  そうではない。

  真の忠臣とは、君主に諫言する者の事である。

  そして三度諫言しても聞き容れない

  暴君に対しては、武力行使も辞さない」

・墨子の残した『墨子(ぼくし)』は始め七十一篇あったが、

 五十三篇にまで減少

 (『墨子』は難解な文章であり古字も

   使われていた為、写し間違いや解釈の

   錯誤が多々あった)

・墨子の生涯についての伝承は、ほとんど残されて

 いない

・『墨』と言う名から刺青が彫られた罪人だとも、

 卑賎の出であったとも、墨を扱う職人であった

 とも言われているが、結局良く分からない


墨子は始め『儒家』を学んだが其の訓えに疑問を持つようになり、自らの思想を形成していった。

孔子の死後、墨子は魯に拠点を置いて思想家集団、武装集団を形成して活動。

此の集団を『墨家』と言った(但し『墨家』に集まった者達(墨者)は、権力や地位を求める有象無象(うぞうむぞう)の集団に過ぎなかったと言われている)。

『墨家』は争いを無くす為、大国に侵略されようとする小国を助ける為に戦った。

しかし、『墨家』は強過ぎた。

強過ぎたが為に両者の力が拮抗(きっこう)し、却って戦が長引いてしまった。

そして墨子の死後、『墨家』は三派(『相里氏』『相夫氏』『鄧陵氏』)に分裂。

何故か?

『墨家』が小国を助けた為に戦が終わらないのならば、大国に力を貸して大国が勝利すれば争いが直ぐに終結すると考える人々が現れたからである。

彼らと墨子の遺志を継ぐ者達の間で対立が起こり、『墨家』が分裂してしまった。

大国・秦に付いた『墨家』の一部は、秦の国の統一に助力した。

『墨家』は其の後も思想界において『儒家』と勢力を二分していたが、人を愛する学問である墨子の訓えは秦に敬遠されるようになっていった。

『墨家』は利用されるだけ利用され、勢力を失っていった。

秦が亡びてから壊滅状態にあった他の諸子は復活したが、『墨家』だけは復活の兆しは見えなかった(『儒家』による排斥運動があったとも言われている)。

次第に、『墨家』は消えていった。

晋の時代に墨子が見直された時もあったが、何故か墨子は『変化(へんげ)の術』や『金丹(きんたん)の法』を得、『鬼神(きしん)(死者の魂)』を使役した仙人であると解釈されてしまった(墨子が、『鬼神』の存在を信じていたからなのかもしれない)。

仙人=『道家』と言う考えがあり(『道家』の思想を基とする『道教』では仙人は仙術を操る不老不死の人とされた)、また『墨家』の思想である『博愛』『平等』『平和』が『道家』と通ずるところもあり、幸か不幸か仙人扱いされた墨子は『道家』の中に密かに生き残る事となった。


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≪思想≫


十論(じゅうろん)


一.《兼愛交利(けんあいこうり)


  「子は父を愛さず、弟は兄を愛さず、

   臣下は君主を愛さず、

   君主は臣下を愛さず、盗賊は自己を愛し

   他人を害し、諸侯は自国を愛し

   他国を愛さない。

   此の様に自己を愛し自分の利益のみを

   求め続けているから、

   『乱れ』が生じるのだ。

   お互いを愛していないから、

   天下騒乱が起こるのだ」


   自己と他者とを(ひろ)く愛せば、争いは無くなる 

    ⇒ 『兼愛(無差別愛。世界的愛他主義。

       非個人愛。非個人主義)』


   交々相利(こもごもあいり)すれば、争いは無くなる 

    ⇒ 『交利(互いに利益を与え合う事)』


   ※ 家族や君主等、自分に近しい人を

     大事にすべきだと考える『儒家』は、

     墨子の『兼愛公利』を否定。

     全ての人を同じように扱う事は、

     禽獣(きんじゅう)と同じであると批判した。


二.《非攻(ひこう)


   「一人殺せば『不義(ふぎ)』と言い、死罪となる。

   十人殺せば十の『不義』であり、

   十の死罪となる。

   百人殺せば百の『不義』であり、

   百の死罪となる。

   しかし侵略戦争は、『正義』であると

   称賛される。

   人を殺している事に変わりはないのに

   何故人殺しは『不義』であり、

   侵略戦争は『正義』なのだ?

   此れでは、『不義』と『正義』の区別が

   無いではないか?

   他国を侵略し多くの人々を殺す侵略戦争も、

  『不義』に変わりはない。

   侵略戦争は、『正義』である

  『天の利』『鬼の利』『人の利』と

   合致しない」


   墨子は、『非侵略主義』であった。

   『非戦主義』でも、『無抵抗主義』でも

   なかった。

   『(ちゅう)(暴君を罰する誅伐(ちゅうばつ))』や

   『(きゅう)(侵略からの防衛)』による

   武力行使は肯定していた。

   しかも、其れを実践していた。

   軍事訓練を行って防衛技術を磨き、武器を

   開発して其れらをもって弱小国の救援に

   向かったりもした。

   故に、『墨家』は思想家集団であると同時に

   武装集団でもあった。

   

  『義』の為ならば、命を棄てる覚悟

  (純粋且つ過激)


三.《天志(てんし)

  『天』は絶対的存在であり、『天命』に背いては

  ならない。


  「『天命』に順う事を『義政』と言い、

   『天命』に反く事を『力政』と言う。

   『天』『鬼神』『人民』に利する者を

   『聖王』と言い、

   然らざる者を『暴王』と言う」


四.《明鬼(めいき)

   人を賞罰する『鬼神』の存在を

   信じていないから、人々は悪事を働くのだ。

  『鬼神』の存在を信じていれば、

   争いなど起きはしない。

   ※『儒家』は、『鬼神』については

     語っていない。


五.《尚同(しょうどう)

  『尚同一義(しょうどういちぎ)

  『天命』によって選ばれた『天子』のみで

   世を治める事は難しいので、

  『天子』の下に三公を立て、三公の下に

   諸侯を立てる。

   諸侯の下に(けい)(臣下の中でも最高位の者)と

   (さい)(大臣)を立て、

   其の下に郷長(ごうちょう)(郷を管理する長)、

   家君(かくん)(一家の長)、

   正長、里長(りちょう)(各里の長)を置く。

   職制を置き、上意下達(じょういかたつ)をしっかりして

   組織化・秩序化し、天下の『義』を一にすれば

   国は安定する。


六.《尚賢(しょうけん)

   身分に関係なく、賢者を登用すべきである。

   ※『墨家』は賢者を育てようと考えたが、

    『儒家』は賢者を招こうと考えた。


七.《非命(ひめい)

  『宿命論』を否定。

  『天命』は存在するが、『天』によって運命が

   決められている訳ではない。

   努力によって、運命を変える事は出来る。


八.《非楽(ひがく)

   人々を堕落させる舞楽は、遠ざけるべきである。

   ※『儒家』は、礼楽(れいがく)(礼儀と音楽)を重視した。


九.《節用(せつよう)

  「質素倹約(しっそけんやく)は人の『原徳』を保持し、勤労と因果の

   好循環をもたらす。

   豪奢(ごうしゃ)は人の『原徳』を喪失させ、

   遊惰安逸(ゆうだあんいつ)(仕事もせず惰性で生きる事)と

   因果の醜循環をもたらす。

   勤労に服する事は『道』であり、『善』であり、

  『美』であり、『幸福』である。

   皆が節度ある生活をすれば、世の中は良くなる」


   墨子は贅沢をせず、質素簡易な生活をし、

   重要な所に投資すべきであるとした。

   其れに反するものは、『社会悪』を生ずる。

   用を節しないと、節度の無い生活と

   欲求が起こる。

   其れは、社会紛糾の根源となる。

   また治者、優者も節用すべきとした。

   ※ 孔子は質素を尊び豪奢を悪むが、

     其れは人間の性であり仕方の無い事

     とした。


十.《節葬(せっそう)

   祭礼に費用を費やすべきではない

   (『薄葬(はくそう)』の勧め)。

   ※『儒家』は、時間と費用が掛かる

    『厚葬(こうそう)』や祭礼を重視した。


_____________________________________


≪名言≫


非無安居也(あんきょなきにあらず) 我無安心也われにあんしんあきなり

 心安く休める所が無いのではない。

 私に安んじる心が無いから、休む事が出来ないのだ。


必擇所湛かならずひたすところをえらび 必謹所湛者かならずひたすところをつつしむ

 人は染まる場所を選び、染まる場所に

 注意をしなければならない。


弓張而不弛ゆみはってゆるめざるがごとし

 弓を張ったままでいると、弓は使い物に

 ならなくなる。


壹同天下之義てんかのぎをいちどうす 是以天下治也ここをもっててんかおさまる

 天下の主張を一つにすれば、世は治まる。


一目之視也(いちもくのみるは) 不若二目之覩也(にもくのみるにしかず)

 一耳之聽也(いちじのきくは) 不若二耳之聽也(にじのきくにしかず)

 一つの目で視るよりも、二つの目で視る方が良い。

 一つの耳で聴くよりも、二つの耳で聴く方が良い。


知亂之所自起焉らんのよっておこるところをしって 能治之(よくこれをおさむ)

 乱の原因を知れば、世を治める事が出来る。


虧不足(ふそくをかいて) 而重有餘也(ゆうよをかさぬるなり)

 不足しているものから減らし、有り余っているものへ

 増やす。

 だから、世が乱れるのである。


去無用之費むようのついえをさるは 聖王之道(せいおうのみちにして) 天下之大利也(てんかのだいりなり)

 国を治める為には、浪費を無くす事である。

 其れこそが聖王の『道』であり、天下の大いなる『利』でもある。


知小而不知大しょうをしってだいをしらず

 小さな事は知っていても、大きな事は知らない。


言有三法(げんにさんぽうあり) 有考之者これをかんがえうるものあり

 有原之者(これをはかるものあり) 有用之者これをもちうるものあり

 言葉には、三つの方法がある。

 言葉の意味を考えて言うもの。

 人の心を推し量って言うもの。

 実行する事を前提に言うもの。


爲義(ぎをなすは) 非避毀就譽きをさけよにつくにあらず

『義』を行うのは人々からの誹りを避ける為でも、名誉を得る為でもない。


百門而閉一門焉ひゃくもんにしていちもんをとずれば 則盜何遽すなわちなんぞにわかによって無從入(いることなからんや)

 百ある門の一つだけ閉じても、盗賊を防ぐ事など

 出来はしない。

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