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紅叶  作者: 野口 ゆき
2/4

【御参考 其之一(諸子百家)】

〖紀元前1046年〗

(しゅう)西周(せいしゅう))王朝 樹立


〖紀元前770年〗

周王朝弱体化の為、豊鎬(ほうこう)陝西省西安市せんせいしょうせいあんし)から洛邑(らくゆう)河南省洛陽市かなんしょうらくようし)へ遷都(せんと)

⇒ 【春秋時代(しゅんじゅうじだい)東周(とうしゅう))】の始まり


〖紀元前403年〗

(しん)が、(かん)()(ちょう)に分裂

⇒ 【戦国時代(せんごくじだい)】の始まり


〖紀元前230年〗

(しん)が、周を滅ぼす


〖紀元前221年〗

秦が中国史上初めて国を統一し、中央集権国家を樹立

始皇帝(しこうてい)即位


〖紀元前206年〗

秦が滅亡

劉邦(りゅうほう)が、漢を建国(約400年続く)



挿絵(By みてみん)



周王朝は建国後隆盛を極めたが次第に衰退し始め、権力は有名無実化していった。

『公』と名乗っていた諸侯(君主の臣下である貴族)は、周王朝の君主のみに許されていた『王』と言う称号を名乗るようになっていった(下剋上(げこくじょう)の様相)。

【春秋時代】に小国は淘汰(とうた)され(千八百あった国は、数十ヵ国まで減少)、【戦国時代】には七つの強国が覇権を争うようになった。

其の七つの強国を、『戦国七雄(せんごくしちゆう)(えん)(せい)()・韓・魏・趙・秦)』と言う。



挿絵(By みてみん)



************************************************************


乱れた世であった【春秋・戦国時代】に、多くの思想が生まれた。

其れを、【諸子百家(しょしひゃっか)】と言う。


※ 【百】は、数多(あまた)と言う意味

※ 【家】は、学派の事


各国は有能な思想家を食客(しょっかく)として迎え、彼らの知識や知恵を自国の富国強兵(ふこくきょうへい)の為に利用しようとした。

一方、思想家達の中には実論に暗いにも(かかわ)らず高禄(こうろく)()み、私利私欲の為に生きる者もいた。

自らの欲の為に生きる彼らは強国に()(へつら)い、自分にとって邪魔な者達を次々と消していった。

国も思想家も、お互いが利用し合っていた。


乱世であったからこそ様々な思想が生まれ、様々な人々が生まれた。

『無秩序の世』を『普通の世』としない為に、多くの思想が生まれた。

其れらの思想が乱世に必要とされたからこそ、更なる思想が生まれた。



挿絵(By みてみん)


※ 【子】は、先生と言う意味


 

儒家(じゅか)


≪代表的思想家≫


孔子(こうし)(紀元前552年頃~紀元前479年)

孟子(もうし)(紀元前372年頃~紀元前289年頃)

荀子(じゅんし)(紀元前313年頃~紀元前238年以降)


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≪思想≫


徳治主義(とくちしゅぎ)

『徳』のある為政者が国を治める事


礼治主義(れいちしゅぎ)

『礼』により国を治める事


王道政治(おうどうせいじ)

『仁愛』に基づいて為政者が政を行う事(⇔覇道政治(はどうせいじ)


性善説(せいぜんせつ)

人の本性は『善』であると言う説


性悪説(せいあくせつ)

人の本性は『悪』であると言う説


易姓革命(えきせいかくめい)

別姓を持つ一族に()え、天命を(あらた)める事


《シャーマニズム》

巫術(ふじゅつ)の事


人間至上主義にんげんしじょうしゅぎ

どのような犠牲を払っても、人を擁護する事


《人間中心主義》

人間が世界の中心とする事


《主観中心主義》

主観を中心とする事


《道徳至上主義》

道徳が絶対であると言う事


《倫理的理想主義》

理想を追求し、実現しようとする事


民為重主義(みんいじゅうしゅぎ)

民重きを為す事


啓民而治主義(けいみんじちしゅぎ)

民を(ひら)いて国を治める事


《先祖崇拝》

先祖を崇拝・畏敬する事


《親孝行》

親に対し、真心を以て尽くす事


《道徳》

正しい行いをする為の規範


《仁愛》

慈しむ事


※ 『儒家』の思想を基とした『儒教』は、後に『朱子学(しゅしがく)』『陽明学(ようめいがく)』を生んだ。

_____________________________________


墨家(ぼっか)


≪代表的思想家≫

墨子(ぼくし)(紀元前470年頃~紀元前390年頃)


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≪思想≫


《平和主義》

暴力や戦争を否定し、平和を愛する事


《博愛主義》

全てのものを平等に愛する事


兼愛公利(けんあいこうり)

無差別に愛し、互いに利益を与え合う事


《非侵略主義》

他国を侵略せず、領土を拡大させない事


※ 儒家の思想とは、対照的な思想

_____________________________________


道家(どうか)


≪代表的思想家≫

老子(ろうし)(紀元前6世紀頃)

荘子(そうし)(紀元前369年頃~紀元前286年頃)


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≪思想≫


無為自然(むいしぜん)

『あるがまま』に生きる事


小国寡民(しょうこくかみん)

小さい国で少ない民が理想国家であると言う思想


万物斉同(ばんぶつせいどう)

全てのものは同等であると言う思想


逍遥遊(しょうようゆう)

何ものにも囚われず、自由に心を遊ばせる楽しさ


《アニミズム》

地霊・精霊信仰


(みち)

天地万物の根源



・何もしないをする

・事業を起こさない

・多くのものを持たない

・文明化が人を陥れる

・世界の平安を乱すものは、人間の作為行為

・人間がもたらす作為と言語を抑制


※ 『儒家』の思想とは、相反する思想

_____________________________________


法家(ほうか)


≪代表的思想家≫


韓非(かんぴ)(紀元前280頃~紀元前233年)

商鞅(しょうおう)(紀元前390頃~紀元前338年)

申不害(しんふがい)(~紀元前337年)


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≪思想≫


法治主義(ほうちしゅぎ)

『法』に基づいて為政者が国を治める事


信賞必罰(しんしょうひつばつ)

功績のある者には褒賞を与え、罪を犯した者には罰を下す事


刑名参同(けいめいさんどう)

言語と行動が一致している事


《性悪説》

人の本性は『悪』であると言う説


《結果主義》

結果如何(いかん)によって評価する事


《実力・能力主義》

実力・能力に応じて評価する事


《現実主義》

現実を重視する事


《統治思想》

為政者が国や人を支配し治めると言う思想


《論理的思想》

論理的に考え進めようとする思想


《犯罪抑制》

刑罰を設ける事によって、犯罪を防ぐ事


《国家至上主義》

どのような犠牲を払っても、国を擁護する事


《君主至上主義》

どのような犠牲を払っても、君主を擁護する事


《絶対専制主義》

君主が絶対的権力を持つ事


《法令至上主義》

法令が最上のものであると言う事


愚民而治主義(ぐみんじちしゅぎ)

民を愚かにして国を治める事


《富国強兵》

国を富ませ、兵を強くする事


《王覇論》

王者・覇者が国を治めると言う論


_____________________________________


他にも、『兵家(へいか)(兵法)』『名家(めいか)(名実関係の考察)』『陰陽家(いんようか)(陰陽五行説)』『縦横家(じゅうおうか)(遊説・策士)』『農家(のうか)(農業重視)』『雑家(ざっか)(思想融合・著作)』

小説家(しょうせつか)(故事収集・記録)』等があった。


※『漢書』には、下記のように書かれている。

 「儒家は『司徒の官』に出で、道家は『史官』に出で、法家は『理官』に出で、

  名家は『礼官』に出で、縦横家は『行人の官』に出でた」


『儒家』や『墨家』を主に、『道家』『法家』等の多くの思想が派生した。


此れら全ての思想家達が対等に議論する事を、【百家争鳴(ひゃっかそうめい)】と言う。

【諸子百家】はそれぞれの思惑があったのかもしれないが、乱れた世の秩序と安定を目指す事を第一とした。

無秩序(むちつじょ)で非情な世を、少しでも変えようと考えた。

『人とは何か』『人としてどう生きるべきか』を考え続けた。


************************************************************


『儒家』の思想を基に、『儒教(じゅきょう)』が生まれた。

弾圧された時代もあったが、『儒教』は皇帝の政治権力を正当化しようとする漢王朝に重宝された。

其の後『儒教』は国教となり、利用され続けた

(因みに、民衆の間では『老荘思想』に『神仙思想』や『不老不死』を願う信仰が結び付いた『道教』が浸透した)。


何故、『儒教』は利用されたのか?


『儒教』の思想に、『天命思想(てんめいしそう)』と言うものがある。

『天命思想』とは森羅万象の絶対的支配者は『天(神聖なる存在)』であり、君主は『天』によって選ばれた有徳の人物であると言う思想である。

『天』によって選ばれた君主は『天の子』つまり『天子』であり、『天子』には地上の支配権を与えられているとされた。

『天』が『天子』に地上での支配権を委譲したと言う事は、此れは『天命』であり絶対的なものである。

故に君主は『天命』を受けて地上での支配を委譲されているのだから、全てのものが君主に服従しなければならない。

しかし『天』から『天命』を授かって地上を支配しているのならば、『天命』により其の支配権を剝奪する事も有り得る。

『天子』である君主が悪政を敷いて『天』の意思に背いたのならば、『天』は新たな『天子』を選ぶ事もある。

『仁義』のない政を行い人々を苦しめる君主は最早『天子』ではなく、『一夫(いっぷ)(一人の人間)』である。

人々の支持の無い君主ならば、誅殺されるべきである。

此れを、『易姓革命』と言う。

『易姓』とは別の姓にする、つまり別姓を持つ一族に()える事。

『革命』とは、『天命』を(あらた)める事。

『易姓革命』は前王朝を壊滅させ、新しい王朝を興すと言う王朝交代を正当化する為のものである。

『易姓革命』には、『禅譲(ぜんじょう)』と『放伐(ほうばつ)』と言う二つの方法がある。

『禅譲』とは、武力を使わず帝位を譲ってもらう事。

『放伐』とは、武力により帝位を収奪する事。

『儒教』では『放伐』は認められていなかったが、次第に『放伐』が支持されるようになった。


『徳』により国は治められるべきであり、『徳』を失った皇帝は交代されるべきである。

其れは、武力を用いて行われても致し方ない事であるとした。


時代と共に、『易姓革命』は『天人相関説(てんじんそうかんせつ)』『陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)』によって理論化されていった。

『天人相関説』とは『天』と人の行いには関係性が有り、『天』の陽気が動くと人の陽気も反応し、『天』の陰気が動くと人の陰気が反応すると言うものである。

『陰陽五行説』とは、『陰陽(相反する存在)』と『五行(『(もく)』『()』『()』『(ごん)』『(すい)』)』によって、此の世の事象は起こっていると言う思想である。


『五行』は循環し、『相剋(そうこく)(相手を滅ぼす)』『相生(そうせい)(相手を生み出す)』により影響を与え合う。


各王朝にも『五行』があり、王朝継承を説明する為に『相剋』『相生』が用いられた。

しかし、『相剋』『相生』どちらを導入するかは時代によって異なっていた(『呂氏春秋りょししゅんじゅう』では『相剋』が、後漢王朝以降は『相生』が採用された)。

其の為、時代ごとに循環の順序も変わった。


【相剋】

『木(青)』⇒『土(黄)』⇒『水(黒)』⇒『火(赤)』⇒『金(白)』

『木』は『土』に()ち、『土』は『水』に剋ち、『水』は『火』に剋ち、『火』は『金』に剋ち、『金』は『木』に剋つ。

『土』黄帝(こうてい)⇒『木』()⇒『金』(いん)⇒『火』(しゅう)⇒『水』(しん)⇒『土』(かん)


※ 黄帝・・・三皇五帝(さんこうごてい)(中国神話に出て来る三皇(神)と

       五帝(聖人))の一人


【相生】

『木(青)』⇒『火(赤)』⇒『土(黄)』⇒『金(白)』⇒『水(黒)』

『木』は『火』を生み、『火』は『土』を生み、『土』は『金』を生み、『金』は『水』を生み、『水』は『木』を生む。

『土』黄帝⇒『金』()⇒『水』(いん)⇒『木』(しゅう)⇒(無し)(しん)⇒『火』(かん)⇒『土』(しん)


※【赤眉(せきび)の乱(滅亡した『火(赤)』の漢王朝を復活させる為、

 『土(黄)』である新を赤眉軍が倒す為に起こした乱)】も

 【黄巾(こうきん)の乱(『火(赤)』の後漢(ごかん)を『土(黄)』である

  黄巾党が倒す為に起こした乱)】も、五行説の『相生』を

  用いている。



挿絵(By みてみん)



『天命思想』により権力と権威を正当化すると同時に、『易姓革命』により権力と権威の剥奪や交代も正当化された。


しかし『天命』の剥奪を避ける為に、人民を支配・監視する皇帝も現れるようになった。

其れが悪政に繋がり、人民による反乱を引き起こすきっかけとなった。

『天命思想』と『易姓革命』により、国は周期的に戦をするようになった。

其れにより、多くの人命と文化的遺産が失われた。


『天命思想』も『易姓革命』も、人が自分達の主張を正当化する為にこじつけたものである。

人が自分達の都合の良いように、『天』を利用したに過ぎない。

下剋上を正当化したに過ぎない。


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春秋・戦国時代に生まれた多くの思想は、秦の始皇帝の『焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)』により壊滅状態に陥った。


『焚書』

農業技術や医薬等が記された書物以外のもの、秦記(しんき)以外の史書全てを焼く事。

もし三十日以内に【諸子百家】の書物を焼かなければ、労役。

【諸子百家】について語れば、死刑。

現王朝に関して誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)すれば、一族皆殺し。


『坑儒』

逃亡を企てた者達や学者達を捕らえ、(あなうめ)にする事。

此れにより、四百六十人以上が坑にされた。


一部の人間の愚かな行為により、多くの歴史的遺産が消えた。

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